行ってみなきゃ分からないマチュピチュ | so what(だから何なんだ)

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人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、参加者の中には、マチュピチュ2度目という人が何人かいます。

 

それほど魅力があるのか?

 

・・・ぼくには分かりません。(^^ゞ

 

今回はマチュピチュ入場が午前と午後の2回に分かれています。

 

午前の部ののち、ランチを食べながら、「もういいっかな?」と考えたのは事実です。

 

感じは掴めたからです。

 

午後の部はさらに登りがきついと聞き、村に帰ってのんびりしたいというのが正直な気持ちでした。

 

2度目組が隣に座っていて、ぜひ上からの展望をと勧められ、やっぱり午後の部も参加することにしました。

 

・・・・・・・

 

以下は、まだ午前の部の写真です。

 

写真が多くて羅列になってしまいますが。

 

 

↓上に見えるのが見張り小屋です。

 

午後の部に含まれます。

 

 

段々畑が遺跡全体を取り巻いています。↓

 

明らかに自給自足を狙っています。




 

天体観測所で、太陽の運行を正確に把握していたことが分かります。↓

 

 

治世の基礎は天のお告げであって、天のお告げは正確に天体観測をする必要があります。l

 

世界中でそれが共通しているのが面白いですね。

 

政令を出すのも、軍事行動をするにも、天のお告げが必要だったのです。

 

 

現代では、天文学者というと趣味の世界に生きる人種のようですが、当時はとても重要な任務を授けられていたのです。

 

 

夏至から冬至まで山の間を太陽は左右に動きます。

 

それぞれの山の峰が目印(メモリ)になります。↓

 

残念ながら雨季には天体観測が困難になってしまいますが。

 

 

天体観測が王の部屋に近いのにはそれなりの理由があるのです。↓

 

 

↓当時はここに扉があったはずです。

 

 

冬至の観測窓。(たぶん)↓

 

 

雪を冠するのは4000m以上の山々で、標高2,430mのマチュピチュには雪が降りません。

 

そのため、それ以上の標高の雪解け水が頼りなのです。↓

 

 

↓三つの窓の家。(いい感じの風景でしょう?)

 

 

 

何と、マチュピチュには大学があったとのこと。↓

 

文字は存在しなかったのですが、繊維を編んだものに結び目をつけて、文字の代わりとしたそうです。

 

これはビックリ説ですね。

 

大学の教室の壁には杭が出ていて、その輪に編んだ輪をひっかけるのだそうです。(@_@;)

 

 

↓コンドルの間だそうです。

 

下の三角形はコンドルの頭部。

 

 

↓両後ろの構造物はコンドルが翼を広げた形。

 


 

以上が午前の部。

 

ランチののち、午後の部に続きます。