1年長距離の篠崎です。
4年生の皆さんがすごくいいことを書いていてその後に書くことになって結構緊張してます。

新型コロナウイルスの影響で立川ハーフや記録会など多くの試合が中止となってしまっています。そして次々と中止が決定していくので次の試合がいつになるかわからない状態です。

自分は長距離合宿が終わってから怪我で治りかけでジョグをして悪化させるのを繰り返してしまっていました。立川ハーフがなくかったのでいい機会だと思い1週間ほど走るのをやめ、火曜から少しずつ走り始めていい感じです。
また次の試合まで最低でも1ヶ月あるので焦りすぎず合わせていくことができるいい機会だと思っています。
また、怪我をしていて走れない時や今回のように試合がいつになるかわからない時などモチベーションの維持が難しいですが、少しでも目標を決めて頑張っていきたいです!

次は3月6日(金) 短距離の加藤先輩です!

先に言います、長いです。

先日は忙しい中、四送会を開いてくださり、ありがとうございました。色紙読んでボロ泣きしました。いい歳してただの泣き虫ですね。

何故か大トリになってしまった長距離4年の山崎です。
皆からはジョニーと呼ばれていますが、どこからどう見ても女です。ハーフでもミドルネームでもありません。

ちなみにジョニーの由来はサザンオールスターズの曲、「波乗りジョニー」から取っています。
4年前に行ったディズニーシーのタートルトークでもし指名されたら、名前ではなく「ジョニー」と名乗ろうとふと血迷ったことを思い浮かんだことから名付けました。


とりあえず皆さんが疑問に思っている(かもしれない)ことを話そうと思います。
それは「なぜ水泳を続けずに陸上を始めたのか」ということです。

ちょうど一年前の就活中、これはめちゃくちゃ聞かれて、他に聞くことないんか?ESや履歴書に書いてあるから読んでくれ??とずっと思っていました。


結論から言うと、「自分から水泳を取ったら何も残らないことへの恐怖」と「新しいことをしたい、そしてどうせやるならなんでもいいから爪痕を残したかった」からです。


1つ目の恐怖は、脅迫観念みたいなものです。
私は、3歳から高校3年の夏までずっと水泳を一途に続けていました。記録が伸び悩んでもがいていた高校生の時くらいから「自分から水泳を取ったら何が残る?」と漠然と考えるようになりました。私の出した答えは「何も残らない」です。

周りからどう思われているかは分かりませんが、自分からしてみれば本当に何もないんです。強いていえば日々ネットサーフィンをするお気楽なツイ廃あたりでしょうか。ネットでも現実でも泳ぐのが好きなんでしょうね。

それはさておき。

何も残らないって非常に怖いなと思いました。10代にして今から空っぽで将来ダメ人間まっしぐらでは???という思考回路にしかなれなかったです。
考え方が0か100の極端人間なので、何も無いならもう生きる意味無いんじゃないかな?とか考えたりしたこともありました。

運動部にい続けた以上、文化部に入るつもりは無く、運動神経が壊滅的で球技もお察しの状態なので、消去法と言うと非常に失礼ですが、そこで選んだのが陸上競技でした。水泳やってる人は肺活量が強いから走れるだろ、という偏見を持たれがちですがまあ間違ってはないですね。少しは体力あるんじゃないでしょうか。

そんなふんわりとした状態で陸上を始めてしまい、昔から続けてきている選手には失礼な事をしたと思っています。

しかし、陸上始めたおかげで、新しい事を始めることに対する恐怖は減ったと思いたいです。
知らない世界に飛び込むのも悪くないなと感じました。
それは部の皆さんが優しくしてくれたおかげと言っても過言ではないでしょう。最後まで見捨てないでくださりありがとうございます。

