江本流「波動」理論(3)
前々回のこのエントリ(1)
で江本が波動の意味を本来の物理学での意味とは違うことを自覚しながら意図的に混同させていることについて述べた。その周辺に書いてあることをここでは紹介する。
以下、「水伝3」p.140より。
さてよく理解できないのは、その注釈にあるように、江本はもともと「磁気共鳴パターン」とMRA開発者が呼んでいたものを、わかりやすく日本語に置き換えるために「波動」と名付けた、と言っている。ところが、ここでは「それが波動だと後にわかったのですが」と言っている。これは変だ。自分で勝手に「波動」と名付けておいて、それが波動だとあとからわかるというのは一体どういうことだろうか。
おそらく、「わかりやすく」波動と名付けたという言葉の意味が、「自分(江本)がわかった気になった」ということなのだろう。「波動」と名付けることによって、おそらく江本は色んなことが「わかった」気になったのだと思われる。
次にMRAの機能について、ここでは「振動」という言葉を使っている。これはおそらく「vibration」を訳したものと思われる。というのは、この手の文章には英語あるいはカタカナでよく vibration と出てくるからだ。とはいえ、「身体の中の振動」自体が意味不明なので、その乱れと言っても意味がわからないし(わかった気になっている人が大勢いるのだろうが)、ましてやその乱れを修正する振動を「転写」すると言われてもさっぱりわからない。一体なにが起きているのか。
そして、出ました「マイクロクラスター水」!実際には水のクラスターなんて一瞬で変化してしまうので、クラスターの小さい水なんてものは存在しないのだが…。
話を続けよう。
ところでわたしには江本の言うところの波動やMRAがどうして身体の「振動」の乱れを修正したりできたりするのかがさっぱりわからない。そんなわけのわからないものを信用しろと言われても無理だ。見える見えないの問題ではない。
しかし、世間的には、「見える」かどうかは確かに信じる信じないという点で重要だろう。主観的に見えちゃったら信じてしまう人は多い。その意味で、江本は「水伝」の出版によって、マーケティング的に成功したといえる。逆に言えば、「見えた(と思った)ら信じる」人がそれだけ多いということで、科学的思考の欠如に暗澹なる気持ちになる(欠如が時代とともに拡がっているのかどうかはわからない。少なくとも、江本の波動みたいなものをウソと見破れるだけの科学的思考を持っていない人が現状では結構いる、ということ)。そして、そういう人びとの中に、少なからぬ数の教師が入っていた。科学リテラシーを身につける教育の充実が望まれる。
※「水からの伝言」に書いてあることは間違っています。「科学的にまだ未検証」なのではなく、すでに間違っていることがわかっています。念のため。
以下、「水伝3」p.140より。
MRAで波動水をつくる前々回に示した「波動」についての注釈は、1行目の「波動性」に対してつけられたものである。
以後、わたしはまるで第3の目を得たように、いろいろなもののいわゆる波動性(それが波動だと後にわかったのですが)を測定しました。そして、念願の水を測定する技術を身につけたのです。さらにMRAには身体の中の振動の乱れを測定する機能、それを修正する振動(以後「波動」という)転写機能を備えていましたので、わたしは波動を転写するための媒体として、おりしもリー博士が完成させた特殊な水、マイクロクラスター水を選び「波動水」をつくりはじめたのです。
さてよく理解できないのは、その注釈にあるように、江本はもともと「磁気共鳴パターン」とMRA開発者が呼んでいたものを、わかりやすく日本語に置き換えるために「波動」と名付けた、と言っている。ところが、ここでは「それが波動だと後にわかったのですが」と言っている。これは変だ。自分で勝手に「波動」と名付けておいて、それが波動だとあとからわかるというのは一体どういうことだろうか。
おそらく、「わかりやすく」波動と名付けたという言葉の意味が、「自分(江本)がわかった気になった」ということなのだろう。「波動」と名付けることによって、おそらく江本は色んなことが「わかった」気になったのだと思われる。
次にMRAの機能について、ここでは「振動」という言葉を使っている。これはおそらく「vibration」を訳したものと思われる。というのは、この手の文章には英語あるいはカタカナでよく vibration と出てくるからだ。とはいえ、「身体の中の振動」自体が意味不明なので、その乱れと言っても意味がわからないし(わかった気になっている人が大勢いるのだろうが)、ましてやその乱れを修正する振動を「転写」すると言われてもさっぱりわからない。一体なにが起きているのか。
