昨年9月に行なわれた生体腎移植手術をめぐり、臓器売買を行なったとして、臓器を提供された患者と臓器売買を仲介したとされる人物が、今月1日、逮捕された事によって、マスコミでは臓器移植に関する様々な報道がなされています。(http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20061002p101.htm)

 今回の事件は、臓器を提供した人物が、臓器提供に対する見返りとして仲介者から約束されていた、借金2百万円+3百万円の支払いが行なわれず、30万円と新車1台しか渡されなかった事で、警察へ相談に行った事で発覚したとの事。この事から推せば、発覚していない類似したケースが今までもあったかもしれません。

 海外で臓器売買が行なわれている事は以前から知られていて、これまで海外で臓器移植を受けた日本人の中には、臓器を買い取った人もいると思われます。今回の事件で移植手術を執刀した医師も、記者から質問を受けて、「今までもよく臓器を買えないかとの相談を受けるが、そんな時はフィリピンや中国に行きなさい、と答えている」と話していましたので、医師の間でも、どこの国へ行けば臓器を購入できる、といった情報が知られているようです。
 私たちが留学していたフィリピン大学ディリマン校の近くには、キドニー・インスティテュートという国立の医療機関があり、腎臓や肝臓などフィリピンでの移植手術の中心地となっています。日本では2000年にプロレスラーのジャンボ鶴田さんが、肝臓移植手術中に亡くなった事で御存じの方もおられるかもしれません。…なんて、あまり良い印象のもてる逸話ではありませんね。(汗)

 日本のそういった専門病院では、専門外の一般患者は受け付けないのが普通ですが、フィリピンは何事にも「融通が利く」お国柄ですので、この医療機関でも専門外の患者も受け入れていて、私たちのクラスメートもデング熱にかかった時、彼の住む大学の寮から近い事もあって、入院していました。
 彼によると、入院時、発熱して悪寒がしていた彼を、毛布もないベッドの上で長時間待たせたり、高熱で食欲を失っている時に、大学の生協食堂で出てくるような食事が出されたらしく、奇しくも彼と同時期にデンゲに罹った彼の友人の1人が、マニラのビジネス街にあるマカティ・メディカル・センターという、恐らくフィリピンで最も有名な病院の一つに入院して、手厚い看護を受け快適だったという話を聞いた事もあって、かなり怒りながら話してくれた事を思い出します。

 一般論としては、マニラ首都圏にある大きな病院の医療水準はかなり高いと考えられます。例えば、わたしが診察を受けた、セント・ルークス病院の眼科の医師は、ニューヨークの州立大学で教育を受けた落ち着いた感じの人で、彼の的確な診断によって、わたしは緑内障の進行をとめる事ができたと言えるかもしれません。
 換言すれば、そのようにある程度高い医療水準があるから、フィリピンでの移植手術を斡旋するブローカーが儲けられもするわけですが、個人的には、たとえ医療水準が高くても、やはり文化差や言葉の障壁などがあるので、国内で可能性が低いから、あるいは、料金が日本国内よりも安いから、といった理由で海外で医療を受けるのは、誰彼なしに勧められることではないように思います。
 嘗て、わたしも友人から、フィリピンでのレザーによる近視治療について尋ねられた事があるのですが、どの病院のどの医師に診てもらうかによって、治療結果が大きく違うのは日本でも他の国でも同じで、土地勘のない海外で良い病院や良い医師を探すのは、日本で探すよりも難しいはず。ましてや、日本でもなかなか難しい医師とのコミュニケーションを、不慣れな外国語でしなければならないわけですし、先のクラスメートのように、食事など文化的違いも加わってくるので、簡単に「行ってみたら?」とは言えませんでした。