先日、同期のあるマネージャーと一緒に走ったロードレースでひとまずは競技人生に区切りをつけました。笑顔で締めくくれたので良かったです。

今のところは陸上をやめるか否かで悩んでいる所です。
悩んでいる理由はこのままで終わるのは勿体無いのと、太るのが怖いからということです。せっかく4年間で削った6kgを無に帰すわけにはいかないですからね。
恐怖は無限ループしますね。しかし、今度は自分に何も残らないことは無いと思えているのが救いですね。上手く言葉にできていませんが。

ですが、今度はよほどの事がない限りは走り続けたいと考えているところです。もし来年度以降の試合に現れてしまったら生暖かい目で見てください。




2つ目の「爪痕残したい」は、最初から思っていたわけではなくて、3年生あたりから思い始めたことです。
ちょうど中長距離の女子が最も多かった時期でした。
申し訳程度にチームを引っ張る立場にはいたのですが、いかんせん私が一番足が遅いのは充分自覚していました。
このままでは示しがつかないし、燻ったまま終わりたくないなと思うようになりました。
他と違い、スタートが遅れていた以上、ポピュラーな距離では勝てないと思い、長い距離のトラックレースやマラソンに視野を向けました。
ある意味逃げですが、逃げることが恥であるとは限りません。2016年のあるドラマが教えてくれました。

長距離の女子は男子の予選会や、他パートの関東インカレみたいに一丸になれる目標を見つけにくいので、メニューや目標立てるのは苦労しました。
その分、それなりに自由がきくだろと思った故に長い距離をやる決心ができたのかなと思います。

「他人と同じことをしていては強くなれない」ということを常に心に置き、練習していました。
そうでもしないと一瞬で結果も心も負けてしまいますからね。
そんなこんなでフルを無事に走りきり、3時間26分と決して速くはないですが、学習院記録を叩き出すことができました。

爪痕を残せたかは分からないですが、5000m走った翌日にフルマラソン走って学習院記録を出した人がいたな〜()くらいには覚えていてくれると幸いです。


今まで皆さんには
「水中から陸に上陸したかった(^p^)」
とか適当なこと言ってましたが、当然他にもありました、というお話です。


Twitter大好きであだ名がジョニーでこの時点で既にぶっ飛んだ?人が陸上したいです、とか訳の分からないことを言っていたのにも関わらず快く入部を受け入れてくださった先輩、トンチンカンで頼りにならなかったけどそれでも付いてきてくれた後輩、そして、4年間色々あったけど一緒に苦楽を共に過ごし、助けてくれた同期には感謝しかありません。
他にも支えてくださった多くの人々に感謝です。

最後まで駄文を見ていただき、ありがとうございました。ここまで長くなるとは思わなくて自分でも引いています。ここまで書けるなら卒論もうちょい頑張れって話ですね。
口下手で昨日はうまく話せなかったですが、この場をお借りして書かせていただきます。

今まで本当にありがとうございました。
バイバイ( ´ω`)ノ

更新が遅くなってすみません。本日は短距離ブロックの武中が担当致します!(長文になりそうです、すみません…)

昨日は、四送会本当にありがとうございました。
話せてない後輩たちもいますが、多くの後輩たちとお話できてとても楽しかったです!そして、今の1、2年生は私が競技している姿もあまり見たことがないとは思うのですが、色紙にもたくさん書いてくれて本当に本当にありがとうございました🙇

少しだけ(?)私の話を書かせていただきます!(笑)実はこう見えて、小5から陸上をはじめ、受験などのブランクはありますが、トータルでいうと、競技生活13年目になります(笑)その中で、ころころと専門種目をかえて、ようやく落ち着いたのが七種競技と三段跳びです。
大学での目標は学習院記録の更新でした。目標は達成することができましたが、自己ベストを越すことはできず、正直、あまり良い競技者とは言えなかったと思います。
また、2度の長期休部を経験し、その過程で何度もやめようかと思いました。もともと、陸上以外のことを習っていたこともあり…でも陸上部をやめることは、できませんでした。いつもその気持ちを踏みとどめさせてくれたのは、先輩、同期、そして後輩たちです。部活に行くたびに、話しかけてくれる仲間を見ると、部を離れることはできませんでした。正直、私がいたところで何も変わらないとは思いましたが、一緒に練習したいと思う仲間がいるんだから、続けたいと思うようになりました。

