非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -100ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

愛とは何か?


相手のために何かをしてあげること。
優しくしてあげること。
親切な行いをすること。


一般的にはそんなイメージで捉えられていますが、それは愛ではなく、愛のフリです。


愛とは、自分に正直であること。ありのままの自分でいることです。


なぜなら、私たちの本質は愛だからです。


だから、自分を変える必要など、そもそもありません。

相手の役に立つ努力をわざわざする必要もありません。
相手を変える必要もありません。

もし、自分に対して相手に対して、何かを変えようとしているなら、あなたは、自分が愛であることを忘れています。


愛ではないと思っているから、愛になろうとするわけです。

愛は成るものではありません。
行うことでもありません。


もともとあなたは愛なのですから、あなたであればいいだけです。
あなた以外のものに成りようがありません。


愛のフリをしている時、あなたは愛であることを忘れています。
自分ではいなくなっています。


あなたがありのままのあなたでいて、相手がありのままの相手でいて、それで愛。
お互いに違っていても、ひとつであることがわかっている。
だから、愛です。


相手に気に入られようと、偽のあなたを演じた瞬間、あなたは愛から切れます。


あなたはあなたでいてください。


今日、どんなあなたであっても、無条件に、批判することなく、その自分を愛してください。

自分が愛であることを忘れないでください。

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私は数年前まで、「恐れ」は根性や気合いで克服するものだと本気で思っていました。

「会社を退職したら生計を立てられなくなるのでは」と心配で心配で、イヤでイヤでしょうがなかった会社員をやり続け、何年もやめられませんでした。

スカイダイビングをやれば、恐れが消えるのではないかと思い、ジョットコースターにも怖くて乗れないくせに、意を決してスカイダイビングに挑戦したりもしました。

それでも私の心から恐れが消えることはありませんでした。

その後、会社を辞めても、しばらくビクビクしどうしでした。

ところが私は今、とても穏やかな気分で毎日を過ごしています。

恐れは実在しないもの。
それを知ってから、恐れがなくなりました。

恐れていた頃の私は、恐れが実際に「在る」ものだと思っていました。

だから、それを克服しようとしていたわけです。

戦う敵があるものだと思い込んでいたわけです。
でも、その敵を打ち負かしても打ち負かしても、恐れは消えませんでした。

なぜなら、恐れが実在するものと自分で思い込んでいたからです。
在ると思い込んでいたから、消えるわけがなかったわけです。

恐れは自我が感じている幻想。
それを知ってから、私はいつのまにか、恐れていない自分に気づけるようになりました。

本当の私につながれるようになりました。

どのようにして、私が「本当の私」につながれるようになったのか?

それを知り、私も「本当の私」につながって生きていきたいと思われる方は、今月から始まる「奇跡学校」に参加してください。

怖いもの知らずの本当のあなたが待っている場所まで、私がご案内します。

日程が合わない方は、今月から個人セッションを再開しましたのでセッションをお受けください。

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私たちは、夜、眠っている間に夢を観ます。

私たちは、自分が観ているものが夢だという自覚がないので、その夢に、時々うなされたりします。

それほど、夢とはリアルなものです。

でも、目が覚めると、その夢が消えて、「あー、今のは夢だったのか」と気づけます。

そして、目が覚めて戻ってきたこの場所こそ、リアルな世界。
ここにいる私こそ、本当の私だと思って、なんの疑いもなく、毎日を過ごしています。

もしもし、大丈夫ですか?
ここも夢の世界ですよ!

私がこんなことを言ったら、多くの人は、「あなたのほうこそ大丈夫ですか?」と返してきてくれます。

そこで、私はこんなことを言い始めます。

「夜、眠っている間に夢を観ている時、あなたはどこにいますか?」

ベッドの上にいますか?
それとも、夢の中に登場している自分を自分だと同一化してしまって夢の中にいますか?
どちらですか?

