ランドセン断薬後6月経過して睡眠障害が改善するどころか悪化して耐えられず、12/9 デパス半錠寝る前・12/12 デパス1錠寝る前・12/20 デパス1錠寝前に服用してしまった。しかしあまり効果がなかった。

 更に年末に肩こり首コリが悪化して目のコリが発生?目の奥にゴミが詰まったような違和感と不快感。年明けに眼科に行ったところ眼精疲労とドライアイの診断。瞼がピクピクするとかとか眩しさの自覚症状はない。ただ今も不快感がある。



 ただこの年末の眼の検査の過程で緑内障の疑いが濃いと診断される。自覚症状がないのでストレスとは感じて無かったのだけど、年明けから不安障害が強く出るようになる。年明けに整形外科で頸椎の変性が少し進行していると言われたのも原因かもしれない。朝方に感じていた不安感焦燥感が昼間も続くようになった。
 結果、1/20にレキソタン20mg1錠を昼間に服用してしまった。2日間不安感は消え首コリ肩こりも軽減。しかし3日目にはリバウンド状態。ベンゾの再服薬はダメだと再認識。

結果、リリカの減薬は保留している。
 久し振りの投稿です。ランドセンについでラミクタールが断薬出来たので投稿します。12月23日現在の記事です。

1.断薬の現状
a)ランドセン 断薬185日目
2016年4月から0.5mg朝昼晩計3錠を頚椎ヘルニア術後も続く痛みの痛み止め適用外処方ではあるけれど服用開始。医師には処方の際、「とても安全な薬です」と言われた。4ケ月後の2016年8月頃から不眠と不安感を覚えるようになり「抑うつ神経症」と診断され、それ以来は抗不安薬として処方される。この病、ランドセン服用が原因ではと疑ってます。
それでリリカを盾に2017年6月20日から減薬開始、2020年6月22日断薬。
減薬期間:3年
服用期間:減薬期間を含め4年2月
b)ラミクタール 断薬15日目
2016 年11月にランドセンを処方した公立病院総合診療科から心療内科に転院。そこで不安感&抑うつ感治療の抗うつ薬のサインバルタ、レクサプロ、トレドミンが処方されるが私の身体が拒否反応をしたので心療内科医が抗うつ薬としてラミクタールを2017年4月から25mg×3錠で処方。この薬は拒否反応もなかったけれど何の効果もなかったが医師の勧めるままに服薬を続ける。その医師には、ランドセン等も含めて「ビタミン剤と思って飲んでも大丈夫」と言われた。本来は双極性障害の薬で私には適用外処方なのでランドセン減薬開始時に同時に減薬したかったが、ランドセン断薬後2020年7月22日に減薬開始。2020年12 月9日断薬。
服薬期間:3年9月
減薬期間:4月半
c)リリカ 現在も服用中
 2度目の頚椎ヘルニアの手術後収まらない痛み止めとして手術した医師に勧められた。2017年5月に心療内科で75mg朝夕処方され服用。痛み止めとしては全く薬効は無かったが、不安感が7〜8割減る。それ以来ランドセン減薬の盾として服用を続けてしまった。
 ベンゾと同じくGABA受容体に作用することが指摘されている。服用当初眠気を強く感じた。この眠気がラミクタールを飲むと収まったのでリリカを飲むためラミクタールの服用続けた苦い記憶がある。しかしラミクタールを断薬しても眠気は戻らない。リリカを減薬〜断薬すると不眠症が悪化するのではという危惧がある。
服薬期間:3年7月〜
2021年1月から減薬予定

