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専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。



人は誰でも、ふと過去を振り返ることがある。良い思い出・楽しかった出来事から、辛い過去・悲しいことまで様々。でも過去は、振り返っても何の意味もないんだ。


今の現状に不満があると、あの時ああしていれば良かったとか、もう一方を選べば良かったと、既に過ぎ去った過去を悔やんでいる人がいる。

でもそれは、今振り返っているからそう感じるだけのことで、そのときの自分にとっては最善の選択をしていたはずだ。今不満に感じていたとしても、時が更に過ぎると、やっぱりこれで良かったんだと思えるときが来るかもしれない。

もう一方を選んでいたとしたら、もっと不満の募る日々が待っていた可能性もあるんだ。どっちが良かったかなんて、誰にも分からない。



逆に今良い選択をしたと感じていることも、ちょっと先に進むとそれが後悔に繋がることだってある。それが良いか悪いかなんてことは、その時々の自分・感じ方によって変わってしまうということなんだ。

だから、過ぎ去った過去を現時点の自分で、良い悪いと判断したところで何の意味もない。ちょっと前に進んた自分からみると、全く違った過去に変わっている。



過去を振り返ることには何の意味もない。大切なのは、今をどう感じて、これから更にどうしていきたいのかとただ前を見つめることなんだ。

昨日だって過去。朝目が覚めたら、昨日のことを思い出すのではなく、今日をどう過ごすのか・明日にどう繋げていくのかに集中する。



楽しい思い出も、あの時は良かった。という振り返り方は、今は良くないという思いを自分の中で強めてしまう。

あの時も楽しかったけれど、今の方が数段楽しいな。と、現状を更に肯定できるような振り返り方なら、次への力も沸いてくる。



結局は何を振り返っても、既に全てが頭の中のバーチャルな世界になっているものなんだ。頭の中だけのものだから、その時の状況・その時の感情によって如何様にも変化する。

そんなものを、色々と思い起こすことに何の意味もないはずだ。僕はただ前を向いて、今を大切にしていきたいと思っている。


*FXトレードに興味のある方は、こちらのブログもよろしく。



人は、何をするにしても失敗を怖れ、できるだけ失敗しないようにと身構える。でも、何事も失敗からしか学ぶことはできないし、成長することはないんだ。


仕事をするにしても、会社に入ったばかりの頃は右も左も分からず、ミスばかりをして先輩に怒られる経験は誰もが経験する。その小さな一つ一つの失敗が経験となって、仕事の精度が上がっていく。

何かスポーツを始めるときも、身体が動きを覚えるまでは何をしてもうまくいかない。何度も何度も失敗を重ねていくうちに、コツを掴んで無意識レベルで身体が反応できるようになる。

恋愛にしても、過去の自分の未熟さや痛い経験が糧となって、相手とより深い関係を築ける自分に成長できる。



何事も失敗があるから成長があるし、次のステージに自分が進むことができるんだ。失敗を繰り返すことによって、その物事の本質がだんだん掴めてくる。


逆に、何だか分からないけれどうまくいっているときの方が危ない。その本質を掴めていないから、自分でも何故うまくいっているのかを説明することができない。

最近調子が良いと言ったり、自分はできるという過信が生まれるから、その状態も長く続くことがない。失敗から学んでいる人は、何故うまくいき何故うまくいかないかを明確に説明することができるはずだ。



もちろん、失敗しようと思って失敗するんじゃない。成功させようと精一杯やった結果として生まれる失敗が、尊いんだ。

それだけやった自分には、結果は思ったものでなかったとしても、何事にも変え難い経験が残っている。この経験によって、それまでとは別次元の自分になっていることに気付く。


今まで何も失敗してこなかったということは、自分の意志で何かに本気で挑戦してこなかったということなんだ。



僕たちは、人の言葉を耳で感じ、文字を目で見ることでそれが何を意味しているのかを認識している。でも、その表面的な意味ではなく、発した人の奥にある本当の想いを感じられるかどうか。その奥には、必ず様々な想いが潜んでいるんだ。


自分自身のことを考えてみるとよく分かる。人と話していても、本心を全て表に出すということは少ないはずだ。

何か辛いことがあったとしても、心配させたくないという想いから、大切な人には元気にしているよと伝えるだろう。それは嘘とは違う、ただ相手を気遣う想いから出た本心とも言える。


それを聞いた相手によっては、そのまま元気そうだと言葉のままに受け取る人もいるし、違和感を感じ取って今辛いんだろうと察知する人もいる。

察知した人はその想いを汲み取って、頑張れよという想いを乗せてただ頷いてあげる。
その想いはまた伝わってくる。お互い表面的な言葉には出さなくとも、互いの想いを汲み取ることができるんだ。

