すみません
ええとすみません、年度が変わったらちょっとなんだか大変忙しくてバタバタしております。いろいろお便りも戴いておきながら返事できてなくてすみません。週末にじっくり読んで、今後に活かせるよう考えたいと思っています(以上私信でした^^;;)。
これだけではなんなので。
NHKの「こだわり人物伝」 、4月は藤子・F・不二雄です。たまたまテレビをつけたら第一回をやっていて、慌ててテキストを買いに行った。(^^;;
しかし第二回は忙しくて見ていない。録画もすっかり忘れていた。再放送は忘れないようにしないと…(って忘れそうだ^^;;;;)。
これだけではなんなので。
NHKの「こだわり人物伝」 、4月は藤子・F・不二雄です。たまたまテレビをつけたら第一回をやっていて、慌ててテキストを買いに行った。(^^;;
しかし第二回は忙しくて見ていない。録画もすっかり忘れていた。再放送は忘れないようにしないと…(って忘れそうだ^^;;;;)。
『実践 波動速読法―間脳をひらく子ども力―』飛谷ユミ子
古本屋でたまたま見つけてつい買ってしまった。400円返せ(始めに言っとく)。
この本の面白いところは、七田本の一つ(七田眞による七田式幼児教育についての本)でありながら、七田本人が書いたものではなく、七田チャイルドアカデミーの講師(「講師師範」だそうだが)による実践の書である、というところだろう。内容のトンデモっぷりもさることながら、どのような「実践」が組織内で手本とされているのか、という興味もあって、購入してしまった。
中身はまあ凄いもんで、麻布中に受かった(志望校が決まったら成績が上がった、脳の質に変化が生じたからだ、そうだ)だの、ホーキングに手紙を書いただの、絵画コンクールで受賞したのだのと言った話が並ぶ。それに混じって、右脳開発がどうとかのトンデモ理論が開陳される。
全部紹介してもしょうがないので、幾つか妙ちくりんなエピソードを紹介するとしよう。
それよりも凄いのが、「花が咲かないのなら、捨ててしまいますよ」と声をかけた、というところだ。大変だ! 汚い結晶ができてしまう! とツッコんだのは私だけではないだろう。
あるいは同じ章の「子どもが遺伝子を語る」から。p.75
他にも「白紙の本からでも情報がとれる」(p.120)とかもうなんと言ったらいいのかわからないような、内容というより着想自体がもうトンデモ全開のエピソードもあるのだが、長くなるので最後にもう一つだけ。
第九章「胎教から右脳教育で」。この時点でもうスゴそうな雰囲気たっぷりですが、最初の節がスゴいよ~。p.174。「酸味を増した羊水は赤ちゃんの天敵」。出た~、羊水!
なお、倖田來未の羊水発言は2008年初頭、江本勝らが羊水の結晶写真の撮影をはじめたのは2008年後半 。ということになると、この本の出版年である2003年の段階で羊水に注目していたのは、ある意味先駆的(ある意味、ね)ということになる。飛谷氏の思いつきなのか、七田氏の思いつきなのかはわからないが。しかしまあ、これがもしかしたら後の羊水騒動のきっかけだったのかもしれん。
…あー、amazon だったら古本で240円だ! まあ送料込みにしたら400円の方が安いか。しかしコメントで絶賛されているのがなあ…。
この本の面白いところは、七田本の一つ(七田眞による七田式幼児教育についての本)でありながら、七田本人が書いたものではなく、七田チャイルドアカデミーの講師(「講師師範」だそうだが)による実践の書である、というところだろう。内容のトンデモっぷりもさることながら、どのような「実践」が組織内で手本とされているのか、という興味もあって、購入してしまった。
中身はまあ凄いもんで、麻布中に受かった(志望校が決まったら成績が上がった、脳の質に変化が生じたからだ、そうだ)だの、ホーキングに手紙を書いただの、絵画コンクールで受賞したのだのと言った話が並ぶ。それに混じって、右脳開発がどうとかのトンデモ理論が開陳される。
全部紹介してもしょうがないので、幾つか妙ちくりんなエピソードを紹介するとしよう。
まずは、第三章「波動速読は何に生かされるのか」のp.72「たった一言でアマリリスが花を咲かせた」より引用(太字強調は引用者による)。
