映画「まほろ駅前多田便利軒」
主役は 松田龍平と瑛太
ファンの方には
ごめんなさい。
若い人が主役で・・・という映画を
すすんで見に行きたいとは
それほど
思わない
それも
だいぶ 年をとってきたせいだといわれるかもしれない。
ちょうど
楽しみでいつも
ビデオ撮りしてでも見ている
「僕らの時代」
そこに
10年来の友達だと出ていたこの二人。
映画の宣伝もしていた。
そのときに
この映画まほろ駅前多田便利軒は
原作者が
三浦しをんさんであることがわかった。
それは 見に行かなくちゃいけないと思った。
何しろ
「風が強く吹いている」
を読んで以来のファンだから。
そしてもう1点。
すごく クールだと思っていた2人が
家庭を持ち
子供を育て
意外に 人間味のある部分も持っているということが
わかったから
さらに この映画の仕上がりに興味を持った。
内容は
友達同士の多田とぎょうてん。
なんでも屋さんを媒介に
様々なお客とのやりとりと友情を描いている。
一緒にいると
いやな部分もあったりするが
人間的に 突き放せない
友達思いの部分が人間くさくて良かった。
原作
あ~絶対 読みたい~
角田光代「八日目の蝉」
角田光代さんはすごい、読んだほうがいいと
知り合いにすすめられたので
角田作品との最初の出会い。
直木賞受賞した作品だ。
結婚し子どものいる専業主婦の小夜子はが
あるひ ベンチャー企業の女社長、葵にスカウト。
働くことに。
その二人の 関係とまた
小学生のころの友人の思い出をクロスさせている。
小夜子は、あれこれあれこれ考えるタイプ
葵は 本能で動くタイプ
反発する部分もありながら
お互いが お互いに惹かれている部分もあるのかな・・・。
そして
次にであったのは
ドラマ化されて 映画化されて
面白いから取り上げられるのだろうと
ようやく読む気になった。
というのも
なんだか
ただの不倫の話だと思ったら
読むのがいやだったからなんだけどね。
1章は 女性が 不倫した相手の男性の娘を 誘拐して4歳まで育てる話。
2章は 誘拐された女の子が大学生になってからの視点で書かれている。
逃げる必要のある人たちが
どのような場所に引き寄せられるのかが興味深かったのと
誘拐された女の子の気持ちが
丁寧に描かれていたような気がした。
本当の両親のもとで暮らしていたほうが幸せだったのか
父親の不倫相手を母親として暮らしていたほうが幸せだったのか
それは
もしかしたら 女の子よりも
我々 読者が一番感じ取ったかもしれない。
映画「アンダンテ~稲の旋律」そして原作本
原作は旭爪あかねさん
映画「アンダンテ~稲の旋律」
ひきもりになってしまった女性が
農業に そして人と出会うことで
自分を取り戻していくというお話。
映画では
農業を一生懸命に営んでいる男性役に
筧 利夫さん
主人公の女性に 新妻聖子さん が演じている。
なんでもかんでも 効率的にが一番いいと
思われがちの 昨今
やはり
タイトルにあるように
アンダンテ
歩くぐらいの早さというのも
良いのであるとのメッセージ。
稲が
風に吹かれながら
さらさらと音を立てながら
青々とした美しい輝きを見せる
画面 いっぱいに広がるその風景は
やっぱり 美しいと思う。
作者の話だと
これは映画にしても 単調で面白くないと最初 言われたそうだ。
しかし 心の悩みを抱えている人が多い中
この映画を見て
少しでも前に1っぽ進んでくれる人がいるとよいというような思いで
映画化されたとのこと。
さて、この主人公の父親の考え方に
本当に反発を覚えた。
効率的な仕事だけがよし。
農業なんかに 携わっているなど、仕事で人間の価値を判断している部分。
ただし
映画には無かったが
この考え方をするにあたって
きちっと知っておかなければならないことが
原作には書かれている。
人のルーツを探ることだ。
この人のルーツをさぐる というのは
どの場合においても
実生活でも 大切なポイントだと
最近特に思うのだ。
話の中でも、どうして押し付ける教育を親がしていたのか
疑問を持つ場面がある。
そして ルーツを探ることになるのだ。
話が脱線するが
先日 作家の柳美里さんの子供への虐待を克服するという内容で
ドキュメンタリーをやっていた。
その中で
抑えられない 自分のことを見つめる。
自分の子供時代に 受けてきた虐待について。
そして 自分の親がどうしてそのような行動をとったのか?