2.心身の現状
二つの薬を断薬できたけれど断薬の喜びはない。というのも心身の状態が改善傾向にないからだと思う。
a)不安感等
不安感等の不調の度合月平均4.5/10
断薬以降不安度は変わらない。改善もしていないし悪化もしていない。早朝に希死念慮に囚われる事がままある。但し減薬前よりは改善しているように思える。
 この今も続く不安感等のメンタル症状が離脱症状なのか「原疾患」の抑うつ神経症のせいなのか分からないのも不安。
 因みに不安度の意味する所は以下の通り
3以下 穏やかに過ごせる
4 微妙な感じ
5以上 穏やかならず、希死念慮も(但し具体的な方法も調べる事はしていない。)
b)睡眠状態
断薬以降悪化しているように思う。この不眠症状も離脱症状なのか「原疾患」のせいなのか分からない。
ベルソムラを服用すると悪夢を見る。ロゼレムは効かないので抗ヒスタミン薬を服用したり抗うつ薬のデジレルを睡眠薬代わりに服用して誤魔化して睡眠時間は4時間か?
不眠だけど、午後11時に就寝して朝7時30分には起床するようにはしている。そして少なくとも週3回は山道を3kmを散歩している。
c)首コリ肩こり
 断薬後悪化している。原因は、睡眠状態が稀に良い時は首コリ肩こりも楽になる。するとメンタルも安定する。睡眠状態を良くする事が大事だと思う。
 そんな時ベンゾ系睡眠薬の誘惑に駆られる。一度肩こりにも効くと言われている手持ちのデパスに手を出した事があるが睡眠状態は改善しなかった。肝に銘ずべきなのだが睡眠状態の悪化が続くと誘惑に駆られる事が今もある。
 首コリも私の場合、ベンゾの離脱症状なのか、頚椎ヘルニア術後後遺症が原因なのかその原因が特定できない。減断薬後悪化しているので離脱症状とも思われるし、頚椎ヘルニア手術の後遺症が直近の検査では進行悪化しているので首コリ肩こりも悪化するのではと危惧している。

3.断薬への思い(迷い)
次回以降の記事では以下の項目について、正解はなく人それぞれだと思うのだけど自分の今の思いを綴りたい。
1)原疾患が寛解後減薬を開始すべき
2)医師の指導の下で減薬すべき
3)微量減薬すべき
4)多剤服用の場合、1剤ずつ減薬すべき
5)減薬中も仕事は続けるべきかどうか

山帰来(山歩きで私が採集)の実のクリスマス&お正月用リース(妻作成)
○今後の更新について
 私の拙い記事を閲覧し、いいねやコメントで応援して頂き本当に有難うございます。
 今までブログ更新については、最低月1回はしていたのですが、今後以下の理由により年数回(大きな変化があった時)にしたいと思ってます。
・ランドセンをなんとか断薬出来た事
・頚椎症手術に関しては自分なりに総括出来た事
・ブログ記事作成&閲覧が「スマホ中毒」の要因になっている(。•́︿•̀。)😥
・単純にブログ記事作成に疲れる(*﹏*;)
 ついてはコメント等頂いても返信が遅れる場合があります。ご理解下さい。申し訳ありません。

○アメンバー申請
 ご自身のコメント欄を閉じている&メッセージの受取拒否の設定にされてる方からの申請は、基本的に受け付け出来ません。この点もご理解下さい。
 「手術で治したいという意思」はしっかり多方面から情報を得てから固めてください。

3.手術へ前のめりにならないように
 私は最近「MacFとは?頚椎症性神経根症や外側型の頚椎椎間板ヘルニアに対して行う低侵襲手術」という記事に出会って違和感を覚えました。
 それは記事の最後のこの部分。「私は、手術を希望していない方に手術を勧めるつもりはありません。手術で治したいという意思を持つ方の助けになりたいと思っています。
 なんか違うなあと私は思いました。私の場合1回目の手術の結果が思わしくなかったのでメールで相談したところ、先生は1回目の手術の不備を指摘されたうえで、「前方から原因となったヘルニアを摘出して神経圧迫を取り、後方の肉芽は退縮を待つ、というのが私のオススメです。私に任せてください。」と返信がありました。私は今でも先生の方から手術を勧められたと思っています。
 しかしながら手術を受けるのは自分。これから手術を考えている貴方に私が言いたいのは、この先生が言われる通り「手術で治したいという意思」を自分でまずしっかり固めてから相談すべきです。その為には色々と情報を集めて検討してください。この私の記事も参考にしてください。私もそれなりに情報を集めたつもりですが私は前のめりになり過ぎていたと反省しています。

4.MacFは大きなリスクを伴う?
 私がMacFという手術をして約4 年を経過する今地元の病院で検査して知らされた手術の結果は次の通りです。
①ルシュカ関節を削った結果関節が不安定になりそのストレスを受け椎間板は変性し椎骨も陥没している。C6 C7の椎間板の役割は終えている。
②手術した箇所に瘢痕が出来てC7神経根を圧迫している。このせいで痛み痺れが出ている。
 手術して以降痛み痺れは緩和した事はなく、術前より強く酷くなっています。そして椎間板は破壊されました。

