・・・・・・・っということで、参加者の中には、マチュピチュ2度目という人が何人かいます。
それほど魅力があるのか?
・・・ぼくには分かりません。(^^ゞ
今回はマチュピチュ入場が午前と午後の2回に分かれています。
午前の部ののち、ランチを食べながら、「もういいっかな?」と考えたのは事実です。
感じは掴めたからです。
午後の部はさらに登りがきついと聞き、村に帰ってのんびりしたいというのが正直な気持ちでした。
2度目組が隣に座っていて、ぜひ上からの展望をと勧められ、やっぱり午後の部も参加することにしました。
・・・・・・・
以下は、まだ午前の部の写真です。
写真が多くて羅列になってしまいますが。
↓上に見えるのが見張り小屋です。
午後の部に含まれます。
段々畑が遺跡全体を取り巻いています。↓
明らかに自給自足を狙っています。
天体観測所で、太陽の運行を正確に把握していたことが分かります。↓
治世の基礎は天のお告げであって、天のお告げは正確に天体観測をする必要があります。l
世界中でそれが共通しているのが面白いですね。
政令を出すのも、軍事行動をするにも、天のお告げが必要だったのです。
現代では、天文学者というと趣味の世界に生きる人種のようですが、当時はとても重要な任務を授けられていたのです。
夏至から冬至まで山の間を太陽は左右に動きます。
それぞれの山の峰が目印(メモリ)になります。↓
残念ながら雨季には天体観測が困難になってしまいますが。
天体観測が王の部屋に近いのにはそれなりの理由があるのです。↓
↓当時はここに扉があったはずです。
冬至の観測窓。(たぶん)↓
雪を冠するのは4000m以上の山々で、標高2,430mのマチュピチュには雪が降りません。
そのため、それ以上の標高の雪解け水が頼りなのです。↓
↓三つの窓の家。(いい感じの風景でしょう?)
何と、マチュピチュには大学があったとのこと。↓
文字は存在しなかったのですが、繊維を編んだものに結び目をつけて、文字の代わりとしたそうです。
これはビックリ説ですね。
大学の教室の壁には杭が出ていて、その輪に編んだ輪をひっかけるのだそうです。(@_@;)
↓コンドルの間だそうです。
下の三角形はコンドルの頭部。
↓両後ろの構造物はコンドルが翼を広げた形。
以上が午前の部。
ランチののち、午後の部に続きます。