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2017年生まれのコティ6歳、2021年生まれのリティ2歳

姉妹を育てるコティマムです。

39歳、

元テレビ局芸能記者の

アラフォー

ワーママライター鉛筆

◎BFC公式アンバサダー1期生

(23年3月卒業)

◎wicot公式アンバサダー
(23年8月卒業)

 

ワンオペ育児のあれこれや滝汗

大好きな洋楽、歌舞伎、アニメ、

おいしいもの(外食)など、

カオスな日常と

たまの贅沢を綴ります乙女のトキメキ

 

カメラ夫婦のお仕事

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今日は、ちょっと、

「あぁ、やっと、

やっと、その境地になったか」

と思ったことがあったので、

記録としてブログに

したためます。

 

 

コティマムは2016年の中頃に

テレビ局の芸能記者の

仕事を辞めて、

東海地方へ行きました。

(この時、コティ妊娠中)

 

仕事大好き人間だったので、

この時は

記者を辞めたくなくて

東京を離れたくなくて、

ものすごい未練がありました。

 

その後の東海地方の生活は、

とても苦しいものでした。

 

見知らぬ土地での

慣れない子育て、

知り合いもいない孤独の地、

仕事・東京への未練、

世帯収入が下がった後に

さらに追い打ちをかけるように

夫の収入が激減するなど

いろいろありまして、

闇に堕ちた状態になりました。

 

写真を見返すと、

2017→2018→2019と

どんどん顔が能面のように

なっていき、

気力が失われいきました。

(今思い返せば

楽しいこともあったし

仕事面も今につながっているけど、

当時はとにかくしんどかった)

 

この頃もずっと心の中には

「また正社員記者に戻りたい」

という気持ちが強くあって、

東海地方でもいろいろ就活しましたが、

身内もいない中で子育てがあり、

本当にことごとく

うまくいきませんでした。

 

 

そこでフリーランスのライターに

転向して、

芸能以外の書く仕事を得ていきましたが、

やっぱり、

「記者として現場に出ること」

どうしても未練がありました。

常に

「東京に帰りたい」

と思っていました。

 

 

2020年に関東に戻ってきてから、

この3年の間に、

何度か、

「前職のテレビ局に戻らないか」という

声かけがありました。

 

 

 

 

お世話になっている

元上司がずっと言ってくれていて、

上層部にも

掛け合ってくれていたのです。

私も

戻りたくてたまりませんでした。

 

 

ただ、結局

子どもがいること、

働ける時間が限られていること、

毎日出社できないことなどから、

復職話は全て立ち消えに。

 

ずっと「戻りたい」と思いながら

それは叶いませんでした。

 

ただ、2021年、

下の娘リティを生んで4か月後に、

この元上司の尽力で、

別媒体(今仕事をしている芸能媒体)

芸能記者の仕事が

できることになりました。

 

元上司も

「うちでの復職は無理でも、

他社ならいけるかも」

と私の「芸能記者としての復帰」

応援してくださったのです。

 

これをキッカケに、

フリーの外部ライターとして

主戦場だった芸能の現場に

出られるようになったのですが、

それでも、数は少なめ。

子育てと家事をしながらなので、

たまーに出るくらいでした。

 

この頃はまだ

「昔のように毎日現場に出たい」

という執着がありました。

「あの頃」

戻りたくてたまらなかったのです。

 

 

 

 

子育てと家事が

とてもしんどくて、

向いていなくて、

「仕事だけしていたあの頃」

とてつもなく戻りたかったのです。

 

そして、

子どもが生まれても

仕事の仕方も生活スタイルも

何も変わっていないように見える夫

うらやましくて

夫にも

「外で働きたい。

私が正社員になりたい」

みたいなことを

よく言っていました。

 

 

でも、いろんな苦しいこと、

しんどいことを

なんとか乗り越えた結果、

今はそこまで

「外で働くこと」

こだわらなくなってきました。

(というか、この点では

諦めを通り越したみたいな感じ)。

 

 

でも、11月から

編集部の仕事を

経験し始めたことで、

「この年でも、まだまだこんなに

新しいことを学べるんだな」

って、ちょっと気持ちが

ポジティブになってきていたのです。

 

 

ふんわりウイングふんわりウイングふんわりウイング

 

そして今朝のこと。

(前置きが長くてすみません)。

 

