ハワイの隣はロンドン?!
いつの時代もそうなのか、自分達の世代の事が当り前になってしまうと、それを築き上げた先輩達の事など忘れがちの様に思う。
今では当り前の携帯電話がいい例だ。
以前は待ち合わせの時は結構大変だった。
彼女とのデートの時など、時間に現れないとフラれたのではないか?などといろいろ心配事も多かった。
最近ではちょっと遅れても平気だったり、場所の確認などは全く気にしないが、当時はそうはいかない。
場所を間違えたりしたらもう手に負えない。連絡方法が無いからだ。
一時話題にもなっていたが、それこそ駅の掲示板などはフル活用していた。
わたしも気付かぬ内にそうなっているように思う。
確かに便利になる事はいいのだが、どうもそれまでの経緯というか流れが伝承されていない。
したがって先輩を敬う気持ちなどが薄れているように思う。
わたしが幼い頃はとにかく老人達は口を揃えて戦争の話をしていた。
お祖父さんたちはみな戦争の惨禍の事を話し、お婆さんたちはその時の生活の苦しさ、食糧難の話をする。
今になってみれば貴重な体験談なのだが、幼いわたしはそれを聞かされるのが一番嫌だった。
だから、子供の頃は年寄りが大嫌いだった。
でも、それは大事な日本の経験であり、今の世代の人達に欠けている部分なのかもしれない。
わたしが生きていく上で職業にしているこの水商売にしても同じことがいえる。
さすがに戦後の頃にどうだったかまでは聞いていないが、高度成長期以降の60年代ぐらいからの話は先輩から聞かされた事がある。
色々な話を聞かされた事があるが、それはまた次の機会にでもするとして、その中でも面白かった話を少し・・・。
(ちなみに戦後の横浜の情勢を知りたいのならば、地元では知らない人もいないであろう?※1“メリーさん”で検索すれば当時の事がわかると思う。
地元話で申し訳ないが、メリーさんの事をネットで見たときは横浜に生きる者として、結構感慨深いものがあった・・・。)
わたしが水商売をする上でそのバックボーンにあるのは横浜西口を拠点にしているある会社である。
その会社の前身が年配の方はみな知っているであろう、きっとお世話になったであろう、あの※2ハワイ観光グループである。
当時のわたしはまだ子供なので実際の事は知らないが、よく聞かされたものである。
今では想像も出来ないかもしれないが、残ったビールの瓶をかき集めて、裏で※3バクダンを作ってもう一度栓をして出したとか、まだ当時では高級品だったトイレットペーパーは経費がかさむので近くの百貨店のトイレから持ってきたとか、スタッフが全員上半身裸になってハチマキをして街中を走り回ったとか・・・ちょっと危ない話まで出てきて、結構面白かったりする。
当時の先輩方はそれはそれで大変だったろうが、今では愉しい昔話として話してくれる。
わたしはそうやって話している時の先輩達の顔が大好きだ。
だから、わたしなりにその事を今の若い世代にも伝承するようにしている。
トイレ掃除を面倒臭がったり、掃除を適当にやっているスタッフを見るといつもその辺から話し始める。
その先代達のご苦労があって初めて我々はこの商売をやっていけるという事実は伝えなければいけないし、先代を敬わなければいけないと思う。
まあ、その先代達に認めてもらえなければ、同じ土俵には自力では上がれないというのも事実だが・・・。いずれにせよ、その時々で色々な苦労はある。
そんな話の中で、当時はほとんどといっていい街の駅周辺にはこのハワイがあったらしいのだが、その隣は必ずといっていいほど、今でも現役の※4ロンドンさんがあったらしい。
確かにわたしがいた西口の店の隣はロンドンさんだった。そう考えると今でもたまに見かけるロンドンさんがあると、きっとこの近くに以前はそのハワイがあったのかなあ、などと思ってしまう。
