ほたるいかの書きつけ -7ページ目

『ハート・ロッカー』

 アカデミー賞で話題の『ハート・ロッカー』(Hurt Locker)を観てきた。
 いやまあ凄い映画ではある。観てて緊張して喉が乾いたくらいだ。イラクに派遣された米兵の心持ちが垣間見えるような(もちろん爆発物処理兵という特殊な視点ではあるが)。デカい爆弾の傍らで処理をする緊張感もそうだし、いつどこで撃たれるかわからない緊張感もそうだ。ただ、幾つかのところで指摘されていたように、この映画が何を伝えたいのかが曖昧だと思う。いやむしろ曖昧にして、淡々と爆発物を処理する兵士たちを描くことに焦点を絞った、というところなのだろうけれども。そこが同じ中東への侵略を描きながら『アバター』との最大の違いだろう。

 この映画から何を読み取るかは、完全に観客に委ねられている。イラクの悲惨な現実から、戦争の愚かさを読み取ることも可能であろう。何度も描かれてきたテーマではあるが、戦争という異常な状況を体験したことにより、本国に戻っての日常がむしろ耐えられなくなるという恐ろしさも伝わってくる。私としてはそういう戦争の愚かさ、バカバカしさを読み取って欲しいと思う。
 しかし、おそらくは、残念ながら、そうはならないのだろう。少なくとも日本では。そのことは、この映画のウェブページ にもある次の言葉に端的に示されていると思う。
彼らは、数えきれない命を救う。
 たった一つの命を懸けけて―。
現実の爆弾処理兵が、自分の命を懸けて他人の命を救うことに誇りを持っているであろうことに疑いはない。しかし、問題は、それを全体の中でどう位置付けるかである。

 ややネタバレになってしまうかもしれないが、例えば「人間爆弾」にされようとした少年や、爆弾を体に巻かれた「善良な」イラク人。彼らの命は救えなかったわけだが、そうされた人々への米兵の怒りが描かれる。見ようによっては、「極悪テロリスト」が「善良なイラク人・イラクの子どもたち」を犠牲にしてまでテロを実行しようとすることに、米軍が勇猛果敢に立ち向かうという「正義の米軍」を描いているとも言えるわけだ。

 個別の体験から全体を評価することの危険性は、決して代替医療などの問題だけではない。過去の戦争についても、至るところで指摘されていることだ。今後、この映画がどのように受容されていくのか、少し気になるところである。

大気の流体近似

 ごぶさたしております。なんかやたら忙しくって、更新する気力がなかなかわきません。書きたいことは色々あるのですが。
 で、kikulog の温暖化懐疑(否定)論のコメントを見ていて気になったことがあったので、簡単に解説を(もうだいぶ前の話題になっちゃったけど)。大気をどう扱うか、という話。こういう話は調べなくても記憶だけで書けるのでリハビリには丁度良い。(^^;;

 大気は対流圏や成層圏などそこそこ「濃い」ところならば通常は「流体」として扱う。流体とは気体や液体のように「流れる」「連続体」。つまり、ある位置x(3次元なので位置ベクトルという意味で太字で書く)での質量密度ρや流体の速度v(これもベクトルなので太字で書く)が「場」の量として定義できるということだ。ρ(x)、v(x)のように書ける、と。無論、時間変動を考えたいわけだから、ρ(x,t)、v(x,t)となるべきものでもあるが。
 さて、一見当たり前のように見えるが、よくよく考えるとそうではない。つまり、ミクロに見ていけば、N2やO2などの分子からなるのが大気であり、個々の分子はある領域内でもてんでんばらばらの方向に運動しており、お互いぶつかっては進路を変えることを繰り返しているからだ。つまり、位置の関数として速度が書けるということはなくて、ある位置 x の付近では、速度 v の粒子がどれくらいの数分布しているのか(あるいはどれくらいの確率で存在しているのか)ということを考えなくてはならない。つまり、流体ならば「ある位置 x における密度ρ(x)」という具合に書けたのに対し、ミクロには「ある位置 x である速度 v となるような『位相空間』上での密度 f (x,v)」を扱う必要がある。つまり6次元空間での物体の変化を考えないといけない。それを扱うのが Boltzmann方程式というものなのだが、その詳細はおいといて、どういう状況なら流体として考えればいいのかを見てみよう。

