シリーズ激動の昭和3月10日・東京大空襲語られなかった33枚の真実
いくつか印象に残った点。
B29の搭乗員へのインタビューで、ある搭乗員が東京大空襲の石川が撮った写真を見せられ、「仕方なかった、任務だったんだ」と身体を震わせながら語る場面。文字だけにすると冷たい感じがするけれども、おそらく複雑な感情が胸のうちにはあったのだろう。映像の力か。
Apemanさんの「「悔恨」はどのように表現されるのか」 というエントリの趣旨と関連するのかもしれないけれども、写真の持つ迫力が、ストレートに相手の心に突き刺さり、その姿もまた映像で捕らえた、ということなのかもしれない。
最後のナレーション。クラスター爆弾等々、現代につながる問題であることを述べた。これは大きいことだと思う。
「あの時代は大変でしたね」で終わるのでもなく、「あの時代の人びとのおかげで-死んでまで守ってくれたから-今の日本がある」というような勝手な物語をデッチあげるのでもなく、冷静に、当時と現在の連続性について触れ、いまの日本政府の態度に疑問を突きつけた。いまのマスコミの状況を考えれば、拍手を送りたいぐらい。
途中から見たのではじめのほうで何を言っていたのかわからないのですが、一瞬ちらりと見えたのは、重慶爆撃。無差別の空襲という戦術は、ずっと前から日本が先に行っていたということも取り上げていたのだろうか。だとすれば、ますます良い番組と言えるだろう。
日本のマスコミも、まだまだ捨てたものではない、という気にさせてくれた。
同時に、ずっと昔、私は表参道近くの青山通りをよく歩くことがあったのだが、東京大空襲の写真であそこに黒こげの死体がずらっと並んでいる場面も思い出した。
自分が歩いている道に、かつて大量の死体が並べられていたということ、今回の番組で示されたように、単に死者の「数」にとどまらない個別性があることを、忘れないようにしたいと思う。
とりとめのない感想ですが、とりあえず。
江本流「波動」理論(3)
以下、「水伝3」p.140より。
MRAで波動水をつくる前々回に示した「波動」についての注釈は、1行目の「波動性」に対してつけられたものである。
以後、わたしはまるで第3の目を得たように、いろいろなもののいわゆる波動性(それが波動だと後にわかったのですが)を測定しました。そして、念願の水を測定する技術を身につけたのです。さらにMRAには身体の中の振動の乱れを測定する機能、それを修正する振動(以後「波動」という)転写機能を備えていましたので、わたしは波動を転写するための媒体として、おりしもリー博士が完成させた特殊な水、マイクロクラスター水を選び「波動水」をつくりはじめたのです。
さてよく理解できないのは、その注釈にあるように、江本はもともと「磁気共鳴パターン」とMRA開発者が呼んでいたものを、わかりやすく日本語に置き換えるために「波動」と名付けた、と言っている。ところが、ここでは「それが波動だと後にわかったのですが」と言っている。これは変だ。自分で勝手に「波動」と名付けておいて、それが波動だとあとからわかるというのは一体どういうことだろうか。
おそらく、「わかりやすく」波動と名付けたという言葉の意味が、「自分(江本)がわかった気になった」ということなのだろう。「波動」と名付けることによって、おそらく江本は色んなことが「わかった」気になったのだと思われる。
次にMRAの機能について、ここでは「振動」という言葉を使っている。これはおそらく「vibration」を訳したものと思われる。というのは、この手の文章には英語あるいはカタカナでよく vibration と出てくるからだ。とはいえ、「身体の中の振動」自体が意味不明なので、その乱れと言っても意味がわからないし(わかった気になっている人が大勢いるのだろうが)、ましてやその乱れを修正する振動を「転写」すると言われてもさっぱりわからない。一体なにが起きているのか。
そして、出ました「マイクロクラスター水」!実際には水のクラスターなんて一瞬で変化してしまうので、クラスターの小さい水なんてものは存在しないのだが…。
話を続けよう。