後輩たちに伝えたいこととして、もう1つ言わせてください!!
悔いが残らないように、という言葉はよく聞きますが、悔いが残らない人なんてそういないと思います。私は高校の引退の時にも、同じことを思ったのですが、頑張っても悔いは残るもので、なかなか完全にスッキリとした気持ちで引退することは難しいです。どれだけ頑張ってもその気持ちは多少残るんじゃないかなあと思います。その中で、自分が少しでも納得のいく競技生活を後輩たちにはしてもらいたいと思います。うまく言えないのですが、その思い残しのようなものを少しでもなくしていけるように、競技を楽しんでいってもらいたいです。
うまくいかない時があっても、頑張りたいという気持ちが自分を前進させてくれると思います。

私は4年からは大会にきちんと出ることができなかったので、後輩たちに結果や形で示すことは、うまくできなかったのですが、この気持ちが少しでも伝わってくれたらいいなあと思っています。

これからも、卒業までの間、時々部活に顔を出します!
なんでも悩みは相談してくれると嬉しいです。こんな私を5年間受け入れてくれた後輩たちに、ぜひ恩返しをしたいと思うので、私で良ければいつでも話しかけてください!

みんながこれからも、活躍できるよう、心から応援しています。本当にありがとうございました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

ラストを飾ってくれるのは、心優しく涙もろいジョニーです!!お楽しみに!

 

どうも、最近男装してないのにイケメンとよく言われます。

4年短距離西河紗弥ですオカメインコ

ついに4年ブログを書く時が来たか…って感じです笑
毎年卒業される先輩のブログを読むのが楽しみだったので、変な感じがしますね宇宙人くん

今週の四送会で後輩、同期のみんなにはお話する機会があるので一旦自分の競技の話は置いといて、この全世界公開ブログ(?)では部活の宣伝でもしようかなと思います。

言いたいことが上手く伝わるか分かりませんが暇な人は読んでみてくださいニヤリ

まず、自分がなぜこの大学で陸上やろうと思ったかというと、ここなら自分のやりたいことが全部出来そうだと思ったからです。

高校の陸上部を引退した時から大学でも陸上をやろうと決めて、大学を片っ端から調べたのですが、まぁやりたい勉強と部活、立地が噛み合うところがない。と何よりも女子の陸上部ってものすごく限られるということに気づきました。
選択肢が少ないのは寂しいし、受験となると自分の行きたい大学に行くことも難しいですよね。

女子選手が少ないのもあって、関東インカレは女子は1部しかないし年々標準も上がって来ています。
もちろんやるからには上を目指す、のがモットーだと思いますが人それぞれやり方は違うと思うし、大学選びから色んな選択肢があるべきだと思うんです。

そんな中で学習院大学陸上競技部のような決して強豪校じゃない存在も大切だな、と引退してからひしひしと感じています。中々戦える土俵に辿り着けなくても、そこを目指すことに意味はあると思うし、私はもっと多くの人に大学でも競技を続けて欲しいな、と思います。
誰目線?という感じですが笑

誰でもウェルカムなこの部活だからこそ色んな人と出会えたし、色んな競技への向き合い方を知ることが出来たし、それぞれが自分に合った目標を立ててそれぞれの方法で努力しているのはこの部活の良いところだと思います。

競技力関係なく、陸上が好きな人が陸上を続けられる場所であって欲しいと思います。もちろん、競技と向き合う気合いは必須ですが!ハッ

 

そして大学で陸上を続けようか迷っているあなた!ぜひ一度学習院大学陸上競技部に見学に来てくださいねOK

というわけでまとまりのない謎の新歓みたいなブログになりましたが、私は本当にこの部活を選んで良かったと思っています。4年間全く後悔はありません。楽しかったです、ありがとうございましたイエローハーツ