 まず、分子はランダムに運動し、ランダムに衝突しているが、「平均して」どれくらいの距離進んだら他の粒子と衝突するのかを計算しよう。ここで簡単のため衝突するまでは粒子は等速直線運動をしており、個々の粒子の「断面積」をσと置く。つまり、面積σの「的(まと)」がそこらじゅうに散らばっており、平均してある距離 l だけ進んだら他の粒子と衝突する、と考えるのである。
 次に粒子の密度を考えよう。ここでは個数密度を考える。粒子の密度が一定とみなしてよい程度には小さく、また十分に粒子を含む程度には大きい体積 V の中に N 個の粒子が入っているとすると、その個数密度は n = N/Vと書ける。あるいはその逆数を取ると、粒子一個が占める体積を表すことにもなる( 1/n = V/N )。では l,σ, n の関係はどうなるだろうか。
 粒子一個が占める体積が大きい(つまりスカスカ)ならば、当然長距離を走らなければ衝突できない。また断面積が小さくてもなかなか当たらないからlは大きくなる。次元を考えると、 = 1/n となることがわかるだろう。つまりの体積の「筒」で空間を満たすことができるように長さ l が決まる、というわけだ。この長さ l のことを平均自由行程と呼ぶ。

ここまで来ればわかるだろうが、要するに、考えている系が l と同程度かそれより小さければ、てんでんばらばらな粒子の運動を考えなければならず、Boltzmann方程式を解かないといけないのだが、 l よりもずっと大きいサイズでの変動しか見ないのであれば、l 程度のスケールでの粒子のバラバラな運動は無視し、平均的な運動だけを考えれば良いことになる。つまり、ある位置 x での速度 v の平均値を、その位置での流体の速度をみなせば良い、ということになる。そうやって、(x,v)の6次元位相空間を位置だけの3次元空間に落とすことを、流体近似と呼ぶ。

 では大気の平均自由行程はいくらぐらいだろうか。
 まず大気の密度である。1molの粒子を考えよう。1molの気体が常温常圧下で占める体積は22.4Lである(高校の化学でやるんだっけ?)。そして1molは6×1023個のことである。そこで、個数密度は、
n = 6×1023/(22.4×10-3m3)~3×1025[m-3]
となろう。また断面積は、原子スケールが1オングストローム程度なので、大雑把に
σ~π(10-10m)2~3×10-20[m2]
ぐらいで良かろう。すると平均自由行程は
l = 1/~1/(3×1025×3×10-20)~10-6[m] = 1[μm]
ということになる。つまり、ミクロンスケール程度になったら個別の分子の運動を考えないといけないが、それよりずっと大きければ、マクロな流体として扱って問題ない、ということになる。で、大気の運動でこんな小さいスケールを考える必要はまずない。つまり、大気は流体として扱って問題ない、ということになる。

 問題は、上空の希薄な領域である。どれくらい希薄になるだろうか。成層圏の上端で地表のおおよそ1/1000、中間圏界面で1/100000(電離層の底のあたり)であるが、上の式からただちにそれぞれ平均自由行程は1[mm]、10[cm]程度になることがわかる。まだまだ流体近似でいけそうである(つまり流体密度や速度、温度の変化するスケールが、平均自由行程よりは十分長いと期待される)。スペースシャトルが飛ぶあたり(高度500km付近)になると、密度は地表の10-11倍ぐらいになる。すると、l ~100[km]になる。高度と同じオーダーになってしまった。これでは流体として扱うのは無理であろう。もっともこのあたりでは大気が電離しているので、電磁場との相互作用も考えないといけないから、大局的にどうかは自明ではないが。

 というわけで、大気は流体力学で計算してよろしい。あとは、「流体として」どれくらいのスケールまで考慮しなければならないか、という問題になる。
 これは結構難しい問題だ。なぜなら流体の運動は簡単にカオスになるからだ。しかし、乱流であれば、通常は大きいスケールの乱流がどんどん小さいスケールの乱流に移っていくので、ある程度は粗視化(メートルスケールの運動などはもっと大きいスケールでならして平均してしまう)して良いと期待される。ではどれくらいまでの粗視化が許されるか?