5.合併症の説明
 私に発生した合併症は術前に説明はなかったですが、ちゃんと冒頭の記事に記載されていました。

 関節の変形は「ときに」、眼瞼下垂は「まれに」、動脈出血は「きわめてまれに」あるとされています。という事は関節の変形の頻度は高いのだと推測されます。
 上記のような合併症の説明があれば手術を躊躇したかも分かりません。

 実は私は手術の前に2回目の手術でありルシュカ関節を削ることもあり、「前の手術で椎弓度を削っている状態で今回ルシュカ関節を削った場合頸椎全体の安定性が失われる事はないでしょうか?」とメール質問しました。すると「〜後方手術(1回目の手術)は不安定性に全く関与しません。私の前方手術のみでは、不安定性は生じませんので、ご安心下さい」との返信があったので安心して手術を受けました。
 それに不思議なのはこの手術をする病院の公式ホームページにはこの合併症は書かれていなくて手術のメリットだけが羅列されています。「手術を希望していない方に手術を勧めるつもりはありません」と患者の意思・選択を尊重するのであれば病院の公式ホームページにも合併症を明記すべきと私は思います。
 こんな実態もあるので手術前の情報収集は念には念を入れしっかりしましょう。

6.サイレントマジョリティー
 それと私のような体験は特別な例ではないという事も知って頂きたいと思います。「みんなヘルニア仲間」というMacFシンパの掲示板があります。私もこの掲示板の記事を読み手術に傾いたという経緯があります。この掲示板にMacFに批判的な投稿もあります。macfと題するけんさんの投稿


です。読んでみて下さい。けんさんの投稿内容も感情的になっているなという部分もありますが、タイガーマスクさんの投稿内容を読み悲しくなりました。特にこの部分。

 この発言って許されるのでしょうか?けんさんにメンタルの症状がある事を公にし、クレームを言うのはメンタルの問題かのようにも受け取れます。この前段でもけんさんの診療情報を詳しく記述していますが守秘義務違反には当たらないのでしょうか?
 私も痛み止めとしてランドセンというベンゾジアゼピン薬を服用していて離脱症状で苦しめられました。私もこんなふうに言われるのかと思うと悲しくなりました。
 MacFの「被害者」はけんさんや私だけではなく声をあげない多くの人がいるのではと私は思います。

7.その他のリスク
 それとこれは余談ですがMacFの手術をすると必ずデパスが処方されます。私の場合90日間処方されました。ランドセンを服用して私は60日で依存離脱症状を自覚したので同じベンゾジアゼピンのデパスを90日間連用すれば、ベンゾジアゼピン離脱症状群


になる方も多いのではと危惧します。



 
 県外の病院でMacFの手術(顕微鏡下頚椎前方椎間孔拡大術)をして間もなく4年が経過しようとしている。術後一度も症状は改善した事がないうえに、最近になって痛み痺れが更に強くなっているのと首コリが不穏なまでに酷い。

1.椎間板の変性
 そんな状態が続いているので頸椎のずれや変形そして椎間の狭小が進行しているのではないかとの不安が強まった。それで先日、CR、CT、MRI検査を地元の病院で受けた。その結果説明をその地元の病院のH医師(4年前手術を勧めなかった医師)から受けた。

まずCR画像。
左が術前2015年、右が術後2020年の画像

 かなり椎間の間隔が狭まっている。(というか術前の頚椎はとてもきれい!)それと上のスマホ画像では分かりづらいけれど術後のC7の右上の所がモヤモヤと写っているので「これは何ですか?」と聞くと、「CTとMRI画像を時間かけて見て分かったのだけど少し嫌な事言わないといけない」とH医師に言われて出されたのが下の画像。

上の2020年のCR画像の部分のCT画像。C7の右上部分に陥没が見られる。

これは別方向から撮影したもの。左がCT画像、右がMRI画像。

 この方向で撮影したCT画像でもC7の左上(写真では右上)部分に陥没が見られる。
 H医師の説明によると、ルシュカ関節を削り不安定になり支えがなくなった為に左側にストレスがかかり続けC7に陥没が出来たという事だった。
 そして、右側のMRIの画像で分かる事は、その陥没部分に椎間板の組織が入り込んでいる。(陥没の形状に合わせた白い部分)
 更に悪い事にC6C7の椎間板が白くなっているのは、椎間板の成分が変性してしまって椎間板としての機能(クッション)を全く果たせなくなっているという説明があった。