もともとMRAが開発された目的は、ホメオパシー治療のためでしたから、開発者はその被転写物質として25%アルコール溶液を使っていました。しかし、当時、まだ日本ではホメオパシーが認められていませんでしたし、ましてや医師でもないわたしがアルコール溶液を人に与えるなどしたら、すぐに薬事法や医師法に違反してしまいます。そこには、リー博士の「水」しかなかったというのが偽らざる事実で、最初から水の情報伝達力を信じ、理解していたわけではなかったのです。「エネルギーの純粋性」もなにもあったものではないのだが、そのような与太はおいておこう。ここでのポイントは、江本は何をやれば薬事法違反になるか知っていたこと、MRAの使用目的からは外れるけれども、とにかくやってみた、ということだ。もちろん、ホメオパシーを信じていること、水伝の源流がホメオパシーの思想にあることもわかる。
ただ、水よりほかに選択すべき何者もなかった、あるいは考えつかなかったことが、今思えば良かったのでしょう。水に対して「君だけが頼りだ」「君を信頼するしかない」と思ったことが、結果的に「エネルギーの純粋性」を招いたと考えられるからです。
さまざまな病に効果のあった波動水というわけで、水(ただの水!)で治療まがいのことを始めたことがわかる。それが現代医学の盲点であり、素晴らしい効果を本当に持つのなら、利益追究にかけては凄まじいエネルギー(これは「エネルギー」の比喩的使い方です、もちろん)を持つ製薬会社がほっておくわけがないだろう。
最初は社員や身内の波動測定を行い、それにより得られた歪んだ波動を矯正するための「波動水」をつくって与えているうちに、その技法が現代医学の盲点を突くような素晴らしい効果を持つことがわかってきました。そして、それは人から人へと伝わり、わたしはいつの間にか「波動水」という水だけで病気を治す代替医療の治療家としての道を歩むことになったのです。1987年後半のことでした。
以後約7年間、ただ無我夢中でいわゆる病気治しの仕事を続けました。そして、さまざまな難病にも挑戦して、たいへんめざましい成果を上げることができたのです。この間、それらの成果をまとめて3冊の本も出版しました。『波動時代への序幕』(サンロード出版)『波動の人間学』(ビジネス社)『波動の食品学』(高輪出版)という本でした。どれくらいの人が被害を被ったかわからない。もちろん、それなりの人が、効果があると思い込み、プラシーボで治ったのであろう。しかし本人も言っているとおり「医師でもないわたし」が約7年にわたり「病気治し」を行ってきたのである。どういう触れ込みで当時やっていたのかわからないが、かなり法令違反スレスレだったのではないか。
それらの本を出版した当時は、波動についての理解が進み、わたしには「波動の考え方の理解なしでは新しい世紀はない」くらいの自負はありました。しかし、本の反響は求める人ぞ求めるで、一般の人からは見向きもされないほどの売れ行きでした。
なぜ、こんなに大事で、それほどむずかしいとは思えないことが、わかってもらえないのだろう、と考え続けました。その結果得た答え、それは「人は見えないものは信用しない」ということでした。「よし、それはなら何とか見えるようにしてやろう」と持ち前の反骨精神が持ち上がり、それが現在の水の氷結写真撮影技術の開発に結びついたのです。
ところでわたしには江本の言うところの波動やMRAがどうして身体の「振動」の乱れを修正したりできたりするのかがさっぱりわからない。そんなわけのわからないものを信用しろと言われても無理だ。見える見えないの問題ではない。
しかし、世間的には、「見える」かどうかは確かに信じる信じないという点で重要だろう。主観的に見えちゃったら信じてしまう人は多い。その意味で、江本は「水伝」の出版によって、マーケティング的に成功したといえる。逆に言えば、「見えた(と思った)ら信じる」人がそれだけ多いということで、科学的思考の欠如に暗澹なる気持ちになる(欠如が時代とともに拡がっているのかどうかはわからない。少なくとも、江本の波動みたいなものをウソと見破れるだけの科学的思考を持っていない人が現状では結構いる、ということ)。そして、そういう人びとの中に、少なからぬ数の教師が入っていた。科学リテラシーを身につける教育の充実が望まれる。
※「水からの伝言」に書いてあることは間違っています。「科学的にまだ未検証」なのではなく、すでに間違っていることがわかっています。念のため。
何者?