親はどのような環境で育ったのかルーツをさぐる。
特に
親のルーツをさぐることで、子供時代に過酷な虐待を受けていて
その過去があるからこそ自分にも同じような虐待をしていたという事実を知ることができたようだ。
そこで まず親の行動に合点が行く。
そして親もかわいそうな子供時代だったんだと思う・・・それらが
自分が虐待行動をしてしまうことを
抑えるのにつながる
という内容だった。
もし
親子関係で
納得できないことがあるのなら
まずは 親のルーツをさぐれば、
そうか・・・仕方ないんだなと
思えるようなこともあるかもしれない。
さて
本に戻るが
主人公の女性が
前向きに進んでいくというのが
読んでいて 気持ちいい。
そして映画の続編にあたる
「月光浴」も読んだが
トラックドライバーの過酷な生活など
また新たな問題を提起している。
原作者もひきこもった時期があったという 実体験をもとに
できた話だからこそ
説得力があるのだと思う。
本「孤高のメス」
1週間に1冊のペースで読んでいるが
それでも積読は減らない・・・。
というのは、
新書を読みたくなる。
買う
まだ読んでない本がそのままになる。
というわけだ。
大鐘稔彦著「孤高のメス」1~6巻
映画を先に見たが
堤真一さんが 主役の当麻先生役。
カリスマ 医師で
次々手術を成功させてかっこいい。
そして女性にもてるが、女性に興味が無いという設定。
映画では、
自分の子供を亡くした母が
息子が 他人の体の中で生きてくれればと
移植に踏み切る。
その手術をしたのが当麻先生。
そして
それを支える看護師は
先生に淡い恋心を描きながらも
告白できずに 亡くなってしまう。
その息子は その思いを日記から知る。
そして 当麻先生のいる病院に派遣されたところで終わる。
本で描かれていた短い話を
映画として背景をもう少し詳しく描いていた。
移植手術を頼む母の思いも 丁寧に描かれていたと思う。
さて 本のほうだが
この話の面白いところは
本当にあるのかと思わせる 病院の内部告発のような部分だ。
今もなお医師である大鐘さんが
作品に仕立てているわけだから、
どこが現状と合致するか
脚色してあるのか
考えながら読むのも楽しかった。
そして主人公の当麻先生のなんとかっこいいことか。
人を助けるために を純粋に信念にしているところがいい。
お金にも女性にも貪欲ではなく
ただただ人の命を大切にしている
そんな医者は
本当に存在するのだろうか?
いや存在すると 信じたい。
ストーリーは面白いが
ただ難点は
登場人物が次々
主人公になってしまうこと。
誰の視点で描いているのかが
話のたびに変わると
頭の中を整理するのが面倒だった。
出雲旅行
震災後
出雲大社に とにかくお参りにと思い立ち
家族3人で出かけた
寺社めぐり旅行。
本当は10月の神在月、神様が出雲に集まってくる時に行きたかったのだが
それはまたいつかにして
今回は あきらめた。
全8箇所 お参りに行った。
熊野大社
能義神社
神魂神社
八重垣神社
佐太神社
一畑寺
宇美神社
出雲大社
出雲大社におまいりに行ったと言うと
周りはみな
「縁結びの神様になんで」と言われた。
でも
石碑には
「生きとし生けるもの すべてが幸福になるように」と記されている。
縁を結ぶ すなわちこれは
男女に限らず 人と人
もしくは 人と自然、 物だったり
ありとあらゆるものを指しているのだと理解した。
つづく
岩手県遠野
実は
私にとって遠野は
非常に 遠いの~
いや 親父ギャグではなく
まじめな話。
昨年夏
友達に遠野旅行をもちかけたら
OKだった。
しかし 家族旅行に行くことになったと
ドタキャン。
秋、今度こそ行こうと話したら
まじめな顔で
「よくよく考えたんだけど
座敷わらしが怖いから 遠野は嫌だ。」と断られた。
そして 信州旅行に!またこれは次回に。
そして今年の 3月8日
友達とはやめて
うちの家族旅行にと計画。
遠野市の 座敷わらしが出るかもしれないと
うわさのある 曲り屋に宿泊の予約を入れた。
観光協会に問い合わせて、
語り部さんにお話してもらうには 観光協会を訪れればよいことを、
そして
レンタサイクルも借りられることも確認した。
ところが その3日後
この震災だ。
遠野は被災していないと宿のご主人から言われたが
