≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その20

 

「からだ日記」を20年ぶりに読み返してみました。

以前は、現代医学の目線のみで読み解いていたことが明らかになりました。

今回は、「東洋医学」と「禅」と「現代医学」の3つの目線で読み解き、新たな発見があり勉強不足を反省しております。

新約聖書 福音書 マルコ5章

病の婦人がイエスの衣に触れて治癒したお話は、神の子であるイエスの言葉や祈りに触れるということ。真のイノリは・・・

これは、ヒトが体内に持つ「自然治癒力」の重要性を表しています。

臨床的には、自己が如何にして「自然治癒力=未知の制御システム」を発動させ、病を治癒に導く事の重要性を表しているようです。

東洋医学〜放心望乾坤:未病

仏教医学〜無病、退歩、「不依倚一物」:ふえいいちもつ

現代医学〜重力ゲートウエイ反射、慢性炎症、自律神経

昭和大学歯科病院の口腔外科で「いわゆる顎関節症」の患者さんに日々悪戦苦闘していた時に、遭遇した自然運動という人間が持つ「未知のシステム」を経験し、患者さんからお教えをいただ

き感謝の気持ちでいっぱいです。これからも、日々精進してまいります。

からだ日記の追伸。

身体や「イノチ」と向き合う。

自然と「ヒト」の関わりから、臨床の検査・治療・養生法をこれからも追求してまいります。

新カラダ日記は、健康に生きることの意味を考えながら「カラダ」と「ココロ」と「イノチの流れ」から構成される予感がします。

みなさまに、幸せな風が吹きますように・・・・・・・

           凡夫なコペル(風轉風楽)

              2023-4-20

 

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その19

今回紹介している絵は、「座頭、丸木橋を渡る」と「隻手布袋図」、「燭台」、「起き上がり小法師」です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

善導(中国唐代の僧)「二河白道」(にがびゃくどう)の、たとえ話

「ある人が西へ向かおうと決心したときに自分の周囲が見えてきました。

南には業火の河、北には津波のような波が押し寄せる水の河があり、後ろからは獣や盗賊が襲ってきて、進むことも退くこともできません。

じっとしていたら死ぬしかない状況のなか、二つの河のあいだに細く白い道が見えました。

しかし、とても行けるような気がしないと怖じけていると、西の方角から「来い」という声聞こえ、東側のこちらからは「行け」という声が聞こえてきました。

西の声の主は阿弥陀様、東の声の主はお釈迦様、つまりさまざまな煩悩に襲われる道を、阿弥陀様とお釈迦様の激励によって歩むことができた」

臨床的には、自分のなかにある未知(道)のシステムを動かすことで健康になると決心することのように思えます。

この未知のシテムのスイッチを入れるには、意識だけでなく、無意識でいれる方法があるようです。

この無意識の力を如何に動かすか?

それは、日々無心に養生法を実践していくしかないようです。

ヒトには、未知の検査法と治療法と養生法が内在しているようです。

「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要。それには

▪︎全ての出来事の「トキ」がある

▪︎坐禅〜悟りと眠気

▪︎健康〜元気と病気

▪︎涅槃〜仏心と凡夫

▪︎重力〜天から地へ、地から天へ

▪︎病 〜炎症と慢性炎症

▪︎陰陽〜構造と動き(流れ)

▪︎運動〜無意識と意識

▪︎瞑想〜深いと浅い

▪︎臨床検査

現代医学・東洋医学・無病医学(ゆらぎ検査)

       凡夫なコペル

 

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その18

今回紹介している絵は、「苦中の楽、楽中の苦」と「巌頭和尚」です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

楽は苦の種、苦は楽の種悪人程うるさき者はあらねども、

善人を見いだすの種ならば厳頭和尚(がんとう)は、中国の唐代の禅僧。素晴らしい禅僧でしたが、賊に襲われ首を切られて死んでいます。

白隠禅師は、厳頭和尚の禅画で何を伝えたかったのでしょうか?

