2017年生まれのコティ6歳、2021年生まれのリティ2歳、
姉妹を育てるコティマムです。
39歳、
元テレビ局芸能記者の
アラフォー
ワーママライター![]()
◎BFC公式アンバサダー1期生
(23年3月卒業)
◎wicot公式アンバサダー活動中。
ワンオペ育児のあれこれや![]()
大好きな洋楽、歌舞伎、アニメ、
おいしいもの(外食)など、
カオスな日常と
たまの贅沢を綴ります![]()
夫婦のお仕事ブログはこちら
2023年、締めくくりの本日![]()
今年最後の
執筆記事紹介をさせてください![]()
私の最推し![]()
歌舞伎俳優・中村七之助の
インタビュー(取材会)が
本日YahooとENCOUNTで
公開されました![]()
本日から年明けにかけて3日間、
インタビュー記事が掲載されます![]()
私も昨年見に行った
平成中村座の演目が
シネマ歌舞伎になります![]()
七之助様は
”ルンバ”に乗っています(笑)
◎執筆記事はこちらから◎
ぜひお読みいただけると
うれしいです![]()
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コティマム、
昨日もブログに書いたのですが、
2023年は
立ち止まって
考えに考えた年で、
思うように動けなかった年です。
仕事面も家事育児も
うまくいかないことが多く
、
自分の理想とは程遠い年でした![]()
しかし、私が今年、
「仕事面で唯一頑張った」と
自分を認められるとしたら、
今回の中村七之助の取材です。
と言いますもの、
芸能記者時代に
歌舞伎取材を多く担当していた私は、
フリーランスになって
東京を離れてから、
ずいぶん長い間
芸能の現場から離れました![]()
でも本心では
芸能記者の仕事に未練があり、
戻りたくて戻りたくて
たまらなかった時期がありました。
7年前に東京を離れる時、
「また絶対に
歌舞伎取材がしたい。
中村屋の取材が
絶対にしたい」
と強く思っていました![]()
でも、
私が彼らを取材できていたのは、
テレビ局の編集部に所属していて、
大きな後ろ盾があったからです。
個人になって、
しかも当時は東京も離れましたから、
記者職から離れた自分に
そんなチャンスはもう
巡ってこないわけです![]()
「東京に戻って
テレビ局かどこかの芸能媒体に
復帰できたら
また取材できる」
と当時は安易に考えていましたが、
関東に戻ってきてからも
子どもを抱えての
正社員での記者復帰は
とてつもない道のりでした![]()
↑2021年のお正月にも
「中村屋取材したい」と書いていた![]()
フリーに転向した6年の間に
試行錯誤して
記者復帰に挑戦したものの、
結局、以前の職場復帰はかなわず
、
今年に入ってようやく、
その「執着」を手放せたのです。
しかし、歌舞伎取材、
特に自分が
現役時代から応援してきた
中村屋に関しては、
「絶対にまた取材をしたい」
と心の中で思っていました![]()
2年前に今お世話になっている
編集部の外部ライターになったことで、
「歌舞伎取材」自体は
また行けるようになりました。
そして中村屋の取材も
できるようになったのです。
しかし、これは
私が目指す
本当の「ゴール」では
ありませんでした。
というのも、
歌舞伎取材にもいろいろありまして、
やはり「歌舞伎座宣伝部」が
案内している取材というのが、
大きな目玉になります![]()
これは歌舞伎座の公演や
歌舞伎座が主催している公演などの
取材になります。
テレビ局の時は
歌舞伎座を含め、
他の劇場で行われる取材もすべて
案内が来ていました。
しかし今の媒体は
新しい媒体かつウェブということで、
他の劇場で行われる歌舞伎の
取材案内は届くけれど、
肝心の「歌舞伎座の取材案内」は
届いていない状態でした![]()
ですので私の中で
「歌舞伎座宣伝部と再び
交流を持ち、
歌舞伎座の取材案内を
受け取れるようになる」
「歌舞伎座案内の
中村屋やその他のお家の
取材もできるようになる」
というのが、
記者としての
密かな目標でした![]()
ただ、これは目標に掲げたものの
ハードルが高く
、
いろいろな方面から
アプローチしてみたものの、
この2年、歌舞伎座から
取材案内を受け取ることは
できませんでした![]()
それが、つい最近、