ライフラインなどのことを考え、
「今回は見合わせます。必ず行きますから」と電話を切った。
それに対してご主人が
「東北は 頑張りますから!!」とのこと。
旅行に行ってお金を使うこともまた支援。
その日がいつになるかわからないが
今度こそ 絶対に遠野にはいきたい。
そんなわけで なぜか
昨年から 私は遠野に近づけないでいるのだ。
さて
この遠野に行くには 下勉強を・・と思い
柳田国男さんの 「遠野物語」を読んだ。
そこには
今回の震災に対する 大切なヒントが隠されていたのだ。
昔の口調なので 読むには多少難しいが
河童が出てきたり おしらすさま 天狗 や神様が登場。
しかしこの本は
ただ単に 民話と片付けられないものがあるのだ。
長谷川政春さんのあとがきを引用する。
<<この本は 我々の祖先の「心」の問題を問いていたり、
避けて通ることのできない日本人の心、私たち祖先の生活意識の問題が
書いてあったりする。
なぜ 祖先の生活意識 すなわち心の傾き それを知る必要があるのか、
現在の私たちにふさわしい生活のあり方を発見するには
受け継がれてきた祖先の生活史を知りそれに基づいて
取捨選択をしたり反省をしたりしなければならない。
「遠野物語」は
私たちがいかに生きるか いかに幸福になるかという
今を問題にしている生きた学問だ>>
なぜ この本を読まなければならなかったのか
合点がいく。
そして
今 遠野物語を 今一度
我々 日本人は 読み砕く必要があるのではないだろうか。
便利になりすぎた世の中
先人たちが言っていた事を振り返り
考える時期に来ているのだと思う。
映画「I Am Number Four」
試写会で見たが
日本での上映は
夏ごろ?らしい。
惑星を追われた9人のエイリアン。
彼らには番号が割り当てられ、大人になると超能力が覚醒する。
敵対するモガドリアンという宇宙人が、その9人を追って地球に来た。
モガドリアンは番号順に彼らを殺し始めいよいよ4人目が狙われていた。
その4番目の青年が主人公で
あちこち移動しながら
存在を消しながら 逃亡生活をしていた。
その中で 恋をしたり 命を狙われたり 戦ったりと
ストーリーが進む。
登場する 女性たちが
スレンダーで
なんて 美女ぞろいなことか。
映画を見ている最中は
自分も あんな スレンダーに・・・・と願うのだが
見終わった後は
ブクブクのふくらはぎに
ぶよぶよのお腹
現実に戻るのだ。
そして 定番の宇宙人。
もちろん作り物だってわかってはいるのだが
でももしかしたら
もう この地球上に どうどうと 生活しているのかもしれないと思ってしまう。
もしかしたら
事故や 事件
そして災害までも
宇宙人たちが引き起こしているのではないかと・・・
そう考えると
そうか人間の仕業ではないのだと
ちょっと 気が楽になるのだが。
ティーンエイジャー向けの映画だとは思うが
続編が気になる
生きている意味
ある人のブログ
「自殺・・自分を殺す事。自分の存在を無くす事」をテーマに
書いていた。
とにかく その方は必死で生き抜くといった内容だ。
つい先日
アーティストのMさんに
唐突に質問した
「生きている意味は?」に
答えは
「夢を実現するため」とおっしゃっていた。
彼のプライオリティー 優先順位は
1位 行っていない場所に行く=旅をする
2位 生活のために歌を作ったりうたうこと
夢と曲作りには ギャップがあって
その間を埋めるために
できるだけ理想に近づけようと
曲を作っているそうだ。
じゃあ私は?
そして このブログにたどり着いて
読んでいるあなたは?
私は
たいした人間ではない
ただただ 純粋に
生きているって面白い
短い人生 幸せだと思えるよう
笑っていられるよう
生きていこうよ
ということを
伝えることが
自分が生きている意味だと考えている。
そのためには
結婚して
子供を育てて
家事をこなして
映画・お芝居を見て
音楽を聴いて
トールペイントをして
ジャズをならってたまにライブをして
自転車に乗って
山に登って
旅をして
人と出会って
友達とおしゃべりして
そしてその生活の中で感じたことを
放送でしゃべって・・・・
なぜそう思っているのか
わからない
でも
生きているって楽しいねということを
伝えたいのだ。
結局のところ
誰かに
生かされているのか?
