「ピンチをチャンスに変える!」
私は6年前癌になって以来、どんなピンチもチャンスと思って行動しようと思っています。
以下は昨年9月に開催した時、新潟市の篠田市長に当てた手紙です。
この手紙がきっかけで、当日は2000人もの方にお越しいただき、篠田市長はもちろん、河村名古屋市長、大村愛知県知事も来場いただけました。
その時の模様です⇒http://www.nippon-p.org/blog/2011/10/in_6.html
以下、手紙のコピーです。
私は、映画「降りてゆく生き方」の上映と、奇跡のりんごの木村秋則さんの講演から成る企画、「りんごの生き方 in 愛知」のボランティアメンバーです。
2年前、私は映画「降りてゆく生き方」と出会い、これこそ私が伝えたいことを代わりに語ってくれる映画であると感激し、自らも名古屋で上映し、応援をして来ました。
木村秋則さんは、この映画のモデルのひとりであり、不可能とされた無農薬でのリンゴ栽培を成功させたその生き方に私も深く感動し共鳴をしております。
それゆえ、私はこの企画に名古屋や愛知の人たちに一人でも多く来てほしい、と思い、無償のボランティアとして出来る限りの協力をしてまいりました。
ところが、本番1か月前に、突如として、会場であり名古屋市公会堂から、「当日は、ボクシングの興業を大ホールの上のフロアーで行いますので、騒音が出ますが悪しからず」という通告を受けたのでした。
こちらが会場の予約をしたのは去年の12月。ボクシングは今年の3月です。
映画上映と公演をするのですから当然会場は静謐でなければならないのは当然です。ところが、名古屋市公会堂の職員は、その上のフロアーに設営や興業で騒音が発生することが確実なボクシングの興業を入れてしまったのです。
私たちは、名古屋市公会堂に対して抗議をしましたが、先方はただ、申し訳ない、すみません、でもどうすることもできませんの一点張りで、全くらちが空きません。
名古屋市公会堂は指定管理となっており、その管轄をする名古屋市役所の部署にも抗議と対応の申し入れをしましたが、「調査します」「指定管理なので何ともできません」「何かあれば連絡をします」という実にそっけない対応です。
その後、名古屋市役所からはなしのつぶてで、完全に無視され、放置された状態となっております。
私は、りんごの生き方のために、来て下さる観客の方々のために、一生懸命がんばっておりました。
それだけに、名古屋市役所と名古屋市公会堂の対応には、失望をしました。
他のメンバーたちも、みな失望し、憤り、怒っていました。
こちらには一切の落ち度はなく、一方的に行政の側のミスなのですから、みなが怒るのも当然のことです。
「指定管理の取り消し運動を起こそう」「担当の役人の個人的責任を徹底的に追求しよう」「損害賠償をしよう」という声も当然ながらあがりました。
そんな状況の中で、私は数か月前に経験した行政とのトラブルと苦い経験を思い出していたのでした。
私が住む東郷町(名古屋市の隣の町)で、障害をもつ人たちが働ける場をつくれないかという相談が私のところにもちかけられてきました。
それは素晴らしいことだと思い、私はそのためのNPOの理事長となってそれを支援し、町役場の一角に障害者の人たちが働けるカフェをつくることができました。
障害者の人たちも、その親たちも、たいへん喜んでいました。
ところが、行政のほうから突然お達しが来て、そのカフェを止めなければいけなくなったのです。
しかも、働く場を失う障害者の人たちの働く場を確保すると役場の人は約束していたのに、それを果たさなかったのです。
それゆえ、障害者たちはせっかく得た職を失い、本人も親たちもひどく落胆してしましました。
行政のやり方があまりに理不尽なので、私は怒りを覚え、徹底的に戦おうかとも思いました。
しかし、5年ほど前に私は食道がんになり生死の淵をさまよいました。
私はなぜ自分ががんになったのかを考え抜いた結果、「戦い」や「怒り」に満ちた生き方こそが、自分をがんにしたのだと気づいたのです。
そこで、がんにならない生き方をみなさんにしてほしいと思い、生き方を伝えたり、障害者支援などを始めたのでした。
私が映画「降りてゆく生き方」に感動したのは、私が考え抜いた結果たどりついた「がんにならない生き方」というものを物の見事に伝えるものだったからなのです。
自分の自分のという我欲を脱却して、人とのつながりを大切にして、怒ったり否定することなく生きていくことこそが、私はとても大切だと確信しているのです。
それゆえ、いくら理不尽とはいえ、怒りにかまけて行政と戦うということは、私が脱却した生き方そのものですので、躊躇をおぼえたのでした。
しかもそのときは、NPOのメンバーの中に、行政から仕事をもらっている人がいたので、事を荒立てないでほしいといことになり、結局、障害者カフェの問題はうやむやのままに泣き寝入りで終了ということになってしまったのです。
私は、なんともやりきれない思いをそのとき以来抱えていたのでした。
そんなこともあり、今回の名古屋市公会堂の騒音問題によってまた行政の理不尽さに直面することとなり、「今度は何かをしなければならないのではないか」「これには何か意味があるのではないか」と思ったのでした。
