江本流「波動」理論(2)
話は少し飛ぶが、「水伝3」のp.144、「II. 祈りや言葉は水と結晶を変化させる 4つのケーススタディー」の「スタディ3 琵琶湖での祈りの実験」を取り上げたい。
江本らは、1999年7月25日に行った「琵琶湖浄化実験」をあちこちで宣伝している。どんなものかというと、その日の朝4時半、350人が集まり、ある言葉を10回唱えたのだという。
1999年7月25日を選んだのは、「古代マヤのカレンダーに則ってのこと」だという。アセンションとかもマヤの暦でしたっけ?それはともかく、次に掲げる「ある言葉」を見ると、「なんでまたこの言葉がマヤの暦と関係するのだ?」と思わざるを得ない。その言葉とは、
さて、京都新聞の記事とは、江本の要約によると、次のようなものである。例年この時期には外国産の藻(コカナダモ?)が異常発生し、在来の国内産の藻が死滅し、悪臭が発生し苦情が絶えないという。しかし、この年は悪臭が発生せず、苦情もない。しかし、原因は不明である。というような記事だそうだ(原文にあたっていないので、この要約が正しいかどうかは不明)。つまり、この言葉を唱えたことで、琵琶湖が浄化された、というのだ。
しかし、悪臭についてはともかく、この年だけ琵琶湖の水質が特に改善したということはないようである。例えば、財団法人琵琶湖・淀川水質保全機構 のウェブページを見れば一目瞭然だ。劇的に改善などしていないのである。
結局、よくある「予言」と似たようなもので、とりあえずどういう効果が出るかは明示せず、祈りをささげる、後日、改善につながるような記事が出れば、それを成果をして大々的に取り上げる、という手法なのであろう。悪臭ではなく別の点でなんらかの改善があれば、それを成果として取り上げていたはずである。
また、彼らはこの1年しか「実験」はしていないようである。それならば、年によって偶然が重なり、その時だけ起こる様々な現象があるだろう。だから、これだけでは江本らの「実験」が効果があったとは到底言えないはずなのだ。
さらに言えば、元から外来藻の駆除などは試みがいろいろされているようで、例えば水位を下げるなどして在来藻を優勢にするなどの試みはそれ以前からなされているようだ。
ちなみに江本はこの記事を見て興奮し、塩谷に報告に行ったそうである。ところが塩谷は平然として、
ところが、江本は8ヵ月後のある記事を読んで、「わたしなりにすべてを理解した」のだそうである。その記事とは、ダイオキシンやPCBの分解方法に関する技術が開発されたというものだ。大阪府立大の前田教授らは、20万Hzの超音波を水に流し、湖沼のダイオキシンやPCBを分解することに成功した、というものだそうである。
どういう技術か私にはよくわからないのだが、ざっと検索して調べたところ、どうも
で、こういう物理メカニズムの話とは関係なく、江本の妄想は炸裂する。
ま、そういう皮肉はともかく、「純粋ってどういうことやねん」とか、「宇宙のエネルギー帯ってなんやねん」とか、なんでそんな強烈な倍音成分が出てくんねん、とか、思い込みによる断定のオンパレードである。こんなものを真面目な実験と同列に見られて、大阪府大の人は怒ってもいいんじゃないかと思う。
いずれにしても、(いつものことではあるが)「勝手に理解すんなよ」と声を大にして言いたい。
(補足)
水蒸気の断熱圧縮でどれくらい温度が上昇するか考えてみる。
断熱圧縮による温度上昇は、温度をT, 体積をVとすると、T∝V-γ+1である。ここでγは比熱比で、水蒸気の場合、対称性が低いので、回転の自由度が3(ですよね?)、並進運動の自由度が3で、γ=(6/2+1)/(6/2)=4/3となるはず。ここで分子の振動モードは比較的低温のため無視する。
ただし、どうも振動準位も103[K]程度で励起されるようであり(定量的には私は詳細は知らないのですが)、そうすると水分子は非直線3原子分子なので振動モードが3つ増え、比熱比はγ=11/9になるはず。
さて、バブルの半径をrとすると、V∝r3なので、T∝r3(1-γ)∝1/rとなり、半径に逆比例して温度が上昇することになる。もし高温になって振動準位が励起されると、T∝1/r2/3となり、3桁半径が落ちると2桁の温度上昇になる。
超音波により発生するバブルのサイズはμmのオーダーのようなので、水分子程度の大きさ(0.1nm程度)が縮むミニマムであろうから、サイズは4桁程度小さくなりうる(実際はそこまで縮めないだろう。直感的には頑張っても2~3桁がせいぜい)。計算しやすいのでここでは3桁縮むとする。
すると、振動が励起されなければ温度は3桁上昇し、室温を300[K]とすれば3x105[K]、振動が励起されれば(簡単のためいつでも励起されているとすると)2桁上昇し3x104[K]程度になりそうである。
キャビテーション現象についてネット上の情報を漁ってみると、バブル崩壊の際には数千度になるというのが散見されるので、実際には生成されるバブルのサイズがもう少し小さいか、1桁程度しかサイズが縮まらないか、というのが現実的なところか。