※1メリーさん…「港のメリー」として有名な女性です。彼女をモデルとして「ヨコハマメリー」という映画も作られました。ぜひ検索してみて下さい。
※2ハワイ観光グループ…水商売(女の子を使った商売)で唯一全国制覇を成し遂げた企業です。今の大衆商法を日本に広めた会社と言えるかもしれません。当時は朝日新聞の全面で(2面)で求人広告をし
ていたそうです.もちろん大卒限定・・・。
※3バクダン…業界では、残ったモノを寄せ集めて作った新品モドキ?を爆弾と言っています。極端な話、ウイスキー等の場合そのメーカー等をを問わずゴチャ混ぜの事が多いです。若い頃、いきなり先輩から「裏でバクダン作ってこい!」と言われた時はビックリしました。
※4ロンドンさん…こちらも風俗関係で全国的に有名でした。
「あの客は今…」の続き…
先日の話しの 続きなのだが・・・(詳細は以前のブログを見てもらいたい)、例の先輩をまた見てしまった。
それもテレビのブラウン管で!かなりビックリした。
休みを取って夕方のテレビニュースを見ているときだった。
話題になっているライブドアの堀江社長の話題を報道している際に、以前からよく堀江社長を知っており、数年前にイベントを企画した知人のインタビューといった内容だった。
なんとそのインタビューに出ているのが、先日の先輩だった。
思わずビックリしてうちの女房に
「オイ!凄いのが出てるぞ!早く来い!」と言ってしまったぐらいである。
先日はちょっと落ちぶれた感じがするような事を書いたのだが、ブラウン管の中の彼は違っていた。
イベントを手掛けるだけあって、企画屋さんといった感じだった。
どっちが本当なのだろう?いずれにせよ、そういった関連の方なのだろう。
ちなみに先ほどの私の呼びかけに対して、家事の神様が降臨している女房様は
「今料理していて、火を使ってるんだから!うるさいなあ!」みたいな返事でした。
巷の話題より、その日の料理の方が確かに大事かもしれない・・・そう思った。
怒りながら作ってくれた料理は“牡蠣のスープパスタ”かなり美味しかったです。
料理中に余計な事を言ってすみませんでした。
看板大破
最近やっと公休が取れるようになってきたのだが、何せその時々の都合があるので急に公休になる時がある。
先日もちょっと体調が悪かったので、急遽公休を取った。
とりあえず、睡眠不足が続いていたのですぐに仮眠を取った。
この段階で予想はしていたのだが、夜中になって必ず目が覚めてしまう。
中途半端な時間に寝るといつもそうである。
たいていの公休日も家から出ない時はそうである。
昼過ぎ位から飲み初めて、夕方にはお腹が空いて食事。ワインでも飲もうものなら8時にはいったん仮眠を取る。
というよりは酔いつぶれるようにして寝てしまう。
その日もいつもの様にやっぱり酔いつぶれてしまった。
しかし、いつもとは違って目が覚めることはなかった。
熟睡である。
明け方ごろに、私は素敵な夢を見るはずだった。
ところが、夜中の2時過ぎに、携帯が鳴った!
店の店長からだった。
寝ぼけながらも慌てて携帯に出た。
すると、「酔っ払った通行人が店の外にある行灯看板をブッ壊した」という内容だった。
通行人はかなり泥酔状態らしく、どう対応したらいいか?という事だった。
とりあえず直ぐに店に行く旨を告げ、家を出た。
寝ていたジャージの上にもう一枚ジャージを着て、寝癖の付いた髪を隠す為に帽子を被って急行した。
店に着くと店長が外に出て待っていた。
看板はかなり壊れていた。
一体どうやったらこうなるのだろう?
そう思って近づいていくと、そばに座り込んだが老人がいた。
かなり酔っ払っているらしく、ろれつも上手く廻っていない。
色々話をしてみたのだが、何かが引っかかる!
いったいなんだろう?