これは日本人特有の、人を想う素晴らしい感性だと思う。



文字についても同じことだ。メールの文面を見ても、その人の奥にある気持ちは感じることができる。言葉には表れてこない、色々な感情が潜んでいるんだ。

絵文字やスタンプがないと、相手が今何を感じているのか言葉だけでは分からないという人が増えている。それに慣れてしまうと、相手に対して想像力を働かせることもなくなるから、表層的なコミュニケーションで終わってしまう。

人間関係が悪くなってしまうのも、こうした相手の気持ちを汲み取れないことが原因なことが多い。というより、お互い相手を思いやる気持ちが欠如して、自分の感情ばかりに注視しているのが原因なんだ。



奥にある本当の想いを感じられるかどうかは、相手のことを真剣に思っているのかどうかによる。逆に自分の深い想いを感じとってくれる相手は、自分のことを本当に大切にしてくれている人なんだ。



人が生きていく上で、最も大きな力となるのが、人に必要とされているということ。自分は誰からも必要とされていないと感じたとき、人は生きる活力を失ってしまう。


お子さんがいる方なら、今どんなに辛い状況にあろうとも、この子を守れるのは自分しかいないと思えるから、今日もまた頑張れる。

責任ある仕事を任されている方なら、自分がやらなければいけないと思えるから、真剣に仕事にも向き合える。

ボランティアを一生懸命されている方も、自分たちが必要とされているということを感じて、もっと力になれないかと次の活力が生まれる。



自分が食べていくため・自分が豊になるためという想いだけでは、人は生きているという実感を味わうことができない。人に必要とされる自分がいるから、充実感や生きるパワーが生まれてくるんだ。



会社で働いていたとしても、お給料を頂くという自分の生活のためだけの想いで、適当に時間を過ごしていればどんどん虚しくなってくる。

自分にもっとできることはないかと動いて、周りから必要とされる・頼られることで、働くこと自体が楽しくなってくるんだ。頑張っても頑張らなくても給料は一緒。。という、自分が得るものばかりにフォーカスしてしまうから仕事が辛くなる。

お金では計れない、もっと大切な気付きや充実があるんだ。



5/6の記事でも紹介した、ケネディ・センター名誉賞での動画をもう一つ。毎年優れた芸術家に送られる賞で、受賞者のブルースの大御所アルグリーンに、ジェニファー・ハドソンがアルグリーンのSimply Beautifulを尊敬を込めて送っている。

本物から本物へ時代が継承されたことが、何も知らなくてもただ触れるだけで分かる、本当のエンターテイメント。聴衆皆が圧倒され、本物のソウルを感じます。アルグリーンの嬉しそうな表情が、全てを物語っています。




人にはそれぞれ様々な価値観があるけれど、僕たち一人一人の中にも実に色々な価値観や想いが存在している。時に自分の中で、その価値観と価値観・想いと想いが綱引きをしてしまうことがあるんだ。


すでに結婚もして子供もいるお父さんが、以前からずっと考えていた独立への想いが押え切れなくなり、思い切って起業してみようか迷っていたりする。やってみたいけれど、家族を路頭に迷わせる可能性もあって踏み切れなかったりする。

家族をとるべきか夢をとるべきか、自分の中で想いの衝突が起こっているんだ。



人は何かを選択したとき、その選択したものばかりを注視してしまいがちだけれど、その選択によって切られた無数の選択肢があることを忘れてはいけないんだ。


男が結婚をして家族を養うという選択をした以上は、何が何でもその責任を全うする義務が発生する。それは、何があろうと家族を守るという想いを最優先するということだ。

いかなるときにも家族を第一にした選択をして、それ以外の想いや考えは二の次にしなければいけない。結婚という道を選んだことによって、その他の色々な選択肢が切られていることを忘れてはいけないんだ。



僕も、これからの事業のために、まだまだ大きくリスクをとっていかなければいけない局面が必ず来ると思っている。そのときに自分に家族がいれば、選択にブレーキがかかるかもしれない。

だから、僕は今は結婚という選択は絶対にできないんだ。一人だと寂しくなるよと良く言われるけれど、たとえそうであっても投資や事業によってなすべきことをやり遂げたい。


価値判断は、明確にしなければいけないと思っている。相反する想いで、綱引きしている状態では前に進み切ることができない。全体のバランスばかり考えていると、全てが中途半端になってしまう。

何かを選択することによって、その他の色々な選択肢が切られていることを忘れてはいけないんだ。