しかしネット上の情報でこれくらいは調べられるというのは便利なものですね。
(補足その2)
流速がどれくらいになるとバブルが生成されるのか考えてみる。
ベルヌイの定理から、流速0のときの水圧をp0, 流速vのときの水圧をpとすると、p0=p+ρv2となる(ρは水の密度、ρ=103kg/m3)。水面からあまり潜らないところでは、p0は大体103hPaなので、流れがあることにより p=p0(1-ρv2/p0)となる。つまり、圧力が0になるのは、v=(p0/ρ)1/2=(103hPa/103kg/m3)1/2=10m/s程度、つまりスクリューなどがこれぐらいで回転すると、バブルが発生することになる。水圧が10倍になれば、バブル発生に必要な速度は√10倍、となる。
実際には有限温度では飽和水蒸気圧は0ではないので、もう少し遅くてもバブルは発生するだろうが、その効果は無視できるだろう。
あ、この考察は、超音波とは無関係です。水中のスクリューから発生する気泡ってのはなんなんだ、とちょっと疑問に思ったので、考えてみました。
江本らは、1999年7月25日に行った「琵琶湖浄化実験」をあちこちで宣伝している。どんなものかというと、その日の朝4時半、350人が集まり、ある言葉を10回唱えたのだという。
1999年7月25日を選んだのは、「古代マヤのカレンダーに則ってのこと」だという。アセンションとかもマヤの暦でしたっけ?それはともかく、次に掲げる「ある言葉」を見ると、「なんでまたこの言葉がマヤの暦と関係するのだ?」と思わざるを得ない。その言葉とは、
「宇宙の無限の力が凝(こ)り凝(こ)って 真(まこと)の大和(だいわ)のみ世が生(な)り成(な)った」である。これは、
当時97歳になられた、医学博士でありタオイストである塩谷信男先生が開発された大断言です。ということで、塩谷信男が開発した言葉だそうだ。マヤとどういう関係なのだろう。
ご高齢にもかかわらず駆けつけてくれた塩谷先生の音頭で、わたしたちは10回この大断言を繰り返しました。
この言葉、願いは、間違いなく宇宙に届いたのです。まずは、京都新聞同年8月27日の記事をごらんください。この記事を要約すると次のように書いてありました。
さて、京都新聞の記事とは、江本の要約によると、次のようなものである。例年この時期には外国産の藻(コカナダモ?)が異常発生し、在来の国内産の藻が死滅し、悪臭が発生し苦情が絶えないという。しかし、この年は悪臭が発生せず、苦情もない。しかし、原因は不明である。というような記事だそうだ(原文にあたっていないので、この要約が正しいかどうかは不明)。つまり、この言葉を唱えたことで、琵琶湖が浄化された、というのだ。
しかし、悪臭についてはともかく、この年だけ琵琶湖の水質が特に改善したということはないようである。例えば、財団法人琵琶湖・淀川水質保全機構 のウェブページを見れば一目瞭然だ。劇的に改善などしていないのである。
結局、よくある「予言」と似たようなもので、とりあえずどういう効果が出るかは明示せず、祈りをささげる、後日、改善につながるような記事が出れば、それを成果をして大々的に取り上げる、という手法なのであろう。悪臭ではなく別の点でなんらかの改善があれば、それを成果として取り上げていたはずである。
また、彼らはこの1年しか「実験」はしていないようである。それならば、年によって偶然が重なり、その時だけ起こる様々な現象があるだろう。だから、これだけでは江本らの「実験」が効果があったとは到底言えないはずなのだ。
さらに言えば、元から外来藻の駆除などは試みがいろいろされているようで、例えば水位を下げるなどして在来藻を優勢にするなどの試みはそれ以前からなされているようだ。
ちなみに江本はこの記事を見て興奮し、塩谷に報告に行ったそうである。ところが塩谷は平然として、
「当然の結果じゃ。宇宙には無限の宇宙エネルギーというものがあって、そこに届くように、みなで大断言をいった。そうしたら琵琶湖のあたりに、あのとき真の大和の場ができた。だから藻たちも仲良く共存したんじゃよ」と言ったらしい。なんというか、妄想の場ができてる、とでも言ったらいいのか…。
ところが、江本は8ヵ月後のある記事を読んで、「わたしなりにすべてを理解した」のだそうである。その記事とは、ダイオキシンやPCBの分解方法に関する技術が開発されたというものだ。大阪府立大の前田教授らは、20万Hzの超音波を水に流し、湖沼のダイオキシンやPCBを分解することに成功した、というものだそうである。
どういう技術か私にはよくわからないのだが、ざっと検索して調べたところ、どうも
- 超音波により、細かい気泡が発生する(音波なので水中を疎密波が伝わり、疎なところ、つまり低圧のところで気泡が発生する)
- ダイオキシンやPCBは疎水性であり、気泡にキャプチャーされる傾向がある
- 音波によって密なところ(高圧部分)が気泡を通過すると、断熱圧縮により、気泡が崩壊する(押し潰される)
