
2025年に
乳ガンが見つかってから
手術、治療まで
当時の私の記録
8月1日
1回目の手術から約10日。
やっと1本のドレーン(リンパについていたほう)が外れる。
でも、2本ついていたので、相変わらず1本はある。
日本の母から電話。
4日にイタリアに着くはずだったが、叔母がコロナに感染したため、発てないと。
飛行機の変更を試みるも、お盆近くになることもあり、伊丹から羽田までの国内線の空席が0。
結局、チケットキャンセル。
今年は本当についてない。
8月6日
2本目のドレーンがやっと外れる。
自由だー!
それにしてもむくみがすごい。
入院前より食べていないし、痩せているはずなのに、体がパンパン。
着ていた服も入院前よりきつく感じるってどういうこと???
外来の際、ドクターたちからは…
「たくさん歩いてください。
でも、できるだけ、汗をかかないで!
汗をかくと傷口がふさがりにくいから。」
毎日40度ちかくあるフィレンツェ市内…。
無理難題。
でも、家族3人で、山の上にある教会へ行ったり、涼しい場所を探して歩きに行く。
倦怠感やめまいは8月半ばくらいから徐々になくなる。
傷口は痛いが、痛み止め無しでも生活できるくらいになる。
腕はあまり上がらない。
8月14日
乳腺外科外来でこの日は傷口を縫われた💧
やはり夏場ということと、2回同じ場所を開けていることもあって、傷口の治りが悪いらしい。
縫ったほうが早く治ると言われ、外来の診察室で麻酔無しでざっくざく。
胸にまだ感覚は戻ってきていないので、痛みは感じない。
8月19日
手術のあと、生検の結果が出る。
乳腺外科執刀医と面談。
結果は手術前に予想されていた通りだった。
ガンは幸いにも周りに広がってはおらず、リンパにも転移無し。
ガンのタイプもアグレッシブなものではない。
放射線治療、化学療法はなしで、ホルモン治療になるだろうとのこと。
これで乳腺外科は卒業。
ガン専門医の外来を予約してもらい、そこで今後の治療を話すことに。
8月25日
抜糸。半分だけ。
8月27日
完全に抜糸。
ガン専門医の外来もこの日に。
ホルモン治療のみでいくことに。
Tamoxifene EGという薬を最低5年服用する。
閉経前なので、この薬がいいらしいが、子宮筋腫の悪化、子宮内膜が厚くなることが懸念されると。
よって、12月ごろに一度婦人科でエコーを撮るように言われる。
また、この薬は「むくむ」と。
体重が増加しないことを目標に、歩いたり、ジムへ行ったり、運動をするように言われる。
食事制限は特になし。
アルコールは控えめに。
一般的に赤い肉はよくないといわれているので、食べるなとは言わないが、控えるほうがいいとのこと。
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その後、形成外科の外来が何回かあり、今月、婦人科の診察も受けました。
やはりホルモン剤が、子宮にはあまりよくないよう。
2月のガン専門医の外来で相談することになりました。
ホルモン剤については、更年期障害のような症状が出る可能性があるということで、ホットフラッシュとか心配していましたが、そういった症状は出ず。
ときどき強い倦怠感を感じますが、それは薬のせいなのか、なんなのか…
ときどき最高にイライラしますが、それは薬のせいなのか、息子のせいなのか、ダンナのせいなのか…
とにかく、大きな影響は出ず、ほっとしています。
腕はリハビリをしなくても上まで上がるようになりました。
今、痛みは全くありません。
むくみも取れて、今は手術前より少し痩せたので、服はゆったり着られています。
残念ながら、まだ治療が終わったわけではないので、これからも自分の体と向き合い、できるだけいい状態を保てるように、努力していきたいと思います。
自分のため、そして、家族のために。
最後、駆け足で書いたブログとなってしまいました。
また、思い出したことがあったら、書き足していこうと思います。
ただ、今回、乳がんになって、一筋縄ではいかなかったけれど、今こうして元気に、普通に暮らせていることに感謝しています。
それは、ちょっとトラブルもあったけど、やはり手術、治療をしてくださったドクターと看護師さんのおかげですし、そして、いろいろな面で支えてくれた夫、息子、そしてお友達のおかげです。
これからも経過を、今度はリアルタイムで書いていこうと思います。
みなさんも、どうか、元気で、よいお年をお迎えください。
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