「無知の代償 2/3」 ~非情なる決断~
「無知の代償 2/3」
それから1年余りのうちに、私は病院内で知り合った友を、
2人、3人と失っていった。
本人や家族にとって、その無念さはいかばかりかと思うが、
私も、それをただ手をこまねいて見ているだけしかできない己の無力さを、
去りゆく命の前で嫌というほど思い知らされた。
人がこの世の支配者であっても、その命はかくももろい。
英知がその弱さを補っているにすぎない。
厳然たる死の前には、どのような驕慢も存在しないのである。
症状の落ち着いた病は、それほど肉体的苦痛を伴わないだけに、
はたから見るととかく軽んじられがちであるが、
治癒までに非常に長期間を要することや、
生涯再発の危険があり、
ややもすると命を失う可能性があること、
そして薬の副作用の危険性をはらんでいることなどを思えば、
本人の精神的苦痛は計り知れない。
そのために、人生の落後者的観念に悩まされることもある。
私は、2年有余の投薬療法を続けて、なお症状が固定しなかったため、
とうとう手術のやむなきに至った。
最終判断は当然本人の意思によるものであるが、
相当の決意を要した。
その時、74キロで入院した私の体は、
入院しているにもかかわらず11キロも減少し、
63キロになっていた。
手術することに対し、
側面から検討を加えてくれた内科医の言葉が妙に耳に残った。
「切除するのはいつでもできる。
しかし切りとってしまったらもう元へは戻せない。」
手術には何の不安もなかったが、人生の遅れに対する焦りがあった。
「親からもらった大事な体を傷つけることには抵抗がある」と、
もっともらしく言ってみる私に、
手術を担当する外科医が言ったこの言葉が
私に非情な決断をさせた。
「親からは、良いものも悪いものもみんなもらって生まれて来る。
こだわって悪いものを残しておくと、決してためにはならない。」
(次回に続きます)