弱さという武器 ~ 不幸を手放し、劣等感を社会貢献へ ~
弱さという武器強さや才能は、武器になります。強みを活かして社会的に活躍できたり、個人としての魅力になったりします。誰が見てもわかりやすいですよね。でもアドラー心理学では、弱さや無能であることも、実は強力な武器になりえるとしています。怒りや涙は、他者をコントロールする道具です。たとえば赤ちゃんは、弱い存在であり泣くことによって、周りの大人たちに特別扱いをしてもらっています。自ら意図したわけではありませんが、そうしなければ生きられないという、本能のなせるワザです。生まれたての赤ちゃんは、弱さという武器の究極例ですが、他にも弱さという武器を使っている人はいます。弱さという武器にたどりつくプロセス人は基本的に、「特別でありたい」という思いを抱いています。大勢の中に埋もれてしまう自分ではなく、個性がある、特別な人間でいたいのです。本能的に競争意識を持っているともいえますね。競争の中で他よりも優れているという栄光を勝ち得た人は特別になれますが、競争に敗れた人は、その他大勢という括りに入れられます。エゴという存在は、これが許せません。自分はもっとすごいハズだ、価値があるハズだと、人の上に立つために躍起になります。承認欲求が行き過ぎた結果、劣等コンプレックスや優越コンプレックスに行きつく場合も、少なくありません。特別であるための競争に、完全に勝てないとわかったとき、エゴはどうするでしょうか。今度は逆に、弱さや無能であることを選択するんです。不幸を売りにする人々アドラーいわく、弱さという武器は、非常に強力です。他者の気を使わせて、コントロールする力があります。この様な人は、どこまでも周りからエネルギーを吸い取って、枯渇させてしまいます。一緒にいると、ものすごく疲れる人はいませんか?その人は弱さを武器にして、あなたからエネルギーを吸っているのかもしれません。不幸を手放し、劣等感を社会貢献へ劣等感が強くなりすぎてしまうと、自分自身も気づかぬうちに他者を疲弊させてしまっている場合があります。不幸であることによって特別になり、人の上に立とうとしてしまうんですね。それが慢性化すると、特別でありたいというエゴを満たすために、いつも不幸を必要とするようになってしまいます。これの怖いところは、無自覚であるということ。なぜいつも不幸なんだろう、うまくいかないんだろうというループにはまる可能性があります。そうなる前に、なるべく気づきましょう。こんなにも大変だった、いつも苦労ばかりしていると人に訴えるようになったら、危険信号です。他者をコントロールするために、弱さを武器にしてしまっているのだと、理解して受け入れましょう。友人やカウンセラーに感情を吐き出してスッキリしてもいいですし、自分で気づいて現実を選択し直してもいいです。特別でありたい、優れていたいという思いを、人に役立てることによって初めて、自他ともに幸せになれます。劣等感を感じるのは、悪いことではありません。その先に集団の幸せという目的さえあれば、どんなこともプラスに変えていけます。エゴに支配されていたことに気づければ、もう不幸は必要ありません。今のご自分が不幸を売りにしていないか、弱さという武器を使ってしまっていないか、見つめ直してみてはいかがでしょうか。