(…)私の家のベランダにはアマリリスの花があります。今ではたくさんの花をつけるのですが、かつては葉っぱばかりが生い茂って、ちっとも花をつけてくれませんでした。そこで、私はアマリリスに「花が咲かないのなら、捨ててしまいますよ」と声をかけてみました。いや~すごい。最後の一文はほとんどバクスター効果 だが、トンデモ具合を端的に示すものだろう。
その二、三日後から、私は社員旅行で京都に行っていました。そして帰ってきてみると、ベランダのアマリリスがたくさんつぼみをつけていました。それからどんどん大きくなって、通常のアマリリスの倍くらいの花を咲かせるようになりました。
このように、潜在意識からの想念エネルギーは、自分の体だけではなく植物にも伝わるものなのです。
それよりも凄いのが、「花が咲かないのなら、捨ててしまいますよ」と声をかけた、というところだ。大変だ! 汚い結晶ができてしまう! とツッコんだのは私だけではないだろう。
あるいは同じ章の「子どもが遺伝子を語る」から。p.75
村上和雄先生の『生命の暗号』(サンマーク出版刊)という本を、子どもたちは波動速読しました。この本は、遺伝子について書かれた、いわば学術書です。私たちの取り組みは、このような本を読んだ上で、これからの遺伝子はどうなるだろうかという、イメージと波動速読をドッキングさせるというところまで進んでいきました。なんちゅうか、子どもナメるな、と言うべきなのか、先生もう少しマンガとか読みなよ、と言うべきなのかわからんが、こういう驚きかったってどうなのか、と思ってしまう。
するとある子が、「遺伝子の研究がどんどん発展していけば、恐竜を生み出すこともできるかもしれない」と言いだしたのです。それから、遺伝子の研究が進んで人間が進化を続けていくと、遥か未来には今とはまったく違った体形になるのではないか、とも言いました。
他にも「白紙の本からでも情報がとれる」(p.120)とかもうなんと言ったらいいのかわからないような、内容というより着想自体がもうトンデモ全開のエピソードもあるのだが、長くなるので最後にもう一つだけ。
第九章「胎教から右脳教育で」。この時点でもうスゴそうな雰囲気たっぷりですが、最初の節がスゴいよ~。p.174。「酸味を増した羊水は赤ちゃんの天敵」。出た~、羊水!
受精するためには、卵管に単細胞である卵子が送られて、そこに五億という精子が入り込んでくることにより、受精が行われます。生命誕生の瞬間です。もうほとんど脅迫だよなあ。ツッコミどころ満載だけれど、満載すぎてツッコミきれないので省略。ツッコむ必要もないでしょう。しかしpHが瞬時に3まで下がるって一体どこで仕入れてきたんだろう?
この時に精子が一匹で入ってくると、べん毛にぶつかって死んでしまい、タンパク源になります。ところが、五億という精子がいっぺんに押し寄せてくると、不思議な現象が起こるそうです。卵子の入口がパカッと開くのです。
その原因は、音なのだと考えられているそうです。卵子には耳も口も頭もないのに、精子が押し寄せてくる音が入口を開かせるのです。おそらく、これは右脳的な音でしょう。テレパシーと言ってもいいかもしれません。こうして受精が成立するのです。
単細胞である卵子ですら感性があり、記憶があり、本性があるわけです。ですから、胎児の間脳を刺激して、いい感性いい記憶いい本性を入れていくことができるのです。これが胎教です。
そして、甘酸っぱい海水のような羊水の中で、赤ちゃんは指しゃぶりをしたりあくびをしたりして、成長していきます。ところがこの羊水は、瞬時に味が変わってしまうのです。羊水のpH値は、通常7.8くらいです。しかし、たとえば買い物に行こうとして財布を忘れたと思うだけで、2,3秒で5くらいまで下がってしまいます。もっとひどいのは、感情的になって夫婦げんかをすると、一気に3ぐらいにまで下がります。
pH値が下がるということは、酸味が増すわけです。赤ちゃんがとても気持ち良く指しゃぶりをしていたら、いきなり酸っぱくなるわけです。羊水の中は憩いの場ではなく、体は硬直して、心地良い空間ではなくなります。同時に、羊水の中では、赤ちゃんはお母さんの心臓の鼓動や血液のサラサラ流れる音、骨のきしむ音、そして腸の蠕動音などをBGMで聞いています。ところが、お母さんが感情的になると、心臓の鼓動が速まります。血液も洪水を起こします。骨のきしむ音もひどくなります。このような騒音の中で、しかも酸味の増した羊水の中で、心が育つわけがありません。
ですから、赤ちゃんには胎教が非常に大切なのです。ここを説くと、お母さんたちは一斉に背筋をピンと伸ばし、神妙に「わかりました」と言います。