こちら→INTEC JAPAN / BLOG
このブログの中の、「ノアの洪水」 というカテゴリに灼熱の氷惑星についての記事はあるのだが、ブログ左側のカテゴリ一覧に見当たらないのでリンクをはっておく。
見ていただくとわかるとおり、かなりイイ感じにトばしてくれているので、結構楽しめるのだが、今日はちょっと微笑ましいところだけ紹介する。
こういう記事がある:「ビートルズはドラッグの伝導者?(EJ第400号)」(2008年2月25日) 。この中で、ビートルズ以降の「ロック」の進化について、以下のように述べている。
そして、ロックは、次のようなさまざまな音楽形式を持つ音楽として確立していくことになるのです。なかなか凄いマトメですよね。(^^;;
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1.ハード・ロック 7.クラシカル・ハード・ロック
2.ヘビーメタル 8.スラッシュ・メタル
3.パンク・ロック 9.スピード・メタル
4.デス・ロック 10.ブラック・メタル
5.神秘ロック 11.グランジ・ロック
6.デス・メタル
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これを見てふっと思ったのは、水にクリスチャン・メタルの曲を聴かせたら江本はどうするか、ということ。まあ、当初へヴィメタルを聴かせると汚い結晶になるとか言ってたのに、その後は楽曲よりも歌詞の内容が云々と言い訳をするようになったので、きっと綺麗な結晶ができるのですよね。(^^)
さらに、「ハードロックとヘビー・メタル(EJ第411号)」(2008年3月5日) も凄い。凄いのだが、そのうちの一文だけ紹介する。
そして、ヴェノム、サタン、デーモン、ウィッチファンド、エンジェルウィツチなどのバンドが誕生するのです。なんなんだこのマニアックなチョイスは。(^^;;
クリスチャンメタルと言えばコレ。ライブで聖書をばらまくとかやってましたね。(^^)
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実効的検閲を求める自民党議員
自民党議員の稲田朋美らが、靖国神社に関する映画の事前試写を求めたというもの。事実上、公開に対する圧力をかけているものと取られても仕方ないだろう。
自由も民主主義も理解しない連中を議員にしているのが自由民主党という政党なのだということを、我々は理解しておく必要があるだろう。つまり、そのような議員を容認する政党の責任について、だ。
『朝日』 より。
靖国映画「事前試写を」 自民議員が要求、全議員対象に稲田は「表現の自由や上映を制限する意図はまったくない」と言っているが、仮に本心からそう言っているのだとすると、自分の言っていることが「表現の自由や上映を制限する」ことにつながっているという自覚が欠けている、と指摘せざるを得ない。わかって言っているのなら最悪だ。いずれにしても、自由と民主主義の国にふさわしい国会議員とは到底言えないだろう。2008年03月09日03時24分
靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画の国会議員向け試写会が、12日に開かれる。この映画は4月公開予定だが、内容を「反日的」と聞いた一部の自民党議員が、文化庁を通じて試写を求めた。配給会社側は「特定議員のみを対象にした不自然な試写には応じられない」として、全国会議員を対象とした異例の試写会を開くことを決めた。映画に政府出資の基金から助成金が出ていることが週刊誌報道などで問題視されており、試写を求めた議員は「一種の国政調査権で、上映を制限するつもりはない」と話している。
映画は、89年から日本に在住する中国人監督、李纓(リ・イン)さんの「靖国 YASUKUNI」。4月12日から都内4館と大阪1館でのロードショー公開が決まっている。
