こんばんは
マネージャーの髙村です。
恐らく四送会ではじめの方に巻きで話すことになるので、そちらを簡潔に済ませるために、大体はここに書いておきます。
だからきっと長いです。すいません
小学生の時に入部を決めて、気がつけば陸上部に所属して10年が経ちます。
山あり谷ありな学生生活の間、常に陸上がそばにありました。
中学受験直前の夏に父の病気が分かり、闘病生活が始まりました。
中学では100mを専門として活動し、3年の春休みに全盲の祖母と暮らし始めました。
高校では短長パートで練習しながら、2人の介護をしていました。
400mとマイルを走って引退し、大学受験直前の秋に父を亡くしました。
大学ではマネージャーになって、祖母の在宅介護を続けました。
5月に引退し、同期や後輩の活動を見守りながら、卒業を目前にした昨年末に祖母が大往生しました。
学生陸上生活と介護生活がともに幕を閉じた、そんな10年でした。
身の上話をすると暗いと言われるのですが
大事なアイデンティティですので、最後に書いてみました
さあ、そんな中でどんなことを思いでマネージャーをしていたか、を振り返って、
これからOGとして学習院大学陸上競技部に馳せる思いを載せていきます。
ご興味があればお付き合いくださいませ
私のモットーは、下支えではなく共に戦うマネージャーでした。
そもそも、華の()キャンパスライフを捧げるのだから、真剣にやりたい。
そして、その四年間を競技にかけると決めている選手の覚悟に、真剣に応えたい。
そんな気持ちでした。
だからこそ、黒子のようなサポートだけでなく、チームメイトとして、共に戦う存在になりたかった。
練習を共に考え、共に頑張り、誰よりも大きな声をだして、その結果を共有したかった。
相当厚かましいマネージャーだったと思います。
選手経験を活かして何でも言ってねとは言ったけど本当になんでも言ってくるなこいつ、と思われただろう先輩方。
うるさいなあと思いつつも、聞いてくれた同期や後輩たち。
困らせたことが多々あったと思いますが、それでも程よく受け流し、受け入れてくれてありがとうございました。
マネージャーなのによくそんなに頑張れるねと外部の人に言われることもありました。
笑って受け流しても、マネージャーが頑張れなくてどうすると思っていました。
頑張ってなにが悪い。本気でやってたのしんでなにが悪い。
泥臭いことを恥ずかしいと私は思いません。
突き詰めていけば、私にとって頑張って競技に向き合う10年は、頑張って生きることでした。
学生生活に陸上競技があって良かったです。
そしてそれが、あたたかいみなさんのいる部活で良かったと思います。
本当に本当にお世話になりました
これからはOGになるので、みんなには魅力的なチームでいて欲しいと思っています。
応援したい、と思われるチームであって欲しい、ということです。
頑張ることを恥じることなく、陸上競技に邁進して欲しいです。
心から応援しています
素敵な4年間をありがとうございました
次の更新は、学年1のイケメン
前女子パートチーフの西河紗弥です
最近髪型を変えてますますイケメンです、、、すき
おたのしみに
学習院大学陸上競技部 4年
マネージャー
髙村 怜那