この秋にいろいろなご縁が重なり、
驚くべきことが起こったのです![]()
それが、
今回の執筆記事を書くに至った
七之助の取材会![]()
限られた媒体のみ、
個別の記者に案内された
クローズドの取材会だったのですが、
なぜか私も
個別に呼んでいただけたのです![]()
(これは本当に不思議で
、
でも元をたどれば
今年初めからのいろいろな
ご縁がつながって、取材に至っています。
本当に感謝です
)
歌舞伎といえば、
スポーツ紙や演劇専門誌などの
演劇担当記者がたくさんいますし、
会見などでは
有名なリポーターさんも来ます。
だから、
「あの人も来るだろうな、
この人も来るだろうな」
と思って取材会に向かったら、
本当にごく少人数の
限られた会で
、
インタビュー状態だったのです![]()
テレビの芸能記者時代すら
やったことがない、
「七之助に個別に話を聞く」
という大チャンスが
突然やって来ました![]()
![]()
(テレビ時代は会見やイベント取材だった)
私は今年の春頃に
中村屋取材で
正直”失敗”をしておりまして
、
もし「次」があるなら
この情けなさを絶対に挽回したいと
思っていたので、
この取材会はとても緊張しましたが、
かなり意を決して臨みました![]()
直接、七之助に長い時間
舞台のお話を聞けたのは
本当に良い経験でした(´;ω;`)
そして私はこの時に
もうひとつ
ミッションを決めたのです![]()
それは中村屋の事務所の方に
絶対にご挨拶すること。
一旦フリーランスになって
歌舞伎の現場から離れた私。
もう、事務所や劇場の方も
当時私が関わっていた方とは
人も状況も変わっています![]()
芸能媒体に戻っても
歌舞伎座からの案内がなかったので、
この状態では
歌舞伎取材はたまにしか
回ってこない![]()
この状況を改善するには
事務所さんに直接
アプローチするしかない
と思ったのです![]()
そこで取材会終わりに
こちらも意を決して
マネジャーさんにご挨拶にいき、
テレビ時代の取材などに
ついても説明した上で、
歌舞伎座の案内も
可能であればいただきたいと
ご相談したのです![]()
するとマネジャーさんも
すごく喜んでくださり、
「コティマムさんと
コティマムさんの媒体も
歌舞伎座の案内に
入れていただくように
すぐ話しますね」
と言ってくださったのです![]()
相談した日の夜には
もう歌舞伎座宣伝部から
取材案内が届くようになりました![]()
(マネジャーさんの仕事の早さに
驚きました
)
そういった一連の流れがあって、
秋からは歌舞伎座の
取材に行けるようになったのです![]()
(それが中村獅童の取材にもつながった↓)
2016年に記者職と東京を離れ、
2017年にフリーランスになり、
「また絶対
歌舞伎の取材をしたい」
と心に刻みながら6~7年。
ようやく、
ようやく、
歌舞伎取材ができる体制が
整いました![]()
さらには、
七之助のインタビュー記事を
こうして署名入りで
何本も出せる日が来るなんて![]()
これはテレビ時代にも
やってないことです![]()
ここまで戻って来るのに、
(いや、状況はむしろさらに進んだ?)
6~7年。
長かった![]()
でも、諦めずに
思い続けて
試行錯誤して動いていたら、
こうやって結果として
つながっていくんだなと
本当に実感しました![]()
いろいろなことが
うなくいかなくて
凹んだ2023年でしたが
、
大晦日の今日、
七之助のインタビュー記事を
こうして出せることで、
「これは、
『私がんばった』って言えるよね」
と自分でも思います![]()
諦めないでよかった![]()
2017年~2019年の、
当時東海地方で孤独に
ワンオペ育児をしながら
なんとかフリーランスライターとして
職を得ようと
奮闘していた頃の自分に言いたい![]()
「あの時、初めての子育てで
親族も知り合いもいない中、
それでも書くことをやめないで
やり続けてくれてありがとう。
2023年に
あなたはまた歌舞伎座取材が
できるようになり、
七之助の署名記事まで書きました。
子育てしながら
やり続けて
模索してくれてありがとう
」
ということで、
長くなりましたが、
2023年締めくくり![]()
七之助記事を
お読みいただけるとうれしいです![]()