映画「塔の上のラプンツェル」
映画「塔の上のラプンツェル」
ディズニーは
もともと既存のお話しを
映画にするパターンだ。
今回は「髪長姫」とか「ラプンツエル」とか
言われている グリム童話をもとにしている。
金色の髪の長ーい女の子が
高い塔の上に閉じ込められていた。
その女の子が そこから逃げ出す話。
子ども向けのディズニー映画だし
最後はお決まりのハッピーエンドなので
安心して子どもたちにも見せられる。
女の子の長い髪の毛が金色に輝くところが美しかったり
空に上っていく 灯りが
とても幻想的に描かれている。
私の一番好きな場面は
かごの鳥だった女の子が
地面に降り立ち
自由を手に入れて跳ね回るシーン。
なぜか そんなシーンにも感動しちゃうのよね。
確かに映像は3Dで立体的に見えて
良いのかもしれないが
私は 何度3Dを見ても
2Dでいいかな~。
メガネは 疲れる。
年 だねきっと。
志の輔らくご2011
1月に初めて行った 志の輔さんのらくご。
周囲が 「プラチナチケットだから 手に入らないよ」といっていた。
しかも絶品だという人もいた。
聞いてはいたが
まめにチェックするでもなく・・・・。
そんな中
ツイッターで 「志の輔らくごチケットゲットしたから行くんだ~」
とつぶやく人が・・・
パルコ劇場には
当日券はなさそう。
そこで
チェックしたMixiとオークションなど。
やっぱり みーつけた。
半年も前に買ったから
いけなくなった人を!
普通 オークションだと値段がつりあがっていくのだが、
なーんと私の見つけたその良心的な人は
原価でしかも手数料0で
譲ってくれた。
感謝!
ワクワクしながら聞いた
志の輔さんの落語。
絵に描いた金品を盗もうと入ってきたおばかな泥棒さん。
その泥棒さんが 抜き足差し足忍び足って 入ってくるものだから
会場の空気が ぴーーーーんとはりつめて
みなの 息の音すら聞こえないほど静まり返って
その泥棒さんのために静かにしていたのだ。
会場がひとつになった瞬間を目の当たりにした。
しかも 話術で!
その映像が今も思い出せるほどって どういうことなのだろう。
それほど ひきつけられたらくご。
歌で言えば さしづめ グルーブ起こったとでもいうのだろう。
さすがは絶品。
そしてもうひとつ 感動したのが
日本地図を作るために 15年間 自ら全国を歩いて周り
自分の足の歩幅を頼りに 測量した
伊能忠敬の創作落語。
1時間の超大作。
そして ラッキーだったのは
毎年 この話をしようと思いつつも
断念していて 今年 ようやく出来上がった作品披露だったのだ。
落語とは言っても
現代の話と 多少講談のような部分もあり
工夫しながらの作品だった。
測量はしたものの、絵として完成を見ずして亡くなった伊能忠敬。
その弟子が、測量の数値をもとに地図として絵をおこしたとか。
ようやく出来上がり
将軍 徳川家斉に献上するシーン
その地図を見て あまりにもの地図の素晴らしさに
すぐには言葉が出ない そして
「でかした。 ここに伊能忠敬を呼んで参れ」というようなセリフ。
弟子は、
伊能忠敬が亡くなっているとは言わず
はは・・と返事はするものの戸惑っている様子。
ここでもまた
会場の人たちは 自分が伊能忠敬になっていたのだ。
そして お殿様に でかした! とほめられた時
まるで 自分が ものすごい偉業をこなして
褒められたような錯覚に陥って
認めてもらえたんだ。とばかりに
感動の涙がこぼれていたのでは?
そして スクリーンに映し出された
伊能忠敬の1821年に完成した地図が
現在使用されている地図と
合わさった姿は
ほとんど狂いの無い見事な地図で
会場からも う~~んとうなり声が聞こえた。
いったいぜんたい
この志の輔さんの落語とやらは
何者なんだ?
今まで聞いた誰の落語よりも
私にとってはほんとに絶品だった。
というわけで
5月の町田で行われる 志の輔さんの落語会、
再度 オークションでチケットをゲット。
震災のあと
果たして
枕ではどんな噺をするのか
非常に楽しみである。