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so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、今回のツアーのメインにベンドです。

 

ぼくにとってはオマケですが、ほとんどの参加者にとってこれが目的の人が大多数。

 

確かに世界三大瀑布の一つと言われるだけのことはあります。

 

この滝を目的に世界中から、中には地球の裏側からやってくるくらいですから、それなりの魅力はあります。

 

その魅力をここで冷静に(?)ご披露したいと存じます。

 

ほとんどが写真で伝えるしかないのはあらかじめお断りしておきます。

 

イグアスの国立公園入口。(ここだけで皆が記念写真をガイドにせがんで、無駄な時間が過ぎていきます。)

 

 

入口から少し歩いただけで、遠くに滝が見えてきてアドレナリンが高まります。

 

 

どう見たって世界一の川幅を誇る大瀑布という感じがしません。

 

 

↓人間慣れしたハナ何とか熊が食べ物をねだりに集まってきます。

 

鋭い爪を持っていますから、手出しは危険です。

 

 

あれっ?スケールがずいぶん予想と違うぞ。

 

 

しかし進むにつれて奥からその様相を現し始めます。

 

 

ところどころ、このような展望台があって期待が膨らみます。

 

 

↓現地ガイドです。

 

3人目ですが、どういう訳かだんだん日本語が下手になってきます。

 

日系三世だそうです。

 

 

つづく。

・・・・・・・っということで、時差と移動に次ぐ異動で、今日が何日で何曜日なのだかわからなくなっています。

 

腕時計の日付を一日間違っていましたので、信用なりません。

 

今はブラジル側のイグアス(の滝)にいます。

 

これで、人生64番目の国です。

 

時差はちょうど12時間ですから、時間は同じでも日本とは昼夜逆転です。

 

地球の裏側ですね。(^^)/

 

昨日のリマの歴史地区観光から書きます。

 

サンフランシスコ修道院。

 

残念ながら噴水は工事中で高い塀で囲まれています。

 

 

鉄道の駅舎でしたが、今は図書館だそうです。

 

 

リマの中心アルマス広場です。

 

大聖堂。

 

 

↓これは大統領官邸。

 

かつてのフジモリ大統領が居住していました。

 

 

またもやリマ大聖堂。

 

 

同じような写真ばかりですがちょうどイースターのお祭りと重なっていて、大勢の人たちが集まりお祭り気分です。

 

音楽や歌や踊りやパレードや、大音量です。(^^ゞ

 

 

あちこちに見られる木造の出窓。

 

これはイスラム教徒の女性は自由な外出が許されず、屋外の雰囲気を眺める目的なのだそうです。

 

 

あちこちにスペイン時代の立派な建物が残っていて、歴史地区を構成しています。

 

この地区以外の新興地域はフツーのビルばかりで見るところがありません。

 

30分の自由時間をもらえたので、ようやく一人になってカプチーノ(とはいいがたいけど)こひーでまったりしました。

 

集団から離れると、ホッとします。

 

 

↓正直、何の建物か忘れました。

 

たしか、教会だったような・・・・。<m(__)m>

 

 

征服者ピサロの騎馬像です。

 

スペインから独立記念として贈呈されたそうですが、インカを滅ぼした張本人ということで反発が起きペンキなどで汚されてしまい、倉庫入りとなったそうです。

 

その後恐る恐る目立たないような場所に設置したところ、安全だったので、今回の割と目立つ場所に設置されたそうです。

 

こういう話は面白いですね。

 

贈呈したスペインも図々しいですが、こういう形で収まるのはいいことです。

 

 

ペルーはこれでオシマイ。

 

このあと「機中泊」でブラジルのサンパウロに向かいます。(^^;)

 

 

 

・・・・・・・っということで、自分はつくづくツアーに向かないなと思います。

 

何故なら、集団のために割く無駄な時間が多すぎるのです。

 

点呼のためにいちいち集められます。当たり前ですが。

 

最初はそれに慣れずに、さっさと別の列に並んで入国審査を済ませたりしていました。

 

いかんいかん、これは個人旅行でなく、集団旅行なんだと気持ちを切り替えました。

 

スーツケースは機内持ち込みに最小限に止めているのに、全員のバカでかいスーツケースが出てくるまで気長に待たなければなりません。

 

高齢者ばかりですので、トイレ休憩がやたらに多い。

 

まあ、自分も高齢者なのでこれは有難いのですが、自分から言い出すことはしません。

 

参加者全員がツアーに慣れているはずなのに、いちいち添乗員に確認します。

 

そんなこと自分で考えろよ・・・と心の中で突っ込みます。

 

いまイグアスの滝近くのホテルに泊まっているのですが、近くのスーパーまで連れて行ってもらうのですよ。

 

そんなの場所を聞いて、自分で行けよっ!