 この椎間板の変形は今後も進行して極端に言えばC6 とC7はくっついてしまうのかと聞くと、下の画像を示された。
今回撮影したCT画像

 H医師によるとc6c7間が不安定になっているのでc6を支える骨棘がc7に出来ているので、今後安定しこれ以上の陥没や椎間の狭小は進まなくなると思うとの説明があった。但し「破壊された」椎間板の機能は元に戻らないらしい。
 陥没部分の骨は再生しないのかと聞くと、ダンボールの様な状態になる(陥没部分の上に薄い膜が出来るが陥没の穴は埋まらない)だろうとの事だった。
2020年12月26日追記
 上記の椎骨の陥没と椎間板の変性がいつから発生していたのだろうかと思い、過去のCT画像を病院から提供されたデータを検索すると、2018年4月に品川のS病案での術後1年半検診のCT画像でもはっきり椎骨の陥没が写っていた。
 主治医からは、画像上は手術して良くなっている、傷み痺れは癒着が発生しているせいかもと言われた。椎骨の陥没の事は全く触れもしなかった。
 ということは、私の主治医執刀医は以下のいずれか。
①名医なのだから椎骨陥没の事は当然読影できていたはず。自分の手術の不都合さを認めたくない不誠実さが主治医にはあった。
②椎骨の陥没と椎間板の変性を見落とした無能な医師。
 何れにしても信頼できる医師ではなかったようだ。

2.瘢痕
 この椎間板の変形変性が今の痛み痺れの悪化の原因なのか?と聞くと、「将来変形変性のストレスが続きその生理反応で痛み物質が出る可能性はあるが」(この部分正確に理解出来なかったので言葉が不正確)今の痛み痺れには直接関係はないとの事だった。今の痛み痺れの原因は手術した箇所に出来た瘢痕が神経根を圧迫しているせいだろうとして下のMRI画像を示された。

右下の画像が瘢痕を示しているらしい。

 手術はしない方が良かったのか?という質問に、回答に変えてH医師は、「手術した場合瘢痕が出来る事は避けられない。私もかつて多くの手術をしたがやはりこの瘢痕のため術後も痛み痺れが続き或いは増している患者さんを多く経験した。その反省もあり神経根症の人への手術は止めた」といった。

3.真逆の現実に当惑
 頚椎の手術を決意したのは、痛みをなくしてQOLの高い余生を送りたいと思ったから。
 それが、手術により瘢痕が生じて手術前より痛み痺れが増している。それに加えて手術した事により椎間板の変性を来たし機能ななくなっている。その影響が将来出てくる恐れもある。
 そしてこの今の状態を良くする治療法これといってはないと言われた。
 
 手術前の期待の真逆の現実にこの4年間当惑し苦しみ後悔し続けてている。それをポロリ医師に漏らすと、手術してなかったらそれはそれで貴方の性格なら後悔すると思う。手術して結論が出たのだからそれはそれで受け止める事が必要。痛みで眠られない事はないのだから今の痛み痺れは好きな事をして紛らわしたらどうかとアドバイスを受けた。


〇率直な思い
 頸椎症性神経根症の手術を2016年4月(内視鏡下頚椎後方椎間孔拡大術)そして2016年10月(顕微鏡下頚椎前方椎間孔拡大術=MacF)に2回受けた。しかし術後、術前に増して痛み痺れが今もある。軽快した事はない。
 結果としての現実がそうなので、手術した事を後悔している。神経根症は原則保存療法でという原則を踏み外した自分の浅慮と痛みへの自分の弱さに後悔している。
 手術は激痛で眠れないような方がする最後の手段であり、私のような中程度の痛み痺れの場合はもっと保存療法を続けるべきであった。不可逆的な結果となる手術(特にMacF)はすべきではないと思う。手術後知人と話していると頸椎症性神経根症になった経験があり全員自然治癒していた事を知った。激痛の人もいた。

 この手術適応か否かの最終総合判断は自分の責任ではある。でも医学的な手術適応の判断は専門的な知識をもった医師にも責任があるのでは?少なくとも私の最終総合決断をするにあたってもっと情報提供(合併症等のIC)をして欲しかったと思う。

