フランシーヌ(仮名 日本人)は、短大を出てすぐに派遣会社に登録した。本当は四大に行きたかったのだが、母子家庭である家の経済状況がそれを許さなかった。派遣会社から中堅企業に派遣され、そこで事務員として働いた。
時給1200円で一ヶ月働いて20万をやや切るくらいの給料。そこから年金、保険料、交通費などを差し引くと15万程度しか残らない。3人いる弟の学費のため、家に6万入れていた。そうすると自分の手元には9万しか残らない。ボーナスなどはもちろん無く、フランシーヌの年収は200万未満だった。
派手に遊ぶことも、着飾ることもなく黙々と働き続け、末の弟が大学を卒業する頃にはフランシーヌは29歳になっていた。家に入れるお金も減額され、時給も若干上がっていたので、これからは少し貯金して1年くらい留学しよう、と思っていた矢先、派遣会社をリストラされた。
ファストフード店でしばらくアルバイトをしていたが、収入が大幅に下がり、貯金も思うようにできない中で、フランシーヌはだんだん焦りを感じるようになった。しかし家の経済状態は相変わらず悪く、最近体の調子の良くない母から「早く結婚を」とせっつかれるようになった。
紹介してくれる人があって、同じ年のサラリーマンとお見合いをした。人柄が良さそうだったので結婚を決めた。母はたいそう喜んだ。
夫の実家にほど近い公団住宅に新居を決め、フランシーヌの新婚生活が始まった。夫は優しかったが給料は安く、生活のため、近所のスーパーにパートに出ることにした。10時から6時まで週5日間、レジを打った。派遣時代よりも仕事はきつかったが、時給は700円に下がった。結婚して主婦になったことで、自分の労働力の値段が大幅に下がったことに、フランシーヌは理不尽さを感じた。
仕事の忙しい夫は家事を手伝う余裕など無く、フランシーヌはパートも家事も全部一人でこなした。そうすることに疑問をさしはさむ余地など無かった。夫は毎日深夜、くたびれ果てて帰宅する。パート先で仕事が終わってから買い物を済ませ、夕食を作って自分は先に食べてから夫を待つのが、フランシーヌの日課になっていた。夫と二人の生活はそこそこ楽しかったが、どこか虚しかった。
結婚して3年過ぎた頃から、実家の母と姑から「子供はまだ?」と折に触れ、催促されるようになった。正直フランシーヌは子供はまだ欲しくなかったのだ。短大を卒業してからずっと、自分のやりたいことより周りの都合を優先して生きて来たような気がする。まだ32だし、やっと生活も軌道に乗って来たのだから、もう少し自由でいたかった。夫は子供のことに関しては何も言わなかった。しかし長男であるため、子供がいないことに、何となく負い目を感じているようにも見えた。母親思いの夫は、親孝行がしたいのに違いない。
それから更に2年過ぎ、さすがに周囲の催促をかわすことに疲れ始めたフランシーヌは、そろそろ子供を持ってもいいかなと思うようになった。しかしいざそう思って作ってみると、なかなかできない。1年ほど経ってもできず、ついに病院に通うことにした。このままでは婚家に居づらいからだ。
1年不妊治療をして、3回目の体外受精でやっと双子を授かった。高額な治療のため貯金は底をつき、フランシーヌは精神的にも肉体的にも疲れ切っていた。妊娠が分かった時も、子供を授かった喜びよりも、もう治療をしなくて良い喜びが先に立った。しかし母と姑は、そんなフランシーヌの心には無頓着な様子で、「やっと目鼻がついた」と喜んでいた。
今フランシーヌは、3歳になった男の子の双子に毎日振り回されている。育児は思っていたよりはるかに大変だった。相変わらず夫は薄給で、仕事は忙しい。39歳になったフランシーヌは、寝不足で朦朧とした頭で、ぼんやり考えた。「私の人生これでよかったの?今まで一つでも『自分が心から望んで』実現したことがあっただろうか?死んでもいいくらい幸せだと思えた瞬間があっただろうか?やりたい勉強も仕事もできず、周りに気を遣い続け、一生懸命その場をやり過ごしている内に、こんな年齢になってしまった。まだ何者にもなっていない自分が情けなく思える。結婚して子供にも恵まれて、傍目には幸せな人生かもしれないけど、私から夫と子供を取ったら何も残らない・・・これって本当に幸せ?」しかしそんな感傷も、ふざけて花瓶を倒して大騒ぎをしている息子たちを叱るために、一瞬で忘れた。
女性は産む機械だと言った人がいる。もちろんそれは間違った見解だ。女性にもまず「市民」としての幸せ、役目があるのが本来であり、子供を産む産まないは人生のオプションの一つに過ぎないと思う。しかし現実には、「産む機械」になることでしか自分の居場所を確保できない女性はたくさんいると思う。このフランシーヌのように。