『ハート・ロッカー』
アカデミー賞で話題の『ハート・ロッカー』(Hurt Locker)を観てきた。
いやまあ凄い映画ではある。観てて緊張して喉が乾いたくらいだ。イラクに派遣された米兵の心持ちが垣間見えるような(もちろん爆発物処理兵という特殊な視点ではあるが)。デカい爆弾の傍らで処理をする緊張感もそうだし、いつどこで撃たれるかわからない緊張感もそうだ。ただ、幾つかのところで指摘されていたように、この映画が何を伝えたいのかが曖昧だと思う。いやむしろ曖昧にして、淡々と爆発物を処理する兵士たちを描くことに焦点を絞った、というところなのだろうけれども。そこが同じ中東への侵略を描きながら『アバター』との最大の違いだろう。
この映画から何を読み取るかは、完全に観客に委ねられている。イラクの悲惨な現実から、戦争の愚かさを読み取ることも可能であろう。何度も描かれてきたテーマではあるが、戦争という異常な状況を体験したことにより、本国に戻っての日常がむしろ耐えられなくなるという恐ろしさも伝わってくる。私としてはそういう戦争の愚かさ、バカバカしさを読み取って欲しいと思う。
しかし、おそらくは、残念ながら、そうはならないのだろう。少なくとも日本では。そのことは、この映画のウェブページ にもある次の言葉に端的に示されていると思う。
ややネタバレになってしまうかもしれないが、例えば「人間爆弾」にされようとした少年や、爆弾を体に巻かれた「善良な」イラク人。彼らの命は救えなかったわけだが、そうされた人々への米兵の怒りが描かれる。見ようによっては、「極悪テロリスト」が「善良なイラク人・イラクの子どもたち」を犠牲にしてまでテロを実行しようとすることに、米軍が勇猛果敢に立ち向かうという「正義の米軍」を描いているとも言えるわけだ。
個別の体験から全体を評価することの危険性は、決して代替医療などの問題だけではない。過去の戦争についても、至るところで指摘されていることだ。今後、この映画がどのように受容されていくのか、少し気になるところである。
いやまあ凄い映画ではある。観てて緊張して喉が乾いたくらいだ。イラクに派遣された米兵の心持ちが垣間見えるような(もちろん爆発物処理兵という特殊な視点ではあるが)。デカい爆弾の傍らで処理をする緊張感もそうだし、いつどこで撃たれるかわからない緊張感もそうだ。ただ、幾つかのところで指摘されていたように、この映画が何を伝えたいのかが曖昧だと思う。いやむしろ曖昧にして、淡々と爆発物を処理する兵士たちを描くことに焦点を絞った、というところなのだろうけれども。そこが同じ中東への侵略を描きながら『アバター』との最大の違いだろう。
この映画から何を読み取るかは、完全に観客に委ねられている。イラクの悲惨な現実から、戦争の愚かさを読み取ることも可能であろう。何度も描かれてきたテーマではあるが、戦争という異常な状況を体験したことにより、本国に戻っての日常がむしろ耐えられなくなるという恐ろしさも伝わってくる。私としてはそういう戦争の愚かさ、バカバカしさを読み取って欲しいと思う。
しかし、おそらくは、残念ながら、そうはならないのだろう。少なくとも日本では。そのことは、この映画のウェブページ にもある次の言葉に端的に示されていると思う。
彼らは、数えきれない命を救う。現実の爆弾処理兵が、自分の命を懸けて他人の命を救うことに誇りを持っているであろうことに疑いはない。しかし、問題は、それを全体の中でどう位置付けるかである。
たった一つの命を懸けけて―。
ややネタバレになってしまうかもしれないが、例えば「人間爆弾」にされようとした少年や、爆弾を体に巻かれた「善良な」イラク人。彼らの命は救えなかったわけだが、そうされた人々への米兵の怒りが描かれる。見ようによっては、「極悪テロリスト」が「善良なイラク人・イラクの子どもたち」を犠牲にしてまでテロを実行しようとすることに、米軍が勇猛果敢に立ち向かうという「正義の米軍」を描いているとも言えるわけだ。
個別の体験から全体を評価することの危険性は、決して代替医療などの問題だけではない。過去の戦争についても、至るところで指摘されていることだ。今後、この映画がどのように受容されていくのか、少し気になるところである。