こんばんは流れ星


マネージャーの髙村です。


恐らく四送会ではじめの方に巻きで話すことになるので、そちらを簡潔に済ませるために、大体はここに書いておきます。

だからきっと長いです。すいませんアセアセアセアセ







小学生の時に入部を決めて、気がつけば陸上部に所属して10年が経ちます。

山あり谷ありな学生生活の間、常に陸上がそばにありました。


中学受験直前の夏に父の病気が分かり、闘病生活が始まりました。

中学では100mを専門として活動し、3年の春休みに全盲の祖母と暮らし始めました。

高校では短長パートで練習しながら、2人の介護をしていました。

400mとマイルを走って引退し、大学受験直前の秋に父を亡くしました。

大学ではマネージャーになって、祖母の在宅介護を続けました。

5月に引退し、同期や後輩の活動を見守りながら、卒業を目前にした昨年末に祖母が大往生しました。

学生陸上生活と介護生活がともに幕を閉じた、そんな10年でした。


身の上話をすると暗いと言われるのですがガーン

大事なアイデンティティですので、最後に書いてみましたニコニコ




さあ、そんな中でどんなことを思いでマネージャーをしていたか、を振り返って、

これからOGとして学習院大学陸上競技部に馳せる思いを載せていきます。

ご興味があればお付き合いくださいませお願い




私のモットーは、下支えではなく共に戦うマネージャーでした。


そもそも、華の()キャンパスライフを捧げるのだから、真剣にやりたい。

そして、その四年間を競技にかけると決めている選手の覚悟に、真剣に応えたい。

そんな気持ちでした。


だからこそ、黒子のようなサポートだけでなく、チームメイトとして、共に戦う存在になりたかった。

練習を共に考え、共に頑張り、誰よりも大きな声をだして、その結果を共有したかった。


相当厚かましいマネージャーだったと思います。


選手経験を活かして何でも言ってねとは言ったけど本当になんでも言ってくるなこいつ、と思われただろう先輩方。

うるさいなあと思いつつも、聞いてくれた同期や後輩たち。

困らせたことが多々あったと思いますが、それでも程よく受け流し、受け入れてくれてありがとうございました。


マネージャーなのによくそんなに頑張れるね笑い泣きと外部の人に言われることもありました。


笑って受け流しても、マネージャーが頑張れなくてどうするびっくりびっくりと思っていました。

頑張ってなにが悪い。本気でやってたのしんでなにが悪い。

泥臭いことを恥ずかしいと私は思いません。


突き詰めていけば、私にとって頑張って競技に向き合う10年は、頑張って生きることでした。

学生生活に陸上競技があって良かったです。


そしてそれが、あたたかいみなさんのいる部活で良かったと思います。

本当に本当にお世話になりましたお願い



これからはOGになるので、みんなには魅力的なチームでいて欲しいと思っています。

応援したい、と思われるチームであって欲しい、ということです。


頑張ることを恥じることなく、陸上競技に邁進して欲しいです。

心から応援していますグッ


素敵な4年間をありがとうございました爆笑





次の更新は、学年1のイケメンキラキラ

前女子パートチーフの西河紗弥ですラブラブ

最近髪型を変えてますますイケメンです、、、すきラブラブ

おたのしみにラブラブラブラブ



学習院大学陸上競技部 4年

マネージャー

髙村 怜那










こんにちは。4年の前田です。非常に遅い投稿になってしまい申し訳ありません。

今自分は沖縄におりまして、ウチナータイムで生活しているため時間にルーズになってしまっていることにはご容赦いただけますと幸いです。

 

 

こういうの本当に柄じゃないんですが、僕からは競技をするにあたり、自分を保ち続けられる理由を持つことの大切さ、この部に入れて得たもの、よかったこと、あたりについてお伝えできればと思います。

 

 