なお、倖田來未の羊水発言は2008年初頭、江本勝らが羊水の結晶写真の撮影をはじめたのは2008年後半 。ということになると、この本の出版年である2003年の段階で羊水に注目していたのは、ある意味先駆的(ある意味、ね)ということになる。飛谷氏の思いつきなのか、七田氏の思いつきなのかはわからないが。しかしまあ、これがもしかしたら後の羊水騒動のきっかけだったのかもしれん。
…あー、amazon だったら古本で240円だ! まあ送料込みにしたら400円の方が安いか。しかしコメントで絶賛されているのがなあ…。
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ブクマ1000越え
気がついたらはてなブックマークが1000に到達しておりました。これも皆様のおかげです。ありがとうございます。
最近は忙しくてなかなか更新もできなかったのですが、「人柱系」(とでも言うのかしらん)のエントリ、つまり自分で金払ってまで買いたくはないが、一部で話題になっているトンデモ系についての話を書くと、やはり反応がいいようで、「アンタも好きねえ」と内心思いつつ、やはりここは形の上では「愛・感謝」だとばかりにありがとうありがとうありがとう…じゃなかった、これからも白日の下に晒していこうかと思っています。
# 先日、知人からは「近年稀に見るバカ」とお誉めのお言葉をいただきました。\(^O^)/
実はまた古本で七田系のトンデモ本(七田本人のじゃないところがまたついうっかり買ってしまった原因でもある)を入手してしまったのですが、ちょっと今日は力尽きたので、また後日紹介したいと思います。
というわけで、これからもよろしくお願いします。m(_ _)m
最近は忙しくてなかなか更新もできなかったのですが、「人柱系」(とでも言うのかしらん)のエントリ、つまり自分で金払ってまで買いたくはないが、一部で話題になっているトンデモ系についての話を書くと、やはり反応がいいようで、「アンタも好きねえ」と内心思いつつ、やはりここは形の上では「愛・感謝」だとばかりにありがとうありがとうありがとう…じゃなかった、これからも白日の下に晒していこうかと思っています。
# 先日、知人からは「近年稀に見るバカ」とお誉めのお言葉をいただきました。\(^O^)/
実はまた古本で七田系のトンデモ本(七田本人のじゃないところがまたついうっかり買ってしまった原因でもある)を入手してしまったのですが、ちょっと今日は力尽きたので、また後日紹介したいと思います。
というわけで、これからもよろしくお願いします。m(_ _)m
『血液型の科学』藤田紘一郎
本屋で立ち読みしてきた。いやあ、ひどい本です。不誠実にもほどがある。以下は感想。立ち読みで第一章までをざっと読んだだけなので、詳細は記憶違いなどもあるかと思いますがご容赦。
まず出版社のページにある紹介 を引用しておく。
血液型性格判断の歴史も簡単に触れられていて、血液型発見当時の優生学の問題や、ドイツに留学した医師ら(名前は出ず)により日本に血液型性格関連説が持ち込まれたこと、古川が広めたこと、戦後に能見らが復活させたことが述べられている。ただし、戦後の心理学者による研究はほとんど出てこない。大村政男氏が、粘り強く血液型と性格の関係を証明しようと研究を続けている、というように触れられる程度だ(大村氏の問題はここでは措く)。
もう一人、心理学者の名が登場する。あの菊池聡氏だ。血液型性格判断に関心のある人ならご存知だろうが、様々な「不思議現象」を心理学の立場から解明している人だ。どのように登場しているのか。藤田氏は、菊池氏が、血液型物質が性格に影響を与えることはないと批判している、と主張しているとして批判しているのだ。もちろん、菊池氏が血液型性格判断を批判する際の最重要点はそんなことではなく、「血液型」と「性格」の相関を調べた結果、強い関係が見られなかった「から」、血液型性格判断を批判しているのである。菊池氏の名前を挙げたからには、彼がどのような主張をしているかぐらいは多少なりとも目に入っただろう。それを知らずしてこのような批判の仕方をするなど不誠実極まりない。科学者としては最低の部類に入ると言っても過言ではないだろう。もし気づかなかったというのであれば、ただのバカだ。文献調査もロクにできない、研究者としての資質に欠ける者と言わざるを得ない。藤田氏がどちらの部類に入るのかは知らない。が、本業の寄生虫学で素晴しい業績を挙げていたとしても、これだけ世の中に害悪を撒き散らすようではダメである。