- この際、断熱圧縮なので、局所的に高温・高圧の部分ができ、数千度にも達する
- ダイオキシンなどは気泡部分に局在しており、加熱されるため、分解される
で、こういう物理メカニズムの話とは関係なく、江本の妄想は炸裂する。
わたしの理解とは次のようなものです。というわけで、「科学的な尺度によって解説したという妄想を盛大に展開した」という意味で今すぐに認めたいと私は思う。
わたしたちが発した声は、おそらく300Hz程度の振動であったろうと思います。しかし、それは非常に純粋でした。なぜなら参加した全員が塩谷信男先生を敬愛していたからです。しかも明け方の4時半です。環境的にも干渉波動はなく、その振動は言霊(ことだま)に導かれて宇宙のエネルギー帯に向けてまっしぐらに飛んでいったのでしょう。そして、600Hz, 1,200Hz, 2,400Hz, 4,800Hz, 9,600Hz, 19,200Hz, 38,400Hz, 76,800Hz, 153,600Hz のそれぞれの波長帯とオクターブの理論により、「共鳴」と「エコー現象」を繰り返しながら、最終的にダイオキシンやPCBを分解してしまう周波数帯と共鳴して、それを琵琶湖の水に呼び込み、大阪府大の実験と同じ現象を招いたのではないか、と考えたのです。
以上の考察は言霊という、どちらかといえば宗教的な現象を、「振動の原則」という科学的な尺度によってはじめて解説したものとして、将来的に認められるのではないかとわたしは自負しています。
ま、そういう皮肉はともかく、「純粋ってどういうことやねん」とか、「宇宙のエネルギー帯ってなんやねん」とか、なんでそんな強烈な倍音成分が出てくんねん、とか、思い込みによる断定のオンパレードである。こんなものを真面目な実験と同列に見られて、大阪府大の人は怒ってもいいんじゃないかと思う。
いずれにしても、(いつものことではあるが)「勝手に理解すんなよ」と声を大にして言いたい。
(補足)
水蒸気の断熱圧縮でどれくらい温度が上昇するか考えてみる。
断熱圧縮による温度上昇は、温度をT, 体積をVとすると、T∝V-γ+1である。ここでγは比熱比で、水蒸気の場合、対称性が低いので、回転の自由度が3(ですよね?)、並進運動の自由度が3で、γ=(6/2+1)/(6/2)=4/3となるはず。ここで分子の振動モードは比較的低温のため無視する。
ただし、どうも振動準位も103[K]程度で励起されるようであり(定量的には私は詳細は知らないのですが)、そうすると水分子は非直線3原子分子なので振動モードが3つ増え、比熱比はγ=11/9になるはず。
さて、バブルの半径をrとすると、V∝r3なので、T∝r3(1-γ)∝1/rとなり、半径に逆比例して温度が上昇することになる。もし高温になって振動準位が励起されると、T∝1/r2/3となり、3桁半径が落ちると2桁の温度上昇になる。
超音波により発生するバブルのサイズはμmのオーダーのようなので、水分子程度の大きさ(0.1nm程度)が縮むミニマムであろうから、サイズは4桁程度小さくなりうる(実際はそこまで縮めないだろう。直感的には頑張っても2~3桁がせいぜい)。計算しやすいのでここでは3桁縮むとする。
すると、振動が励起されなければ温度は3桁上昇し、室温を300[K]とすれば3x105[K]、振動が励起されれば(簡単のためいつでも励起されているとすると)2桁上昇し3x104[K]程度になりそうである。
キャビテーション現象についてネット上の情報を漁ってみると、バブル崩壊の際には数千度になるというのが散見されるので、実際には生成されるバブルのサイズがもう少し小さいか、1桁程度しかサイズが縮まらないか、というのが現実的なところか。
しかしネット上の情報でこれくらいは調べられるというのは便利なものですね。
(補足その2)
流速がどれくらいになるとバブルが生成されるのか考えてみる。
ベルヌイの定理から、流速0のときの水圧をp0, 流速vのときの水圧をpとすると、p0=p+ρv2となる(ρは水の密度、ρ=103kg/m3)。水面からあまり潜らないところでは、p0は大体103hPaなので、流れがあることにより p=p0(1-ρv2/p0)となる。つまり、圧力が0になるのは、v=(p0/ρ)1/2=(103hPa/103kg/m3)1/2=10m/s程度、つまりスクリューなどがこれぐらいで回転すると、バブルが発生することになる。水圧が10倍になれば、バブル発生に必要な速度は√10倍、となる。
実際には有限温度では飽和水蒸気圧は0ではないので、もう少し遅くてもバブルは発生するだろうが、その効果は無視できるだろう。
あ、この考察は、超音波とは無関係です。水中のスクリューから発生する気泡ってのはなんなんだ、とちょっと疑問に思ったので、考えてみました。
江本流「波動」理論(1)
「水からの伝言」の説明原理になっている「波動」。物理学で出てくる波動とはまったく別物なのであるが、10年以上にわたってその「波動」を広めてきた江本勝が何を言っているのか、少しづつ検証していく(船井幸雄が言っていることもなかなか凄くて、あれぐらいになるとトンデモとして愛でてやりたいくらいなのだけれども、それはまあいずれ)。 これも不定期連載ということで。