 

実際自分で行ってビールを1ダース買ってきました。

 

それでも、添乗員が行くのに何で待てないんだと聞いたうえ、治安がやたら悪いと強調するのです。

 

まあ、こんなことは些細なことでしかないのですが、集合場所からちょっと離れて観察しています。

 

できるだけ個人旅行の気分を出したいからです。

 

そんなぼくを見ているので、参加者たちは積極的に声をかけてきません。

 

一人参加者同士でさえ、すぐに打ち解けてしまいます。

 

最初のうちはぼくも溶け込もうとしましたが、今はそれはあきらめています。

 

無理して仲良しごっこをしなくたっていいじゃないか。

 

・・・この歳になって、自分はもっと丸くなっていると思っていたのに、相変わらずだなぁ~と感じさせられたツアー参加の途中報告でした。(^^)/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、いつものように、短い滞在でペルー人とは何かを論じてしまおう。(^^)/

 

ペルーと言えばインカ帝国。

 

あの偉大なインカ帝国であります。

 

石積みの精巧さ、天文学の科学力、マチュピチュしか見ていないけれど、人里離れた高地に、あれだけの空中都市を建築してしまう、その技術力というより、統制された組織力の高さを褒めるべきでしょう。

 

現代のどんな機械力を以てしても、自給自足が可能な集落を建設するのは不可能に違いないでしょう。

 

その偉大なインカ文明はスペインのフランシスコ=ピサロによって征服されてしまった。

 

名目上はキリスト教の布教であったが、明らかに金をはじめとするインカの財宝目的でした。

 

その手法は残忍を極め、さぞかしペルーはスペインに根深い恨みを抱えているはずだと考えていました。

 

ところが、そういう感情はクスコ周辺の山岳民のみで、現在首都であるリマの砂漠気候の人々はスペインに対して悪感情を持っていないようなのであります。

 

まあ、日本の3.4倍の国土を持つペルーをひとくくりに考えられないのは当たり前ですが。

 

ペルーの独立は一応1821年ということになっていますが、その後あのシモン・ボリバルの手を借りなければなりませんでした。

 

ボリバルは理想主義者で、南米全体の統一国家を描いていました。

 

・・・・・・・

 

ペルー人との接触は現地案内人のマチュピチュのチュラ氏とリマのオスカー氏の二人だけでした。

 

偶然この二人は正反対のバックグラウンドで、チュラ氏はコテコテのインカの末裔を自任しています。

 

オスカー氏は、母親が日本人のルーツを持っていて、あまりインカの末裔という意識はありません。

 

・・・・・・・

 

ペルー人とは何か?

 

ものすごく単純な決めつけですが、「自分たちのアイデンティティーを明確に持てない人たち」としておきましょう。(^^)/

 

リマにある(征服者)フランシスコ=ピサロの銅像。

 

 

 

・・・・・・・っということで、2泊したマチュピチュを離れます。
 
今日はクスコに戻って旧市内の観光。
 
その後は飛行機でリマに移動。
 
リマ観光をした後、夕食。
 
リマ空港に移動し、次の目的地サンパウロに行く飛行機の出発はなんと真夜中の0時45分。
 
機中泊です。
 
サンパウロで5時間の飛行機待ち、イグアスの滝にあるホテルに飛行機で移動し、到着するのがナナント午後の3時ですぞっ!!
 
誰だ!こんなハードなスケジュールを考えたヤツは?
 
良く調べもせずに参加したヤツは誰だっ!!
 
マチュピチュ駅からオリャンタイタンボ駅まで、今度は明るい中を走ります。
 
ジジババなのに、何故かはしゃぐことはしゃぐこと。
 

 

次はバスに乗り換えて、あの地獄のロードを走ります。

 

前回船酔いした女性の隣に座りましたが、いつ吐くのかヒヤヒヤものでした。

 

途中のトイレタイムで初めて見たアルパカ牧場。↓

(なんせ高齢者の団体なので、トイレ休憩が多い。(^^ゞ)

 

 
前回観なかったクスコ旧市街の残り。
 
↓アルマス広場。
 

 
今日は日曜日でちょうどイースターに当たりました。
 

 
ペルーはカソリックの国でかなり盛大な祭りでした。
 

 
背後の教会はクスコ大聖堂。
 

 

