少女と仲良しのキアゲハ ~まるで懐いているようです~
アゲハチョウだって、
人を怖れなければ、
こんなにかわいらしい姿を見せてくれます。
傷一つない綺麗な
キアゲハ。
こんなところにとまって
逃げようとはしない。
ここがどこかというと、
この女の子の服のフード。
服に描かれている
花模様を
本当の花と勘違いしているのではありません。
手にとまらせていると
いつまでもとまっていて、
手を使えないから、
服に移したら、
そこにとまってジッとしている。
妹は
もう一匹のキアゲハを、
自分の手にとまらせたまま。
このチョウも
私がカメラを構えても
手の上から
全く飛び立とうとしない。
まるでこのキアゲハたちは、
この姉妹に懐いているように見える。
どんなにかわいがっても、
昆虫が
人に懐くことはないと思うのだが、
でも、
人の怖さを知らないうちだったら、
チョウだって
逃げようとはしないかもしれない。
それは
このキアゲハたちが
ここで生まれたことによる。
彼女らの虫かご。
蓋を開けると
中には
キアゲハの蛹がいっぱい。
もうすでに
羽化してチョウが出てきた蛹の殻2つと、
今から出てくる蛹が一つ。
傍の蛹は、
今すぐにでも羽化しそう。
蛹になる場所によって、
蛹も色も変えるのだろうか、
それとも
今から色づいてくるのだろうか。
こちらの蛹は
キアゲハ独自の色合いになってきている。
それぞれが
細い糸で体を支えて、
運命の時を過ごす。
これは
羽化するにはもう少し。
綺麗な色ですね。
彼女らに聞いたら、
昨日は二匹、
今日は三匹のキアゲハが羽化し、
そのたびに
虫かごから取り出して、
空に放っているのだという。
幼虫を、
たくさん集めて
大事に大事に虫かごで飼っていたのが、
蛹になったので、
餌となる草を取出し、
羽化するのを待っていたのだそうです。
すぐには飛んでいかないものだから、
ジッと飛ぶまで待っているところが、
彼女等のやさしさ。
ちなみに
羽化したての蝶は
外に出てきても、
羽が完全に伸び、
全ての体が完成するまでは、
たとえ成虫に見えても、
彼らは飛び立てません。
この時が
昆虫たちにとっては
一番危険な時なので、
普通は
草の陰か
葉の陰など
目立たないところでじっと身を潜め、
体が完成するのを待って
飛び立っていきます。
だから、
その間に
彼女らが手にとまらせていても、
まるで懐いているような感じで、
飛び立たない理屈です。
チョウは成虫でも、
昆虫採集は早朝に限ります。
彼らは太陽が上がってきて、
体に太陽を浴び、
体温が上がるのを待って行動を始めますので、
その前に見つけると
容易に捕まえられるからです。
このようなチョウの特性を
分かりやすく説明をしてやったら、
「ああ、そうなんだ」と
納得していました。
自然界ではなく、
この姉妹に育てられたがゆえに、
このキアゲハたちは
100%自然界に飛び立つことができます。
そういう意味では、
運のいいチョウたちかもしれません。
ブッドレアに集まる蝶たち ~ヒョウモンとセセリ~
ブッドレアの花には
香りと蜜が多く、
良く蝶たちが訪れる。
「ツマグロヒョウモン」 ♀
昆虫にしろ
鳥たちにしろ、
美しさを誇るのは
大概オスで、
メスは種の保存優先のためだろうか、
あまり目立たない色合いが普通なのだが、
ツマグロヒョウモンだけは
まるで反対。
表を見ても
裏を見ても、
ツマグロヒョウモン ♀
こちらが
ツマグロヒョウモン ♂
表も裏も
どのようにひいき目に見ても
メスに負けている。
美しいかどうかというのは、
人が判断することだが、
クジャクのオスとメスを比べても、
オシドリのオスとメスを比べても、
明らかにオスの方が色鮮やかで、
目立った存在である。
そのような判断基準を当てはめると、
ツマグロヒョウモンは
メスのデザインがオスで、
オスのデザインが
メスでなければならない。
ところがどうしたことか、
現実にはまるで逆なのだから、
不思議である。
その不思議な原因は、
やはり種の保存が関係している。
ツマグロヒョウモンのメスは、
美しさを追求して
このようなデザインになったのではなく、
毒蝶の
カバマダラに擬態して、
鳥たちから食べられるのを防いでいるのだという。
その毒蝶
カバマダラ。
似てるといえば似てるので、
鳥たちには
見分けがつかないかもしれない。
ダイミョウセセリ。関東型。
普通
セセリチョウは
羽を閉じた状態で花にとまり、
いつでも飛び立てるように用心しているが、
ダイミョウセセリは
羽を広げて
堂々と花にとまる。
その堂々たる様子から
「大名」の名をもらったらしい。
関東型があると、
当然関西型もある。
ダイミョウセセリ。 関西型。
関西型は
後翅にも白い帯模様がある。
イチモンジセセリ。
すばしっこくて
用心深くて、
なかなか網で捕るのはむつかしいセセリだが、
カメラで撮るのはいとも簡単。
ブッドレアの花では、
秋を迎えて
昆虫たちも大忙しである。
始めて見る花 ~ディプラデニア~
長い人生で、
たくさんの花に接して
ある程度名前を覚え、
仮に名前が覚えられなくても、
いつかどこかで見た花だ、と
記憶にはとどめているはずなのだが、
そんな記憶にもまるでない
初めての花に、
昨日は遭遇した。
この鮮やかな色合いを見てください。
チャリで、
国立駅へ行く途中の
家の門扉に巻き付いて、
これ見よがしに咲いている。
この色合いからして
きっと南国の花であろうと
察しがつくが、
何せ始めて見る花なので、
名前が分からない。
つる性の植物で、
鮮やかな赤色と、
ピンクの花が、
一緒に咲いているが、
よく見ると
別々の株みたい。
気になって、
この家の人を見かけたら、
名前を聞こうと思ったけれど、
写真を撮らせてもらっている間に
会うことはできなかった。
やむなく家へ帰り、
ネットで名前を調べ始めたが、
名前のわからない花を
調べることは、
意外と難しい。
それでもなんとか、
名前にたどり着いた。
名前は
「ディプラデニア」と言うらしい。
なんという意味かは分からない。
南米はボリビア原産。
「ボリビア」という国は、
北と東をブラジル、
南をアルゼンチン、
南東をパラグアイ、
南西をチリ、
北西をペルーに囲まれた内陸国で、
「黄金の玉座に座る乞食」と形容されるほど
豊かな天然資源を持っている割には、
今でも非常に貧しい国である。
でも
自然は
その国の貧富などとは関係なしに、
こんなに綺麗な花を咲かせてくれる。
世界には、
まだまだたくさんの
綺麗な花があるのだろうな。
初めての花との遭遇は、
思いが広がって
楽しい。
読者の皆さんは
ご存知でしたか?