彼(江本)が出した書籍は多いけれども、初期のころの波動に関するものを幾つか上げると次のようになる:
なお、「水伝1」は99年の出版であるが、水の「結晶写真」はすでに95年ごろの本には登場している(最初の本を私が持っていないので、そこでどうなっているかは未確認)。
ざっとリストを眺めて気づくのは、江本が波動を言い出してからもう15年も経つのか、ということと、サブタイトルに表れている様に、なんというか「壮大」だなあ、ということ、「マイナスイオン三人衆」の菅原明子ともつながっている、ということ、またPHP研究所ってのは罪深いなあ、というあたりであろうか。
波動とは一体何か、ということになると、色々と本によって少しづつ違いがある。たいてい、音叉の話を持ち出して、音波を例にしながら語っている。意図的に、本来の物理学での波動と混同させようとしているかのようだ。
ところが、よく読むと、なかなか不思議なことを言っている。たとえば、『波動革命』p.12では、
さてこの「波動エネルギーの法則」とやらは江本が言うに反して単純でも明快でもないと思うし、実際何も語っていないに等しい文章なのだが、それは本質ではないのでここではひとまずおいておく。
第1パラグラフで言っていることをまとめると、
(a)万物は「波動エネルギー」によって「創起」される
(b)波動エネルギーの源は「意識エネルギー」だろう
(c)したがって、(これが正しいとするならば)万物は人間の意識エネルギーに依っている
となる。まあ飛躍のオンパレードで、(a)からしてまず無茶苦茶なことを言っているのだが、(b)にしてもなぜそれが意識と関係するのかさっぱり語られないし、(c)に至っては独我論の重ねあわせというか共同主観的存在論とでも言ったらいいのか、摩訶不思議な結論となっている。
注目すべきは第2パラグラフで、波動エネルギーは Magnetic Resonance Energy だ、と言っている。 Magnetic Resonance は普通「磁気共鳴」と訳すと思うがそれもおいておこう。Manetic Resonance Energy というともう何がなんだか意味不明なのだが、論理的に読むと、波動エネルギーとは磁場共鳴エネルギーであり、これを Hado エネルギーと称するのがふさわしいと言っているので、つまり「波動=磁場共鳴(Magnetic Resonance)」なのだろう。いや、「なのだろう」と言ってはいるが、物理的にはさっぱりわからないのだけれども。
さて、ここで「水伝3」を見てみよう。「水伝3」p.139に、江本がホメオパシーのレメディ用に開発された機械をアメリカで購入し、日本に持ち帰って Magnetic Resonance Analyzer (MRA)と名付けて使い出したということが書いてある。磁場と関係あるかどうか私にはわからないが、とにかく江本がそう名付けたわけだ(元は Bio Cellar Analyzer という名前だそう)。そして、MRAにハマり、いろいろなものの「波動性」を測定しまくったことがp.140に書かれている。
さて、この節では、ここで初めて「波動」という言葉が出てくる。そのためか、同じp.140に「波動」についての解説が小さく書いてある。引用しよう。
ところが、同じ「水伝3」のp.148からの「Ⅲ.波動とは何か」というところでは、また音叉がイラスト付きで出てきており、あくまでも物理学の波動との混同を図ろうとしているように見える。その意味では、江本という人は、単に物理学がわからなくてあっちに行ってしまった人、ではなく、マーケティング戦略として「波動」という言葉をあてがい、物理学の波動とは異なるものであることを知っていながらあえて混同させる狡猾な戦略家である、と言えるだろう(もっとも船井幸雄になると、超弦理論が波動を証明している、みたいなトンデモを堂々と公言しているのだが)。
というわけで、今後は江本がどのように波動をとらえ宣伝しているかを見ていくことにしよう。
彼(江本)が出した書籍は多いけれども、初期のころの波動に関するものを幾つか上げると次のようになる:
波動時代への序幕-秘められた数値への挑戦(1992年、サンロード)(以上、amazonで出てきた90年代の江本勝の著書。著者紹介によると、これがすべてではない。)
波動の人間学(1994年、ビジネス社)
波動の真理-人間・地球・自然の未来のために(1994年、PHP研究所)
波動の幸福論-最先端科学が生み出す新しい哲学(1995年、PHP研究所)
波動と水と生命と-意識革命で未来が見える(1995年、PHP研究所)
波動革命-”新たな科学思考”が人類と地球を救う(1995年、PHP研究所)
宇宙意識と波動-困難な時代の幸福の哲学(1995年、ラビ・バトラとの共著、PHP研究所)
波動の食品学(1995年、菅原明子との共著、高輪出版社)