ここまでは、天気に恵まれました。

 

 

 

クスコ大聖堂にも入場できました。

 

 

インカはスペインによって滅亡させられましたが、その末裔はカソリック(宗教)とスペイン語(国際語)という大きな財産を受け取ることになったわけです。

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、結局午後の部にも参加しました。

 

午後の部の特徴は、見張り小屋のさらに上からマチュピチュを見下ろすところです。

 

強烈な登りだと聞いたけど、大したことありませんでした。

 

↓見張り小屋(尖った屋根)を見下ろせます。

 

 

自撮りだとやたら自分の顔がドアップになってしまいます。

 

 

やっぱりガイドに撮ってもらうのがいいです。

 

証拠写真になります。

 

 

左下に川が見えますが、アマゾンまで繋がっているそうです。

 

川沿いにマチュピチュ鉄道が通っています。

 

崖崩れで寸断されることもあり、マチュピチュは今も秘境です。

 

 

同じような写真ですみません。

 

 

↓見張り小屋。

 

茅葺きは再現されたもので、当時の家々の姿を想像できます。

 

小屋の前には生贄を捧げる石台があります。

 

 

ガイドに人間を生贄にしたのか質問すると、それはスペイン人が征服を正当化するためのデマだといいました。

 

メキシコのマヤ文明とか、アステカ文明は人間を捧げたけど、インカ文明は証拠がないので違うと強く否定しました。

 

あくまで動物の生贄だそうです。

 

この辺は面白いですね。

 

彼の祖国愛(日本愛も)を強く感じました。

 

あと、フジモリ大統領の評価は高かったですね。

 

マチュピチュ村に降りてきて、本日の〆はビールです。

 

ホテル近くのバーで、こちらは600mlボトルで約千円です。

 

 

明日は5時にホテルを出て、クスコまで地獄ロード引き返し、サンパウロにむかいます。


午前0時発のイグアスの滝に向かう飛行機に乗り換えます。


イグアスまでは機中泊の強行軍です。(@_@;)

 

一体誰がこんな旅行計画を立てたんじゃ?ヽ(`Д´)ノプンプン


こんな旅行の参加者は、みんなマゾの傾向があるんじゃないの?

 

・・・・・・・っということで、参加者の中には、マチュピチュ2度目という人が何人かいます。

 

それほど魅力があるのか?

 

・・・ぼくには分かりません。(^^ゞ

 

今回はマチュピチュ入場が午前と午後の2回に分かれています。

 

午前の部ののち、ランチを食べながら、「もういいっかな?」と考えたのは事実です。

 

感じは掴めたからです。

 

午後の部はさらに登りがきついと聞き、村に帰ってのんびりしたいというのが正直な気持ちでした。

 

2度目組が隣に座っていて、ぜひ上からの展望をと勧められ、やっぱり午後の部も参加することにしました。

 

・・・・・・・

 

以下は、まだ午前の部の写真です。

 

写真が多くて羅列になってしまいますが。

 

 

↓上に見えるのが見張り小屋です。

 

午後の部に含まれます。

 

 

段々畑が遺跡全体を取り巻いています。↓

 

明らかに自給自足を狙っています。




 

天体観測所で、太陽の運行を正確に把握していたことが分かります。↓

 

 

治世の基礎は天のお告げであって、天のお告げは正確に天体観測をする必要があります。l

 

世界中でそれが共通しているのが面白いですね。

 

政令を出すのも、軍事行動をするにも、天のお告げが必要だったのです。

 

 

現代では、天文学者というと趣味の世界に生きる人種のようですが、当時はとても重要な任務を授けられていたのです。

 

 

夏至から冬至まで山の間を太陽は左右に動きます。

 

それぞれの山の峰が目印(メモリ)になります。↓

 

残念ながら雨季には天体観測が困難になってしまいますが。

 

 

天体観測が王の部屋に近いのにはそれなりの理由があるのです。↓

 

 

↓当時はここに扉があったはずです。

 

 

冬至の観測窓。(たぶん)↓

 

 

雪を冠するのは4000m以上の山々で、標高2,430mのマチュピチュには雪が降りません。

 

そのため、それ以上の標高の雪解け水が頼りなのです。↓

 

 

↓三つの窓の家。(いい感じの風景でしょう?)