多分ブルートゥースの人より長いブログになるので、読んでくださる方はどうか無理しないでください。要約ができない人間なんです。

 

 

 

 

 

 

この競技にかかわる人達は、なぜ陸上なのか、と問われれば人によっていろんな答をすると思います。

ただ、とかくプレーヤーについては、好きだからとかそういうことだけでなく、別の視点で自身を高め続ける何かを持っておくべきだと思うんです。時には調子の悪い時期もあります。怪我で一切走れないなんてこともあるかもしれない。陸上どころじゃなくなる不都合が起きてしまったり。

そうなったとき、結果がすべての競技において好きだから、という思いだけでは乗り切れないこともあると思います。

そこで、沈む自分を繋ぎとめるものがあればいいんです。なんでもいいので。

調子が上がっているときは自然とガンガン突っ走れるから大丈夫。

 

 

こんな偉そうなこと言えるほどの結果は残せていませんが、自身の記録の変遷を振り返ると、そう思います。個人競技は自分との闘いってよく言われますが、自分もその考えです。結局のところ、常に最強の敵は自分の弱い一面です。こいつが自分の可能性や伸び幅を支配しています。それをどこまで押し殺せるか。これを徹底するには何かしら支えてくれる存在がないと、心に火がつかない。

 

 

でも、本当に幸せなことに、僕にはたくさんありました。それは憧れる先輩であり、ライバル、同期であり、後輩であり、自身の頑固さでした。

 

 

言わずもがなですが、やっぱり他の競技者を意識することで意地を張れるし、自分の殻を破って鍛錬することができると思います。自分からみて違う立場の人であれ、それぞれに思い、刺激されることは必ずあります。個人競技だからこそ他者がよく見える、輪郭がはっきりするような感覚を覚えるんです。それは同時に自分を見つめなおす良い機会にもなる。

この部は先輩同輩後輩、どの人たちを見ても競技に真摯に向き合っていて、学ぶものに絶えませんでした。だからこそ、意識し、高めあうには自分にとって最高の環境でした。

競技者ではなく、日々の練習を支えてくれるマネージャーさんの存在も大きいです。常に自分らの練習に気を配ってくれているのだから、応えるような走りをしないとな、と。

 

 

それと、もう一つは頑固さ。苦しい局面であっても、今ここでスパートをかけられなければ、出だしから攻められなければ、前の奴を抜かさなければ、この一本を走れなければ、成長の機を逃すどころか、自分が貫いてきた姿勢が崩れてしまう、というある種の恐怖心を感じながらやってきました。さすがに全ての練習がそうだったかと言えば嘘になりますが、ともかくその謎の頑固さのおかげもあって踏ん張る力がついたような気がします。これを感じ始めたのは真面目にウエイトに打ち込み始めた1年の終わりごろからですね。やっぱり自主練習からマジにならないとこういう感情は生まれないんだな、と後々思いました。

 

 

ですので、ダラダラ書きましたが、自分の芯を支えてくれる人や、思いの強さが直接自身の練習に強く影響していました。

こんな根性頼みなやり方を僕がやってこれたのも、この部の皆さんとだったからこそだと今は確信しています。この人たちとなら、踏ん張り続けられる、と常日頃感じていました。本当に良いチームですし、既にご卒業されている先輩方含め、この人たちと一緒に長年過ごすことができたことには感謝しかありません。より包括してしまえば、この部の人たちと出会えたこと自体が僕の強みです。(臭いですね)

 

 

ちょっと脱線しちゃいましたね。要するになんかしら、モチベーションを保てるものを持っておこう!ということが言いたかったのです。

 

すみません、もうちょっと書きます。もう読まなくて結構です。

 

 

 

自分が昨年度つかせていただいたチーフについても少し。

 

 