もし藤田氏が本気で科学的に血液型と性格の関係を調べたいのであれば、最低限、ここで紹介 した松井論文ぐらいは目を通すべきだ。それが誠実な研究者というべきであろう。
ちなみに、目次を見る限りは、論理展開はおそらく昔の竹内久美子の本『小さな悪魔の背中の窪み-血液型・病気・恋愛の真実-』の焼き直しに過ぎないのではないかと想像する。バカバカしいのでそこまで検討する気になれないが、もしそのような酔狂に挑戦される方があれば―私も散々バカやってきて、その痕跡がこのブログには大量にありますが^^―教えていただけると有り難いです。
藤田紘一郎氏については、「幻影随想」のこのエントリも参考になると思います。「カイチュウ博士こと藤田紘一郎センセが、水商売だけでなく血液型健康商売に手を広げたようだ 」
血液型の科学 (祥伝社新書 189)/藤田紘一郎
¥798
Amazon.co.jp
まず出版社のページにある紹介 を引用しておく。
A型はガンにかかりやすいこの本の面白いのは、最初に「血液型による性格診断は『エセ科学』か」と題して、血液型性格判断が学術的に検討する価値のある課題であることを必死に印象づけようとしている点にある。というわけで、そこだけざっと眺めたわけだ。
B型はブタ肉が合わない
O型は梅毒と結核に強い
AB型は感染症に弱い
その医学的根拠とは?
血液型と病気・性格との関係を免疫学から読みとく!
血液型は、人類の歴史を左右してきた!
血液型にまつわる事項について、本当に科学的な解説を試みた本はいままでになかったと思います。本書は、ABO血液型に本格的な科学的メスを入れて、本質を探究したものです。(「はじめに」より)
本書の内容……
第一章 血液型による性格診断は「エセ科学」か
第二章 血液型とはそもそも何か
第三章 血液型はどのようにして生まれたか――人類は全員O型だった
第四章 血液型で決まる「体に合う食物・合わない食物」
第五章 血液型が左右した病原菌との闘い
第六章 血液型別・かかりやすい病気とその対策
■血液型による性格診断は本当に「エセ科学」か?
日本人は「血液型」の話が大好きだ。一方で、学者たちは「血液型診断に科学的根拠はまったくない」という。
もちろん、血液型によって人の性格や運命がすべて決まるわけはない。けれども、血液型を決めている「血液型物質」は、血液のみならず、腸や骨など体中の組織に含まれている。そのことから、血液型ごとの免疫力の差、ひいては、血液型によってかかりやすい病気・かかりにくい病気や、合う食物・合わない食物があることを証明できるのだ。
「血液型」が生まれた歴史から、血液型別の病気対策まで――これまでにない「科学的」な血液型の世界。
血液型性格判断の歴史も簡単に触れられていて、血液型発見当時の優生学の問題や、ドイツに留学した医師ら(名前は出ず)により日本に血液型性格関連説が持ち込まれたこと、古川が広めたこと、戦後に能見らが復活させたことが述べられている。ただし、戦後の心理学者による研究はほとんど出てこない。大村政男氏が、粘り強く血液型と性格の関係を証明しようと研究を続けている、というように触れられる程度だ(大村氏の問題はここでは措く)。
もう一人、心理学者の名が登場する。あの菊池聡氏だ。血液型性格判断に関心のある人ならご存知だろうが、様々な「不思議現象」を心理学の立場から解明している人だ。どのように登場しているのか。藤田氏は、菊池氏が、血液型物質が性格に影響を与えることはないと批判している、と主張しているとして批判しているのだ。もちろん、菊池氏が血液型性格判断を批判する際の最重要点はそんなことではなく、「血液型」と「性格」の相関を調べた結果、強い関係が見られなかった「から」、血液型性格判断を批判しているのである。菊池氏の名前を挙げたからには、彼がどのような主張をしているかぐらいは多少なりとも目に入っただろう。それを知らずしてこのような批判の仕方をするなど不誠実極まりない。科学者としては最低の部類に入ると言っても過言ではないだろう。もし気づかなかったというのであれば、ただのバカだ。文献調査もロクにできない、研究者としての資質に欠ける者と言わざるを得ない。藤田氏がどちらの部類に入るのかは知らない。が、本業の寄生虫学で素晴しい業績を挙げていたとしても、これだけ世の中に害悪を撒き散らすようではダメである。