 2回目の手術をしてまもなく4年が経過する今、付き纏う後悔を「冷静に」吐き出し文章化することにより自分なりに気持ちを整理して、with painという新しい日常を前を向いて生きることとしたい。後悔とは本来「負」の感情なので逆に更なる後悔や憎しみに囚われる事にならないように言葉に注意して記事を書きたい。

 また頸椎症性神経根症の手術を検討されている方はこの記事を参考に慎重に判断をして欲しいと思います。専門的な医学知識は乏しく説得力はないかもしれませんが、手術の当事者として生の体験を語る意味はあると思っています。


1.術前の不安が的中

手術により頚椎が不安定になるのでは?(執刀医否定)という不安が的中。

1回目の手術(内視鏡下頚椎後方椎間孔拡大術)

画像は2回目の手術後6月検診の時に撮影したCTの3D画像

 

2回目の手術(顕微鏡下頚椎前方椎間孔拡大術=MacF)

画像は2回目の手術後6月検診の時のCT画像


2回目手術(MacF)前後のCTの3D画像比較。
 椎間孔は拡がっているけれどC6番を支えるC7番ルシュカ関節が削られ不安定になっていると素人には思われる。そしてc6とc7の間隔は明らかに狭くなっている。椎間板はかなりストレスを受けているのではと思われる。
 先日病状が悪化したので、地元の病院でCTとMRI検査を受けたところ、椎間高は明らかに低くなっていた。そして椎間板はストレスの結果変性が進みその機能を完全になくしている事を医師に指摘された。更にC7の椎体には大小複数の陥没が見られた。
「ルシュカ関節が削られ不安定になっている」と【素人】判断と書いたけれど、最近以下の論文も発見した。
臨床整形外科33巻4号「頚椎ForaminotomyとLuschka関節切除が椎間安定性に及ぼす生体力学的効果」


この論文は1998年に発表されている。
その論文の結論は、「脊椎腫瘍,外傷,脊椎手術等でLuschka関節が破壊された場合の椎間安定性は多方向性に損なわれ,特に伸展,側屈安定性への影響が大きいといえる

 以下私の思いを一機に詳しく書いてしまいたいのですが、腕が痺れてPCに長時間向かうことが出来ないので、記事は複数回に分けて書くことにしました。

 なお、記事を一度公開したのですが「後悔や憎しみに囚われる事にならないように言葉に注意して記事を書きたい。」との意図に反してるのかなと思われる微妙な表現になっている記事もあるので、以降の記事はアメンバー限定にしたいと思います。


 書かれている事が細部まで我が身をみるようです。
 ただ、

「鬱」だけど、明るくてもばっちし(私はそう思ってます)の部分は私にはかけているので見習わなければと思います。


それと、

変えられない事を受け入れる落ち着きを。

変えられる事は変えてゆく勇気を。

その二つを見分ける落ち着きを。

身に着けなければと思いました。

・ランドセン断薬51日目(0.5mg3錠服用期間4年、減薬期間3年)
・ラミクタール減薬21日目(25mg✕3錠服用開始2017年4月→2.5錠)
・リリカステイ中(75mg✕2カプセル服用開始2017年5月)

 ラミクタール減薬開始して3週間経過したが、ラミクタールも手強い。メンタルが下降している。朝覚醒した時の不安感の高まりが昼間も継続している。加えてラミクタール減薬を開始して以降痛み痺れが増しているような気がする。
 ラミクタールに離脱症状はないとされるが、私の場合ランドセンの減薬よりきついかもしれない。ただラミクタールは一気に16.7%の減薬してるし、8月8日に猛暑日に3時間山歩きをして熱中症寸前となり体調を崩しているという特殊要因もある。この先もう1週間ステイしてみよう。
 過去に2回ラミクタールの減薬を試行して失敗した事があるので不吉な予感がある。しかし今回失敗したらトラウマとなってこの先ずっと断薬が出来ない恐れがあるので時間がかかってもやり抜かねばと思う。
 ラミクタール減薬を経験された方の情報提供頂ければ有り難いです。


