≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

「大名行列図」の賛には、「かねての課題であった達磨の真面目を

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その13

今回紹介している絵は、「大名行列図」57.0×132.7cmです。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

描くことができたので、依頼主の自性寺の和尚にお届けする」と書かれている。

十二月の端午の節句に描いたこの絵がわからねば、羊の鞭打って木の人形の問え」という意味だ。

意味がいまひとつ不分明なのは、禅問答めいているせいだ。

雄大な富士をバックに大名行列が通り過ぎるところを描いている。

描かれた人物はあわせて164人に上がる。なぜこんなにも多くの人物を、丁寧に描いたのか。

この中で、二人を除いて全員が前方を見ており、富士山(不二)には意識が向いていないです。

不二は原初の世界、大名行列は現世の世界、この二つの世界が腑に落ちているか、感得しているかを問われているようです。

「自己と自我は活き活き揺らいでいる」と 自然運動

白隠禅師が「健康」という概念を初めて使ったかたです。

大自然と小自然の「風の道」の形状とはたらきが健康に関係しているようです。

それは、東洋医学、仏教でも同じだと捉えて良いようです。

二つの道の調整には、無数のアプローチが存在しているようです。

姿勢、手の形、口のはたらき(呼吸、言葉、その他)、瞑想などです。

姿、手の形に変化(ゆらぎ)を与えると、風の道の調整が始まる。

日々、大自然と小自然の風の道の調整を意識や無意識でおこなう必要がありますが、人間の「火宅の煩悩・我」が問題を起こします。

それでも、日々活き活きした努力を続けたいものです。

自然運動は、「大いなる無心のあそび」です。

自然運動は、「大いなる無意識の奥底から発信する」

自然運動は、「はるかな昔の赤ちゃんの記憶に沈んだ記憶」

             凡夫なコペル

 

1月30日の寒い朝、大宮夏樹さんの教えてくれた

葉山mikan屋のモーニング朝7時からやっていると聞いて行ってみました。

デニーズが閉店、なぎさ橋珈琲の改装で、

さ迷っていたらこの「mikan屋」に出会いました。

今朝は、-1℃心も体も凍え冷え冷え

朝からおにぎりとお味噌汁にホット珈琲、

暖かい涙がこぼれるぐらい嬉しかった。

外の小屋はワンちゃんと朝食を食べてた。

ここにきーーめた!葉山の僕の別荘だ!!!コペル

「mikan屋」

https://mikanya.jimdofree.com/

 

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

宇宙樹の全体図とはたらきを表しています。その2

風の道を調整するには、皮膚感覚が必要です。

皮膚感覚は、2種類あるようです。

大宇宙と小宇宙の感覚です。

この感覚を「身心魂」で調整するのです。

原初(無、空、無始、一)を体感すると、

現実世界の本質がよく見えるようです。

そうすれば、自我の煩悩を隠す必要がなくなり、

今ここを活き活き「いきる」ことができるようです。 コペル

 

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その12

今回紹介している絵は、「半身達磨図です。192×112cm

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

「半身達磨図」には、「直指人心見性成仏」と書かれている。

直指人心見性成仏(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)とは、

経説によらずに坐禅によって心の本性を見きわめ、人の心と仏性とが本来一つであると悟って仏道を完成させることのようです。

人間には、仏性が元々存在しているのです。

この存在を体感するには、自我のはたらきを無始に戻す必要がありそうです。

これは、至難の業です。自分が存在する限り・・・

「自己と自我は活き活き揺らいでいる」と 自然運動

白隠禅師が「健康」という概念を初めて使ったかたです。

そこには、現代医学の見落としを気づかせてくれるものが存在すると思われます。

病気の始まりは、原初の存在を忘れてしまったことから起きているのではないでしょうか。

これを意識しながら、日々の養生をつとめることが重要です。

そして病名が診断されても無心に養生をしながら、治療の受ける必要があります。それは、自分で行う未病の治療です。

白隠禅師は、坐禅と禅画などでこのことを我々にご教授されたの

ではないでしょうか・・・・・

我々はただ、自己と自我の風の道の「間合い」を意識しながら

生・老・病・死を楽しく活ること

・生を活きる

・老を活きる

・病を活きる

・死を活きる

人間は、この四つの苦を楽しく活き活き生ききるには、「無心の

不生」を身読することが求められているようです。

広大な宇宙と私たち自身の内部を探究する冒険の旅を、自分の身心を使って始めてみませんか。

青春の門から、寿秋(すしゅう)の門へ    コペル

 