たしかに、名古屋市公会堂の件にせよ、東郷町のカフェの件にせよ、行政の対応は理不尽ですし、問題があります。
しかしだからといって、担当者を袋叩きにしたり、抗議運動やマスコミによる批判をさせたところで、同種の問題は必ずまた発生します。
それに、このようなケースで泣き寝入りしている市民はきっとたくさんいることでしょう。
つまり、名古屋市公会堂や東郷町のカフェの問題は、表層的なことに過ぎず、そういう問題を発生させているもっと根源的な原因があるのではないかと思ったのです。
だとするならば、個別のケースとして対処して事足りるということではなく、このような問題を常々発生させている行政の中に存在する根源的原因を明らかにして、その原因をどうにかしていくという努力と態度を、私たちはとるべきではないかという気がしたのです。
そもそも、名古屋市公会堂にせよ、東郷町にせよ、担当の役人が意図的に私たちに嫌がらせをしようとして問題が起きたわけではありません。
公務員として普通のやり方をしていたら、市民や住民にダメージを与えることになってしまったのです。
もし私たちが彼らの立場だったら、やはり同じように問題を起こしていた可能性があるのです。
そう考えると、私たちが被害者で、行政が加害者であるという構図で、戦ってみたとしても、その場でのとりあえずの問題解決になったとしても、根本的な問題解決にはならないのではないか、と思ったのです。
それに映画「降りてゆく生き方」や「木村秋則さんの自然栽培」の思想や哲学からするならば、自分に都合が悪いことが起きたからと言って、怒りにかまけて相手を制圧支配したり、戦って打ちのめすということは、長い目で見れば決してプラスにはならず、ベストの手段とは言えないということになるのです。
だとするならば、「降りてゆく生き方」を世に広めようとしている私たちは、その哲学に沿った対応をせねばならないだろうということとなったのです。
そこで、私たちは、名古屋市公会堂にせよ、東郷町にせよ、なぜ担当者が問題を起こしたのかを考えてみることにしました。
すると見えてきたのは、「行政担当者は、利用者や利用内容に興味がない」ということでした。
もし関心があれば、映画や講演の会場の上にボクシングの興業を入れたら騒音でうるさいだろうといことはすぐに分かります。
そうならないのは、担当者が「関心」がないからです。
マザーテレサは、「愛の反対は憎悪ではなく、無関心である」と言いました。
まさに市民や利用者に対して関心がない行政の人たちの対応には、「愛」がないのです。
では、なぜ行政の人々には「無関心」が蔓延して、「愛」がなくなってしまうのでしょうか?
それはきっと、行政の人たちは、行政という「組織」に心を支配されてしまっているからではないでしょうか。
市民よりも、「組織」を優先してしまうという心理構造が、知らないうちに出来上がってしまっているように思うのです。
それで、市民や利用者ではなくて、自然と、組織や上司のほうを見てしまう。そして、問題がない方向で、意思決定したり、仕事をこなしてしまうのではないでしょうか。
特に最近は、行政の人たちは、市民からの批判や責任追及をおそれる傾向があります。なのでますます必然的に「無関心」になるのでしょう。
やる気があったり、市民たちのためにがんばろうという公務員は、かえって居所がなくなるといいます。
それは、「住民」よりも「組織」を優先するという「見えないルール」に行政の役人たちが縛られているからだと思うのです。
住民のための最大限尽くそうとしても、「組織」というものを優先しなくてはならない。
自分が良いと信じる者も出来ず、つねに不完全燃焼である。
そういう職場環境では、生きている喜びも誇りも得られないでしょう。
そう考えますと、私たちも行政の被害者ですが、行政の担当者たちも実は行政の被害者なのではないか、という気がしてきたのです。
私たちのような被害が出るのが必然であれば、公務員たちが無関心になるのもまた必然なのだということに、私たちは気づいたのでした。
そうだとするならば、変わるべきは、「公務員の人たち」ではなくて、「行政という組織のあり方」なのではないでしょうか。
そこにいう「行政という組織」とは、建物や組織図に現れるものではなくて、「知らぬ間に心を支配している見えない存在である組織の風土や雰囲気」のことです。
その「見えざる心を支配するもの」こそが「変える」べきものなのだと思うのです。
これを変えるには、役所の人たちだけでは無理です。
市民も一体となって、変えていくべき必要があります。
本気で地方行政を変えようとするならば、大切なのは、「市民も変わる」ことなのだと思うのです。
「税金を払っているから公務員は従え」とか「公務員は悪さをするから監視する」という関係ばかりでは、公務員が住民のためを思って生き生きと仕事をするような関係にはなってこないと思うのです。
会社で「給料を支払っているから言うことを聞け!」と言われたらやる気は出ないし、家庭で「俺が食わせてやってるんだからお前は言うことを聞け!」と言っても喧嘩が起きるだけだというのは常識です。
しかし、行政と住民との間では、相変わらず、その程度のレベルでの戦いが延々となされているのです。
公務員が住民に対して「関心」がないことは問題です。
しかし、住民はその公務員に対して「関心」をもったことはあるでしょうか?