ひょっとして
知らなかったのは
私だけだったりして・・・。
驚きの大きな金木犀 ~庭先の巨大金塊~
私の住む武蔵野の地には、
古くからの農家や
造園主が多く、
その家々の庭に植えられた木々は、
それなりに
長い歴史を経て成長してきている。
その
歴史を経た木々の一つ。
いつもは
普通の緑なす木で
静かに庭に佇んでいるだけだから、
特に目立つことはないが、
10月になると、
その存在感が突出してくる木がこれ。
金木犀。
我が家の小さな金木犀は
先日の雨と風で
みんな散ってしまったが、
この木は、
今(10月12日)が満開。
画面いっぱいに
金色の花ばかり。
ちょっと遠くに離れましょう。
なんとなく
大きな木であることが分かるでしょうか。
さらに離れて、
近くを通る車の高さと比べてみましょう。
タクシーの屋根が
ようやく生垣の高さで、
金木犀の下枝と同じ位置。
軽トラックから
やっと生垣越しに
金木犀の裾が見えます。
さらに離れると、
一番上は、
二階建ての家の屋根ほどの高さがあり、
その頭頂部にも
金色の花がびっしり。
選定技術がさすがにプロで、
木の全面に
花がむらなくついている様は、
もう圧巻。
これほど大きくて、
これほどたくさんの花をつけた金木犀には、
そうそうお目にかかれない。
実に見事な
プロの技が生きている
金木犀。
庭先に
どっかと置いてある
巨大な金塊のようである。
この実なんの実?の解答 ~じつはこの実!~
前回のブログでお聞きした
この実何の実?
一見おいしそうに見えますが、
食べたことはありません。
多分食べられません。
熟れると先が割れてきます。
割れるのは、
例外なく3分割。
これをご覧になったら、
もうほとんどの方がお分かりだと思いますが、
さらに先に進みます。
ぱっくりと実が開いて
中から大きな種が飛び出します。
そうです、
この実はじつは
「椿の実」。
ただでさえ丈夫そうなこの種が、
必要以上に肉厚の皮で
守られている意味が
私にはどうしてもわかりません。
世の中の出来事や現象は、
少なくとも
何らかの必然性があって
そのようになっているのが普通ですが、
この椿の種を包む
皮の厚さだけは
どうしても必然性が感じられません。
きっと
私にはわからない必然性があるのでしょうが、
お分かりの方がありましたら
是非教えてください。
こうやって実が開いたまま、
しばらく木にとどまります。
こんなに大きくて
硬い種は
鳥たちだって見向きもしません。
だから、
この肉厚の皮が
鳥たちから種を守るためのものであるというのは
当たりません。
どのような植物の種でも、
種を包んだ殻が割れると、
一気に外へ飛び出して
株から離れるのが普通ですが、
椿の種は、
開いても
木から離れようとはしません。
多分
その状態でも
種は成熟し続けているのかもしれません。
そして、
成熟し終わると
種は実から零れ落ちます。
殻はというと、
早くに土に落ちるのもあれば、
粘り強く
翌年まで木にくっついているものもあります。
椿の花は、
咲いた後の花が散る様が、
ぽとりと首が落ちるような感じがして、
縁起が悪いという人もいますが、
私の解釈は全く別です。
菊の花のように
萎れてもなお散りもせず
醜い姿をさらすより、
椿の花が
ぽとりと落ちる様は、
いかにも潔い日本の武士の姿にも似て、
私は大好きです。
散り際が何とも言えずきれいです。
咲いては
木を赤く彩り、
散りてなお
株元を赤く彩る椿の花は、
咲いて良し、散りて良し。
花はそのように
非常に散り際がきれいなのですが、
種はというと、
それとは全く逆で、
いつまでも株を離れようとしないところが、
親離れしない
かわいい子供みたいな気がして、
またいいではないですか。
落ちた種は
環境さえ整えば
こうやって親株のそばで
しっかりと芽を出します。
我が家の庭では
椿の木が
親子兄弟
仲良し家族で
元気に成長している
なんともうれしい光景が見られます。
この実何の実?への
たくさんのコメント、
ありがとうございました。




































