憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早に20数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

イタリア生活十数年。イタリア人ダンナとの結婚生活も十数年。

“イタリア生活”…なんてステキな響きなの~キラキラ…と思ったら大間違い!

人生そんなに甘くないのね。

甘いこともあるけれど、苦いこともあるのです。

それが日本でもイタリアでも。

私のイタリア生活の甘いも苦いも御紹介。


イタリア・フィレンツェで日本語を教えています。
2017年3月に息子が誕生しました。3か月早い早産でした。

日本語講師の仕事の事、

私・ダンナ・息子・ねこの3人と1匹家族のイタリア・フィレンツェ生活を綴っていきます。


※ブログに掲載されている写真を無断で転載したりしないよう、よろしくお願いします。


 

 

 

 


    

2025年に

乳ガンが見つかってから

手術、治療まで

当時の私の記録



 

8月1日

 

1回目の手術から約10日。

 

やっと1本のドレーン(リンパについていたほう)が外れる。

 

でも、2本ついていたので、相変わらず1本はある。

 

 

 

日本の母から電話。

 

4日にイタリアに着くはずだったが、叔母がコロナに感染したため、発てないと。

飛行機の変更を試みるも、お盆近くになることもあり、伊丹から羽田までの国内線の空席が0。

結局、チケットキャンセル。

今年は本当についてない。

 

 

 

8月6日

 

2本目のドレーンがやっと外れる。

 

自由だー!

 

 

 

 

それにしてもむくみがすごい。

 

入院前より食べていないし、痩せているはずなのに、体がパンパン。

 

着ていた服も入院前よりきつく感じるってどういうこと???

 

 

 

外来の際、ドクターたちからは…

 

「たくさん歩いてください。

でも、できるだけ、汗をかかないで!

汗をかくと傷口がふさがりにくいから。」

 

 

毎日40度ちかくあるフィレンツェ市内…。

 

 

無理難題。

 

 

 

でも、家族3人で、山の上にある教会へ行ったり、涼しい場所を探して歩きに行く。

 

 

 

 

倦怠感やめまいは8月半ばくらいから徐々になくなる。

 

傷口は痛いが、痛み止め無しでも生活できるくらいになる。

 

腕はあまり上がらない。

 

 

 

 

 

8月14日

 

乳腺外科外来でこの日は傷口を縫われた💧

 

やはり夏場ということと、2回同じ場所を開けていることもあって、傷口の治りが悪いらしい。

 

縫ったほうが早く治ると言われ、外来の診察室で麻酔無しでざっくざく。

 

胸にまだ感覚は戻ってきていないので、痛みは感じない。

 

 

 

8月19日

 

手術のあと、生検の結果が出る。

 

乳腺外科執刀医と面談。

 

結果は手術前に予想されていた通りだった。

 

ガンは幸いにも周りに広がってはおらず、リンパにも転移無し。

 

ガンのタイプもアグレッシブなものではない。

 

放射線治療、化学療法はなしで、ホルモン治療になるだろうとのこと。

 

これで乳腺外科は卒業。

 

ガン専門医の外来を予約してもらい、そこで今後の治療を話すことに。

 

 

 

8月25日

 

抜糸。半分だけ。

 

 

 


8月27日

 

完全に抜糸。

 

ガン専門医の外来もこの日に。

 

ホルモン治療のみでいくことに。

 

Tamoxifene EGという薬を最低5年服用する。

 

閉経前なので、この薬がいいらしいが、子宮筋腫の悪化、子宮内膜が厚くなることが懸念されると。

よって、12月ごろに一度婦人科でエコーを撮るように言われる。

 

また、この薬は「むくむ」と。

体重が増加しないことを目標に、歩いたり、ジムへ行ったり、運動をするように言われる。

 

食事制限は特になし。

 

アルコールは控えめに。

一般的に赤い肉はよくないといわれているので、食べるなとは言わないが、控えるほうがいいとのこと。

 



×××××××××××××××××××××××××××××××

 

 

 

その後、形成外科の外来が何回かあり、今月、婦人科の診察も受けました。

 

やはりホルモン剤が、子宮にはあまりよくないよう。

 

2月のガン専門医の外来で相談することになりました。

 

 

ホルモン剤については、更年期障害のような症状が出る可能性があるということで、ホットフラッシュとか心配していましたが、そういった症状は出ず。

 

ときどき強い倦怠感を感じますが、それは薬のせいなのか、なんなのか…

 