多くの人は「夢の中にいる」と答えてくれます。
「でも、本当の自分は、ベッドの上にいます」と付け加える人もいます。

しかし、それに気づけるのは、夢が消えた後の話ですよね。
と、私は答えます。

夜、眠っている間にリアルな夢を観て、そこから目が覚めたというこれまたリアルな夢を観て、また、夜になって夢を観て、朝になって目覚める夢を観て、その一連の夢の連続の中にあなたが居続けていたとしたら、本当のあなたは、いったいどこにいるのか、わかりますか?

本当のあなたは、この夢の外にいます。

夜、眠っている間に観る夢の世界の外に、現実世界のあなたがいるように、この現実だと思われているリアルな夢の世界の外に、本当のあなたはいます。

なになに、こんな話は信じられない?

では、今日はあなたに、一つの質問をして、この奇妙に思える話を終えたいと思います。

あなたは、現実だと思えるこの世界の中で生きてきて、これまでに、どう考えても、これは出来すぎた話だな。

偶然の一致にしては、できすぎているな。

まるで夢を観ているようだと感じたことはありませんか?

そして、この世界で起こるストーリーに巻き込まれ、あなたは、本気で時々、うなされていませんか?

もし、この現実と思えるリアルな夢から目を覚ましたくなったら、私に会いにきてください。
この夢の中で、私はあなたを待っています。

「もしもし・・・」と声をかけ、この夢の外へと誘うために。

矢沢大輔のセミナー情報

私の学び方が悪かったから。
教わったとおりにやらず、自己流でやってしまったから。
学んだことを行動に移さなかったから。
やったとしても、大量行動が足りなかったから。
結果が出るまで辛抱しきれず、途中であきらめてしまったから。

これ、一見もっともらしく思える理由ですが、すべて、私が幸せになれなかった理由とはなんの関係もありません。

自己啓発の先生なら、うまくいかなかった理由として、きっと上記のどれかの理由をあげるでしょうが・・・。

私がどれだけセミナーを受講しても、幸せを感じきれなかった真の理由は、ネガティブな感情を消そうとしていたからです。
メンタルブロックと呼ばれるような自分のネガティブな側面を克服しようとしていたからです。

これが、どれだけいろんなセミナーを渡り歩いても、心の底から、私が幸せを感じきれなかった、たった一つの理由です。

こう書くと、私が矛盾したことを言っているように思われるかもしれません。

それは、
幸せ=ネガティブな感情がないことだと一般的に理解されているからです。
ネガティブな感情が消えなければ、幸せになれない。
だから、ネガティブな感情に対処する必要がある。
それを克服する必要があると考えられ、それが多くの自己啓発セミナーの大前提となっていたわけです。

でも、それは真実ではありません。
なぜなら、そもそも、ネガティブな感情というものは存在しないからです。

えっ?と思われるかもしれませんが、感情そのものに、そもそもポジティブもネガティブもありません。
ポジティブ、ネガティブの判定をしているのは、あなたの思考だからです。
思考ではなく、感情の動き、エネルギーの動きをありのまま感じていると、そのエネルギーは自然に変化していきます。

つまり、あなたが嫌だなと感じているその感情に対処する必要など、もともとないわけです。
ありのまま感じていれば、自然に変化していくわけですから。
そして、その感情に良いも悪いも、もともとないわけですから。

もともとバラエティ豊かな感情を、「良い、悪い」「快、不快」に分けて、片方だけ、半分だけを歓迎しようとしてい
た。
これが、私が幸せを感じ切れなかった真の理由です。
つまり、私は人生の半分を切り捨てて生きていたから、幸せを感じ切れなかったわけです。

人というのは、手元に完全なる宝物を既にもっているのに、わざわざそれを外に探しにでかけ、ぐるっと一周地球を周るような旅をして、なんだ、もともと宝物はもとの場所にあったんだと気がついて、自分の素晴らしさに驚く生物。

そう考えると、巷の自己啓発セミナーも、悪いものではないのかもしれないなと思える今日このごとです。


■矢沢大輔のセミナー情報
http://www.lifemastery.jp/
(注)この記事を書いた頃は、ディマティーニ・メソッドにはまっていて、感情の動きにとらわれてばかりいました。

