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母が肺がんになった!闘病記と看取り記録

60代の母は肺腺癌(はいせんがん)。仕事、育児をしながら看護をしているワーキングマザーの記録です。

母の最期は、家族にとっては青天霹靂でした。

 

それまでは遺伝子治療の副作用で肌がボロボロになっていて

QOLもさがっていたものの、

口達者な人だったので相変わらず付き合うのは面倒で。

 

何か言うと10倍返ってくるのも面倒なので、

ついつい邪見に扱ってしまうことも多かった。

 

いきなり頭痛を訴え入院した先で。

 

私たちは

「これ以上の治療をしますか?」

という命を左右される選択を迫られるのです。

 

母はもうほとんど喋れない状態になっていたし、

たぶん判断できる状況じゃない。

 

他人の命を自分が握っているというストレスは

経験した人でないとわからないと思います。

 

その後も迫られる数々の選択。

 

そんなことをこの記事を読んで思いました。

 

「死を目の前にして、苦しんで死にたくないと思った」 幡野広志さん、安楽死について考える(1)

 

 

辛いことはたくさんあった。

 

 ・おむつを履かされていること

 (介護をしている人だったら同じみな光景でしょうか?

  まだ60代の母が、、、と思うとつらい)

 

 ・まるで幼子に話しかけるように話しかける医療従事者

 

医療処置でもつらいことはあって。

 

たとえば点滴。

 

 

入院と同時に一切なにも受け付けなくなったなので、、

おにぎり1個分程度の栄養を

数時間かけていれていく。

 

それは母の生命線。

 

でも血管はどんどん狭なっていく。

 

30分ほどかけて点滴いれていたようだが、

もう痛いのはやめて、

そう言いたかった。

 

(最期は皮下点滴という負担の少ないものになったが、

 その点滴をすることで逆に痰が増えてしまうということもあるそう)

 

痰もやっかいな問題。

 

経口で水分も取れなくなっていたので、

水分は点滴でいれていたが、

痰を出すこともできないので

それを細い管をのどに入れて吸引する。

 

意識がないながらそれはいやだったようで

必至な抵抗をする母。

 

最期はその元気もなくてなすがままになっていく。

 

その姿を見ているのもつらい。

 

口から何も食べていないのになぜか口は臭くなっていって

毎日の歯磨きは必須。

 

そして最期は内臓からのにおいだろうか。

すごく臭いにおいが漂ってくるようになった。

 

終末期は綺麗なものではない。

 

せめて患者本人が苦しんでいなければ。

家族としては救われた気持ちにはなる。

 

ホスピスではそのようなケアがメインに行われていた。

 

大事な内臓(心臓・脳・肺など)を守るために

末端の機能は体がどんどん切り捨てていく。

 

具体的には末端に血液がまわされなくなり

手足はどんどん冷たく、脈も取れなくなる。

 

そのために湯たんぽをあててもらったり。

 

ホスピスの方はそのような処置には慣れているのだろうが、

そのような

「最期にいたる過程」を笑顔で教えてもらうのも

違和感があった。

 

あなたにとっては一人の患者が亡くなるだけだが

私にとってはたった一人の母をなくす過程。

 

今見ている現実に心がついていかない。

 

 

なので、元気なうちに意思を示すことは

本人のためにも家族のためにも大切なこと。

 

エンディングノートは自分が元気なうちに絶対書こうと思う。

 

つれずれなるままに。

 

母のお葬式をあげたのは1月。

お葬式を上げる式場も火葬場もとても混み合ってて、

なかなかお葬式を上げられない状況でした。

 

それまでの間、母の体は専門の施設で預かってもらいます。

祖母も預かってもらった施設。

まさか数年後に娘も来るとは思ってもいなかったんだろうな。

 

自分の母親に病気の事を相談できなかった母が

どんなに心細かっただろう、
そんなことも思います。

 

話は戻って火葬場。

まるで遠足で混む動物園のように混んでいましたw

 

祖母の時は出てきた感情。

「おばあちゃんの体を焼かないで!」

 

今回は、祖母の時の経験があったのでそのような気持ちは出てきませんでした。

 

人生の教えを先祖は淡々と教えてくれてるんですね。

涙が出てくるくらいにありがたいことですね。

月命日を先日迎えました。

もう1か月も足ってしまったのか。まだ1か月なのか。

 

まだ、母が長い旅行に行っている気がします。

ケータイのつながらない(?)南極あたりにいるのかな?