ときどき最高にイライラしますが、それは薬のせいなのか、息子のせいなのか、ダンナのせいなのか…

 

とにかく、大きな影響は出ず、ほっとしています。

 

 腕はリハビリをしなくても上まで上がるようになりました。


今、痛みは全くありません。


むくみも取れて、今は手術前より少し痩せたので、服はゆったり着られています。



 

 

残念ながら、まだ治療が終わったわけではないので、これからも自分の体と向き合い、できるだけいい状態を保てるように、努力していきたいと思います。

 

自分のため、そして、家族のために。

 

 

 

最後、駆け足で書いたブログとなってしまいました。

 

また、思い出したことがあったら、書き足していこうと思います。

 

ただ、今回、乳がんになって、一筋縄ではいかなかったけれど、今こうして元気に、普通に暮らせていることに感謝しています。

 

それは、ちょっとトラブルもあったけど、やはり手術、治療をしてくださったドクターと看護師さんのおかげですし、そして、いろいろな面で支えてくれた夫、息子、そしてお友達のおかげです。

 

 

これからも経過を、今度はリアルタイムで書いていこうと思います。

 

 

みなさんも、どうか、元気で、よいお年をお迎えください。

 

 

 

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2025年に

乳ガンが見つかってから

手術、治療まで

当時の私の記録



さて、鎖骨の下のあたりの陥没が気になっての退院。

 

退院してからも数日はかなりしんどかったです。

 

しんどかった理由は2回目の大量内出血による手術のせいだと思います。

 

もう、頭がクラクラ。

 

 

退院前の血液検査で、数値がなんとか正常範囲内に戻ったので退院となったわけですが、“貧血”ってなめてはいけませんね。

 

 

 

しんどい滝汗

 

 


 

 

 


 

退院後は形成外科と乳腺外科の外来が交互に2~3日おきにありました。

 

けっこ忙しいものですよ。

 

体調もまだ悪い中、退院から2日後に形成外科の外来。

 

 

 

そこで、事件…というほどでもないのですが、問題発生。

 

 

 

退院してから今回の入院の資料を家で見ていると、2回目の緊急手術のレポートがないことに気が付きました。

普通は手術の内容、手術が何時にどのように行われたか、手術中に行われたことが詳細に書いてあるレポートをくれるのです。

 

1回目の手術のレポートはあったのですが、2回目の手術のものがない。

 

 

ま、すぐに外来で行くし、その時言えばいいか。

 

と思い、退院後初めての形成外科外来へ。

 

 

いたのは入院中にたぶん見たことがある、若い女医さん。

ちなみに、外来はほとんどが研修医さんです。

偉い先生たちにはたぶん重要な手術説明や実際に手術のときしか会えない。

 

 

体調を聞かれ、その後、ベッドへ移動。

2つのドレーンをチェック。容器を新しいものに変えてもらいました。

それから、胸の傷口を診てもらい、消毒をしてもらって、新しいガーゼに変えてもらいました。

 

傷口の状況はまだまだふさがっていないけれど、2回手術したことを考えると普通だと言われました。

 

この時はまだ、私は怖くて傷口を診ることができませんでした。

 

 

 

その時に、鎖骨の下のほうのくぼみについて聞いたんです。

 

すると、そのドクター曰く

 

「あなたの場合は乳腺がかなり広範囲に広がっていたから、かなり上の方まで切除したため、ここにくぼみができてしまいました。

でもこれはある程度回復するはずです。

これから3か月、6か月と経過を見ていかなければなりません。

内部の傷が治るには約半年かかります。

半年後、どこまで自然に形が戻るかを見て、必要なところに処置をしていきましょう。

おそらく、脂肪を足していくことになると思います。」

 

 

 

 

3か月から6か月!?

 

 

それさ…

 

 

手術前に説明しておいてくれない???

 

 

と、言葉が出そうになったけど、この時はぐっと飲みこみました。

 

 

 

それから服を着て、椅子に座り、今回の外来の内容をPCで書いているそのドクターに、2回目の手術のレポートを受け取っていないことを言ったんです。

 

2回目の手術のレポートをくださいと。

 

 

 

すると、このドクター、何を思ったか…

 

 

「そんなものはありません。

普通、手術のレポートは患者さんには渡しませんよ。」

 

 

 

そんなはずはない真顔

 

 

 

実際に、1回目の手術の物は受け取っているし、息子の数々の手術、大きい物から小さいものまですべてのレポートが渡されてきました。

 

だからそれはありえない事を知っています。

 

 

 

 

なので、先ほどぐっと飲みこんでいた物も溢れちゃったんですよね。

 

「手術のレポートがないというのはありえません。

これまでどの手術でも、どの病院でも受け取ってきました。

実際に1回目の手術の物は私の手元にあります。

それと、鎖骨の下のくぼみについてもですが、手術前にあなた方からこういった状況になるという説明は一切ありませんでした。

あなたがたにとっては毎日のことかもしれませんが、私にとっては初めてで、想像もできないこと。このくぼみを見て、私がどれだけ不安になったか分かりますか?