波動学のすすめ-新世紀思考への意識革命(1996年、PHP研究所)
波動とは何か-科学と心の共鳴エネルギー(1996年、PHP研究所)
蘇る潜在記憶-新しい自分を求めて(1997年、PHP研究所)
なお、「水伝1」は99年の出版であるが、水の「結晶写真」はすでに95年ごろの本には登場している(最初の本を私が持っていないので、そこでどうなっているかは未確認)。
ざっとリストを眺めて気づくのは、江本が波動を言い出してからもう15年も経つのか、ということと、サブタイトルに表れている様に、なんというか「壮大」だなあ、ということ、「マイナスイオン三人衆」の菅原明子ともつながっている、ということ、またPHP研究所ってのは罪深いなあ、というあたりであろうか。
波動とは一体何か、ということになると、色々と本によって少しづつ違いがある。たいてい、音叉の話を持ち出して、音波を例にしながら語っている。意図的に、本来の物理学での波動と混同させようとしているかのようだ。
ところが、よく読むと、なかなか不思議なことを言っている。たとえば、『波動革命』p.12では、
「波動の真理」とは?と述べている(太字は原文ママ)。
「波動の真理……すべての物や動植鉱物の存在、そして森羅万象の存在は各々の波動エネルギーによって創起される。この波動エネルギーの源は、人間の持つまだ科学的には解明されていない意識エネルギーによるものと考えざるを得ない。したがって、全ての存在は、人間の意識エネルギーによって左右される。
通常この波動エネルギーは、その副産物として、磁場共鳴を産出するので Magnetic Resonance Energy と英語では翻訳される。しかし、意識というものと深く関わりのあるこのエネルギーについて、これを Hado エネルギーと称することがより深い解釈にむすびつくものと考えるので、私はこの言葉を採用している。
波動エネルギーの法則は非情に単純で明快である。それは、
『波動エネルギーは常に滔々(とうとう)と流れゆくべきもので、決して、澱んではならない。それは、すべての存在の持つ、固有の波動エネルギーの調和と共鳴によって成り立ち、互助共生関係にある。この地球上においては、人間のみが全ての波長を創生し得るので、人間の真の役割は、共鳴の原則に基づき、これらの全ての存在が発する固有の波動エネルギーの調整役でありコンダクターである。したがって、人間の意識自体に偏りや澱みがあるとき、全ての調和も乱れ、いわゆるエネルギーの氾濫を起こすこととなり、それは現世上においては、自然災害、経済恐慌、疾病の蔓延という減少を引き起こすこととなる』」
さてこの「波動エネルギーの法則」とやらは江本が言うに反して単純でも明快でもないと思うし、実際何も語っていないに等しい文章なのだが、それは本質ではないのでここではひとまずおいておく。
第1パラグラフで言っていることをまとめると、
(a)万物は「波動エネルギー」によって「創起」される
(b)波動エネルギーの源は「意識エネルギー」だろう
(c)したがって、(これが正しいとするならば)万物は人間の意識エネルギーに依っている
となる。まあ飛躍のオンパレードで、(a)からしてまず無茶苦茶なことを言っているのだが、(b)にしてもなぜそれが意識と関係するのかさっぱり語られないし、(c)に至っては独我論の重ねあわせというか共同主観的存在論とでも言ったらいいのか、摩訶不思議な結論となっている。
注目すべきは第2パラグラフで、波動エネルギーは Magnetic Resonance Energy だ、と言っている。 Magnetic Resonance は普通「磁気共鳴」と訳すと思うがそれもおいておこう。Manetic Resonance Energy というともう何がなんだか意味不明なのだが、論理的に読むと、波動エネルギーとは磁場共鳴エネルギーであり、これを Hado エネルギーと称するのがふさわしいと言っているので、つまり「波動=磁場共鳴(Magnetic Resonance)」なのだろう。いや、「なのだろう」と言ってはいるが、物理的にはさっぱりわからないのだけれども。
さて、ここで「水伝3」を見てみよう。「水伝3」p.139に、江本がホメオパシーのレメディ用に開発された機械をアメリカで購入し、日本に持ち帰って Magnetic Resonance Analyzer (MRA)と名付けて使い出したということが書いてある。磁場と関係あるかどうか私にはわからないが、とにかく江本がそう名付けたわけだ(元は Bio Cellar Analyzer という名前だそう)。そして、MRAにハマり、いろいろなものの「波動性」を測定しまくったことがp.140に書かれている。
さて、この節では、ここで初めて「波動」という言葉が出てくる。そのためか、同じp.140に「波動」についての解説が小さく書いてある。引用しよう。