 

今となっては病院に通っていた日々がすでにずいぶん昔の事のようです。

 

病院は急行の停まらない駅からさらにバスで10分ほどのところにあります。

もう一生あの駅には降りたくない。

 

2年ほど前にまだ元気なころに最初の抗がん剤治療で入院していた母をお見舞いに行ったのがつい最近のことのよう。

 

あの時は少しやせてしまったけど、

「ぜんぜん副作用でないのよ」

とむしろ退屈そうにしていた母。

 

帰りはバス停まで送りってくれて。

 

それが歩けない状態で入院して最期裏口から出て行った母。

 

なんということなのでしょう。

 

もう一生会えないのかな?

さみしいよ。

 

 

 

そろそろ母の月命日。

時間がたつのはあっという間。

 

これからの長い人生、母がいない日々が先にあると思うと末恐ろしい気がする。

でも、まだ49日済んでないので近くにいると信じているし存在を感じる時もあるんだよね。

 

ところで「エンジェルナンバー」ってご存知でしょうか?

 

母がなくなってからよくみる番号がある。

それは【444】。

 

パッと見ると何かがこの番号になっていることが多い。

たとえば4時44分だったり。

 

4が続いているので不吉な感じがするけど

エンジェルナンバー的にはよい数みたい。

 

というのも

【4】は安定と調和を示す数字。

天使がそばにいる、ということもあらわしているようで

これは母の事だな、って直観した。

 

自分の道を歩くように励まされ、情熱を持って決断して実現の道を歩くように促されます。

(こちらから抜粋)

 

肉体は滅びても母のスピリットは近くにいるし、

私の中にも母のかけらがあるんだと思うと

少し母を近くに感じられてうれしいです。

 

ある程度、事前にお葬式の見積もりや心づもりはしていたが、

実際にやるとなると想定外のごたごたが起きる。

 

その最たるもの。

 

「誰を呼ぶか」問題。

 

ご両親の親しい方って把握していますか?

 

私が知っているのは母のママ友。

いわゆる「誰々ちゃんのお母さん」的な方々。

 

病気になってから、もうずいぶん会っていなそうだった。

 

どこまで声をかけたらいいのか?

 

母は若くして逝ってしまったので、

同じ年代の方を呼ぶのはなんだかむごい気がしてしまった。

 

結局、家族葬という形で親しい家族、親せきだけで送ることにした。

 

あと母の学生時代からの親友。

お見舞いも何度も来てくれてそんな友達いいな、と思ったものだ。

 

母に先立たれてしまってさみしい思いをしていると思う。

 

自分のお葬式に呼びたい人はエンディングノートなどに書いておきたいと思った。

 

いつの頃か分からないけど、私が母に必ず連絡するタイミングがある。

それは飛行機に乗る前。

 

「今から○○行ってくるよ」

”気を付けてね”

「はーい」

 

その程度の他愛もない会話。

 

でももう電話する人もいないんだ。。

それを先週の出張で思い知った。

 

実は母の具合が悪いことを初めて知ったのも空港でだった。

 

母に電話したところ父か電話に出た。

 

”お母さんがおかしいんだ”

”頭がすごく痛いと言っている”

 

珍しくうろたえた声だった。

何か嫌なことが起こっている。

 

そんな直観があった。

 

でもこれから出張なのですぐに駆けつけることはできない。

出張中は早く戻りたいと気もそぞろだった。

 

そんな悲しい思い出が生まれてしまった空港。

 

これから空港に行くときは必ず母を思い出すんだろうな。

 

 

なんで「看取り」をテーマにしたブログを書いているのか?