李監督の事務所と配給・宣伝会社の「アルゴ・ピクチャーズ」(東京)によると、先月12日、文化庁から「ある議員が内容を問題視している。事前に見られないか」と問い合わせがあった。マスコミ向け試写会の日程を伝えたが、議員側の都合がつかないとして、同庁からは「試写会場を手配するのでDVDかフィルムを貸して欲しい。貸し出し代も払う」と持ちかけられたという。
同社が議員名を問うと、同庁は22日、自民党の稲田朋美衆院議員と、同議員が会長を務める同党若手議員の勉強会「伝統と創造の会」(41人)の要請、と説明したという。同庁の清水明・芸術文化課長は「公開前の作品を無理やり見せろとは言えないので、要請を仲介、お手伝いした」といい、一方で「こうした要請を受けたことは過去にない」とも話す。
朝日新聞の取材に稲田議員は、「客観性が問題となっている。議員として見るのは、一つの国政調査権」と話す。同じく同党議員でつくる「平和靖国議連」と合同で試写会を開き、試写後に同庁職員と意見交換する予定だったという。
「靖国」は、李監督が97年から撮影を開始。一般の戦没遺族のほか、軍服を着て自らの歴史観を絶叫する若者や星条旗を掲げて小泉元首相の参拝を支持する米国人など、終戦記念日の境内の様々な光景をナレーションなしで映し続ける。先月のベルリン国際映画祭などにも正式招待された。アルゴの宣伝担当者は「イデオロギーや政治色はない」と話すが、南京事件の写真で一部で論争になっているものも登場することなどから、マスコミ向けの試写を見た神社新報や週刊誌が昨年12月以降、「客観性を欠く」「反日映画」と報道。文化庁が指導する独立行政法人が管理する芸術文化振興基金から06年度に助成金750万円が出ていたことも問題視した。同基金は政府出資と民間寄付を原資とし、運用益で文化支援している。
稲田議員は「表現の自由や上映を制限する意図はまったくない。でも、助成金の支払われ方がおかしいと取り上げられている問題を議員として検証することはできる」。
アルゴ側は「事実上の検閲だ」と反発していたが、「問題ある作品という風評が独り歩きするよりは、より多くの立場の人に見てもらった方がよい」と判断し、文化庁と相談のうえで全議員に案内を送った。会場は、同庁が稲田議員らのために既におさえていた都内のホールを使う。
李監督は「『反日』と決めつけるのは狭い反応。賛否を超えた表現をしたつもりで、作品をもとに議論すべきだ」と話す。
週刊現代の江原の記事
本質ではないけれども、気になった点を一つ。
江原に対する記者の質問、「BPOがこの番組の『人権侵害的演出』を認めたと報じられて話題となったわけですが。」に対して、「最初にまず、冷静に事実を認識してください。BPOから意見されたのは私個人ではないということなんです。」と江原が返答する。ここで私としては「おいおいそんなの当たり前だろ」とツッコミたくなるわけだが、記者は「しかし、マスコミ報道では江原さんが注意を受けたかのように報じられていましたね。」と受けててズッコケそうになった。
『朝日』 の記事にもあるように、番組が倫理に反すると言われたのであって、BPOという団体の性格を考えれば、江原に対して直接何か言う訳がない。にもかかわらず、この程度のツッコミしかできない記者はジャーナリストとしては未熟ではないか。
もちろん、江原の言い訳がましい主張を載せたのは評価に値するが、しかしそれも「見る人が見れば」江原のダメさぶりがわかるけれども、果たして江原の信奉者(弱い信奉者も含めて)がこの記事を見たらどう思うのだろうか。江原に弁明の機会を与えたという見方も可能であろう。
率直に言って、今の日本のジャーナリズムは瀕死の状態だ。マトモに批判のできる記者・媒体は限られたごく一部にすぎない(それでも頑張ってやっているジャーナリストには敬意を表する)。しかし、完全に死んでしまっては困るのだ。そうなったら日本の未来は暗黒だ。
ネット上では誰でも好きなことがいえる。しかし、私はネットはマスメディアに取って代わることは(少なくとも当面-かなり長い当面だろうけれども-)ないと思う。やはりマスメディアの影響は大きいのだ。
だから、ジャーナリストはジャーナリストとして、なんとか頑張ってほしいと思っている。