元上司が、

私が一昨日書いた

中村獅童の原稿4本を読んで、

LINEをくれたのですスマホ

 

 

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◎執筆記事はこちら◎

 

 

 

元上司

「4本書いて、

最後の原稿(4本目)の

出稿時間が

20時58分ってところが

素晴らしい……」

 

これ、何を言ってるかというと、

会見後に原稿4本を

続けて早く出せたことを

評価してくださったのです。

 

同じ現場に

元上司の局の編集部からも

記者が来ていたわけですが、

元上司曰く、

「原稿があまりに

遅いので催促した」

とのこと。

しかも出した原稿は1本だけ。

 

 

「このネット時代に

出稿が遅いなんて話にならん!

コティマムさん、

戻ってきてくださいよー」

 

 

私はこの言葉に

なんか救われました悲しい

 

戻りたくて戻りたくて

たまらなかった前職。

今思うと、

辞めてから7年、

ずっと未練がありました。

 

元上司がいつも

掛け合ってくれて、

そのたびに期待して、

でも結局は無理で。。

 

そうこうしてる間に、

今執筆している編集部が

直雇用にしてくださって、

今月から週2で出勤している。

(いずれフルリモートになるけどPC

 

そしてこの新しい編集部では、

今までの経験の即出しとは

比べ物にならないほど

ものすごいスピードで

記事を出す仕事ぶりを拝見し、

私も獅童さんの現場で

「これは編集部に

失礼がないように

即出し頑張らねば」

と思ったのです。

 

だから、元上司がお世辞でも

「戻ってきてー」

と言ってくださって

うれしかったけど、

今の私はごく自然に、

「今の編集部がすごく

勉強になってるんです」

と返信できたんです。

 

もう、前職じゃなくても

平気な心境になったんだなと。

 

今の編集部だからこそ

学べることがあるし、

確実に、7年前よりも

アップデートされているなと、

思ったのです。

 

・前職に戻って

「昔のように」働くこと、

・子育てや家事が嫌だから

外で働くこと、

ここにずーーっと

私自身が執着してたのですが、

今は、もう、大丈夫かなって

思います。

 

少し前に夫からも

「コティマムが正社員に戻って

外でガツガツ働いて、

俺が仕事辞めて家のことしながら

軽く副業しようか?」

と役割交代を

提案されたのですが、

今の自分は

「もう、いいかな」って感じです。

 

ほんの少し前までは、

ぜひともそうしたかったんです。

特に夏頃までは、

役割を交代してほしくて

たまりませんでした。

 

子育ても家事も

もういっぱいいっぱいで、

仕事に逃げたかったし、

1人になりたかった。

 

でも、その時は

耐えるしかなくて、

なんかもう抗体もついて(笑)、

試行錯誤している内に

今みたいな

「半ブリ―ランス」の新しい働き方や

所属先が出来てきました。

 

今の編集部が

これまでの外部ライターとしての

自分のことを

大事にしてくれているのが

とても伝わってきたし、

編集部業務も

すごく勉強になることばかりで、

自分の意識が

今そっちに行っているので、

子育ても家事も

いろいろ大変だけど、

なんか気にならなくなってきました笑い泣き

 

 

そして今日の元上司の言葉で、

元上司の目から見ても

4本の記事がきちんと

即出しに対応できていたと、

再確認できましたガーベラ

 

そして戦力になると

言ってもらえたような気がして、

自信になったのです。

 

だから、前職に戻って

元上司と働くことはできないけど、

今の自分は、

今の仕事の仕方が合っているし、

「あの頃とは違う学びをするために

今があるんだな」

思えるようになりました。

 

7年前に前職を辞めてから、

長い長い執着でした。

 

ずっとずっと戻りたかった。

 

「あの頃」みたいな

働き方に戻りたかった。

 

でも今日、

「あ、もう、大丈夫だ」

そう思えましたクローバー

 

私は今の編集部で

どんどん新しいことを

学びたいし、

「半フリーランス」という

今の状態で、

ライター、記者としての

幅をもっと広げていきたいですピンク薔薇

 

今の目標は

仕事にかける時間を減らして、

それでも報酬・給与は維持しつつ、

家事と子育てに

もっと取り組むこと!!

 

いつも試行錯誤の日々ですが、

諦めずに自分の理想を

追い求めたいですカギ