【備考】
 ラミクタールは心療内科に通院開始し様々な抗うつ剤が処方されことごとく副作用が酷くて服用中止となった。そして最後に抗うつ作用があるとして処方されたのがラミクタール。私の主訴であっあ不安感には全く効かなかったのだけど処方されるままに服用した経緯がある。
 ランドセンは本来てんかん薬、それを痛み止めとして適用外処方された。

猛暑日の山歩き、山中にある円墳。写真ではよく分からないけど少なくとも7段の墳丘が見える。
 6月22日にランドセンを断薬して8月5日で45日が経過する。
 また7月22日にラミクタールの減薬を開始して15日が経過する。
 現在の心身の状態は以下の通り。
○不安感
 相変わらず寝起きに不安感に襲われることが多い。軽い抑鬱感もやはりある。その要因を考えてみた。
1.ラミクタールの減薬
 ラミクタールに離脱症状はないと言われているが検索を深くしてみるとやはり出てくる。
 過去にラミクタールの断薬の試行に失敗しているので本当に断薬できるのだろうか不安がありそのせいで不安感が増しているのかもしれない。
 ラミクタールはSSRI等の抗うつ剤の副作用が酷くて服用出来ず抗うつ作用があるからとして処方された。後で双極性障害の薬だと気が付いた。なんで適用外の薬を!という強い嫌悪感があるのも不安感に繋がっているのかも。
 今の心療内科の医師はラミクタールの減薬スピードに慎重で、0.5錠単位の減薬を4週間ステイ期間を置いて実施することとしている。私が2週間のステイ期間では?と提案するとラミクタールは半減期が長いので用心して減薬しましょうという事になった。
2.痛み痺れコリが強くなっている
 腕と肘の痛みと手の痺れが以前は出たり出なかったりだったのが今は常にある。
 この原因が頚椎症の再発悪化手術の後遺症によるものなのかベンゾジアゼピンの離脱症状なのか分からないのも不安の原因になっている。
3.過去への囚われ
 不安感の高まりの一番大きな要因はこれだと思う。今だに現状を受け入れる事が出来ないで後悔ばかりしている。必要でない手術をした事、効果のない薬を安易に処方されるままに服用を続けた事等々。
 明け方ふとこの後悔に囚われる。追い払おうとするがこれ以外の後悔にも次々追っかけられて捕まってしまう。今日は6時前だけど意を決して起き上がり2時間ほど散歩をした。追い払う事が出来た。

 不安感の度合いは下の通りである。4を超えているので希死念慮を覚える時が結構ある。
08月 4.5
07月    4.5
06月 4.3
05月 4.1
04月 4.2
不安度の意味する所は以下の通り
3以下 穏やかに過ごせる
4 微妙な感じ
5以上 穏やかならず、希死念慮も(但し具体的な方法も調べる事はしていない。)

○睡眠状態
 中途覚醒、早朝覚醒は当然のようにある。最近入眠が出来ない日もあり睡眠状態は悪化しているように思える。もう4年以上まともに眠れていない。
 ベルソムラとデジレルそして抗ヒスタミン剤を交代で服用している。いずれかを服用しない日がないので依存しているなと思っている。しかしベンゾは服用したいとは思わない。

○痛み、痺れ、こりの状況
 首周りと肩の張りとコリそして重だるさは不穏なまでに酷い。上腕、肘の痛み痺れ、手の痺れも継続している。
 
○処方薬
・ランドセン0.5mg3錠4年前に痛み止めとして処方される。半年後不安感を覚える。これが精神科通院の始まり。2017年6月減薬開始。3年かけて2020年6月22日断薬
・リリカ 75mg×2
・ラミクタール 朝25mg 夕25mg+12.5mg
・デジレル25mg 頓服
・ベルソムラ20mg 頓服
・整腸剤 ミヤリサン 毎食後

緑、赤、黄色、小さい秋?
断薬ファイターようちゃん ご紹介有難うございます。早速購入しました。



レビューの一つを引用させてもらいます。
そして、そのような精神科医が特別な資格である精神保健指定医や専門医を取得していることに驚愕し、数多くの被害者を生み出し2名を自殺に追い込んでいるにもかかわらず、そのデタラメ行為や職権濫用を取り締まることができない現状に戦慄を覚えました。

著者が強調していたのは、このような精神科医が決して「突然変異ではない」ということであり、その事件の背景にある制度上の問題や精神医療分野の問題こそ解決すべきという趣旨だと理解しました。