しばらくして、原因が分かった。
その老人はわたしの知り合いにそっくりなのだ。
違うところといえば、もう既に老人になってしまっていることぐらい。
とにかく似ていた。
ひょっとしたらその知人のお父さんかな?ぐらいの感じだった。
確認する為にも名前を聞いたが、全く違っていた。
ちょっと安心しながらも話を進めていくと、生まれた年がわたしの父と同じだった。
昭和6年生まれ。
いい年の老人がこんな夜中まで何してるんだろう?早く帰って寝ろ!ぐらい思ったのだが、
「お父さん!もう遅いから早く帰りな!」と声をかけた。
そう言うと
「ウン、もう帰るよ!」そう応えて、老人は夜の街に消えていった。
あんな老人がいったいどうやったらうちの看板をあんなに大破出来るのだろう?
店長に経緯を聞くと「看板と一緒に横に倒れて動かなかった」との事である。
怪我はしてないのだろうか?
ついつい自分の父と同じ年の生まれだったせいか、そんな事を気にしながら家に帰った。
家に帰ってから、ふと、看板はいつ直るのだろう?と気になったのだったが、なんと翌々日には直っていた。
業者さん有難う。
ペスカトーレ
いつもは1日にひとつずつしかアップしてないんだけど、明日は店のみんなとディズニーランドに行くので書いている暇が無さそうなので、明日の分まで書いちゃいました!
最近またパスタに凝り始めている。
凝っているといっても所詮は素人の領域を越えるものではないが、自分で作って自分の好みに味付けしているのだから美味いに決まっている。
そういったことを前提に書いているので、それはおかしいとか、邪道だとかいうことは一切無視して書かせてもらいます。
パスタの中でもこのペスカトーレはかなり好きな方なんだけど、実際には食材が高い事と揃えるのが面倒な事などがあり、今迄作った事が無かったのだが、今回はイカのワタ入りペスカトーレのリシピを見つけて、どうしても食べたくなったので買い物に行った。
その時の買い物の様子は以前に書いたブログにあるのでよかったら見てください。
さて、今回挑戦したペスカトーレなんですが、本来ならいろいろな魚介類を入れたいところなんだけど、
そんな面倒なことはイヤだったので
イカとそのワタ・アサリで作ってみた。
ホールトマトが普通らしいけど、さっぱりとした味がよかったのでこれもフレッシュトマトで代用。
作り方を書いてもしょうがないので、食べた感想をちょっと。
フライパンでパスタとソースをあわせた後、お皿に盛ってテーブルまで運ぶ。この時うちの女房様はワインやらサラダやらを用意。
そんでもってまずは猫舌の女房に変わってわたしが試食。
まずはひと口・・・・・
熱くてよく分からないので、もうひと口・・・・
もうひと口・・・・
黙ってそのままもうひと口・・・・
ついでにもうひと口・・・・
最後にもうひと口。
言葉が出ないので、もうひと口。・・・・・
美味~!
ようやく声に出して「美味い!」のひと言。
声に出したら、やっぱりもうひと口!
美味いのなんのってもう今迄で一番美味い。
イカのワタ好きな方、是非一度お試しください!
飛び上がるほど・・・。
声が出ないほど・・・。
フォークが止まりませんよ!
頑張れ!お豆腐屋さん
ネットでたまたま見つけたのだが、偶然にもお店のすぐ近くのカドにお豆腐屋さんがあった。
その店は表通りから一本裏に入った道のカドにある。
名前は“タムラヤ”さん。
わたしはあまり冷奴などは食べないのでそんなに興味はなかったのだが、季節柄か、鍋をするには必要なモノなので調べていた。どうせ食べるなら美味しいお豆腐の方がいいに決まっている。そこでモノは試しに買って食べてみたら、これが驚くほど美味しいではないか!
