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専業トレーダーブログ

僕は、FX専業トレーダーという人生を選んだんだ。日々の生活から考え方・トレード検証まで。



気の知れた仲間と騒いだり、恋人とのデート・家族との外出など日々楽しいことはたくさんある。大好きな趣味があって、それをしている時が一番楽しいという人もいる。

いつもは行かないところに行ってみたり体験したりするのも、新しい発見があって楽しいはずだ。僕たちは、日々こうした"楽しい"を感じながら暮らしている。


もちろん、こうした日々の楽しみを持つことは大切だし、毎日辛いことばかりではやっていられない。でも、楽しさや充実にもレベルがあるんだ。



日頃のストレスを発散させるためだったり、ちょっと時間ができたときに楽しむ程度のものは、その場限りの楽しさだ。振り返っても、あの時は楽しかったね。程度の話・思い出にしかならず、何か自分に足跡をつけてくれることはない。


こうしたレベルの楽しさばかり積み上げていても、そのときはすごく楽しいけれども、あとで振り返ると何も残っていないことに気付いて虚無感が襲ってくる。

"今年もあっという間に過ぎてしまった。色々楽しいことはあったけれど、結局自分は何をしてきたんだろう。"と。

目先のちょっとした楽しさは、本当の意味での充実を与えてくれることはない。



部活動などを、真剣に取り組んだことのある人は分かるはずだ。目標とする試合に勝つために、毎日毎日仲間たちと汗を流してトレーニングを続ける。ときに言い争ったりしながらも、励まし合いながら辛い練習も一緒に乗り越えてゆく。

日々の練習は厳しいし辛いと感じるのに、でもすごく楽しいんだ。ゲームや飲み会で感じる楽しさとは、全くレベルの違う楽しさと充実感。

たとえ目標とする勝利には届かなかったとしても、それまで歩んできたプロセスは一生の思い出になって、自分の人生の中にしっかりと足跡をつけてくれる。


この足跡が多ければ多いほど、その人の人生は豊かになっていくんだ。というより、豊かに感じられるようになる。


目先の楽しさや安心ばかりで暮らしていると、大きな不満はないはずなのに何か物足りなく感じる自分がいるはずだ。

本当の楽しさや充実感は、そこから抜け出して、どんどん未知の世界や不安に飛び込んでもがいていく中にある。辛く感じるときは絶対にあるけれど、その時期が振り返ってみると、一番の足跡になってくれるんだ。



人は誰でも、もっとこうしたい・こうなりたいという理想をもっている。でも、それに向かって走り出せるかどうかは、この想いの強さではないんだ。それとは逆の、こうはなりたくない・このままでは絶対に嫌だという、現状への強烈な不満なんだ。


今がある程度恵まれていて、そこそこの満足を感じている限りは、新しい道へ一歩踏み出すのは難しい。もっとこうしたいと思っても、ある程恵まれている現状を切るのは惜しいと考えてしまうんだ。

考えれば考えるほど、その惜しい気持ちに加えて恐怖や不安が襲ってくる。最終的には、現状に留まるもっともな理由を探してきて、自分を納得させることになる。



こうなりたいという想いよりも、こうはなりたくないという想いの方が圧倒的に強いんだ。

このままでは絶対に嫌だと、今の現状に強烈な不満をもつことさえできれば、人は勝手に走り出す。今にそこそこの満足を感じている限りは、世界は大きくは変わらない。



アスリートの方などを見ていても、今の自分にそこそこ満足し出したときから衰退が始まっていく。

こんな自分・成績では終われない!という想いで、懸命に走ってきたからそこまで辿り着くことができた。その想いがなくなり現状に満足してしまうことで、次への向上心までなくなってしまうんだ。

逆に、周りからはもう充分だろうと思われるようなレベルになっても、現状の自分に満足することなくひたむきに走り続けている選手もいる。そういう選手は、まだまだ次のレベルに上がっていくし、見ているだけで心打たれるものがあるんだ。



一歩別の世界に踏み出せずに迷っている人は、現状がある程度居心地が良くて、捨ててしまうことになるのが惜しいんだ。逆にいえば、こうなりたいという想いがその程度だということ。

本当の意味での理想や目標ができれば、それとは違う現状には違和感しかもてないはずだ。人の、不快なところから立ち去ろうとする力は半端じゃない。勝手に自分が走り出してしまうはずなんだ。


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仕事から帰ってきたときや週末など、疲れが溜まっているように感じるときがあるはずだ。でも、本当は身体は全然疲れてなんていない。実は、自分が疲れを感じたくて感じているんだ。


スポーツで汗をかいた後の、あの爽快感は何だろう。身体を思い切り使って筋肉痛にまでなっているのに、すごく気持ちが晴れやかになる。それまでのストレスが全て吹き飛んで、また新鮮な気持ちに切り替えることができる。

普段の仕事なんかよりも、よっぽど体力を消耗しているはずなのに。でも、疲れなんて忘れてしまって爽快感しか感じないんだ。



身体は思い切り使っても、疲れという感情には繋がらない。疲れているのは、心なんだ。いや、このだけ働いたのだから疲れない方がおかしいと思って、自分で疲れを感じたくて、これだけ疲れるまで働いた自分は頑張ったと納得したがっている。