 と、少々話がそれてしまいましたが、移植医療が進歩し、手術の安全性が高まり、移植後の拒否反応を抑える薬が開発されるにつれ、臓器移植が一般的な治療として定着してきたわけですが、それに伴って、日本のような、臓器ドナーが登録制であり、かつ、脳死を人の死と受け入れる人が少ない国や地域では、生体からの移植に頼る以外になく、移植の対象となる患者数に比べて、移植できる臓器の数が極端に不足する結果となり、ジャンボ鶴田さんのように臓器移植を受けるために海を渡る人が後を断たない状況が続いている訳です。

 では、脳死が人の死として受け入れられ、脳死状態の臓器提供が広く行なわれている国や地域では、臓器不足はないのかと言うと、どうもそういう訳でもないようで、ヨーロッパでもアメリカでも臓器は不足していて、腎臓などの生体からの移植が可能な臓器に関しては、経済的に困窮している人の多い東欧地域で臓器を買い入れ、トルコなどで移植手術を受ける事も広く行なわれているようですし、最近は、中国などで移植する人も増えてきているようで、先頃、BBCの潜入取材で、刑が執行された死刑の遺体から臓器を摘出して、移植する病院に関する報道がありました。
 日本のニュースでも、今や中国が臓器移植のメッカとなっていると伝えられており、ネット上には日本人向けに中国での移植医療を勧める次のようなサイト(http://www.zoukiishoku.com/list/japanyizi.htm)が存在します。

 このような世界的臓器不足という現状から、臓器売買を合法化しようという声が上げられるようになってきました。
 現時点では、アメリカやヨーロッパのみならず、中国やインドなど、実際は売買あるいは、それに限りなく近い方法で、臓器がある人から別の人へ移植されている国においても、臓器売買は法的に禁止されており、禁止されているから、闇での売買が後を絶たず、ブローカーなどが暴利をむさぼる一方で、臓器を提供する側も、提供される側も、治療における安全性の面でも、高いリスクを負わされる事になる、というのが、臓器売買の合法化を支持する人々に多く見られる論理なのですが、これを見ていて、フィリピン大学の授業中に取り上げられた、売買春の合法化に関する議論を思い出しました。

 その議論というのは、ヨーロッパでは、オランダなどのように売買春を合法化しているところも少なくなく、それには、売買春の非合法化がその「産業」で働く人たちの「労働条件」の悪化や、シンジケートなどに資金源を提供する結果を生んでおり、合法化する事は、今まで劣悪な労働条件で働かされ、搾取されてきた人たちを保護する事に繋がる、という認識が生まれてきたという背景が大きい、というのです。
 この議論を聞いた時、確かに合法化する事によって得られる現実的なメリットがある事は理解できたのですが、売買春を合法化するという事は、性という行為、あるいは、人の身体を公に売買の対象として認める事となり、性という行為を巡る身体的・精神的、そして、政治的な一切の問題を素通りしてしまう事になるのではないか、という思いがした事を今でも覚えています。

 臓器売買合法化に関する議論は、これよりも更にあからさまに、人の身体を売買の対象として認めるか否かを、私たちに問いただしているように思えてなりません。しかし、こうしている間も、人の身体はそれぞれの部位に分けられ、「商品」として流通を始めており(http://moura.jp/clickjapan/genome/cap2_4/2_4b.html)、遅かれ早かれ、私たちはこの問題に関する明確な判断を迫られるのではないかと思われます。
 近年の医療や生物工学は、疾病治療に飛躍的な進歩をもたらしましたが、一方で、他の生物を人の臓器を作るための工場とする技術を生み出し、人の身体を「商品」として扱う可能性をもたらしました。そうした技術や可能性を前に、それらを冷静に分析し、理解し、判断を下す、心と精神の強靭さが、今ほど求められている時代はないのかもしれません。

 みなさんは、臓器売買についてどのように思われます?
 この問題に関しては、わたしがネットで読んだ範囲では、次の論文が網羅的に書かれていましたので、ご参照下さればと思います。
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ4/kurose.pdf#search=%22%E8%87%93%E5%99%A8%E6%90%BE%E5%8F%96%22

                                     パペル(Papel)