1月4日は僕の誕生日

皆様、沢山のこころ暖まる、お誕生日のメッセージありがとうございます。感謝申し上げます。

元気に風の道を歩いてレポートを書きます。

どうぞよろしくお願い致します。

今日は、銀の鈴の洋子さんと宮島和尚と齋藤の4名で恒例の虎ノ門ヒルズ51階で誕生日会。

新年早々宮島和尚に、ありがたいお話しがたくさん聴くことができた。

今年の僕のテーマ「風の道を歩いて自分らしい宇宙樹(図)を皮膚感覚で描く」アイデアがドンドン湧き上がってきた。

お忙しい中お祝いをして下さりありがとうございました。合掌コペル

あけましておめでとうございます

今年こそ自分らしい宇宙樹(図)を

皮膚感覚で描きたいと思っています。

今年もよろしくお願いします  コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

今年最後の投稿です、じっくり読んでいいね!してください!

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その12

今回紹介している絵は、「傀儡子」(くぐつし)です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

「傀儡子図」は、人間は大自然の原初とつながっており、この宇宙の中心から常に見守られていると表現しているようです。

このつながりは時空を超えて、全生物にも影響を与えておりこの関係性は「空」の思想(無心)にもなるようです。

人間は、自分の意志で考え行動していると思っているようです。

しかし、実際は大自然の意志(仏性)が中心にあるようです。

これを白隠禅師は「傀儡子図」で表現しているのかな?。

どれが本来の自分なのか、よく静かに自分自身を観る必要がありそうです。

古代人は、大自然と交信していたのではないでしょうか?

それは、土器や埴輪に市松模様を描いていたことから想像できます。

現代人が宇宙と交信するには

ただ、静かに座って無心で自分を観るしかないようです・・・

「自己と自我は活き活き揺らいでいる」と 自然運動

白隠禅師が「健康」という概念を初めて使ったかたです。

そこには、現代医学の見落としを気づかせてくれるものと思われます。

病気の始まりは、原初の存在を忘れてしまったことから起きているのではないでしょうか。

これを意識しながら、日々の養生をつとめることが重要です。

そして病名が診断されても無心に養生をしながら、治療の受ける必要があります。それは、自分で行う未病の治療です。

白隠禅師は、坐禅と禅画などでこのことを我々にご教授されたのではないでしょうか・・・・・

我々はただ、自己と自我の風の道の「間合い」を意識しながら

生・老・病・死を活ること

・生を活きる

・老を活きる

・病を活きる

・死を活きる

人間は、この四つの苦を楽しく活き活き生ききるには、

「無心の不生」を身読することが求められているようです。

我々は、広大な宇宙と私たち自身の内部を探究する冒険の旅を、

自分の身心を使って始めてみませんか。 コペル

★一年間、一緒にお付き合いくださりありがとうございました。

皆様の健康と平安を願い一年を過ごせました。

一年間本当に、ありがとうございました。

からだの声を聴いて、養生を日々心掛けて

よい年をお迎えください。コペル

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その11

今回紹介している絵は、「芦葉達磨図」(あしのはだるま)です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

「芦葉達磨図」は、平面的でなくピカソの絵のように空間を立体に捉えています。これは、人間存在を時間と空間を超越した存在として捉え表現しているように観えます。 

大自然は、わずかに声は聞こえるが、その全体像・真面目の姿は見えないがそれは自分自身の中にあるようです。

芦の葉に乗る横向きの坐禅像の人物の顔は、あの“どう見ても”の横顔にかなり近い。

達磨大師は、梁武帝との問答の後、そこを離れて揚子江を渡って北魏へ向かい、のちに少林寺に入りました。この時、一枚の芦の葉に乗って揚子江を渡ったという説話があります。

