「無知の代償 3/3」 ~地獄からの生還~
「無知の代償 3/3(完)」
手術は実に6時間にも及んだ。
左下葉全摘出、 左上葉下部区分切除。
生死の境をさまよいながらも、手術は無事に終了し、
そのあと、3日間にわたる術後の激痛に、
身も心もボロボロになりながら、
とにもかくにも社会復帰の足掛かりをつかんだ。
それにしても、
無知に対する余りにも高価な代償であった。
取り去った臓器はもう元へは戻せないし、
失った機能も二度と戻らない。
30数センチにもおよぶ体の傷も、生涯消えることはない。
以来事あるごとに、
戻らない臓器と機能に対する得も言われぬ寂しさが脳裏を去来する。
それから半年くらいの術後の治療を終えて、ようやく退院。
復職後3年を経て、私はある試みに挑戦した。
神戸市の主催する「六甲連山56キロ縦走大会」への参加である。
事前に2か月ほど軽い山登りのトレーニングを重ね、
装備を整えて祈るような気持ちで出発地点に立った。
午前5時。
11月の朝は遅い。
まだ暗いうちに懐中電灯の明かりを頼りに
兵庫県西部の塩谷の駅をスタートし、
食事や休憩もそこそこに、
旗振山、横尾山、高取山、菊水山、鍋蓋山、
摩耶山、六甲山、大平山、岩倉山を
登り下りしながら歩き通して、
56キロ離れた宝塚のゴールに到着したのは、
真っ暗になった午後7時であった。
所要時間14時間の、
試みと言うには余りにもハードな山歩きであった。
肉体は極限まで疲れきって完全に弛緩していた。
しかし、
横たえた体の中からコンコンと湧き出る自信の血は
瞬く間に全身を巡った。
一時はあきらめかけた人生であったが、
やればできると言う思いが確たるものになった挑戦であった。
そしてその時、
改めて健康の大切さをひしひしと感じた。
「もの足りてもの見えず。」
健康な人ほど健康に対して無関心であるが故に、無知である。
充足の中にあってなお、自己を謙虚に見つめる目を持ちたい。
私はこれからも、病気などで倒れるわけにはいかない。
好きな酒も控えめにし、タバコはとっくにやめた。
自分の体は最後まで自分で守っていくつもりでいる。
それが、家族全員を守らなければならない
一家の主としての私の第一義であると確信している。
完
私の小さな勲章です。
この後
翌年も連続して
六甲連山縦走大会に挑戦し、
完走しました。
後年には
富士登山にも3回挑戦し、
3回とも無酸素で登頂を果たしました。
ハンディキャップを背負った体ではありますが、
周りの人には決して負けない体力を
少しずつ付けてきました。
今、東北大震災と原発事故で、
大変な時ではありますが、
どうか 「健康こそ第一」 であることを、
肝に銘じて活動されますことを、
皆様にくれぐれもお伝えして、
そして、
すべての方々の健康を
心からお祈りしながら
筆を置きます。
3回にわたる私の若い頃の
嘘隠しのない人生談を
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
