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専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。



人は良くも悪くも、今いる環境によって自分の価値観を創っている。これは良い・悪い、こうするべき・これはしてはいけない、人生はこういうもの、これは勝ち組・負け組など。


多くの場合、自分の中で解釈して取捨選択することがないから、そういうものか・そうだよねと何となくそれを受け入れてしまう。自分で考えたりするのも面倒だから、そのまま受け入れた方が楽だと感じている。

そんな何となくの小さな価値観の受け入れの積重ねが、今自分の前に見える世界を創っている。



特にテレビなどを何となく見てしまうと、変に感情移入したりしている精神状態だから、ふっと入るCMなどを無意識に受け入れてしまう。どんどんテレビで映される価値観を受け入れて、同じような考え方をもった人達がたくさんできあがる。

本当にそうなのか・こういう考え方もあるのではないかと、自分としての認識を持とうする人はほとんどいない。周りと同じ方が安心だし、楽だと感じているんだ。



会社に勤めていたとしても、勤務年数を重ねるごとに皆同じようなカラーに染まっていく。始めは尖っていた人も、だんだん環境に慣れてしまって丸くなっていく。本当に尖っている人は、早々にその環境を飛び出しているはずだ。


その環境に左右されるのが悪いということじゃない。ただ、今の自分はそこにかなり影響されてできあがっているんだよということ。私は違う!と思っていても、そこにいる限り無意識レベルでかなりの価値観を受け入れている。



日本にいれば、待ち合わせ・電車・バスは時間通りに来るのは当たり前だ。でも、ちょっと違う国に行けば、30分や1時間遅れることは普通の光景になる。

大麻などの麻薬だって、ちょっと違う国に行けば合法化されてタバコのように吸われている。一夫多妻が普通の地域だってたくさんある。20歳から成人なんていうのも、日本にいるからそういう価値観を受け入れているだけだ。

自分が当たり前だと思っているのは、今の時代・今自分がいるところでは当たり前というだけなんだ。



価値観の合う人たちや、自分が居心地の良い場所にいるのは楽だ。でも、それとは全く違ったところに飛び込んで外から俯瞰してみないと、自分の立ち位置も見えてこない。


普段話すことのないような人たちの輪に入ってみる、自分では行こうとは思わない所に敢えて行ってみる、全く興味も沸かないような分野の本をとりあえず手に取ってみる。

そんな小さなことの中にも、今の自分が揺さぶられるような価値観や感動があったりするんだ。


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僕たちは日頃、ちょっとしたことに腹を立てたり不満を感じたりしている。でもよく考えてみると、それも今生きているから感じられるのであって、生きているから逆の楽しさも味わうことができるんだ。



今この瞬間にも、生きたくても生きられないという人がたくさんいる。世界で捉えると、ほんの数十秒に一人が餓死している現実があるし、余命宣告を受けて今を精一杯生きている人もたくさんいる。

ただ目の前に何か食べるものがあるだけで生きられるのに、それができない人たちがたくさんいる。もっと成し遂げたいことがたくさんあるのに、病魔に冒されてしまった人がたくさんいる。

生きることの意味さえ分からず、幼いのにお腹が空いて空いて息を引き取っていく子供がたくさんいる。病魔なんかに冒されてしまって、悔しい人もたくさんいる。



そんな人たちのことを想うと、今自分が感じている不満や憤りなんて鼻くそだと感じられるんだ。ただ今生きているということに感謝できる。


給料が少ないだとか、休みが少ない・子供が言うことを聞かない・老後が心配だとか、自分の悩みなんて本当にちっぽけなものだと・何て小さな人間なんだと痛感できる。今どんな状況であろうと、生きてさえいればどうにでもなる。

きっと自分が余命宣告を受けたとき、それを実感することになると思うんだ。



ほんの少し生まれてきた時代が違っただけで、今は戦場で戦っていたかもしれない。ほんの少し生まれてきた場所が違っただけで、今血眼になって食べ物を探している人生だったかもしれない。

実際に、そういう人生を送ってきた人たちがいた。実際に、そういう人生を送っている人たちがいる。


それを考えたとき、生きているからただ生きている・自分のためだけに生きていく、なんてことはできなくなるはずなんだ。

自分が最高に今恵まれているということを、僕は忘れずにいたいんだ。



欲しいものを手に入れたり、目標が達成できたりすると誰でも嬉しいはずだ。やった!と、飛び上がって喜ぶ。

でも、自分には何も得られるものがないのに、それ以上に嬉しく幸福感を感じる瞬間がある。それは、誰かに喜んでもらえたときなんだ。



女性であれば、料理は苦手だけれど頑張って挑戦して、それでも大好きな彼が美味しそうに食べてくれたとき、もの凄く嬉しいはずだ。自分が褒められたということではなく、彼がただ美味しそうに食べてくれるのが嬉しいんだ。


男性であれば、初めてのデートで、彼女がどうしたら喜んでくれるだろうと悩んだ経験があるはずだ。友人に色々聞いてみたり、実際に下見までしたりして。実際に彼女が楽しそうにはしゃいでくれると、自分には別に興味がないことや疲れてしまったとしても、別次元の喜びがあるんだ。


小さな子供のいるお父さんなら、週末疲れていたとしても、子供が喜んでくれるならと遊びに連れて行ってあげる。子供が楽しそうにしてくれるだけで、疲れなんて吹っ飛んでしまう。