自分は今まで組織を引っ張る立場を経験したことがなかったんですが、この役目に就いて見えてきたことがあります。それは、当然のことでありますが、一人が組織を回してるんじゃないんだなってことです。マネージャーさんの仕事捌きや気遣い、短短・短長の各リーダー、対校戦の采配、メニュー決めでの意見交換など、いろんなところで人の力を借りてパートが動いてるんだってことを改めて痛感しました。

 

 

ただ本当に自分がポンコツなばかりに余計にみなさんに手間をかけてしまっていたのが未だに申し訳ないです。と、同時に自分にパーチーとしての仕事をさせてくれた皆さんには感謝しています。

 

 

チーフという肩書が自分に力を貸してくれたという面もあります。

 

主将でもないのに、感じる重圧はそれなりにありました。これは大きな思い違いかもしれませんが、自分の行動や練習姿勢、記録、メニューの計画といったものがパート全体の士気や成長をある程度左右すると考えていましたし、肩書も背負っている以上、部内はもちろん、対校戦でも負けられないという覚悟を持つことができました。

そういう重圧を自分にかけることには長けていたみたいで、チーフになってからはよりこのやり方で自分自身を律して競技に向き合うことができたと思ってます。結果的に自分にとって退くことのできない状況をつくれたんだと思います。

 

でも、そういう考えってあまりよくはないですよね。代交代してからその反動が一気に来てしまいました笑

 

 

それはさておき、マネージャーの皆さんには本当にお世話になりました。自分は段取りの悪い人間なんですが、優秀なマネさんが率先して動いてくれていたおかげで、毎回の練習もスムーズにこなすことができました。特に同期の二人には頭が下がります。自分が言わずとも次の動きを先読みして動いてくれていて、いつも助けられました。ありがとう。

 

 

 

すみません、もう少し書かせてください。

 

人としても自分はこの4年間で大きく変わったと思います。

 

 

自分で言うのもなんですが、入部当初に比べ、だいぶ明るくなれたと思います。これにはお世話になった先輩方によるところが強いんですが、今回は現役の皆様あての文章なのですみません、割愛させていただきます。良くしていただき、本当にありがとうございました。

 

 

後輩のみなさんにも一言二言お伝えしたいです。

まず、3年生のみんな。入ってきてくれた時は勢いのある子たちで、俺も負けてらんないな、と学年が違えど意識しあえる存在でした。練習内外問わず絡んでくれるのもめちゃめちゃうれしかったです。

正直後輩とこんなに仲良くやれたのは大学入ってからが初めてで、いい子たちです、本当に。先輩として立ててくれて、ありがとう。実力も年を追うごとにめきめき上がっていて自分のことのようにうれしいです。

2年の二人もありがとう。一人はたまにメニュー後ぶっとんだおかわりを強要してきて普通に恐怖を感じたけど、立派な脳筋に育ってくれて僕は嬉しいですし、一人は跳躍のエキスパートで、種目は違えど練習姿勢には学ぶものや、刺激されるものがありました。

1年のみんなとも短い間でしたが一緒に走れて楽しかったです。全員伸びしろしか見えないので、この先の怒涛のベストラッシュを楽しみにしてます。

 

3年生を筆頭に後輩たちが続々と院記録を塗り替える日が来ることを信じ、楽しみにしています。

 

 

院記録も出せず、最後の関東インカレも予選敗退、心残りのある終わり方でしたが、この燻りは後輩の皆さんが代わりに晴らしてくれるはずなので、その気しかしないので、なんとも思ってません!

 

 

同期のみなさんにはそのうちちゃんとお礼の言葉を述べるのでちょっと略させていただきます笑

温厚なみんなと長い間一緒に陸上できて楽しかったです!