ネガティブな感情を感じたら、そんなものを感じちゃいけないとばかりに、あわててそれを打ち消そうとする人がいる。

ネガティブな感情が内側にあるとそれを引き寄せてしまうからという理由で、その感情を打ち消し、「どんなことが起きてもそれは自分にとって意味のあること。必然の出来事。だから、このネガティブな気持ちを感謝に変えよう。愛に変えよう」と、しゃかりきにコントロールしようとしている人がいる。

ポジティブ思考もここまでくると、逆に滑稽さとともに息苦しさを感じてしまう。
特定の宗教は教義に取り入れられてしまった不自然さを感じてしまう。

そもそも感情そのものに、ポジティブも、ネガティブもない。

その瞬間、瞬間の感情の動きをありのままに受け止めてやれば、感情、エネルギーの動きは自然に放出され、穏やかになっていく。

自分が嫌って、感じたくない感情があるなら、その感情を抑圧、操作しようとすればするほど、その感情に押し返され、再三、その感情に向き合わされることになる。

ある心理学者が言うには、感情を表す言葉は英語で約4000種類もあるらしい。

その4000のバラエティ豊かな感情の動きを、ありのままに感じながら、私は生きていきたい。

私は50歳になるまで、恐れに支配されて生きてきました。

振り返れば、小学生の頃から昨年あたりまで、自分がやってきたことの裏側には常に恐れがあって、恐れていることが起こらないようにするために動き続けてきたといっても過言ではありません。

いろんなことを学び続けてきたのも、すべて恐れていることを回避するためでした。

それほど、強烈に私は恐れに支配されてきました。
恐れに自分の人生をハイジャックされ、突き動かされてきました。

私は世界一の怖がりだと自負できるほどの怖がりです。

そして、50年、こういう生き方をしてきてわかったのは、「恐れていたことを私が回避しようとしても、人生でちょんとそれを経験できるようになっている」ということでした。
自分が恐れていることに、ちゃんと向き合えるように人生はできているということです。

こういうと一見、残酷なように聞こえるかもしれませんが、私の場合、自分の恐れていたことをことごとく経験できたことで、恐れていたものがそれほどのものではなく、恐れを感じる必要性がなくなってきた気がしています。

そして、今朝、私はそもそもいつからこんなに世の中のことを怖がるようになったのかについて、少し振り返ってみました。

記憶を辿ってみると、小学校に入学して間もない頃、学校のトーテンポールによじ登って、先生にこっぴどく怒られた時のことを思い出しました。

当時の私にはトーテンポールがなんなのかという概念がありませんでした。
遊具の一つだと思っていたのかもしれません。

ただ登ってみたかったので登ってみたわけですが、「これは登るものじゃないんだ」と先生に怒られてしまったわけです。

その時、私はうつむいてしまって、「自分はなんてとんでもないことをしてしまったんだ」と凄く自分を責めた覚えがあります。

この社会には自分の知らないルールや決まりごとがたくさんある。
それがわからないと、こんな風に嫌な思いや、怖い思いをすることになる。
だから、よく先生のいうことを聞いて、良い子になろうと思った瞬間だった気がします。
自分の心が望んでいることを押し殺して、周りの様子や反応を伺いながら生きるようになった始りの日だった気がします。

つまり、私は、生まれながらの怖がりではなかったわけです。

小学生になる前の私は、ぼーっとした子だったけれど、怖がってはいなかった。
ただ、ありのままの私でいた。
自分自身のことをどうのこうのと批判して生きてはいなかった。

私は今、その頃の自分に戻りつつある気がします。
トーテンポールに登りたいとはもう思いませんが、確実にその頃の私を思い出しつつあります。

こちらの私は世界一の怖がりですが、どうやらあちらの私は世界一怖いもの知らずの私のようで、私は今、その両方の私の素晴らしさに目覚めつつあります。

■来週末、久々に東京で講演会をやります。覚醒ブームに翻弄されない生き方について話します。
人間には、生まれながらに神秘の力が備わっている。
この世に存在している時点で、その神秘性は保証されている。