お大きな川の流れに自分の二本足のみで立ち、自分の耳目で感じ、

できあいの学問・思想・権威・地位などに倚かからず、自分の中にある真の自己(仏心、仏性、清浄心など)を自覚し、それを自在にはたらかせていくことが大事と表現しているのでしょうか?

医療の現場(心的外傷、道徳的負傷)では、命の流れを意識させる方法で、身心にある無数の無意識のはたらきを誘導させる必要があります、しかし非常な困難をともないます。

それでも、無心で日々患者さんに向き合い続ける必要があります。

そこで、医療従事者自身は「真の自己」の体感を身につける必要がありそうです。

東洋医学では、無病養生法の実践になります。

無(空)病こそ、「不依倚一物」:「ふえいいちもつ」の原点になります。

「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要。

それには

▪︎全ての出来事に「トキ」がある

▪︎『トキ」は常に揺らいでいる

▪︎揺らぎは、意識と無意識の「間」を揺らぐ

▪︎病気、未病、無病の養生法

▪︎船は、真の自己(仏性)?

▪︎自力(傘)と他力(命の流れ)

▪︎病の根源である「重力」(二つの力、二つの方向性)を如何に体感しそれを臨床に結びつけるか?

▪︎重力の秘密は、独楽の構造と機能を読み解くことが良い。

それは、東洋医学、坐禅の理解につながる。

▪︎いのちの流れは、合掌の秘密を読み解くことが良い

 そして、手合掌する前の、足合掌準備体操がヒントに。

▪︎坐禅時に、「坐板」を頭の上にのせるのも良いかも。

            凡夫なコペル

 

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その17

今回紹介している絵は、「蟻磨」(ぎま)です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

「磨(ま)をめぐり 蟻(ぎ)や世上の耳こすり」

耳こすりとは、耳もとでささやくこと、あるいは「あてこすり」です。

廻る石臼の上をひたすら歩いて、そこから出られない蟻を愚かだと思うかもしれないが、私たち人間だって俗世間であくせくと生きているだけで所詮は「磨をめぐる蟻」みたいなものだと、白隠禅師は我々の耳もとでささやいているのでしょうか。

あくせくと石臼をめぐり歩く蟻を人間にたとえているようです。

凡夫から脱却できない苦しみから、いかにして逃れるか?

石臼は2つの丸い石から構成されていますが、これを「メビウスの輪」と見れば何か解決するヒントがありそうです。

「白隠の環」がその手がかりになりそうです・・・・・・

そうすれば必然的に「隻手の声」が聞こえてくるかも?・・・・

それは・・・・・・「トキ」の声かも?・・・

真の自己の声?

隻手の声とは?

白隠自身が作った公案です。両手を打てば音がするが、では片手ではどんな音がするか、片手の音とはどんなものでしょうか?

それは・・・・・・・・

「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要。

▪︎大死一番 絶後再蘇

あらゆる執着を捨て切ってこそ、生き返ったかのように自由自在な境地になれる。

大死底の境地とは、死なずとも逆に生ききることです。

死を経験し認識することはできませんので、逆に生ききることに徹底する必要があります。

それには、いのちの流れを確実に身心で体感すれば良いのでは。

そこに、医学、武道、お茶、登山、音楽、芸術・・があるようです。

全ての出来事に「トキ」がある。

身心脱落

堕落論(坂口安吾)

落ちきってこそ、浮かぶせもあれ・・・・・・・

そこには、発想の転換が・・・・・・・・・・・

▪︎無意識と意識

無意識をいかにして、意識で感じることができるか?