冷奴が好きでないわたしが思わず半丁ぐらいペロっと食べてしまった。
その後にも何度か買ってきては食べていたが、都合が合わなかったりすると他のお豆腐で我慢するしかないのだが、
やっぱり美味しくない。
タムラヤさんのお豆腐が美味しい。
人間というのは不思議なもので一度味わってしまった事はなかなか忘れられないものだ。ましてやその格を下げる事などなかなか出来ない。
世間にも同じようなことが多い。
一度金を持ってしまった人はなかなかもとの生活には戻れないものだ。
売れっ子になってしまったコンパニオンが店を辞めても、また戻ってくる心理も同じ様に思う。
生活水準や金銭感覚は我慢してでも自分に合ったものにするべきだろうが、これがこと食事の事となるとわたしは我慢できない。
それぐらいの贅沢はいいではないか!
庶民の生き甲斐だ!
そんな戯言はいいとして・・・
このお豆腐屋さん、非常に人当たりがいいというか、好感応対で腰も低い。とにかく感じのいいお店である。
先日も店まで女房様に送ってもらった時
(送ってくれる理由はきっとこのタムラヤさんのお豆腐が目当てなのかも・・・・
わたしと違って彼女は大の冷奴好きだから)
いつもならば、そのままお豆腐を買って帰ってしまう女房様が何故か店にやって来た。
その時はちょうど朝礼中だったので来ている事にも気付かずに喋っていた。
朝礼が終わってリストに入ってみると、レジに座っている。
どうしたのだろう?と思っていると
タムラヤさんでお豆腐を買ってきたら
「いつもありがとうございます。
今、ちょうど出来たての“ごま豆腐”がありますのでサービスで持っていって下さい」
といわれてそのごま豆腐を見せに来たということだった。
早速試食してみると、
(朝礼後に店の中で、しかもリスト内で食べてはいけないのだが・・・みんなには内緒にして・・・)
これがまた美味い!
お豆腐というよりはプリンに近い。
ごまプリンといったカンジ。
おそらくは黙ってプリンだよ!といわれたら、そのまま信じて食べてしまうと思う。
横浜駅近くにあって潰れずに裏通りで店を構えるお豆腐屋さん。
この時期は水も冷たいだろうし、ご苦労が耐えないとは思うがこの鶴屋町で頑張って欲しい限りである。
同じ鶴屋町では先輩にあたる方にこんなコメントはおかしいが、
同じ町内同士わたしも頑張っていこうと思う。
クルージング3
前回、前々回からの続きです。
今日はようやくクルージングの話に到達!
免許証さえあれば!!!
そんな思いで色々と思案していると、ふと思い出した。
鹿児島で車の免許証は無くしたが、その分(と言ってはおかしいが)船舶免許を取得していた。
一応免許証なのだからこれでも大丈夫かな?と思いながらもう一度ビデオ屋さんに行った。
今では小さくなった免許証も当時は船舶といえばかなりの大きさだった。
三つ折になっているものの広げればA4ぐらいの大きさである。
しかも信じられないかもしれないが、パウチ加工がしてあって、なんともウソ臭い代物だった。
堂々と提示してみたのだが、案の定、店員からは
「これはなんですか?」と言われてしまった。
船舶の免許である旨告げたが、店員さんは船舶免許など初めて見たらしかった。
結局は会員登録してくれたが、如何にもしぶしぶ…という感じであった。
それ以来、陸では全く意味の無い船舶免許を携帯する癖がついた。
鹿児島では車の運転免許は無くなったが、この船舶免許を取った事でそれなりにはイイ思いも出来た。
まだ夜が明ける前に港に行って船を出して鯛釣りも結構愉しんだ。
関東と違って鹿児島はまだまだ魚影が濃かったせいもあるが、地元では一本釣りが普通だった。
値段の張る活き海老を買って釣るのだが、これだけは鹿児島の親爺は幾ら値が張ってもいいと言ってくれていた。
船を出して釣り糸を垂れる事が粋だと常々言っていたからかもしれない。