そして、出ました「マイクロクラスター水」!実際には水のクラスターなんて一瞬で変化してしまうので、クラスターの小さい水なんてものは存在しないのだが…。
話を続けよう。
もともとMRAが開発された目的は、ホメオパシー治療のためでしたから、開発者はその被転写物質として25%アルコール溶液を使っていました。しかし、当時、まだ日本ではホメオパシーが認められていませんでしたし、ましてや医師でもないわたしがアルコール溶液を人に与えるなどしたら、すぐに薬事法や医師法に違反してしまいます。そこには、リー博士の「水」しかなかったというのが偽らざる事実で、最初から水の情報伝達力を信じ、理解していたわけではなかったのです。「エネルギーの純粋性」もなにもあったものではないのだが、そのような与太はおいておこう。ここでのポイントは、江本は何をやれば薬事法違反になるか知っていたこと、MRAの使用目的からは外れるけれども、とにかくやってみた、ということだ。もちろん、ホメオパシーを信じていること、水伝の源流がホメオパシーの思想にあることもわかる。
ただ、水よりほかに選択すべき何者もなかった、あるいは考えつかなかったことが、今思えば良かったのでしょう。水に対して「君だけが頼りだ」「君を信頼するしかない」と思ったことが、結果的に「エネルギーの純粋性」を招いたと考えられるからです。
さまざまな病に効果のあった波動水というわけで、水(ただの水!)で治療まがいのことを始めたことがわかる。それが現代医学の盲点であり、素晴らしい効果を本当に持つのなら、利益追究にかけては凄まじいエネルギー(これは「エネルギー」の比喩的使い方です、もちろん)を持つ製薬会社がほっておくわけがないだろう。
最初は社員や身内の波動測定を行い、それにより得られた歪んだ波動を矯正するための「波動水」をつくって与えているうちに、その技法が現代医学の盲点を突くような素晴らしい効果を持つことがわかってきました。そして、それは人から人へと伝わり、わたしはいつの間にか「波動水」という水だけで病気を治す代替医療の治療家としての道を歩むことになったのです。1987年後半のことでした。
以後約7年間、ただ無我夢中でいわゆる病気治しの仕事を続けました。そして、さまざまな難病にも挑戦して、たいへんめざましい成果を上げることができたのです。この間、それらの成果をまとめて3冊の本も出版しました。『波動時代への序幕』(サンロード出版)『波動の人間学』(ビジネス社)『波動の食品学』(高輪出版)という本でした。どれくらいの人が被害を被ったかわからない。もちろん、それなりの人が、効果があると思い込み、プラシーボで治ったのであろう。しかし本人も言っているとおり「医師でもないわたし」が約7年にわたり「病気治し」を行ってきたのである。どういう触れ込みで当時やっていたのかわからないが、かなり法令違反スレスレだったのではないか。
それらの本を出版した当時は、波動についての理解が進み、わたしには「波動の考え方の理解なしでは新しい世紀はない」くらいの自負はありました。しかし、本の反響は求める人ぞ求めるで、一般の人からは見向きもされないほどの売れ行きでした。
なぜ、こんなに大事で、それほどむずかしいとは思えないことが、わかってもらえないのだろう、と考え続けました。その結果得た答え、それは「人は見えないものは信用しない」ということでした。「よし、それはなら何とか見えるようにしてやろう」と持ち前の反骨精神が持ち上がり、それが現在の水の氷結写真撮影技術の開発に結びついたのです。
ところでわたしには江本の言うところの波動やMRAがどうして身体の「振動」の乱れを修正したりできたりするのかがさっぱりわからない。そんなわけのわからないものを信用しろと言われても無理だ。見える見えないの問題ではない。
しかし、世間的には、「見える」かどうかは確かに信じる信じないという点で重要だろう。主観的に見えちゃったら信じてしまう人は多い。その意味で、江本は「水伝」の出版によって、マーケティング的に成功したといえる。逆に言えば、「見えた(と思った)ら信じる」人がそれだけ多いということで、科学的思考の欠如に暗澹なる気持ちになる(欠如が時代とともに拡がっているのかどうかはわからない。少なくとも、江本の波動みたいなものをウソと見破れるだけの科学的思考を持っていない人が現状では結構いる、ということ)。そして、そういう人びとの中に、少なからぬ数の教師が入っていた。科学リテラシーを身につける教育の充実が望まれる。
※「水からの伝言」に書いてあることは間違っています。「科学的にまだ未検証」なのではなく、すでに間違っていることがわかっています。念のため。