仕事をしていても、お客さんに感謝されたりありがとうと声をかけられるだけで、すごく幸せな気持ちになれる。



それは、何か自分への見返りを期待しての行為ではない。純粋に、相手が喜んで欲しいという想いで行ったこと。それは相手にも確実に伝わるし、自分には何も得るものがないのにこの上ない幸福感を感じることができる。


ボランティアなどを、積極的に行っている人の話を聞いていてもそうだ。ただ自分にできることはないかと、誰かのために行動していたはずなのに、逆に自分が元気をもらってしまう。周囲に賞賛されたくてしたんじゃない、ただ誰かの役に立ちたかっただけなんだ。



最近は、幸せになりたい幸せになりたいと、自分のことばかりの人が多過ぎる。自分のことばかりに意識がいっているから、周囲を見渡す余裕もなくなってどんどん深みにはまっていくんだ。


今、何かちょっと辛いなと感じることがあるのなら、身近な人でいいから喜ばしてあげることを考えてみたらどうだろう。何かの見返りを期待するのではなく、ただその人のために。

その嬉しそうな顔を見ているだけで、きっとまた自分も頑張ろうという気持ちが込み上げてくるはずだ。



多くの人は、年を重ねることに対してネガティブな印象をもっている。これからどんどん自分は、衰えていくかのように。でも人は、年と共にどんどん魅力的になっていくものなんだ。



人はそれぞれ、その年齢に対してのイメージを持っている。30歳といえばこんなイメージ、40歳といればこんなイメージ、50歳といえばこんな感じというように。そして、そのイメージのようにだいたい自分はなっていく。

30歳なんてもうおばさん・おじさんだ。と思っている人は、その年齢になったときにそのイメージに自分を重ねてその通りの自分を作っていく。結婚に焦り出したり、もう若くはないという自分を演じ始める。それは、態度や言葉に如実に表れるんだ。

65歳で定年・老後をゆっくり暮らすなんて思っていると、65歳になった自分はもう老人だ。65歳からは老人というイメージが刷り込まれているから、そうではない若い自分には違和感を感じてしまう。



実年齢というのは、ただ地球が太陽の周りを一周したら1つ年を重ねたことにしましょう。という決まり事に過ぎない。単なる目安だ。

自分が若いと思っていれば、その人は若いんだ。実際に、すごく若々しく見える人は、決まって自分はまだまだ若いと思い込んでいる。周りからも褒められるようになるから、またどんどん若さが増していく。


僕も年々、基礎体力の数値は上がっているし、学生時代よりも体力・気力共に充実しているのを感じている。全然まだまだいけると思い込んでいるし、これからの5年で5年若返ってやろうと本気で思っている。



確かに、肉体的な面では衰えが進むのは確かだ。自分の管理で、少しでもそれを食い止める努力をするしかない。でも、精神的なものは衰えるはずがない。経験や知識がどんどん蓄積されて、年を重ねる度にパワーアップしていくのが本来なんだ。



最近物忘れがひどくて。。なんて言っているけれど、その割には腹が立った出来事なんかはよく覚えている。自分の年齢へのイメージがそうだから、全てを年齢のせいにして片付けてしまうんだ。


自分の年齢も相手の年齢も、そんなものはどうでもいい。今の自分をどう認識しているのか、相手をどう感じるのか、その本質を見ることが大切なんだ。世間の訳の分からない価値観に、自分を合わせる必要なんてない。


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何かを達成したり、想いを叶えるために必要なことはただひとつ、意志だけだ。経験や知識や準備も何もなくても、そうなるという意志さえあればあとはどうにでもなる。


想いを達成するというと、何か大きなことを想い浮かべてしまいがちだけれど、僕たちは日々小さな自分の想いを達成し続けて生きている。


例えば、喉が渇いて水が飲みたいというのも、自分の想いであり願望だ。喉がカラカラだから絶対に水を飲む!飲みたい!と決意して、冷蔵庫の前にまで走ってペットボトルを取り出して想いを達成する。

このとき、ちょっと水が飲みたいな。程度の想いで、冷蔵庫に水がなくコンビニまで買いに行かないといけないとしたら、きっと面倒になって飲むことを諦めてしまうはずだ。

そこには絶対に飲む!という動機も理由もない。別に飲めなくたって、どうにでもなるからだ。


そのとき本当に喉が乾いていたら、コンビニに走るか、別の手段として普段は飲まない水道水でもいいからとにかく水を飲むという想いを達成させる。



意志の力によって、勝手に自分が動き出す。考えもしなかったアイデアが降ってくる。その想いを達成する以外の選択肢が、自然と無くなる。全ては、この意志の力によって決まるんだ。



もしこれから本気で独立を考えているのなら、まずは今勤めている会社を辞めることなんだ。それができないということは、そこに独立に対しての意志がない。絶対になるという想いが弱いから、不安や恐怖に簡単に負けてしまうんだ。

意志をもって走り出してしまえば、必要なことが勝手に降ってくる。よく引き寄せなどと呼ばれるけれど、あれは間違っている。意志を持って方向を見定めることで、それまで見えなかった好機がどんどん視界に入って取り込めるようになる。

引き寄せているんじゃない。今までもそこにあったのだけど、意志を持つ前の自分では見えなかっただけだ。


外出先でも、トイレに行きたくなったら絶対に行くはずだ。コンビニや駅のトイレを探したり、男性なら究極の選択肢としてどこか人目のつかない路地を探したりするかもしれない。諦めることができないから、それを達成するためのアイデアが降ってきて、それまで目にも入らなかった小さな路地がパッと視界に入ってくるんだ。

全ては、意志の力なんだ。


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