岩手県遠野 | ぼのぼの日記 くろーばー己書道場

岩手県遠野

実は

私にとって遠野は

非常に 遠いの~


いや 親父ギャグではなく

まじめな話。


昨年夏

友達に遠野旅行をもちかけたら

OKだった。

しかし 家族旅行に行くことになったと

ドタキャン。


秋、今度こそ行こうと話したら

まじめな顔で

「よくよく考えたんだけど

座敷わらしが怖いから 遠野は嫌だ。」と断られた。

そして 信州旅行に!またこれは次回に。


そして今年の 3月8日

友達とはやめて

うちの家族旅行にと計画。

遠野市の 座敷わらしが出るかもしれないと

うわさのある 曲り屋に宿泊の予約を入れた。

観光協会に問い合わせて、

語り部さんにお話してもらうには 観光協会を訪れればよいことを、

そして

レンタサイクルも借りられることも確認した。


ところが その3日後

この震災だ。

遠野は被災していないと宿のご主人から言われたが

ライフラインなどのことを考え、

「今回は見合わせます。必ず行きますから」と電話を切った。

それに対してご主人が

「東北は 頑張りますから!!」とのこと。

旅行に行ってお金を使うこともまた支援。

その日がいつになるかわからないが

今度こそ 絶対に遠野にはいきたい。


そんなわけで なぜか

昨年から 私は遠野に近づけないでいるのだ。


さて

この遠野に行くには 下勉強を・・と思い

柳田国男さんの 「遠野物語」を読んだ。

そこには

今回の震災に対する 大切なヒントが隠されていたのだ。

昔の口調なので 読むには多少難しいが

河童が出てきたり おしらすさま 天狗 や神様が登場。

しかしこの本は

ただ単に 民話と片付けられないものがあるのだ。


長谷川政春さんのあとがきを引用する。


<<この本は 我々の祖先の「心」の問題を問いていたり、

避けて通ることのできない日本人の心、私たち祖先の生活意識の問題が

書いてあったりする。

なぜ 祖先の生活意識 すなわち心の傾き それを知る必要があるのか、

現在の私たちにふさわしい生活のあり方を発見するには

受け継がれてきた祖先の生活史を知りそれに基づいて

取捨選択をしたり反省をしたりしなければならない。

「遠野物語」は

私たちがいかに生きるか いかに幸福になるかという

今を問題にしている生きた学問だ>>


なぜ この本を読まなければならなかったのか

合点がいく。

そして

今 遠野物語を 今一度

我々 日本人は 読み砕く必要があるのではないだろうか。

便利になりすぎた世の中

先人たちが言っていた事を振り返り

考える時期に来ているのだと思う。