気持ちを推し量ったり、幸せを願ったことはあるでしょうか?
一方的に、利益や果実を与えてもらうのが当然というのは、やはり健全ではないと思うのです。
人間と人間、心と心の関係の立ち返る必要があると思うのです。
ですから、住民も、公務員も、それぞれが殻を脱ぎ捨てて、それぞれが素の人間として、胸襟を開いて語り合うような場が、いまこそ必要だと思うのです。
住民は苦しみや問題があるから、行政に解決をするよう求めます。
しかし、行政の人々も「苦しみ」を抱えているのです。
「苦しみ」は普通、厄介者です。
しかし、「降りてゆく生き方」という言葉の生みの親である北海道・浦河の「べてるの家」では、「苦しみ」をとても大切にしています。
なぜなら、「苦しみ」があるから、人間はつながれるし、喜びがあるし、成長できると考えているからです。
いままでは苦しみはマイナスのものということで切り捨ててきました。
しかし、それが新しい苦しみや敵を生み出してきました。
そうではなくて、「苦しみ」を共有し、共感し、解決に向けて助け合うような関係が、大切だと思うのです。
だとすれば、住民も「行政の苦しみ」を分かち合い、共感し、援助していくような関係も大切だと思うのです。
人間だれしも生きていれば苦しみがあります。
その行き場ややりどころのなさが、「無関心」や「怒り」を生んでいるように思うのです。
そういう「苦しみ」を原点とした人と人との心のつながりや、尊重しあう心から、「行政」というものも「地域」というものもつくられるべきではないかという気が私はするのです。
9月19日の公演に向けて、私は、仲間たちとともに、映画のシナリオ開発インタビュー映像や、奇跡のリンゴの木村秋則さんに関する映像などを上映して、参加者と語り合うという「プレ上映」という企画を多数実施しております。
それら映像は、参加者の心に働きかけて、様々な感動や想いを引き出してくれます。
それを、素直に語り合うという場が、自然と出来てくるのです。
そこでは自分の胸に秘めた夢や希望、そして苦しさや悲しみなどがとても自然な形で、人々の口から語られるのです。
私はこのプレ上映を通じて、誰もが参加できて自分の感じていることを素直に語り合い、耳を傾けるという場こそが、地域をつくり、住民のための行政をつくる基礎になるのだと確信をもっています。
そこで、私は、9月19日のこの公演を、愛知や名古屋においてそういう誰もが語り合いつながりあう場をつくる出発点にしたいと考えたのでした。
住民と行政の間の壁を取り払い、人間同士として心地よい関係をつくっていきたい。
まるで、木村さんのりんご畑のように、多種多様な生き物が共存し、生命を育む環境をつくりたい。
そういう土壌があってこそ、よき行政が生まれるのだと思うのです。
住民は一方的に利益やサービスを享受するのではなくて、行政を応援する、支援するという気持ちも大切なのです。
いままでは、「住民が行政(の人たち)を支援する」という考え方が、全くなかったのです。
しかしそれでは「人間本位」の行政になってきません。
相互に助け合う関係があってこその人間関係です。
行政の中にも良い人たちがいます。その人たちが力を発揮できるような環境作りは、住民しかできないのです。
老若男女とわず、だれでも、もちろん行政の人であっても、みんなが自由に参加して語り合い、心をつないでいく場をつくりたい。
それが私のいまの夢なのです。
そういう場があれば、行政も、地域づくりも、福祉も教育も、いまよりよほどスムーズに効率よく善いものができると思うのです。
こんなことを考えていましたら、名古屋市の河村たかし市長と、大村秀章知事が、「中京都構想」に向けて動き出しているというニュースを目にしました。
いままでは中京都構想は知ってはいてもあまりよく分かりませんでしたが、「中京都構想をきっかけに、愛知・名古屋の行政のありかたを、組織本位から人間本位に、役人本位から住民本位に、変えるチャンスなのではないか」という気がしてきたのです。
地方自治体のあり方を大きく変えるなどということは、100年に一度のことでしょう。これは私たちにとっても大きなチャンスなのです。
中京都構想自体は、行政の権限と効率性のことが中心のようです。
それはそれで重要でしょう。