“再建手術”と聞けば、全く以前とは同じではなくても、今の医療技術なら、以前と近い状態になることを想像していました。

それが今になって3か月から6か月様子を見ないといけないと言うなんて…。

手術前に術後どういう状況になるか、どういった経過をたどるか、説明してくださるべきだったのではないですか?」

 

 

それに対するドクターの答えはしどろもどろ。

 

レポートはないと言い張るのみ。

 




で、この外来、ダンナもいたんです。

 

 

なんか、はっきりしないので、2回目のレポートが出せないというのは、何か不手際がって、それを隠すために出せないんじゃ…って思えてきちゃいますよね真顔

 

 

そこでダンナが…

 

「乳腺外科、形成外科の執刀医と話させてください。

私は手術前、妻の外来にはいつも付き添っていました。

私はイタリア人です。

妻が言ったように、あなた方から術後どのような状態になるのかという説明はなかった。

そして、手術のレポートがないというのはありえない。

レポートが出せないというのであれば、しかるべき方法を取らせてもらいます。」

 

 

というわけで…

 

 

後日、乳腺外科の執刀医から電話があり、私とダンナが手術について納得していないと聞いたと電話がありました。

お互いに理解しあうために、乳腺外科と形成外科の執刀医のドクター2人と直接会って話すことになりました。

乳腺外科の執刀医は既にバカンスに入っていたようで、少し不愉快そうでしたが。

 

2人のドクターに会って、疑問、不満、不安を正直に直接話しました。

もちろん、喧嘩するわけではありません。

でもね…術後、本当にショックだったんですよ。

私の精神状態も安定していなかったからだと思うんですが。

でも、この気持ちはちゃんとドクターに伝えるべきだと思いました。

 

乳腺外科のドクターは改めて手術内容を詳しく、左胸全摘手術がいかに適切な手術であったか説明し、形成外科のドクターは…もちろん前もって説明がなかったことを謝りはしませんが、今の状況、そして今後の治療の予定と可能性を丁寧に説明してくれました。

そして、それ以降の形成外科外来に関しては、執刀医が直接診てくれることになりました。

 

ちなみに、このとき、2回目の手術レポートを受け取りました。

コンピューターのシステムの都合で、退院時にプリントできなかったという説明でした。

 

 

 

 

 

 

で。

 

 

現在ですが…

 

ま、納得しています真顔

 

 

 

ドクターたちが言っていたように、手術から4か月半経った今、鎖骨下のくぼみはだいぶ回復してきました。

胸も、以前と同じというわけではありませんが、術後に比べ、かなりいいように変わってきています。

人間の自然治癒力ってすごいですね。

 

手術から半年となる来年1月の末に形成外科外来を予約して、どのように更に自然な胸に近づけるか、ドクターと治療について話す予定です。

 

 

 

 

私にとって、大切なのはガンを完全に取り除き、再発リスクをできる限り下げること。

なので、術後どういった状況になろうと全摘手術を承諾したでしょうし、どんな状況でも受け入れる努力をしたでしょう。

 

でも、やはり…

自分が思っている以上に乳がんの手術というのは精神的ダメージも大きいのだと思います。


だから、私の場合、術後、聞いていなかったこと、自分にとっては想定外のことが起きて、大きなショックを受けました。悲しかった。


ガンの告知をされたときに涙は出ませんでしたが、鎖骨の下のくぼみを見たときには涙が出てきました。


 

だから、やっぱり手術前の説明は大切

今度手術することがあったら、術後のこともとことん質問しようと思います。

 

 

 

 

 

 

一筋縄ではいかなかった今回の手術ですが…

ま、今のところ納得しています。


形成外科に関しては、まだ終わっていないので、これからの治療に期待して…。

 

 

 

 

 

 