開発者は Magnetic resonance pattern (磁気共鳴パターン)といっていましたが、わたしはこれをわかりやすく感じられる言葉として、日本語の中から「波動」という日常的に使われている言葉を選び、当てはめました。ですから、物理学用語の「波動」とは異なる用法となります。「物理学用語の『波動』とは異なる」!!つまり、江本はここ(「水伝3」2005年)になって、物理学本来の意味とは違うということをおそらく認めざるを得なくなったのだろう。批判が高まり、逃げを打ったのではないかと思われる。『AERA』で水伝はポエムでファンタジーだ、と言ったのが2005年12月5日号だから、実際に上の文章を書いたのはその1年ぐらい前かと思うが、どこかで断り書きが必要だと思ったのではないか。
ところが、同じ「水伝3」のp.148からの「Ⅲ.波動とは何か」というところでは、また音叉がイラスト付きで出てきており、あくまでも物理学の波動との混同を図ろうとしているように見える。その意味では、江本という人は、単に物理学がわからなくてあっちに行ってしまった人、ではなく、マーケティング戦略として「波動」という言葉をあてがい、物理学の波動とは異なるものであることを知っていながらあえて混同させる狡猾な戦略家である、と言えるだろう(もっとも船井幸雄になると、超弦理論が波動を証明している、みたいなトンデモを堂々と公言しているのだが)。
というわけで、今後は江本がどのように波動をとらえ宣伝しているかを見ていくことにしよう。
「水からの伝言」に書いてあること(1)
「原典批判」(hietaroさん命名)シリーズのおまけとして、時々、「水伝」に書いてあることを紹介して行こうと思います(不定期)。
一つ目は、大麻について。「水伝3」 pp.98-99。
これ、教育者はどう感じて読むんでしょうね。「有用」の意味にもよるけれども、この簡単な文章だと、どうとでも受け取れる。子どもへの影響について、(江本はともかく)「水伝」に感動しちゃった人はどう考えるのだろう。
一つ目は、大麻について。「水伝3」 pp.98-99。
「大麻」「麻」の写真と文字を見せた水の結晶大麻については一部で色々と意見があるようだけれども、それはおいとくとして。
麻はこれからの人類にとって、たいへん有用な植物であるとわたしは信じていますが、ただ1つ、麻薬物質が抽出できるために、現在は地球規模で排斥されています。水に聞いてみました。右上は「大麻」の写真を右下は「麻」の文字を見せた結晶ですが、水もわたしの意見に「イエス」といってくれました。
大麻(おおあさ)、麻 古来より世界各地に自生し、人びとの生活文化に役立てられてきた大麻。その利用価値が認められ、さまざまな分野での産業利用が試みられている。
これ、教育者はどう感じて読むんでしょうね。「有用」の意味にもよるけれども、この簡単な文章だと、どうとでも受け取れる。子どもへの影響について、(江本はともかく)「水伝」に感動しちゃった人はどう考えるのだろう。
ウソは一つとは限らない
先ほどのエントリに関連して、前から思っていたことを少しばかり。
よくマスコミを批判するような記事(ブログでも週刊誌でもなんでもいいんですが)に、「だからマスコミは信用できないんだ」みたいな文章が載りますよね。自分でもそういうふうに思うときもある。例えば「あるある大事典」のように、どこかの番組で捏造問題が発覚したとしましょう。すると、おそらく多くの人が「だからマスコミは信用できないんだ」と思うでしょう。
ところが。
これまた多くの人は、きっと、それ以外の番組で流された情報は、漠然と信じちゃうんですよね。積極的に、というわけではなく、真偽について考えることもなく、気づかぬうちに受け入れている。「あるある」でマスコミに不信感を持った人は、「あるある」的な番組は警戒しながら見るでしょう。だけど、そのうち一体どれだけの人が、一見全然関係ないような番組の内容-例えばニュースでもいい-について、懐疑的に見れるでしょうか。
「水伝」でもそうで、明らかに変だよなあ、というところは信じなかったとしても、他のところは信じてしまうかもしれない。本当は間違っているのに。
懐疑的であろうとして、マスコミの流す情報10のうち1つが間違いであることに気づく。それ自体はいい。でも、1つの間違いを見つけたことで安心してしまい、残りの9は無批判に受け入れてしまう。でも9のうち3は間違いかもしれないのだ。
私は、二大政党制だとか、改憲問題だとか、選挙制度だとか、消費税だとか、こういう構造で世間が知らず知らずのうちに誘導されてしまっているような気がして、とても怖い。矢継ぎ早に問題を提示して、どれか一つにしか反応しきれず、他の問題にはついつい流されてしまう、というような。
また、与えられた情報について考えるだけでは本当はいけない。伝えられなかったものはなんなのか。報道されなかったものはなんなのか。そこまで考えないといけないのだけれど、普段はどてもそこまで気を回してられない。
現場の多忙な教師が、「ついつい」子どもに汚い言葉を使わせないようにと思って「水伝」に飛びつくのも似たような構造かな、とも思う。残念ながら、我々は一度にそんなに多くの事柄に対して懐疑的であるのは難しい。