人は、自分が意味を見い出せないものに取り組んだり、周りから強制されたりすることに疲れを感じてしまう。

これをやって意味があるのか。自分は何故こんなことを続けているのだろう。と、自分の行動に意味付けができなかったり、先の目標がないとどんどん疲れを感じてしまうんだ。

逆にそれができると、本当に何をしても疲れない。体力のあるなしという次元を超えて、疲れるという感覚を忘れてしまう。スポーツに夢中になっているときのように。



週末に大好きな人とデートの約束があれば、前日いくら働いたとしても当日はピンピンしているはずだ。待ちに待った旅行の予定が入っていても、その週末はピンピンしているんだ。

仕事に疲れているのは、ほとんどの場合仕事のせいじゃない。取り組んでいることに正当な意味付けをできできていない・ビジョンを持てていない、自分が原因なんだ。


周囲など関係なく、自分の心が本当に納得のできることに取り組んでいるとき、疲れなんか忘れて夢中になれる日々を送ることができるんだ。


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普段、ちょっとしたことで怒ってしまったり不満を感じたり、不安を感じることもあるはずだ。そういう時は決まって、今自分が生かされているということを忘れてしまっている。


僕らは、本当に恵まれた国・恵まれた時代に生きている。今のこの状態が当たり前になってしまって、ちょっと不便や不快を感じただけで、怒りや不満を爆発させてしまっている。


戦時中を生きてこられた方は、日々懸けるものが命だった。今のこの時代を夢見て、自分の命が次の時代の役に立てればとたくさんの方が亡くなった。そうした方々の命なくしては、きっと今はなかっただろうし、今の自分もないはずなんだ。



食べる物に困ることもなければ、寝るところに困ることもない。好きな職に就く自由があるし、好きな人と結婚する自由がある。好きな所に住んで良いし、好きなように生きていい。

これだけの環境を与えられて、少々のことで不満を感じたりすると、本当に自分が情けなくなる。日々懸けるものが命だった先達と比べて、どれだけ自分が鼻くそかと恥ずかしくなる。



古くさい考え方だと思われる方もいるだろうけど、僕は今、そうした人達が生きたかった時代に生きているという感謝は忘れたくない。

その原点に帰ることができれば、今感じてる少々の不満や不都合なんて、本当に取るに足らないものだと感じることができる。そんな小さなことで心を乱している自分が、恥ずかしくなるんだ。


次の世代を担う子供達が大きくなって、僕らの世代を見たとき、そんな風に尊敬の目でみてもらえるような時代を作っていくことができるかどうか。

一人の力では大きなことはできないけれど、次の時代にしっかり繋げていける今を自分なりに作っていきたいんだ。



*アメリカには、ケネディ・センター名誉賞という毎年優れた芸術家に送られる賞がある。下記の動画は、ロックの分野で功績を上げたスプリングティーンに、英国のスティングが、スプリングティーンのThe Risinngという歌を賞賛を込めて送っています。

聴衆のためではなく、彼一人に向かって歌って賞賛するという形式で、アメリカらしい祭典。国をまたいで本物に対して賞賛し、スプリングティーンとスティングの本物同士が言葉がなくとも繋がっている様子が、表情に表れている。

聴衆の方の彼へのリスペクトも、表情が物語っています。本物には、触れるだけで全ての人の心を動かす強い何かがある。




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日々一歩一歩進んでいるつもりでも、全く景色が変わらず、本当に進めているのか不安になることがあるはずだ。でも、大きな一歩ではなくとも一歩は一歩。小さな一歩でも進まなければ、景色が変わることは絶対にないんだ。


人は急に変わることはできない。日々の小さな一歩の積み重ねがあって、大きなスパンで振り返ったときに、良くも悪くもその変化に気付くことができる。



プロのアスリートの姿を見ると、感動してしまうのは何故だろう。もちろん、その圧倒的なパフォーマンスに感動しているのだけど、その裏にあるそのアスリートがそこに至った過程を感じているのかもしれない。

勝利の涙を見て、こちらも涙を流して感動する。見ている側は何も分からないはずなのに、そこまでに至った辛い日々や過酷な練習の日々を思い浮かべている。

そこに至るまで、日々同じ練習をひたすらに繰返し、全く進歩が感じられない時期もたくさんあったはずだ。でも、ただ自分を信じて、周りが何と言おうと小さな一歩を歩み続けてきたはずなんだ。



日々やっていることなんて、すごく地味なことの連続。素振りを繰返したり、筋力トレーニングやランニングなど、ちょっと気を緩めてしまうと嫌になって投げ出したくなるようなことばかりだ。

それでも、日々黙々と集中して一歩一歩繰り返していく。その小さな小さな積み重ねが、大きなスパンで捉えたときに大きな差となって顕在化してくるんだ。



今できる小さな一歩を大切にできない人は、何もなすことはできない。ちょっと頑張ってみては嫌になって、すぐに大きな結果を出すことばかりに注目する。


小さく感じる一歩でも、一歩は一歩だ。辿り着くところは思ったものと違っているかもしれないけれど、振り返ると全く違う自分になっていることに気付ける。

すごく地味で単調な歩みを続けられるかどうか。ある日振り返ってみると、実はすごく進んでいたことに驚くんだ。


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