そのお陰で、日が上ってからは雑魚を釣りながら、ビールを片手に日光浴も出来た。
夏の頃にもなると親爺の家族と一緒にクルージングを愉しんだりもした。
しかし、それはもう古い昔話となってしまった。
関東に帰ってからは一度も船を出した事は無い。
そもそも船が無い。それでも船舶免許の更新だけはちゃんと行っている。
いつの日か活用出来る日を待ちわびて・・・・。
クルージング2
前回からの続きである。
もう交通違反はやめようと心に誓った私。
違反をしなくなってあと少しで1年という頃に、鹿児島に引っ越した。
以前にも書いた丁稚奉公 の始まりである。
ところが奉公先の親爺ときたら、法定速度でなんか走るものなら「ウスノロ!」と怒ってしまうような方だった。
やむを得ず、親爺を乗せている時はそれなりにスピードを出す習慣がつき、自分自身もいつのまにかスピードに対する気持ちも薄れていった。
平気でかなりのスピードを出すバカに逆戻りしてしまった。
そんな時だった。
自分の車のタイヤを交換したばかりだったのもあるが、高速を走っている時に、ホイールバランスを直した事もあっていつも以上にスピードを出していた。
気持ちよく走っていたが、料金所近くになって減速し始めてみて気が付いた!!!
ネズミ捕りをしていたのだ!!!!
もうここではどうしようもないので潔く捕まった。
わたしを取り締まった警察官からは
「今日は君が新記録!トップだよ!」と、まるで愉しそうにそう言われてしまった事をよく憶えている。
もちろん免停ではなく、そのまま免取りとなった。
ちょうど25歳で免許を取り消しになってからは、30歳になるまでは免許は持っていなかった。
一番困ったのは横浜に帰ってきて直ぐの頃、ビデオレンタル屋さんに行った時だった。
身分証明書が無いのである。
いつもならば免許書で済ませていたのだが、一体どうすればいいのか?
普段から保険書などは持ち歩く習慣が無かったので、借りようとしたビデオが借りられずにすごすごと帰ってきた事がある。
ちょうど実家から出て、店の近くに一人で暮らし始めたばかりで、保険書は実家に置きっ放しだった。
免許書さえあれば!!!
さて、ここで私は思案したのです。
もったいぶるようですが、続きは次回…
クルージング1
まだ丁稚奉公に行く前の頃、つまりはまだ若かった頃は意外とスピード狂だったように思う。
免許を取ったばかりの頃はよく路駐で罰金を払っていた。
しかし、運転に慣れてくると次第にスピード違反で捕まる事が多くなった。
今になって思えば年間だいたい10万ぐらいは払っていたように思う。
当然その分免停にもなっているわけなのでほとんどの講習は出たことがある。
六角橋や二俣川など、簡易裁判もよく行った。
まあ、こんな事は全く自慢にも何にもならないが・・・。
その時一つだけ気が付いた事があった。
ちょうど何回目かの免停で、講習会に参加している時の事だった。
何度も行っていた六角橋だったので勝手も分かっていたが、その時は講習が3日間ぐらいだったと思う。
休憩時間になって、教室の外で煙草を吸っていると、なにやら他の連中の話し声が聞こえてきた。
その内容は次の様なものだった。
「イヤ~、参ったよ!夜走っていたら、ババアが出て来てしょうがないから轢いちまったよ!」
それに対しもう一人は
「俺なんか子供轢いちまって大変だったよ!」
さすがにこれには結構ビックリしたが、そんな連中とわたしは、同じ場所で講習を受けている面子の一人であった。
その時に、こうやって違反ばかりしている(免停になっている)連中はみな常習犯なのだなあ、と思い、ハッと気が付いた。
そう、わたしも常習犯だったのだ!
こう気が付いてからは、なるべくスピード違反などはしないように注意を心掛けた。
心掛けたものの、人生そう上手くはいかない。
この話の続きはまた明日である。
題名のクルージングと何の関係があるかって?