神秘の力が働いていなければ、そもそも、この世には出てこれなかったのだから。

ところが、多くの人が、その自分の神秘性に気づいていない。

そして、自分以外の何者かにならなければ、誰かを見習わなければ、この世では生きていけないと思いこみ、本当の自分から遠ざかっていく。
神秘からかけ離れていく。

他人とは違う、ありのままの自分でいるだけで、神秘の力とつながれるのに、どんどんそこからかけ離れていく。

あなたがあなたでいることが、ここに存在していることの唯一最大の意義であるのに、その役割を果たすことなく、自分以外の何者かになろうと、人は必死に自己改良を試みる。

あなたに与えられたミッションがあるとするなら、「あなたでいること」、それ以外にない。

「あなたでないように生きてくれ」と、神が願うだろうか?
我が子に向かって、あなたはそれを願うだろうか?

あなたでいてください。
他の誰とも違うあなたを大事にしてください。
ありのままのあなたをそのまま丸ごと愛しください。

人と違っていていいのです。
それがあなたにしか発せない輝きなのですから。
あなたの光を発してください。
あなたはそのためにここにきたのですから。

互いに違う光で照らし合うために、私たちはここにいるのですから。

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覚醒した生き方をはじめて一番変わったこと。
それは「世にも奇妙な物語」を観ても、ちっとも奇妙に思えなくなったこと。

自分の人生で起こる出来事ほど、奇妙なものはない。

覚醒するほど、人生の奇妙さに気づけるようになり、自分が夢の世界の中にいるのがわかるようになってくる。

覚醒とは、自分が夢を見ているのに気づき、目覚めていくこと。

その気づきこそ、人生という壮大かつ奇妙な夢物語を楽しめるかどうかの分かれ目となる。

■人生が変わる覚醒ワークショップ「奇跡学校」の早期割引は、今日までです。
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今日、新宿のホテルのラウンジで、アクティブブレイン講師のMさんを、私の著書の編集者のOさんにご紹介しました。

Oさんと会ったり、連絡をとったりする時に、確率的に数千万分の一レベルのシンクロが立て続けに起こるので、今日は不思議に思って、Oさんに「よくシンクロが起こるほうですか?」と聞いてみると、滅多に起こらないと言う答えが返ってきました。

そうか、シンクロはやはり私の周りで起こっていたのか。

そう思ってその後、三人で会話をしていると、Mさんが突然、「同文館出版」の話題を出しました。

同文館。
何か引っかかる名前だな思っていると、その三十分後に、Amazonから本の出荷依頼のメールがきました。

そして、家に帰って、発注の入った本を梱包しようと、棚から本を取り出すと、なんと、それは「同文館出版」の本でした。

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私たちが生きているこの世界は、現実ではない。

現実にしては出来すぎた、不可思議なシンクロが起きるたびに、やっぱりこの世界は現実ではなく、私は夢を観てるんだ、夢の世界で私は暮らしていたんだと、時々、気づける。

でも、それに気づけていないときは、完全に眠っている。

夢を現実だと勘違いしてしまっている。

ここは夢の世界。

そうだとわかっていれば、少々怖い出来事に直面しても、ホラー映画を観ているように楽しめるが、夢の世界という自覚がないと、この世界で暮らすのは恐ろしいものになる。

眠りから覚めると、「あれは夢だったのか、現実じゃなかったのか」とほっとできる。

しかし、この現実のように思える夢から目覚めても、夢は消えない。

夢だとわかりながら、まだ夢の中にいる。
夢の外の世界も、夢の中の世界も、どちらもリアル。
そして、それは相補関係にある。
だから、どちらも大事。

覚醒して、夢の外に出ようとしたら、それこそ、浮世離れになる。


覚醒しながら、この三次元の大地にしっかり足を踏みとどめて生きる。

苦も感じながら、愛も感じられる。

それが真の覚醒。

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