 

 

 

何と、マチュピチュには大学があったとのこと。↓

 

文字は存在しなかったのですが、繊維を編んだものに結び目をつけて、文字の代わりとしたそうです。

 

これはビックリ説ですね。

 

大学の教室の壁には杭が出ていて、その輪に編んだ輪をひっかけるのだそうです。(@_@;)

 

 

↓コンドルの間だそうです。

 

下の三角形はコンドルの頭部。

 

 

↓両後ろの構造物はコンドルが翼を広げた形。

 


 

以上が午前の部。

 

ランチののち、午後の部に続きます。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、4月12日は今回の目玉マチュピチュ観光です。

 

出発3日目にしてようやく観光と相成ります。

 

朝食はビュッフェスタイル。

 

まともなホテルだとわかります。

 

個人旅行だとこうはいかない。(^^ゞ

 

↓マチュピチュの村のメインストリートが見えます。

 

 

マチュピチュ村が険しい山間にあることがわかります。

 

 

添乗員の真面目な田口さん。

 

自分の仕事を「水商売」と卑下していました。

 

しかし、阪急交通社の中では手堅いエースであることは間違いないでしょう。

 

 

マチュピチュ行きのバスを待っているところです。↓

 

近年は入場制限で、チケットが取れるだけで奇跡のようです。

 

こういうところはツアーの有利な点です。(ツアーでさえチケットが確保できずにキャンセルになることもあるようです。)

 

チケットも、バスのチケットも全く心配いりません。

 

 

ピストンバスで20分ほどで着きます。

 

非常に効率よく運行されていて、待ち時間もそれほどありません。

 

カーブの連続道もベンツのバスで慣れた運転で登っていきます。

 

↓バスからの風景です。

 

 

 

ゲートでの長い待ち客の列です。

 

これでも入場制限で短いほうのようです。

 

 

おおぉ~マチュピチュだっ!!とついシャッターを切ってしまいます。(^^ゞ

 

 

紫外線は強烈です。

 

 

まだまだ絶景があるのに、参加者たちは次々とガイドに撮影をねだります。^m^

 

 

まだまだ続く。

 

 

・・・・・・・っということで、今回の旅行は勉強不足で、連れて行かれるまま、どこがどこだかサッパリ分かりません。(^^ゞ

 

太陽の神殿の続き。

 

 

神殿内の有名な通路だそうです。↓

 

 

クスコの町の印象はインカ帝国の立派な都市を、スペイン人が好き勝手に「改悪」したという感じです。

 

・・・・・・・

 

クスコからマチュピチュ行の電車が出るオリャンタイタンボ駅までバスで2時間と言われたのですが、これが地獄のロード。

 

山道をクネクネとでこぼこ道を延々と走ります。

 

永遠に続くかと思われました。

 

尻は痛くなるし、酔ってしまう人も続出。

 

しかも断崖絶壁だから安全ベルトを締めなければなりません。

 

それがストッパーがないので、揺れるごとに締まっていくのです。

 

ベルトを外すわけにもいかず、ずっと握りしめていると掌が痛くなります。

 

マチュピチュといえばペルーのドル箱。

 

舗装するだけの予算を持っていないのです。

 

ほうほうの体で駅にたどり着くと真っ暗。

 

いちばん安いクラスの展望車ですが、景色全く見えず。

 

↓車内です。

 

 

ホテルに着いたら即夕飯。

 

ポークリブの塊です。↓

 

むちゃくちゃ固いけど、美味しかった。(^^)/

 

 

デザート。

 

ペルーとは思えないレベルの高さです。

 

 

やっぱり、ビールを飲まずに一日は終わりません。

 

これがクスコ産のビールで、結構いけます。

 

ただし、310mlで6ドル=900円もします。

 

隣にビール好きがいて、(元電機メーカーのエリート)結局2本飲みました。(^^ゞ

 

 

ルームは平均以上でした。

 

 

シャワーを浴び、6時半のモーニングコールまで死んだように寝ました。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、高山病でフラつきながら旧市街を散歩しました、ステッキをつきながら。


先端がゴムならOKです。


ガイドの声が無線で聞ける受信機っ便利ですね。









緻密な石組みがいたるところに見えます。


マルマス広場でクスコの中心です。






観光客が多いです。


見事です。


これが観光目玉の12角の石です。


定番の土産物屋に連れて行かれます。

基本通貨はドルのみ。


太陽の神殿です。

ガイドのエドガー・チュラ氏。

日本でバーテンダーをして日本語覚えたそうです。

ユーモアがあって優秀です。




犠牲を捧げる台。


クスコは鎌倉時代発展し、スペイン人の侵入によって室町時代には滅びます。