それは次回のお楽しみに…
本番って?
どの仕事にも業界用語みたいなものがあって、なかには結構ビックリするモノもある。
わたしもこの仕事を始めたばかりの頃は驚いた事が結構あった。
そんな中でも最初にビックリしたのは営業中に店のコンパニオンがリスト(※)に向かって言った次の言葉だった。
「○番シート本番完了です」
これを聞いた時は、エ?ヤッちゃたの?みたいな感じだった。
まだ店に入ったばかりでこの道の用語など知らないわたしには、どうすればいいのか?誰かに聞いてもいい事なのか?結構困惑した。
敢えて聞こえないフリをしたような気がする。
この業界では指名の無いお客様の事を本番という。
店頭で呼び込みをしているスタッフには店長などからは「本番入れろ!」といった檄が飛ぶ。
ベテランのコンパニオンだったりすると
「私にももっと本番廻してよ!」といったクレームすら出てくる。
場所と時間を間違えれば大変な話であるが、我々はそういった環境で仕事をしているのである。
※リストとは…
主に伝票を作ったり、会計をしたりします。
テーブルの時間管理などもしているセクションです。いわばお店の中の管制塔です。
あの客は今!?
時の流れというものは分からないものでいろいろなことが変ったり、無くなったり、現れたりする。
そんな中で先日ビックリした事があった。
たいていの人は一度は見た事ぐらいあると思うのだが、某テレビ局の「○○○○の泉」での出来事である。わたしは家の女房に頼んで毎週見ている。
まあ、意外と最近はつまらないネタが多いが・・・(でもOIL OIL OIL.のサザエさんには爆笑させられました)。
さて、何がビックリしたかというと、どんな内容かはちょっと憶えていないのだが、とにかくクイズ王なる人物が出ていろいろなことに答えている時である。
一番最初に答えている人物を見て・・・・
……あれ?この人の事知ってる!
テロップに出ている名前も聞き覚えがある!
何処で?????
暫くして思い出した。
もう随分前の常連客だ!
最初に担当したコンパニオンの一人を指名で来ていたお客様なのでよく憶えていた。
しかも、当時のお店の中にはなぜかテーブルに三択のクイズゲームらしきものがあって、10門全部正解だとコインが出てきて、それを集めると賞品と交換出来る?みたいなモノがあった。
そのコインをそのお客様はなんと5枚近く持っていた記憶がある。わたしも何度か挑戦したが、一枚も取れなかった。
そんな訳で直ぐに思い出したのだが、
その事を家で話していると、うちの女房に「今は結構有名な人だよ!」と言われてしまった。
それを聞いてまたビックリ。当時もコンパニオンからは、あの人はクイズ王なんだよ!と聞いていたが、正直言ってあまりクイズ王なるモノにピンと来ていなかった。
同じ頃また別の常連さんがいて、たまたま同じ日に店内にいた時、そのクイズ王の常連客さんの話をしていると、なんとそのもう一人の常連さんに「あいつ、俺の後輩だよ。」と言われて、へエー、そうなんだ!と思った記憶がある。
時の流れとともに皆色々と変わっていくものなんだなあ、と実感した。それにしてもそのクイズ王の人、あまり変っていませんでした。
そんな事があった数日後、時間があったので行きつけの店で一人外を眺めながらコーヒーを飲んでいた。
その時、なんとそのクイズ王の先輩の方の、元常連さんが歩いていたのである。
隣の牛丼屋さんから出てきたところらしいが、ちょっとすさんでいた。
というよりクタビレていた。
当時は肩で風切って歩いて、金も湯水のごとく使っていたのに・・・(実際のところはどうだったのかは知らないが…)。
もう随分と会っていない。
まあ、わたし自身を古くから知っている人も同じ様に思うかもしれないので、なんとも言えない話でした。