嵐がくればオークは倒れるが、芦は立っているということわざもあり、アシは弱さと同時に強さも存在しているとされます。これは、「白隠の環」の意味合いと同じのようです。

アシは、自然浄化作用を保つ。

根茎を乾燥したものは生薬になり、盧根(ろこん)と称して、漢方では利尿、消炎、止渇、鎮吐作用がある。

“人間は考える芦である” 〜パスカル

芦は、無心の自然運動である 〜コペル

「間合いの稽古」と「色合い=間(あわい)」と 自然運動

心には、色合い(間)があります。

人間には心柱が存在しており、体の中心線を構成しており、光(大自然)と物質(小自然)=絵の具からなっています。

光の場合は、赤・緑・青という3つの色を混ぜ合わせるとだんだん白っぽく、明るくなっていきます。しかし、絵の具はいろいろ混ぜると真っ黒になって暗くなります。

ヒトとヒトの身心の間合いには、これらの要素が絡み合い、心のあわい(間)に入り込んできます。それは身心に動揺を与えます。

この時、自分の色合いを相手に合わせて変えると自分の本質を見失い、不安定に揺り動かされて、自分を見失ってしまいます。

これを防ぐには、光の力を借りる必要があります。光の明るさを取り込むことで、相手の絵の具の暗さの影響を軽減させるのです。

それには、自然に触れることです、実際に自然豊かな場所に行き新鮮な空気を腹一杯吸い込むのです。

自然の風に吹かれ、自然の星の下で大地に寝ることです。

そこには、自然の鼓動、ゆらぎ、かおりが満ち溢れています。

日々、自分と自然との「間合い」の稽古が自己本来の姿に触れることが可能です。無心な自分と自我の自分との間合いが問題のようです。   コペル

医師解説【HIIT】リウマチの方でもできる!みらクリ流チェアHIIT【高強度インターバルトレーニング】 - YouTube

 

 

 

32Kikuko Otsuka、Yoshiko Yamagami、他30人

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≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その10

今回紹介している絵は、「布袋吹於福図」です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

「布袋吹於福」は、身の丈ほどもある絹本に描かれた双幅です。

右幅では、煙管を手にした布袋が煙を噴き出し、左幅ではその煙の中からお福が現れています。

お福は、美醜の判断を超越し、人々に福をもたらす象徴です。

白隠布袋が人々の「福寿」を願って、精一杯吹き出しているところです。

信頼と慈悲は、最高の知己なのです・・・・・・・

「いなばのしろうさぎ」の物語の、うさぎとワニと大黒様の関係で出てくる「ガマの穂」が参考になります。

自我のガをとると「ま=間」が残ります、これを禅感覚で読み解き、間合いの稽古が「無心」の足がかりになるようです。

唱歌「大黒様」 作詞:石原和三郎

1.大きな袋を肩にかけ、大黒様が気かかると

 ここに因幡の白兎、皮をむかれて赤はだか

2.大黒様はあわれがり、きれいな水に身を洗い

 蒲の穂綿にくるまれと、よくよく教えてやり

 ました

3.大黒様の言うとおり、きれいな水に身を洗い

 蒲の穂綿にくるまれば、兎は元の白兎

4.大黒様はだれだろう、大国主のみこととて

 国をひらきて世の人を、たすけなされた神様よ

禅感覚(感性) と 「間」と「間合い」と 自然運動

禅感覚(無心)は、天地同根・万物一体感覚です。

この問題をほどくには、「間」、「間合い」、「自我」の色の

あわいとの関係性をよく理解する必要があります。

沈黙とは、「間」のことを指します。古くから日本では沈黙や静

寂と言った時間や空間の「間」を大切にしてきました。

武道で「間合い」が重要視されるのも一つです。「間合い」とは

相手との時間、空間、心理的距離のことを言います。

「間合い」が合わなければ、どれだけ強い人でも怪我をしたり威力

が半減したりします。

コミュニケーションでも同じことが言えます。私たちはどこまで相手に踏み込めるかを無意識に計っているのです。沈黙とは相手の存在を感じ、同じ時間を共有する中で、お互いが適切な距離を探していることかもしれません。〜人間関係・武術・自然〜

緊張状態が強い人は、人や仕事との「間合い」がうまく取れず自分の中心点と中心軸を、揺らされ不安定になります。

これを解決する方法としては、各自が持つ高次制御システムを活用することが必要です。

それは、調身・調息・調心の中心点(重心)と中心軸(重心軸)を基盤とした「間合い」です。調身は空間、調息は時間、調心は人間の間(あわい)を整えることです。それは、お薬の調剤と同じです。コペル