しかし私にとっては、「愛知・名古屋を未来の新しい魅力的な地域・ふるさとに創造しなおす」ということのほうが重要なのです。
これからはいままでのような経済成長一本やりだったり、東京への一極集中など成り立ちません。
エネルギーの問題も考えなくてはいけないし、食料の自給も必要です。
これからの「本当の豊かな生き方」とは、自然と調和して、自分たちで食料もつくりだし、文化的で経済的にも満ち足りている、楽しい生き方なのだと思うのです。
それはまさに映画「降りてゆく生き方」で描かれている世界観であり、木村秋則さんの「奇跡のリンゴ畑」に相通ずるものです。
そういう生き方が出来る愛知だったら、きっと子どもたちが誇れる地域になることでしょう。
愛知県は、海もあり山もあり自然も豊かで農業も盛んな田園地帯です。
しかも名古屋という大都会もあり、トヨタのような世界的企業もあります。
立派な港も空港もあります。
まさに、人間と自然が共生するグローバルな田園型都市になりうる要素が、愛知や名古屋にはあるのです。
しかし、愛知や名古屋の人間は、そのことに気づていません。
映画「降りてゆく生き方」のシナリオ開発インタビューに登場する和紙職人の小林さんは、「異なったものを見て初めて自分が見える。客観が出来る」とおっしゃっていました。
私たちも、異なる方々と出会い、異なる考え方を聞くことで、「未来の愛知」が見えてくるのではないかという気がするのです。
偶然にも、いま中京都構想で、河村市長、大村知事と連携をしている新潟市の篠田昭市長は、偶然にも、映画「降りてゆく生き方」のモデルでもあります。
絶対勝ち目がないと言われながら、仕事を辞めてひとり選挙戦に臨み、勝ち負けの選挙から、出会い語りつながるという降りてゆく選挙に変革することで、奇跡の逆転当選を成し遂げた方です。
まさに、物事は何でも一人から始まる、変革は弱いところ小さいところ遠いところから始まるということを、身をもって示した方です。
その篠田市長が、名古屋・愛知と縁が出来ているのも、偶然のようでいて、必然のような気もしております。
篠田さんに今回のことをお話しましたら、遠路はるばる、名古屋にまでやってきていただけることになりました。
たいへんにご多忙の中、ありがたい限りです。
篠田さんはきっと、愛知の可能性や魅力を感じておられるでしょう。
それによって、私たちは「愛知の素晴らしさ」を「客観」できるのではないかという気がします。
私は、9月19日を、「未来の愛知のイメージを示し、市民が自分たちでデザインするスタートの場」にしたいのです。
そのヒントが、木村秋則さんのお話、篠田昭さんおお話、そして映画降りてゆく生き方の中に、ぎっしりと詰まっているのです。
そこから感じて、語り、つながっていくということをしたいと思っています。
木村秋則さんは「これはルネッサンスだ!」とおっしゃいました。
私たちが、人間本来の生き方を取り戻すという意味でまさに「ルネッサンス」です。
ルネッサンスの主役は、「ひとりひとりの人間」です。
私たちはここから、「愛知ルネッサンス」をスタートさせ、日本でももっとも魅力的でだれもが住みたくなる新しい愛知、中京都にするために、ひとりひとりの住民が立ち上がってつながっていくムーブメントをぜひ起こしたいと思っています。
当初は映画上映&講演会だった企画が、行政のミスというマイナスを、プラスに変えるという姿勢をもったことで、私たちが本当にやりたいことが見えてきました。不思議なものです。
私たちが見方を変えることで、マイナスのものもプラスに変わってしまうのです。
だれもが素直に語り合う場をつくることは、多種多様なものの見方を体感することにつながり、それは私たちの未来に対するイメージを豊かに、そして具体的に見せてくれるものになるものです。
変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところからいつも起こってきたというのが、映画のメッセージです。
私たちも、愛知をすばらしき故郷とするために、弱いところ、小さいところ、遠いところから、歩みを始めようと思っています。
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