もし藤田氏が本気で科学的に血液型と性格の関係を調べたいのであれば、最低限、ここで紹介 した松井論文ぐらいは目を通すべきだ。それが誠実な研究者というべきであろう。
ちなみに、目次を見る限りは、論理展開はおそらく昔の竹内久美子の本『小さな悪魔の背中の窪み-血液型・病気・恋愛の真実-』の焼き直しに過ぎないのではないかと想像する。バカバカしいのでそこまで検討する気になれないが、もしそのような酔狂に挑戦される方があれば―私も散々バカやってきて、その痕跡がこのブログには大量にありますが^^―教えていただけると有り難いです。
藤田紘一郎氏については、「幻影随想」のこのエントリも参考になると思います。「カイチュウ博士こと藤田紘一郎センセが、水商売だけでなく血液型健康商売に手を広げたようだ 」

リジェクトされた槌田論文を読んでみた
少し時間が取れるようになったので、kikulogの温暖化懐疑論のエントリ
でまた話題になった槌田さんのリジェクトされた論文をざっと読んでみた。件の論文はこれ。
「大気中CO2濃度増は自然現象であった Ⅰ.その原因は気温高である」近藤邦明・槌田敦
http://env01.cool.ne.jp/global_warming/saiban/rep01.pdf
…kikulog でコメントされてる通りだ。そりゃリジェクト喰らうわな、こりゃ。kikulogのコメント欄でも色々述べられているし、たぶんあちこちのサイトでも言及されているだろうから(ここのところ忙しくてほとんどチェックできていませんが)、簡単に。いやたぶんここで書いたこともとうの昔にあちこちで言われていることなんだろうけれども。
最後の第6図だけ見ておこう。これは横軸に「世界平均気温偏差(℃)」を取っている。これは1章に述べられているように「1971年から2000年までの30年間の世界平均気温を気温の基準とし、その基準気温からのずれ」である。つまり、単にゼロ点を1971-2000年の間の平均気温に取り直したものである。縦軸は「大気中CO2濃度変化率(ppm/年)」で、1年当たり、大気中のCO2濃度がどれくらい変化したかを示したものである。
さて、図を見ると、横軸はだいたい -0.3から0.4℃ぐらいに分布しているのがわかる。ただし0℃を中心にランダムに分布しているのではない。すぐ上の第5図を見ると、揺らぎはあるものの少しづつ上昇する傾向がありそうに見える。
次に縦軸を見てみる。縦軸の一番したが0で、だいたい気温偏差が0℃のときにCO2濃度変化率が1.5ppm/年ぐらいであることがわかる。おおよそ、0.5ppm/年から2.5ppm/年あたりに分布している。
さて、この論文の直接の結論は、要するに気温偏差とCO2濃度変化率に相関がある、ということだ。最後から3番目のパラグラフを全文引用しよう。
問題は次のパラグラフである。上で引用した続きをそのまま全文また引用する(と言っても一行しかないが)。
つまり、この論文が示したことは、CO2濃度が長期的に増加している理由はわからないが、年によって増加の割合が微妙に揺らぐのは、気温の揺らぎに起因するものであろう、という、いわば二次の効果である。この論文にはCO2濃度がそもそもなぜ増加し続けているかの理由については全く言及がないのだ。
そういうわけで、(この論文の解析自体についての評価はさておき)私がレフェリーだったならば、おそらく次のようなコメントを必ず入れるだろう。「論文タイトルが論文の内容と対応していない。そのため、このままでは受理できない」と。タイトルにある「CO2濃度増は自然現象であった」を「CO2濃度増の揺らぎは自然現象であった」ならまだしも(無論、上で書いたように、合ってる時期だけを選んで「合ってる」と言われても…という問題はある)。
サブタイトルが「その原因は気温高である」となっているが、問題はなぜ「気温高」になっているのか、である。そこへの回答はこの論文には(著者らの思いとは裏腹に)ないのである。
「大気中CO2濃度増は自然現象であった Ⅰ.その原因は気温高である」近藤邦明・槌田敦
http://env01.cool.ne.jp/global_warming/saiban/rep01.pdf