それには、あるテスト法が強烈なヒントになる!・・・・

無意識の存在が腑に落ちる。

そうすれば、無病=空病の本質がみえてくる・・・・・

         凡夫なコペル

 

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その16

今回紹介している絵は、「蓮池観音図」です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

白隠は多くの観音像を描いています。頭上に高い宝冠、天衣をまとう。

それは、沼地から清浄な花を咲かせる蓮にたとえています。

観音が混沌とした現世に苦悩する人々を救ってくれることを表しています。

「白隠禅師坐禅和讃」

衆生本来仏なり

水と氷の如くにて

水を離れて氷なく

衆生の外に仏なし

衆生近きを知らずして

遠く求るはかなさよ

たとえば水の中に居て

喝を叫ぶが如くなり

・・・・・・・・

ヒトの中に「宝珠」あり、それは「仏性=トキ」です。

「宝珠」とは、なんだろう???・・・・

「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要、それにはこのシステムが・・・・・。

▪︎視床下部が制御する10系統の恒常性調節システム

① 概日リズム(体内時計)

② 自律神経機能

③ 免疫反応

④ 内分泌機能

⑤ 本能行動(摂食行動、飲水行動、繁殖・養育行動)

⑥ 熱エネルギー代謝(深部体温、栄養代謝)

⑦ 情動・記憶

⑧ 疼痛・感覚閾値

⑨ 歩行・運動

⑩循環動態(循環血液量、脳脊髄液動態)

いのちの流れと養生には、氣血津液の滞りをとり、慢性炎症の消火と視床下部症候群(脳室周囲器官制御破綻症候群)の改善が必要です。(視床下部症候群=hypothalamic syndrome)

それが身心の健康と養生につながります。ただ、日々いのちの流れを無心に感じることがその第一歩です。

自力(養生)と他力(トキ)、意識と無意識、陰(もの)と陽(うごき)、二つの迷走神経のはたらき・・・・・ 

いわゆる顎関節症の研究、臨床にたずさわってどのように「トキ」を過ごしたのだろうか?、まだまだ追求は・・・・・・・・ 

          凡夫なコペル

 

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その15

今回紹介している絵は、「白隠の環」です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

清洲で一枚の襦袢(じゅばん)を作ったその重さは七斤(ななきん)であったとこの環の表裏に書かれています。

表には「在青洲作一領」、裏には「布杉重七斤」と書かれています。この環は「メビウスの輪」なのです。白隠禅師はドイツの数学者のメビウスが表裏の区別ができない曲面を発表する(1858年 多面体の体積の決定について)100年前に、「白隠の環」を書いています。

白隠禅師は、なにを伝えたかったのでしょうか・・・・・・。

私はメビウスの輪は「陰陽の本質」だと考えています。

陰陽は「可分不離」、「互根互用」、「対立制約」、「陰陽転化」、「陰陽消長(変化)」です。布袋は何をあらわしているのか?

可分不離とは、陰と陽は分つべくして、離すべからず。

陰と陽は一体であり、一体の中に陰と陽を見出すことができる。

東洋医学においては、陰陽論を診断の指標として使います。

▪︎ある現象や機能が発現するときに、必ず拮抗する2つの構成関係を分析する視点。

▪︎ひとつのように見えるものの中に、「2つの方向性」や「2つの力」の因果関係を見いだす視点。

▪︎陰陽の側面をもつ機能の役割分を診断する視点。

▪︎陰陽論を臨床に持ち込むには、抽象的な現象を正しく理解するために自分自身で確立した、「人体マンダラ図」を作り上げる必要があります。

「いのちの流れとメビウスの輪」と 東洋医学

▪︎陽(熱)と陰(水)の2つの視点で有機的に体の状態を把握する。

▪︎体の現象を熱と水それぞれの不足や過剰の状態として、「寒・熱」、「燥・湿」の二つの軸で立体的に分析する。

▪︎体の寒熱、燥湿の状態は臨床症状・舌所見・皮膚所見・髪所見を診ることが有益です。

▪︎人体を層構造で診ると、中心から陰(腎・脾) 陽(肝・心・肺)と広がる球体になります。

 この層構造の中心からの流れ・巡りが「いのちの流れ」になります。この流れは多次元的です。

▪︎夜間は陰を充実させ、日中は陽を充分に解放する事が陰陽共に育てる理想的な生活様式です。

いのちの流れは、陰陽の流れ巡りが基本になり、命の原初が「腎」となります。

この腎は心の影響を強く受ける存在です。

「病は氣から」と言われる理由がわかります。

 