さらに厄介なのは、たとえば「水伝」みたいな問題だったら、間違いといえるかどうか自信がないならば「沈黙」するという解があります。知らないことには下手に口を挟まない。態度を表明しない。これは賢明なやり方でもある。しかし、社会的な問題になると、そうとばかりもいっていられないことも多い。沈黙するということが一つの意思表明となる場合もある。自分が教師だとして、同僚が水伝授業をやっていることを知ってしまったらどうするか。この場合、沈黙は賢明な方法と言えるのか。もっと言えば、選挙で「棄権」という「沈黙」は、棄権した人の意志と関わりなく、次の権力への白紙委任だと取られても仕方がない。そういう意思であることを表明したことになる(選挙の場合は匿名ですが)。つまり己の意思を何らかの形で表明せざるを得ない場合は確実にある。
じゃあどうすればいいんだ、というと、これが難しい。どうしたらいいんでしょうね。知識を蓄え、あらゆる物事に対して考察を加え、自分なりの判断を下す。これはしかし完璧にこなすのは無理ですよね。となると、信頼できる情報源を持つというのが次善の策となるでしょうか。もちろん、信頼してよいかというのも疑わないといけないわけですが。
取り留めのない文章でアレですが、「考える」ってのは難しいなあ、と思います。
よくマスコミを批判するような記事(ブログでも週刊誌でもなんでもいいんですが)に、「だからマスコミは信用できないんだ」みたいな文章が載りますよね。自分でもそういうふうに思うときもある。例えば「あるある大事典」のように、どこかの番組で捏造問題が発覚したとしましょう。すると、おそらく多くの人が「だからマスコミは信用できないんだ」と思うでしょう。
ところが。
これまた多くの人は、きっと、それ以外の番組で流された情報は、漠然と信じちゃうんですよね。積極的に、というわけではなく、真偽について考えることもなく、気づかぬうちに受け入れている。「あるある」でマスコミに不信感を持った人は、「あるある」的な番組は警戒しながら見るでしょう。だけど、そのうち一体どれだけの人が、一見全然関係ないような番組の内容-例えばニュースでもいい-について、懐疑的に見れるでしょうか。
「水伝」でもそうで、明らかに変だよなあ、というところは信じなかったとしても、他のところは信じてしまうかもしれない。本当は間違っているのに。
懐疑的であろうとして、マスコミの流す情報10のうち1つが間違いであることに気づく。それ自体はいい。でも、1つの間違いを見つけたことで安心してしまい、残りの9は無批判に受け入れてしまう。でも9のうち3は間違いかもしれないのだ。
私は、二大政党制だとか、改憲問題だとか、選挙制度だとか、消費税だとか、こういう構造で世間が知らず知らずのうちに誘導されてしまっているような気がして、とても怖い。矢継ぎ早に問題を提示して、どれか一つにしか反応しきれず、他の問題にはついつい流されてしまう、というような。
また、与えられた情報について考えるだけでは本当はいけない。伝えられなかったものはなんなのか。報道されなかったものはなんなのか。そこまで考えないといけないのだけれど、普段はどてもそこまで気を回してられない。
現場の多忙な教師が、「ついつい」子どもに汚い言葉を使わせないようにと思って「水伝」に飛びつくのも似たような構造かな、とも思う。残念ながら、我々は一度にそんなに多くの事柄に対して懐疑的であるのは難しい。
さらに厄介なのは、たとえば「水伝」みたいな問題だったら、間違いといえるかどうか自信がないならば「沈黙」するという解があります。知らないことには下手に口を挟まない。態度を表明しない。これは賢明なやり方でもある。しかし、社会的な問題になると、そうとばかりもいっていられないことも多い。沈黙するということが一つの意思表明となる場合もある。自分が教師だとして、同僚が水伝授業をやっていることを知ってしまったらどうするか。この場合、沈黙は賢明な方法と言えるのか。もっと言えば、選挙で「棄権」という「沈黙」は、棄権した人の意志と関わりなく、次の権力への白紙委任だと取られても仕方がない。そういう意思であることを表明したことになる(選挙の場合は匿名ですが)。つまり己の意思を何らかの形で表明せざるを得ない場合は確実にある。
じゃあどうすればいいんだ、というと、これが難しい。どうしたらいいんでしょうね。知識を蓄え、あらゆる物事に対して考察を加え、自分なりの判断を下す。これはしかし完璧にこなすのは無理ですよね。となると、信頼できる情報源を持つというのが次善の策となるでしょうか。もちろん、信頼してよいかというのも疑わないといけないわけですが。
取り留めのない文章でアレですが、「考える」ってのは難しいなあ、と思います。
民主党も自民党も大して変わらん
『朝日』の記事
より。
「そうは言っても政権が変わるのは良いこと」というのもよく目にするような気がするのだが、本当だろうか?誰かそれを示してくれただろうか?
