≪今日のコペル(臨床自然運動学)先生の独り言≫

筒井重行が提唱する「臨床自然運動学」

からだ日記と自然運動と白隠の環(メビウスの輪)その11

今回紹介している絵は、「芦葉達磨図」(あしのはだるま)です。

作者は、白隠慧鶴です(江戸時代中期の禅僧)。

「芦葉達磨図」は、平面的でなくピカソの絵のように空間を立体に捉えています。これは、人間存在を時間と空間を超越した存在として捉え表現しているように観えます。 

大自然は、わずかに声は聞こえるが、その全体像・真面目の姿は見えないがそれは自分自身の中にあるようです。

芦の葉に乗る横向きの坐禅像の人物の顔は、あの“どう見ても”の横顔にかなり近い。

達磨大師は、梁武帝との問答の後、そこを離れて揚子江を渡って北魏へ向かい、のちに少林寺に入りました。この時、一枚の芦の葉に乗って揚子江を渡ったという説話があります。

嵐がくればオークは倒れるが、芦は立っているということわざもあり、アシは弱さと同時に強さも存在しているとされます。これは、「白隠の環」の意味合いと同じのようです。

アシは、自然浄化作用を保つ。

根茎を乾燥したものは生薬になり、盧根(ろこん)と称して、漢方では利尿、消炎、止渇、鎮吐作用がある。

“人間は考える芦である” 〜パスカル

芦は、無心の自然運動である 〜コペル

「間合いの稽古」と「色合い=間(あわい)」と 自然運動

心には、色合い(間)があります。

人間には心柱が存在しており、体の中心線を構成しており、光(大自然)と物質(小自然)=絵の具からなっています。

光の場合は、赤・緑・青という3つの色を混ぜ合わせるとだんだん白っぽく、明るくなっていきます。しかし、絵の具はいろいろ混ぜると真っ黒になって暗くなります。

ヒトとヒトの身心の間合いには、これらの要素が絡み合い、心のあわい(間)に入り込んできます。それは身心に動揺を与えます。

この時、自分の色合いを相手に合わせて変えると自分の本質を見失い、不安定に揺り動かされて、自分を見失ってしまいます。

これを防ぐには、光の力を借りる必要があります。光の明るさを取り込むことで、相手の絵の具の暗さの影響を軽減させるのです。

それには、自然に触れることです、実際に自然豊かな場所に行き新鮮な空気を腹一杯吸い込むのです。

自然の風に吹かれ、自然の星の下で大地に寝ることです。

そこには、自然の鼓動、ゆらぎ、かおりが満ち溢れています。

日々、自分と自然との「間合い」の稽古が自己本来の姿に触れることが可能です。無心な自分と自我の自分との間合いが問題のようです。   コペル

医師解説【HIIT】リウマチの方でもできる!みらクリ流チェアHIIT【高強度インターバルトレーニング】 - YouTube

 

 

 

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