2月26日は、ヒマラヤの風筒井重行先生の風楽養生法講座@銀の鈴 虎ノ門。つづき

今回のお部屋は同じ6階ですが、小さなお部屋と言われていましたが

とってもおしゃれな内装でビーズクッションが置かれていました。

このビーズクッションが優れモノで、いろいろな体位で自然運動がおこり楽しんでみました。

自然運動は究極的には、東洋医学も易も大きな命の流れに関係しているようだ!

歯科大学の診療台から始まった自然運動、今日のビーズクッションもまた違いました。

自然運動は、すべての力は天から地へ、そして地から天へと同時に二つの力が働いている感覚を目覚めさせ、未知のシステムにスイッチが入り自然運動が起こるのだろう。凡夫なコペルより

ビーズクッション大東寝具工業は1925年の創業

https://www.daitoushingu.net/

終了後は、もちろん新橋飲みで酒場フタフタ新橋店でした。

次回は4月9日(日)です。ご参加お待ちしています。

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

症例でわかる東洋医学 読体術 (健康双書) 単行本

2023/1/24 仙頭正四郎 (著)

長年仙頭正四郎先生の中医学を勉強してきて

この本を読んで改めて気が付いたことは、

体の中の自然の声も読み解くことが必要であることを感じました。コペル

https://www.amazon.co.jp/%E7.../dp/4540211323/ref=sr_1_1...

 

 

≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その14

今回紹介している絵は、「布袋寿袋」「布袋解開」です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

「布袋寿袋」には、袋を広げる布袋の顔と横向きに描かれた

「寿」の文字が強い印象を残す迫力の作品です。

布袋は、庶民に慈悲の愛を惜しげもなく配っているかたです。

この「寿」とはどのようなものでしょうか?

法句経204番には、以下の内容が書かれています。

  ・心の安らぎ(涅槃)こそは最上の幸せなり(安楽)

  ・健康は最上の利益(めぐみ)

  ・満足は最上の財産(宝)

  ・信頼は最上の知己(えにし)

これらを、他者に惜しげもなく与えることの必要性を描いているのでしょうか?

なぜ、「寿」が横向きに描かれているのでしょうか?

袋を口でくわえていますが、これは「幸福」は「口福」であり、

日々、安楽の言葉を唱えるとよいと言っているのでしょうか?

「いのちの流れ」と 自然運動

白隠禅師が「健康」という概念を初めて使ったかたです。

大自然と小自然の「風の道」の形状とはたらきが、健康に関係しているようです。

それは、東洋医学、仏教でも同じだと捉えて良いようです。

健康を自分のものにするには、自分自身の体と心の声を無心に聴く必要があります。

「健康」とは、「健」は(すこやか)と、「康」は(やすらか)から構成されています。

「病は氣から」と先人が表現しているように、

「今」というこの瞬間を豊かに楽しく紡ぐことが、病気にならず、

病気があっても元気に生きる、健康な生き方につながると感じています。

病気のみに気持ちを向けず、いのちの流れに意識を切り替えることで、

人生を活き活きと楽しく過ごすことができます。

長寿とは、先を心配するのでなく、

「今」、「今」、「今」・・・・・を体の声を聴きながら健康に過ごすことなのです。

健康を日々、無意識に活き活きとコントロールする高次制御システムを人間は生まれた時から自然に持っているのです。

このシステムを動かすスイッチが、「自然運動」なのです。

この行為は、医学・医術であって呪術ではありません。

未病の早期発見による養生、病気の早期発見による治療の二つを実践することが生活の中で必要です。           凡夫なコペル