また、良い悪いは価値観が入り込む。つまり、「誰にとって良い」のかを示さないと意味がない。では、二大政党制は誰にとって良いのか?言うまでもなく、財界だ。経団連が自民党だけでなく民主党の政策も採点しているのはその証左だろう。自民党が国民にとって不人気になれば、代わって民主党が政権を取る。しかし政策はほとんど変わらない。つまり、安定して財界の言うことを聞いてくれる政権が続く、というわけ。
徹底的に国民から収奪するか、適度にアメを与えるか程度の違いはあるかもしれんけれども、今回の『朝日』にあるように改憲志向だったり、大企業へは基本的に減税で、一方消費税は基本的に上げる、ふつうの国民ひとりひとりよりも、大企業を重視する、こういう点で、基本的に自民党も民主党も大して違いはない。
二大政党にするために小選挙区制も導入されたわけだが、多様な民意があるのなら、国会にそれを反映させるべきだ。「制度」が一部の民意を切り捨て、強引に民意を収束させるのは民主主義の基本思想に反するのではないか。
マスメディアを見ていると、もはや「二大政党に向かうべき」というのが自明の前提になってしまっているように見えるのだけれども、やはりそれはおかしいと思う。深く考えずに与えられた結論を鵜呑みにし、その立場からしか物事を見れていない。私には、あの「羊水発言」とダブって見える。
『朝日』は特に露骨に民主党を支援している(ようにしか見えない)記事をよく書くのだけれども、今一度「本当にそれが国民にとって良いことなのか」考えて欲しいと思う。幻想を振りまくのはやめて欲しい。
与野党改憲派がタッグ 鳩山由・前原氏ら役員に結局、民主党も自民党と本質的な部分では変わらないことを示す事例と言えよう。以前、田中真紀子だか誰だったか、自民党と民主党のたたかいってのは福田派と田中派のたたかいだ、と言ってて、言い得て妙だと思った記憶があるのだが、所詮その程度の違いしかない。
2008年03月04日16時31分
自民党の国会議員やOBでつくる新憲法制定議員同盟(会長・中曽根康弘元首相)は4日、国会内で総会を開き、新たな役員として、民主党の鳩山由紀夫幹事長や国民新党の亀井静香代表代行らを顧問に、民主党の前原誠司前代表らを副代表に迎え入れた。昨年、それまでの「自主憲法期成議員同盟」を衣替えして活動を始めたが、今回は超党派に枠を広げ、改憲機運の盛り上げをめざす。
総会で中曽根氏は「改憲のような国家的大問題は超党派で決めていかねばならない」とあいさつし、安倍前首相も「改憲は私のライフワーク」。民主党を代表して田名部匡省参院議員も「改憲はここ数年で決着すると決めてやらないと」と呼応した。
「そうは言っても政権が変わるのは良いこと」というのもよく目にするような気がするのだが、本当だろうか?誰かそれを示してくれただろうか?
また、良い悪いは価値観が入り込む。つまり、「誰にとって良い」のかを示さないと意味がない。では、二大政党制は誰にとって良いのか?言うまでもなく、財界だ。経団連が自民党だけでなく民主党の政策も採点しているのはその証左だろう。自民党が国民にとって不人気になれば、代わって民主党が政権を取る。しかし政策はほとんど変わらない。つまり、安定して財界の言うことを聞いてくれる政権が続く、というわけ。
徹底的に国民から収奪するか、適度にアメを与えるか程度の違いはあるかもしれんけれども、今回の『朝日』にあるように改憲志向だったり、大企業へは基本的に減税で、一方消費税は基本的に上げる、ふつうの国民ひとりひとりよりも、大企業を重視する、こういう点で、基本的に自民党も民主党も大して違いはない。
二大政党にするために小選挙区制も導入されたわけだが、多様な民意があるのなら、国会にそれを反映させるべきだ。「制度」が一部の民意を切り捨て、強引に民意を収束させるのは民主主義の基本思想に反するのではないか。
マスメディアを見ていると、もはや「二大政党に向かうべき」というのが自明の前提になってしまっているように見えるのだけれども、やはりそれはおかしいと思う。深く考えずに与えられた結論を鵜呑みにし、その立場からしか物事を見れていない。私には、あの「羊水発言」とダブって見える。
『朝日』は特に露骨に民主党を支援している(ようにしか見えない)記事をよく書くのだけれども、今一度「本当にそれが国民にとって良いことなのか」考えて欲しいと思う。幻想を振りまくのはやめて欲しい。