 …というあたりが、流体力学の一般論から言える限界。あとは実際の大気をご存知の方に教えていただきたいな、と♪ (^^)
 当然、局地的な天気予報を知りたければ、数km程度の変動が扱えないといけないし、雲の内部運動(積乱雲とか)だったらもっとずっと小さいメートルスケールの運動が扱えないといけないだろうし、地球全体の運動ならば、数10km程度でもいいかもしれない(数字はテキトーです)。というわけで、こういうのは「何をやりたいか」「何を知りたいか」ということと不可分なのだということを頭の片隅に入れておく必要があるのだ。

※もし計算間違いなどあれば指摘していただくと有り難いです。

ライフガードブラック

…うまい!
 チェリオのウェブページ によると、
ライフガードとコーヒーが一度で味わえる新感覚のコーヒー入り炭酸飲料です。
ということです。なんてピンポイントなんだ。(^^)
 炭酸コーヒー飲料はたまに出るんだよね。5年くらい前にも当時住んでたとこの近所のスーパーでビン入りの炭酸コーヒーが売られてて、一時期ハマってよく飲んでいた。
 まあ好みの分かれる系統の味だと思いますが、私は大好き。(^^)

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うーん、あれやこれや色々書きたいことはあるのだけど、疲れて力尽きて書けないなあ…。ついった始めて書き殴ろうかしらん。とか思ってるうちはやらないんだろうな。(^^;;

過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる

某Yahoo掲示板に大先生登場。ちょっと感動してしまったので、久々に書き込んでみた。以下、私のコメントを転載。No.2993 。SSFS大先生の発言は、No.2989

すごいですねえ。「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」という言葉の普遍性をここまで体現してくれるとは。感動すら覚えます。

> 以下のような記述は時代遅れ、つまり手抜きです。

マイナスイオン騒動から何を教訓として読み取るか、という話をしているのに…。

ちなみに今現在 google で「マイナスイオン」で検索すると、一位は wikipediaの「マイナスイオン」の項、二位は「市民のための環境ガイド」の安井至さん「マイナスイオンはインチキか」、そして三位にイオントレーディングの「マイナスイオンとは?」というページが登場します。つまり、イオントレーディングはネットを使って「マイナスイオン」を調べようとする人が見る可能性のとても高いサイト、ということになりますね。

それから、レジュメでイオントレーディングによる定義の次のページには、あの「日本マイナスイオン応用学会」が述べているマイナスイオンの定義が引用されています。
http://www.minusion.jp/ion/contents/ion.htm
SSFSさんの定義とは異なるようですが。「マイナスイオンとは、電子e^{-}である」なんて書かれいますよ!「素人がネット検索で簡単に突き止め」ようとしたら、こういう定義にぶち当たる可能性が高いんじゃないですかね?


この掲示板では、abc_wood_abcさんをはじめとする方々の地道な努力で、SSFS氏を周縁化することに成功していると思われる。ビリーバーを説得することがほぼ不可能(正確に言えば並大抵の努力では説得が不可能な人をビリーバーと呼んでいるのだが)である以上、これぐらいで満足すべきなのかもしれない。もはやSSFS氏の言うことに耳を貸す者はいないと思いたいが、まあ検索で飛んできてSSFS氏の発言だけ見ちゃったら困るなあ、とも思うので、当該掲示板でコメントをされる方(特にabc_wood_abcさん)は尊敬に値すると言えよう。

一応補足しておくと、Yahoo掲示板では「無視リスト」を設定することができる。SSFS氏は以前から気に食わない発言をした人は無視リスト行き(SSFS氏が見ないだけだが)と公言しているので、掲示板常連の方々は一部を除きほぼ全員無視されているだろう。

