『アバター』 | ほたるいかの書きつけ

『アバター』

 映画『アバター』を観た。
 前情報はあまり仕入れていなかったのだが、予想以上に面白かった。観に行く直前に、たまたま『読売』で「『アバターは反米・反軍映画』保守派いら立ち」という記事 を見たのだが、開始早々、そりゃそう思うだろうな、と思った。
 で、ネタバレにならない程度に(ちょっとなるかも)、つらつらと思ったことなど。
  • 海兵隊を持ってくるところはさすが。侵略の専門家とも言える海兵隊を(「元」とはいえ)そのままの名前で出すのは色々大変だっただろう。
  • 資源のための侵略であり、そのための海兵隊(軍)という構図は、いま現在のアメリカを描いているだけでなく、侵略というものの近現代的な本質を衝いているのだと思う。東アジア・東南アジアへの侵略を進めた旧日本軍も、まさに大陸の資源とそれによる大資本の利益の保護が大きな目的の一つだったのだから。
  • この映画がイラクなどへのアメリカの侵略を暗喩しているのであれば、ナヴィ族を中東の人々になぞらえるのはどうかというのは気にせざるを得なかった。彼らも普通に学校に通い、テレビを見、我々とそう変わらない生活をする同じ人間なのだ。もっとも、独裁者の下で自由を奪われていたということも異なっているのだが。とはいえ、おそらくは、米軍の侵略を支持する人々にとって、中東の人々は(いや日本も含めたアジアの人々は)、自分たちから見てナヴィ族とたいして変わらない程度に異質の存在に見えているのだろう。そして、映画の導入部分においてそういう層へのわかりやすさを狙ったものだと思えば、納得はできる。
  • 大佐らの攻撃によって崩れる「生命の樹」は911テロによるWTCをイメージしたものか。これによって、観客に、ナヴィ側への感情移入をさせやすくした、あるいは相手の立場に立って考えるように仕向けた、のかもしれない。
  • 上の読売の記事で「カトリック教会の一部からも汎神論の思想が広まることへの懸念の声」があることを伝えている。これについては、先日のこのエントリでも触れたように、キリスト教の立場としては汎神論は克服されねばならない思想なのであるから反発はまあわかるけれども、それはそれとして、私も若干ニューエイジ的なところが気にはなった。ただし、これも科学が未発達な文化では最初は汎神論的な世界観に(おそらくは)なるのだろう。そうだと思えば、逆にナヴィ族のあり方にリアリティを与えるものである、という言い方もできる。
  • 「生命の樹」が人間の脳を越えるネットワークを有している、というのは、ニューエイジ的なところに実体を与えてしまっているという面はあるのだが、それはそれとして。これを破壊しようとする企てに対してグレースが猛然と抗議する場面があった。そのネットワークには膨大な知識の積み重ねが期待される、その謎を解明しなければならない、と(うろ覚えですが)。ところが現場の責任者の男は、だからなんだ、という顔。会社の利益の方が遥かに重要な問題なのだ。で、これは今の日本でも同様な問題があるだろう。事業仕分けでの問題とも関連するが、そういう科学的な価値をどこまで社会が認めるか、リソースを割くか、というのと結局はつながってくるからだ。あの場面を見たとき、「そうだよな、資源を採掘できるようにする方が重要だ」と思う人が結構いるのではないかということが心配。
  • でまあグレースかっこええなあ、と。死にゆく状況で「サンプル採取しなきゃ」ってまあそんなこと言ってみたい。(^^)
  • ナウシカともののけ姫にラピュタのテイストを加えたんだろうなんてことは、こういったことに比べれば瑣末な問題だよね。
というわけで、なかなか面白かったです。