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病院食の話。



入院していたカレッジ病院(フィレンツェ大学病院)は病院食の新しいプロジェクトがあるらしく、それぞれの患者の年齢、体型、病気に合った病院食を提供しており、患者によってメニューが全然違ったのです。


毎朝、若いお姉さんがタブレットを持って病室に来て、今日のメニューを言ってくれました。




で、そのプロジェクトで判断された


の病院食は



"ベジタリアン食"

🍆🥔🥕🥑🍓🍒



病院にいる間、一切、魚も肉も卵も出ませんでした。


意識高い系のカフェメニュー並みの見た目と味でしたけど。


だから、美味しかったのは美味しかったです。


料理の写真を撮っていなかったのが残念です。




やたらと穀類•豆類を食べさせられました。




ちなみに、同室の50代女性はかなり細身の人で、鶏肉と卵とか出てました。





これ…


私、


"あまり食べるな" 


"痩せろ"


って言われてるよね?



すごくないですか?日本であり得る?






ちなみに、退院後は形成外科のドクターに、

「大量の出血があったから、今はダイエットとか考えないように。しっかり食べて、しっかり水も飲んで。」

と言われました。



いや、でも、病院で提供されたメニュー考えると…

ベジタリアン食のほうが、

君にはいいよ

と確実に言われてるわけで💧



考えさせられた食事内容でした真顔



野菜は好きです✨


でも、肉も魚も食べたい❗










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2025年に

乳ガンが見つかってから

手術、治療まで

当時の私の記録




 

 

7月27日(日)

 

予定通り退院です。

 

朝、担当のドクターが来て、退院許可証を書いていってくれました。


処方されたのは痛み止の薬と血栓を防ぐための注射。

 

そして病欠の書類も。

 

退院から3週間の病欠が出ました。ドクターに渡された書類を働いている学校にメールすればOK。

 

そして、「3週間で仕事に復帰するのはおそらく難しいと思われるから、病欠の延長は直接ホームドクターと話して決めてくれ。」と。

 

退院の日にはまだドレーンが2つついていましたが、ドレーンと共に退院。

 

そのドレーンの確認と、傷口の消毒のために、これから2日おきに結局病院へ通うのです。

 

私たちはカレッジ病院(フィレンツェ大学病院)の近くに住んでいるのでいいですが…遠くだったら大変ですよ。どうするんだろう?

 

 

「このドレーン、どれくらいで外れますかね?」

 

とドクターに聞くと、

 

「一つは早く外れると思いますよ。

1週間くらいかな?

もう一つは…2週間くらいはかかるかなぁ…。」

 

「8月4日から母と親戚が日本から来るんです。観光、できますかね?」

 

「できる!できる!どこまで歩いてもかまわない。

無理をするのはダメだけど、むしろ歩いたほうがいい。

ただ…ドレーンも一緒にね♪」

 

 

2つのドレーンを入れる青色の斜めがけのバックを病院に貸していただき、退院することになったのでした。

 

 

 

「何時までに病院を出て行かないといけませんか?」

 

「何時でもいいですよ。

お昼ご飯を食べた後でも。

家族の方と話して、都合がいい時に退院してください。」

 

とな。

 

 

そして、

 

「もし、何かあった場合はここに電話してください。

これはこの病棟の電話番号です。

なので、直接医師か看護師が出ます。

何かあった場合は直接ここに来てもらうことになりますが、まず、電話を入れてください。」

 

ということでした。

 

 

 

 

 

 

あとね…この退院の時に気になることがあったんですよ。

 

 

それは…

 

鎖骨の下の部分がかなり陥没しているということ。

 

 

手術をした胸のところはガーゼに覆われていて、どういう状態か見えないのですが、ガーゼで覆われていない鎖骨の下あたりが大きく陥没してきたのです。

 

術後すぐは腫れていたし、内出血もしたので分からなかったのですが、退院するときになって、そんな状態。

 

これは普通なの?

という疑問が出てきて、看護師さんを呼び、形成外科のドクターにも診てもらったのですが…

 

「2日後、形成外科外来に来ますよね?

その時にガーゼを全部はがして、立った状態でよく見てみましょう。

傷口も触った感じも問題はありません。」

 

とのこと。

 

 

そんなもの?

 

と思ったものの…

 

 

夫と息子に昼ご飯の後、迎えに来てもらって、久しぶりに家へと帰ったのでした。

 

 

 

帰り道も車が…

 

 

フィレンツェの道!