もう一点。SSFS氏は、ssfs2007, ssfs2009, ssfs_2010, nano2006jp などハンドル名の変えて出没している。その点ご注意を。

OSATOさんのところ にも突撃しているが、しっかり斬られておりますな。(^^;;

『アバター』

 映画『アバター』を観た。
 前情報はあまり仕入れていなかったのだが、予想以上に面白かった。観に行く直前に、たまたま『読売』で「『アバターは反米・反軍映画』保守派いら立ち」という記事 を見たのだが、開始早々、そりゃそう思うだろうな、と思った。
 で、ネタバレにならない程度に(ちょっとなるかも)、つらつらと思ったことなど。
  • 海兵隊を持ってくるところはさすが。侵略の専門家とも言える海兵隊を(「元」とはいえ)そのままの名前で出すのは色々大変だっただろう。
  • 資源のための侵略であり、そのための海兵隊(軍)という構図は、いま現在のアメリカを描いているだけでなく、侵略というものの近現代的な本質を衝いているのだと思う。東アジア・東南アジアへの侵略を進めた旧日本軍も、まさに大陸の資源とそれによる大資本の利益の保護が大きな目的の一つだったのだから。
  • この映画がイラクなどへのアメリカの侵略を暗喩しているのであれば、ナヴィ族を中東の人々になぞらえるのはどうかというのは気にせざるを得なかった。彼らも普通に学校に通い、テレビを見、我々とそう変わらない生活をする同じ人間なのだ。もっとも、独裁者の下で自由を奪われていたということも異なっているのだが。とはいえ、おそらくは、米軍の侵略を支持する人々にとって、中東の人々は(いや日本も含めたアジアの人々は)、自分たちから見てナヴィ族とたいして変わらない程度に異質の存在に見えているのだろう。そして、映画の導入部分においてそういう層へのわかりやすさを狙ったものだと思えば、納得はできる。
  • 大佐らの攻撃によって崩れる「生命の樹」は911テロによるWTCをイメージしたものか。これによって、観客に、ナヴィ側への感情移入をさせやすくした、あるいは相手の立場に立って考えるように仕向けた、のかもしれない。
  • 上の読売の記事で「カトリック教会の一部からも汎神論の思想が広まることへの懸念の声」があることを伝えている。これについては、先日のこのエントリでも触れたように、キリスト教の立場としては汎神論は克服されねばならない思想なのであるから反発はまあわかるけれども、それはそれとして、私も若干ニューエイジ的なところが気にはなった。ただし、これも科学が未発達な文化では最初は汎神論的な世界観に(おそらくは)なるのだろう。そうだと思えば、逆にナヴィ族のあり方にリアリティを与えるものである、という言い方もできる。
  • 「生命の樹」が人間の脳を越えるネットワークを有している、というのは、ニューエイジ的なところに実体を与えてしまっているという面はあるのだが、それはそれとして。これを破壊しようとする企てに対してグレースが猛然と抗議する場面があった。そのネットワークには膨大な知識の積み重ねが期待される、その謎を解明しなければならない、と(うろ覚えですが)。ところが現場の責任者の男は、だからなんだ、という顔。会社の利益の方が遥かに重要な問題なのだ。で、これは今の日本でも同様な問題があるだろう。事業仕分けでの問題とも関連するが、そういう科学的な価値をどこまで社会が認めるか、リソースを割くか、というのと結局はつながってくるからだ。あの場面を見たとき、「そうだよな、資源を採掘できるようにする方が重要だ」と思う人が結構いるのではないかということが心配。
  • でまあグレースかっこええなあ、と。死にゆく状況で「サンプル採取しなきゃ」ってまあそんなこと言ってみたい。(^^)
  • ナウシカともののけ姫にラピュタのテイストを加えたんだろうなんてことは、こういったことに比べれば瑣末な問題だよね。
というわけで、なかなか面白かったです。