【全文】スターピープルvol.55|伊東充隆医師インタビュー | 広島 生きづらさからの自由 わたしからの自由 ゼロøセラピー&青空禅|伊東充隆医師講座広島主催

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●【全文】スターピープルvol.55|伊東充隆医師インタビュー

ブログにお越し下さり、ありがとうございます。坂本範子です。



昨年2015年5月、「スターピープルvol55|これからの潮流ノンデュアリティ」にて

伊東充隆医師の記事が掲載されました。

以前、当ブログで、3分割にして全文をご紹介させていただきましたが

より分かりやすく観て頂くために、全文を統合しました。



「私感覚」軸から、「気づき」軸への転換が非二元への扉■



多くの人は「私」を主軸にしたまま悟りや永遠性を求めるが、

それが迷いの始まりだとするのは、医師の伊東充隆さん。

非二元をどう認識すればいいのか、また、

非二元は引き寄せの法則にみられるような理論とは

何が違うのか等を伺った。


(3-1) 気づいているのは「私」ではない



記者: 覚醒や悟りをどうとらえていますか?


伊東: 覚醒とは、夢から覚めることだ といいますよね。

夜、夢を見ていると、夢の中にも登場人物の「私」がいて、

他者もいて、その場の環境があります。

夢の中ではそれをリアルだと思っている。

その夢が朝になって覚めるとき、どうやって覚めるかというと、

丸ごと覚めますよね。



記者: 夢の一部だけが覚めるわけではない。

伊東: そう。夢のなかで、自分だけが夢から覚めるとか、

誰かだけが突然、「お、悟ったぞ」と覚醒することはない。

夢の登場人物が悟ったとしたら、それはまだ夢の中です。

夢から覚めるときは、完全に丸ごと覚めるんですから、誰かが悟っていて、

ほかの誰かは迷っているというのはまだ夢の中だということです。

悟りもなければ迷いもないのが、非二元の本質だと思います。



記者: これが夢だと分かっている意識は何なのでしょうか。

伊東: この手の教えの中で、よく気づき(アウェアネス)の大切さを言いますよね。

多くの方々が錯覚しているなと感じるのは、

「私」が気づいていると思っている人が多いんです。

「私、すごいことに気づいちゃった!」というふうに。



意識は、「私がこのコーヒーカップに気づいている」

「私がこの思考に気づいている」というように

「私」を軸に働いていると錯覚しているのです。



だから、多くの人が無意識の内に主体の軸を「私」に置いたまま

真我を探したり、覚醒したいと思ってしまうので、

迷って葛藤し続ける運命になってしまうわけです。


記者: では、どうしたらいいのでしょうか。

伊東: 非二元とは、どこにも主体と客体はないということ。

それは普遍的なものであり、変化せず、

始まりもなく終わりもない、時空さえもないものです。



では、いまこの瞬間に普遍であるもの、

変わりのないものを見つけるとしたら、

何が本当に普遍なのでしょうか?

「私」と言いたいところですが、違います。



「私」は常に何かしらの対象と同時発生して変化し続けています。

普遍なのは、実は「気づき」そのものの方です。

そして、それがただ「在る」のです。



「私」という軸から、角度をぐるっと変えて、普遍である気づき軸に変わると

なんの対象の持っていない気づきの状態だけがあります。

その気づきが、非二元のレベルから二元の夢に落ちてきた時、

主体と客体に分かれて見えます。


その時、主体の側につけられた名前、および感覚が「私」です。

主体は「私」、客体があらゆるものですね。

主体と客体に分かれるとき、同時に分かれます。



つまり、プラスとマイナスといいう言葉を使うなら、

プラスが先に現れてマイナスがあとに続くとか、

マイナスが現れてプラスが続くというのではなく、

分かれた瞬間、それは同時存在だという明らかな事実が見えます。



主体と思い込んでいる「私」と、

客体と思い込んでいるあらゆる対象物は、同時に存在させられているんです。

毎瞬、生まれては消えているわけですよ。



そういう意味で、「私」とは主体と錯覚した側に与えられたネーミングであり、

ある種の「私感覚」ともいえるものです。



では、どうしたらいいかというと、

まずは「私」を基盤にして非二元を探求することをやめることです。

実は、これがとても「私」にとっては難しく、おおきなパラドックスなんですね。



「私」が私の本質に興味を持って探究が始まりますが、

それなりに思考との距離ができて気づきのスペースが広がって来れば、

もともとない「私」が存在すると錯覚して悟りを求めても、

「私が悟ることはできない!」ということが明白になって、

笑えてくるかもしれませんね。


(3-2) 一瞬に永遠をみる「無心のひと呼吸」


記者: 伊東さんはいつも、そういった気づきの立場にいるのでしょうか。

伊東: 軸を「私」に置くと、時間が発生し、分離が発生し、個人になります。

そうではなく、どんな時でも気づいているのは事実であり、

対象ではなく、その気づいていることに気づく。

対象はいつでも変わるけれど、

気づいていることは変わったことはないということを観て行きます。



気づき軸で日常を送っていると、静かなんですよ。

その中では、「私」という主体がありません。

私感覚は与えられますけど、

それは主体と客体との同時発生の中で実態がないので、

全てがただ起きているだけだと分かります。



最近、僕がみんなに伝えているのは「無心のひと呼吸」を練習しましょうということです。



何かをしているとき、はなしているときでも、つかの間、

ほんのひと呼吸でもいいから、なるべく無心の呼吸をするわけです。



はいている息とすっている息を意識して、

さらに呼吸の間に意識を合わせると、

思考がなくなり、無心になります。



人は無意識に思考をして、無意識に行為して、というリズムを繰り返しています。

非二元には時間はなく、一瞬が永遠だということがわかってくると、

ひと呼吸で事足りるようになります。



(3-3) 非二元によって願いが叶うわけではない



伊東: 僕が伝えたいことがもう一つあります。


非二元や真我探究が流行ってきているのですが、

悟りを目標達成の手段にしている人が多い気がして、危惧しているんです。



つまり、悟ることによって、より幸せになれるとか、健康になれるとか、

パーフェクトな豊かさや人間関係を引き寄せられると考えてしまう。

特に日本でその傾向が強いと思いますが、それは違います。



非二元に到達することを手段にして、二元の中での幸せ、豊かさ、健康を

得ようとするのは本末転倒だということです。



幸せを引き寄せたり、自己実現をしたい人がそれを求めても構いませんし、

そういった模索をする時期というのはあります。

そこから非二元に移行するとき、混乱が起きやすいんですね。



たとえば二元の中で、自分が青い光だとして、

青い光が不満足で、赤い光になりたいとしましょう。

青い光の上に色を塗り重ねても赤い光にはなれませんから、

一度、透明にならざるを得ない。

本当の意味でこの無色透明性(非二元性)に触れると、

赤になりたいという願望自体が消え去ります。

青にも赤にも、もうなりたいとは思わないでしょう。

これが非二元のパラドックスです。



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さて、2016年5月31日発売の「スターピープル59」でも

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テーマは「みんなに知ってほしいノンデュアリティからみた不生不死」。


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最後までお読みくださり、ありがとうございました。

坂本範子


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【メディア情報】
 【雑誌掲載】5月31日発売スターピープルvol.59
 伊東充隆医師×大和田菜穂さん
「みんなに知ってほしいノンデュアリティからみた不生不死」

◆ 【雑誌掲載】スターピープルVol.55
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