 

凸凹すぎる!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2025年に

乳ガンが見つかってから

手術、治療まで

当時の私の記録



準集中治療室から普通病棟に戻りました。

 

病室は緊急手術の前にいた病室。

 

病室で一緒だった患者さんも同じで、

 

「よかったー!心配していたのよ💦無事で本当によかった!」

 

と、私が戻ったことを喜んでくれました。

 

彼女とも病気のこと、家族のこと…いろいろ話したなぁ…。

今でも彼女とのメッセージ交換は続いています。

お互い、病気に負けないように頑張っています。

 

 

夜が明けて翌日の朝。

 

 

日勤の看護師さんたちやドクターたちが来て…

 

 

「おかえりなさい!心配してたのよー!」

 

「よかったー!本当にびっくりさせるんだから!!!」

 

「無事で本当によかった!もう、怖がらせないでよー!」

 

 

 

怖かったの私ですがな真顔

 

 

 

 

とは言いませんでしたけど。

 

 

「私も怖かったよー!」

 

と言うと、

 

「だよね。私たちも怖かったもの💦」

 

と。

 

 

 

で、どうしてこの出血が起こったのかドクターに聞いたんです。

 

すると、

 

「普通は起こらない。

幸いにもこうした出血が起こる可能性というのはかなり少ない。

でも、外科手術である以上、一定のそういったリスクは必ずある。

あなたの場合、かなり乳腺が広範囲にあったのと、ガンの位置が予想より深く、筋肉に近かった。また、あたなの血液は普通の人より少し固まりにくいのかもしれない。」

 

と、なんともぼかした、「運悪かったね」的な説明で、なんだか腑に落ちるような落ちないような…。

 

 

で、その日は

 

「今日はベッドから起きないで。

ヘモグロビンの値が著しく低い。

頭がくらくらするでしょう?

ヘモグロビンの数値を上げるために輸血を行います。」

 

と。

 

 

500mlx2、合計1lの輸血をしました。

 

まぁ、できることならしたくなかったですが…

 

 

でもね…私、今まで健康そのもので、貧血とかも経験したことがなかったのですが、このときは本当にしんどかったです。

 

手足はむくんでパンパン。

スマホの操作ができないほど。

 

頭はくらくら。

体には力が入らない。

 

これも全て血が足りていなかったことが原因だったのでしょう。

 

 

輸血の袋を持ってきた看護師さんが

 

「さぁ、立派なビステッカを持って来たわよ!

二つもあるわよ!

これで元気になるからね!」

 

と、フィレンツェ・ジョーク。

 

 

“ビステッカ”とはフィレンツェ名物のTボーンステーキのこと。

このステーキは焼き加減レアで食べるのが決まり。

血が滴るような状態の焼き加減で食べるんです。

だから、輸血の血を“ビステッカ”と見立ててたわけです。

 

 

で、この輸血が…

 

やっぱり元気になるんですね。

 

本当に献血をしてくださった方たちに感謝です。

 

有難く使わせていただきました。

 

 

 

 

 

次の日にはさらに元気になり、頭もクラクラしなくなってきました。

 

おしっこのカテーテルも外されて、「ゆっくり歩き始めるように。」と言われました。

 

看護師さん付き添いのもと、ゆっくり立ち上がり、最初は病室内を歩き始めました。

 

それから、少しして、同じ病室の女性とおしゃべりしながら廊下を歩くようになりました。

 

それを見たドクターも

 

「よかった。順調そうで。今朝の血液検査の結果も良かったですよ。」

 

と。

 

そして、

 

「明日、退院できそうですね。」

 

と。

 

 

 

 

 

「えぇ!?明日、退院なんですか!?ポーン

 

一昨日まで準集中治療室にいましたけど!?

 

正直、心配なんですけど…。」

 

 

と、これはドクターに言いました。

 

 

スパルタすぎやしませんか?

 

 

「でも、血液検査の結果も良かったし、ここにいてもすることってないんですよね。

退院と言っても、Dimissione Protettaです。何かあった場合には直接病棟に連絡をしてもらって、直接この病棟に来てもらうことになります。だから、心配はいりませんよ。」

 

と、医療ケアが保証されている退院だよ♪みたいな感じで言われましたが💧

 

 

まぁ、手術も、治療も、入院も、全てが無料ですからね。

 

少しでもベッドの回転率は上げるべきだとは私も思います。

 

 

それにしても…

 

やっぱり、退院、早いなー!

 

 

 

と思わずにはいられないイタリア生活21年の私なのでした。

 

 

 

 

 

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