その理由は2つあります。

 

まず1個目の理由。

それは自分の感情や状況をただ単に記録しておきたいと思ったから。

随時変わりゆく母の状態。

医師から言われた言葉。

それに対して自分がどう考えたか?

何を思っていたのか?

どんな情報を調べていたのか?

 

すでに看護していた日々は過去のものになりつつあります。

でも記憶が風化しきる前にそれを残しておきたいと思いました。

 

そして2つめの理由。

それは、このブログがもしかしたら同じような状況の方に何らかの情報や希望をあたるものになってほしい、という思いがあります。

医療的には素人でも、こんなことを思った、という事で共感したり参考になる人も、もしかしたらいるかもしれない。

 

そんな気持ちでブログをつづっています。

 

そして自分で気が付かなかった3つ目の理由。

それは、こうやって書くことで私も癒されたり救いになっているということ。

 

基本的には暗い内容ではありますが、

それでも私にとっては何らかの救いになっていることを感じます。

 

今日も見ていただいてありがとうございました。

 

お葬式は終わって普段の生活に戻っては来ているけど、

母の不在をふとした瞬間に感じてさみしくなります。

 

子どもができる前は美術展に一緒に行っていたのですが、

出来た後は電話が多かったです。

 

私の電話するタイミングは帰宅中、

最寄駅から家に着くまで。

 

子どものお迎えがあるので17時くらいが電話タイムでした。

今考えると、夕方の忙しい時間によく付き合ってくれたものと思います。

それも愛情だったんだなぁ。

 

しばらく電話していないと

「私にはもう娘がいなくなったのかと思っていた」

とご立腹なことも。

 

正直、面倒だな、と思ったこともありました。

 

でも今思うと電話の1本くらい、

もっとたくさんかければよかった。

 

お母さん、ごめんなさい。

お葬式は終わって普段の生活に戻っては来ているけど、

母の不在をふとした瞬間に感じてさみしくなります。

 

子どもができる前は美術展に一緒に行っていたのですが、

出来た後は電話が多かったです。

 

私の電話するタイミングは帰宅中、

最寄駅から家に着くまで。

 

子どものお迎えがあるので17時くらいが電話タイムでした。

今考えると、夕方の忙しい時間によく付き合ってくれたものと思います。

それも愛情だったんだなぁ。

 

しばらく電話していないと

「私にはもう娘がいなくなったのかと思っていた」

とご立腹なことも。

 

正直、面倒だな、と思ったこともありました。

 

でも今思うと電話の1本くらい、

もっとたくさんかければよかった。

 

お母さん、ごめんなさい。

義理母が新興宗教に入っているかもしれない?!

 

そんなことが母がなくなった後にわかりました。

 

そんな時に一番話したい母。

その母はもういません(泣)

 

昨日のブログで紹介したHeaven's doorでも天国にいるお友達と電話したい、

というシーンが出てくるのですがまさにその気分です(泣き笑い)

 

葬儀には来てくれた義理母。

でもお葬式の部屋にはおらず、

ずっと外で待っていたようです。

 

(私は前方に座ってて気が付かず、

 お焼香を義理父一人でされていたのであれ?と)

 

式場の方に

「ご気分悪くなったのでしょうか?」

と聞いてみたら

「参加は遠慮しますとのことです」

とお答えがあり。

 

「???」

と思いつつ夫を問いただすと

 

”宗教じゃないかな?”

とのこと。

 

夫もあまり詳しくは知らないけど、

エホ○じゃないかなとのこと。

しかもここ最近ではなく、

高校生くらいの時くらいから入っていたのではないか?

とのこと。

 

 

え・・・

私たち結婚してもう10年以上たっているのですが

全然知らなかったのですけど!!!!

 

 

 

こんな時に相談できる人。

頼りになる人。

 

それはやっぱりお母さんなのです。。。(泣)

 

「お母さん、聞いて聞いてー!」

お空に話しかけてみました。