 

 

ほんとにダラダラと長文書いてしまってすみません。勢いで書いたので文章おかしかったと思いますが、大目に見てやってください。

 

ここまで読んでくださった方が1人でもいれば称えたいです。ありがとうございます。



 言い訳を言うな、気休めを言うな、保険を掛けるな

 これらは指導者、同期、先輩や後輩に言われ続けた言葉です。
 いつしか、「保険屋」とも呼ばれるようになりました。
言われ続けて4年目、
 一旦、気休めなどのネガティブ発言を止めてみよう
と思い、実践することにしました。

(そう思うに至った出来事は省略します。)

 これは単に口に出さないというものではありません。言い訳や気休めが生まれる原因を排除するということも含みます。結構大変です。

自分の場合は
 生活リズム、身体のケア、日頃のジョグ 等
改善する部分が多々ありました。

実践し始めてからは徐々に調子も上がり、タイムも納得のいくものが出せるようになりました。

今は 
 脱保険屋
したのではないかなと。時々戻りそうになりますが‥。

 早く気づいていれば、実践していれば、もっとタイムや結果を残せたのではないかと、悔いることはありますが、きっかけを与えてくださった指導者、先輩や同期には感謝しかありません。
きっかけがなければ、以前と変わらず中途半端な結果に終わっていたはずです。
「気休めを言わない」
この言葉は今後の人生でも自分を戒める言葉として、心に刻んでいこうと思います。

後輩には、自分と同じようにならないことを願います。

また、今まで陸上競技を続けてこられたのは、指導者、先輩、同期、後輩など多くの方との出会いがあったからこそだと思っています。多くの出会いに感謝しています。特に同期。卒業を目前に、改めて自分は恵まれた環境にいたんだなと実感しています。

ありがとうございました。

 まだ1ヶ月弱、大学生として競技を続けられるので、悔いが残らないように、もう少し突っ走ってみます。


上手く文章が纏まらず申し訳ないですが、この辺でブログを終わります。

ARIGATO!

4年 長距離 中島






 

















 
 

 

 




 
 



 

 


お久しぶりです!!
ここ数日、
アニメ『風が強く吹いている』を見直している
長距離4年の前原遊希です!おねがい

まずは、
教育実習・就職活動等で練習を休みがちな私を
見捨てず、
いつも声をかけてくれた同期・後輩に
感謝の気持ちを伝えたいです。
ありがとうございました。

大学3年生以降、思うように練習ができず、
結果を残すこともできず…
関東女子駅伝・対校駅伝では、
チームに迷惑をかけてばかりでした。
そんな私を見て、「陸上をなめている」と思った人もいると思います。

でも、
学習院大学に入学して、陸上競技部に入って
大好きな陸上をまたできたこと、
本当によかったですラブラブ

なにより、
一緒に練習できる仲間、
相談できる先輩後輩がいたこと
本当に恵まれていました。

大学4年間、
自分が好きなことを
存分にやることができました牛しっぽ牛からだ牛あたま
走ること。
教育について知見を広げること。

大学4年間の経験を
今後の教員人生に活かしていきたいですキラキラ

今まで本当にありがとうございました!!








4年短距離の坪倉です。

永遠の1女と騒ぎ続けてたのにもう4年...恥ずかしい🤭

わたしは大学で何をするか本当に迷ってた時に、2択まで絞り込んで悩んで悩んで悩んで陸上部を選ばせていただきました。
その迷った1択の部会とも他の場所で関わることがあったので自分の選択に後悔はしてません。

自分の中で背が低いことはわりと自覚してはいましたけど大学で陸上を続けるにつれてほんとに自分はチビなんだ、と思い知らされる場面が多々ありました。
いつまでたっても自分より小さい後輩できないし、そんな軽い話じゃ済まないくらいの問題もあったし...笑

もう何センチか足が長ければ、腕が長ければ、背が高ければ、何度そう思ったか、数え切れないです。
いろんな人にちっちゃくても他の武器を探せばいい、と励まされ、自分も瞬発力だったり回転数だったり武器を探してはみましたが、その武器を持つためにも背が平均以下だったことは私の中では圧倒的に不利でしたし、実は怪我よりも全然悩んでました。
持って生まれたものを恨んでも仕方ないのに小さい人間だな、と自分でも思います笑

