≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫
筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」
からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その17
今回紹介している絵は、「蟻磨」(ぎま)です。
作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。
「磨(ま)をめぐり 蟻(ぎ)や世上の耳こすり」
耳こすりとは、耳もとでささやくこと、あるいは「あてこすり」です。
廻る石臼の上をひたすら歩いて、そこから出られない蟻を愚かだと思うかもしれないが、私たち人間だって俗世間であくせくと生きているだけで所詮は「磨をめぐる蟻」みたいなものだと、白隠禅師は我々の耳もとでささやいているのでしょうか。
あくせくと石臼をめぐり歩く蟻を人間にたとえているようです。
凡夫から脱却できない苦しみから、いかにして逃れるか?
石臼は2つの丸い石から構成されていますが、これを「メビウスの輪」と見れば何か解決するヒントがありそうです。
「白隠の環」がその手がかりになりそうです・・・・・・
そうすれば必然的に「隻手の声」が聞こえてくるかも?・・・・
それは・・・・・・「トキ」の声かも?・・・
真の自己の声?
隻手の声とは?
白隠自身が作った公案です。両手を打てば音がするが、では片手ではどんな音がするか、片手の音とはどんなものでしょうか?
それは・・・・・・・・
「いのちの流れとは・・・・トキである」これを体感することが健康には必要。
▪︎大死一番 絶後再蘇
あらゆる執着を捨て切ってこそ、生き返ったかのように自由自在な境地になれる。
大死底の境地とは、死なずとも逆に生ききることです。
死を経験し認識することはできませんので、逆に生ききることに徹底する必要があります。
それには、いのちの流れを確実に身心で体感すれば良いのでは。
そこに、医学、武道、お茶、登山、音楽、芸術・・があるようです。
全ての出来事に「トキ」がある。
身心脱落
堕落論(坂口安吾)
落ちきってこそ、浮かぶせもあれ・・・・・・・
そこには、発想の転換が・・・・・・・・・・・
▪︎無意識と意識
無意識をいかにして、意識で感じることができるか?
それには、あるテスト法が強烈なヒントになる!・・・・
無意識の存在が腑に落ちる。
そうすれば、無病=空病の本質がみえてくる・・・・・
凡夫なコペル