…kikulog でコメントされてる通りだ。そりゃリジェクト喰らうわな、こりゃ。kikulogのコメント欄でも色々述べられているし、たぶんあちこちのサイトでも言及されているだろうから(ここのところ忙しくてほとんどチェックできていませんが)、簡単に。いやたぶんここで書いたこともとうの昔にあちこちで言われていることなんだろうけれども。
最後の第6図だけ見ておこう。これは横軸に「世界平均気温偏差(℃)」を取っている。これは1章に述べられているように「1971年から2000年までの30年間の世界平均気温を気温の基準とし、その基準気温からのずれ」である。つまり、単にゼロ点を1971-2000年の間の平均気温に取り直したものである。縦軸は「大気中CO2濃度変化率(ppm/年)」で、1年当たり、大気中のCO2濃度がどれくらい変化したかを示したものである。
さて、図を見ると、横軸はだいたい -0.3から0.4℃ぐらいに分布しているのがわかる。ただし0℃を中心にランダムに分布しているのではない。すぐ上の第5図を見ると、揺らぎはあるものの少しづつ上昇する傾向がありそうに見える。
次に縦軸を見てみる。縦軸の一番したが0で、だいたい気温偏差が0℃のときにCO2濃度変化率が1.5ppm/年ぐらいであることがわかる。おおよそ、0.5ppm/年から2.5ppm/年あたりに分布している。
さて、この論文の直接の結論は、要するに気温偏差とCO2濃度変化率に相関がある、ということだ。最後から3番目のパラグラフを全文引用しよう。
この第6図において、第一次近似として実曲線の部分(引用者注:上記の相関が良い期間)だけを用いて回帰直線を作ると、大気中CO2濃度変化率がゼロppm/年となるのは気温偏差がマイナス0.6℃程度のときである。このことから、1971年から30年の世界平均気温は大気と陸海の間でCO2の移動が実質的にない温度よりも0.6℃程度高温であり、この図の範囲での結論として大気中CO2濃度が毎年上昇していることが示される。まあズレがある期間を除いている時点でツッコミを入れたくもなるが、そこはまあ措いとくとしよう。すると、このパラグラフで述べていること自体は基本的に問題はなさそうである。やや文章がわかりにくいのだが、私なりに言い換えると、「気温偏差とCO2濃度変化率には相関が見られる。気温偏差がマイナス0.6℃程度のとき、CO2濃度変化率はゼロ程度になる(気温偏差が0℃程度のとき、CO2濃度変化率は1.5ppm/年程度である)。気温偏差は1971~2000年の間は常に-0.4℃以上であり、CO2濃度は上昇し続けていることと対応する。」ぐらいになるだろうか。
問題は次のパラグラフである。上で引用した続きをそのまま全文また引用する(と言っても一行しかないが)。
これにより、現実の大気中CO2濃度増は主に気温高による自然現象であると結論できる。…それはないだろう。この論文で示されたのは、本来は気温偏差と「CO2濃度変化率の偏差」とでも言うべきものの相関だ。気温の方を30年間の平均からのズレで見るなら、CO2濃度変化率も(第6図のようなものを描くなら)30年間のCO2濃度変化率の平均からのズレを見た方が良い。そうすれば、CO2濃度は年とともに増加していくが(それは第1図に明瞭に示されている)、その増加するトレンドまわりの揺らぎが気温に依存することを示唆しているということが明瞭に示せるだろう(実際に正しいかどうかは別にして)。
つまり、この論文が示したことは、CO2濃度が長期的に増加している理由はわからないが、年によって増加の割合が微妙に揺らぐのは、気温の揺らぎに起因するものであろう、という、いわば二次の効果である。この論文にはCO2濃度がそもそもなぜ増加し続けているかの理由については全く言及がないのだ。
そういうわけで、(この論文の解析自体についての評価はさておき)私がレフェリーだったならば、おそらく次のようなコメントを必ず入れるだろう。「論文タイトルが論文の内容と対応していない。そのため、このままでは受理できない」と。タイトルにある「CO2濃度増は自然現象であった」を「CO2濃度増の揺らぎは自然現象であった」ならまだしも(無論、上で書いたように、合ってる時期だけを選んで「合ってる」と言われても…という問題はある)。
サブタイトルが「その原因は気温高である」となっているが、問題はなぜ「気温高」になっているのか、である。そこへの回答はこの論文には(著者らの思いとは裏腹に)ないのである。