でも、こんな私でも関カレで走るチャンスがあったこと、短長メニューを4女3人で走れること、長い距離苦手でも一緒に走ってくれる優しい女子メンバーがいること、自分のメニュー終わってから疲れてるはずなのにラスト1本一緒に走ってくれる同期、先輩、後輩がいること全部に本当に感謝が止まりませんでしたし、そもそも試合でリレーのために4人集めること自体、当たり前にできることじゃないんだ、と対校戦だったり合同練だったり節々で感じていました。

同期が部活を引っ張るようになってからは今まで以上に好き勝手メニュー組んで自滅しての繰り返しでしたけど、首絞めてるけど楽しいっていう不思議な感覚でした。
でもそれができたのもマネージャーの皆さんが本当に臨機応変に毎回動いて下さったからで、辛い局面を理解してくれているからこそのサポートが手厚くてほんとにマネージャーの気配りってすごいな、って思ってます😭


結局大した記録なんてなにも残してないですけど、
この4年間無駄な努力は一度もなかったと思ってます。
関わってくださった全ての方ありがとうございました。


p.s.
知らない人がほとんどだと思いますが私は部活と並行して運動部常任委員会という団体にも所属していました。特にこれといった目立つことはしてないですし、主将、主務の人くらいしか存在を知らないと思いますが(同期の認知度はおそらく100%👏)これでも、学習院大学陸上競技部に泥を塗らないよう、自分に任された仕事をしてきたつもりです。
4年間、陸上競技部所属という肩書きを名乗らせてくださりありがとうございました!
「マラソンはその人をあらわす」 

この言葉は、2年前の琵琶湖マラソンのあと、ある先輩がジョグノートで書いていた一言です。データが消えていたので確認してないですが…笑
その当時は軽くしか理解していなかったですが、今はその意味が分かる気もします。

自分は2月2日、別府大分毎日マラソンを走ってきました。
前半は快調だったものの、ハーフ過ぎてからガス欠になり、止まったりゆっくり走ったり。そして結果は2時間40分。目標からかけ離れた厳しい洗礼を受けてきました。

今回の反省点は、前半気持ちに乗って抑える「我慢」ができなかったこと、ハーフ過ぎに集団が動いた時についていく「勇気」、そして苦しい時の「我慢」ができなかったことです。
この「勇気」と「我慢」というものはこの1年ずっと課題として言われてきたことであり、走りのみならず自分自身の人生の中でも課題だと常々感じていることです。

走りのことで言えば、今年の予選会で最初速く入る勇気がなかったこと、対抗戦で結果を残せなかった我慢の足りなさなど…数えたらきりがありませんね、

でも今書きたいのはこういう後悔の話じゃありません。
じゃあ何が言いたいのか。
それは走りは人の弱さや課題をわかりやすくあらわすということ。そして、走りにとことん向き合えば、その人自身あらゆる場面での行動も変えられるということです。

日常の中で行動変えろとか言われても難しいし、どう手を付ければいいか分からない感じがします。しかし、走りで少し勇気出したり我慢することって分かりやすいことじゃないですか?
と自分は思います。

苦しくなった時に「やっぱ無理かも」と思い逃げるのではなく、「今日こそやってやるんだ!」って思えるか。その心の持ち方、発想の転換を走りを通して身につけられれば、どんな時でも甘えや逃げに打ち勝てるようになるのではないかと思います。

そういう人の心を表す走りに一番向き合える学生のうちにとことん向き合ってほしいなっていうことを伝えたかったです。

現に自分もまだまだ自分の弱さに勝てていない(今日の練習でもタレたし)ので、向き合って最後まで走ります。


最後になりますが、この一年頼りないチーフだったのに長距離のみんな、ついてきてくれてありがとう

長距離のみんなをはじめ、同期、先輩、後輩、他大学の人たち、指導してくださった方々、全ての関わった方に感謝しています


4年 長距離パートチーフ土門将輔