ほたるいかの書きつけ -65ページ目

ホルミシスと原子力発電(追記あり2009/1/6)

 「ニセ科学」というか、最近巷で話題(?)のグレーゾーンの話になると思うのですが。
 最近(ではないのかもしれないけど)、電力会社をはじめとする原発推進の人々が、妙にホルミシスを取り上げることが多いような気がして気になっている。まだ確立した話ではないと理解しているのだけれどもどうなのだろうか、というのが1点、そもそも原発の宣伝でホルミシスを持ち出すことはどうなのか、というのがもう1点。
 ホルミシスとは何かというと、放射線の被曝に関する話で、誰もが知っているように(*)、多量の放射線を浴びると細胞を破壊するなど体に重大な影響を与えるのだが、ほんのちょっぴり浴びるくらいならばかえって身体にいいのではないか、と言う話。
 (*)JCOの事故や原発の下請け労働者の話などを聞くと、本当に理解しているのか恐ろしくなってくるのだが。

 例えば東京電力のウェブページのここ(ラドン温泉は身体によいと聞きますが本当ですか?) とかここ( 少しの放射線は体に良いって本当ですか?) に簡単な解説がある。「放射線と健康を考える会」 という団体へのリンクもある。
 読めばわかるように、確かに「そういう話もあります」という書き方になっているのだが、この文脈では「中立」には受け取れないだろう。
 彼らの基本的な発想は、おそらく「国民には原子力(あるいは核、放射能)アレルギーがある。そのアレルギーを払拭せねばならない」ということだと思われる。そこで、放射線についての知識をあのような形で広めているのだろう。
 それ自体は問題はない。というか、正しい放射線の知識は現代に生きるものにとっては必須とさえ言える。ところが、おおもとの発想が発想だから、「正しい知識」よりも「放射線を怖がらなくさせる」ことに重きが置かれ、いきおいまだ確定していないホルミシスまで持ち出して「ほら、場合によっては放射線を浴びたほうがいいことだってあるんですよ(ホントかどうかはまだわかってないけど)」「ラドン温泉っていいよね」となるのではないか。

 科学的見地から言えばホルミシスも調べるべきものなのだろう(私は医学の知識がないのでよくわかりませんが…)。しかし、ざっと見る限り、現状は「マイナスイオン」と同様の「未科学」の段階にあるように見える。この段階で、放射線の啓蒙についての一部としてホルミシスを出すのは良くないのではないか。文面では確かに「~という可能性もあります」と断ってはいるが、テレビ番組でこっそり「霊や超能力は証明されたものではありません」みたいなテロップを出しながら自称「霊能力者」を出演させているのと似たようなものに思えるのだが。

***

 個人的な感触で言えば、生体のエネルギースケールと全く違う核力のエネルギースケールのもので健康に「良い」効果を与えることが可能であるとは思えない。一方的に破壊するだけのように思えるのだけれども、まあ生命は実に不思議というか想像もつかないすごいメカニズムがあるのかもしれない、と言われればそうなのかもしれないとも思える。遺伝子破壊されても修復するような機構があるのかどうかは知らないけれど。

***

 原発については色々言いたいこともあるのだけれども、それはまたいずれ。


(追記2009/1/6)
はてブのコメント で、mobanamaさんから次のようなコメントをいただいきました。
"個人的な感触で言えば、生体のエネルギースケールと全く違う核力のエネルギースケールのもので健康に「良い」効果を与えることが可能であるとは思えない"こりゃ少々非科学的な「感触」では?
(関連するエントリ「8月9日とホルミシス 」のほうでも若干追記をしますが)遺伝子修復などの生体側の応答についてはここでは考慮していませんでした(物理的な効果のみ)。ここで想定している放射線では、物理的なメカニズムとしては生体を構成している分子は破壊するだけであり、分子に吸収されて励起させるなどのようなことはできないと思います。
 ホルミシスの作用機序として考えられているのは、どうも遺伝子修復機構が弱い放射線により活性化され、自然に(なのか自然放射線によるのかわかりませんが)発生する突然変異がむしろ減少する、ということのようです。従って、そういうことがあるのであれば、健康に良い効果は原理的にはあり得るのだと思います。
 いずれにしても、放射線が直接なにか効果をもたらすのではなく、わざと遺伝子を少し損傷させて(たぶんこれは放射線である必要はないのでは、という気がする)、それにより修復機構が活発に働く、ということのようで、もし本当であれば、「生命ってすげえや」という話ですね。

 本当に健康にいいのであればとてもいい話なので歓迎なので、きっちり科学的に検証してほしいところです。が、現状ではどうも政治的・商業的な利用が目につくので(「ホルミシス」でググると、よくまあ考えつくもんだなというグッズ販売がじゃんじゃん出てきます)、そこは問題だろうという立場は変わりません。マイナスイオンは健康にいい、と似たような構造に見えるのですよね。

Stryperと針の音

 本業の雑用が忙しく(←「本業が雑用」ではない)、レコードをCDに落とすのと、マトモな本を読むのに逃避(?)しております。ニセ科学本を読むのはそれなりに気力がいるのだなあ、とあらためて感じております。

 それはそれとして。
 先日、このエントリ で触れたように、レコードからUSB経由でPCにデータ化して落とす機械を購入したのですが、色々試してみて、ようやくCDに焼くコツ(というか基本的な設定だと思うのですが)がわかってきたので、どんどんCD化しています。
 で、レコードを入れていた箱を見ていたのですが、Stryperのレコードがあるではありませんか。自分で持ってるのすっかり忘れてた。このエントリ で最後に少しだけ触れたやつです。ジャケットから出してビックリ。レコードが白い。(^^;;
 いやさすがクリスチャンメタル、といったところでしょうか。

 というわけで、今のところ、Iron Maiden "Powerslave", Paradox "Heresy", Bulldozer "The Day of Wrath" ときて現在 Stryper の "Soldiers Under Command" を落としているところです。
 ちなみに Bulldozer (イタリアの Venom 的なバンド)のレコード、日本版なんですよね。邦題は「復讐の日」。

 ところで、レコードから取り込む際には、最初のレコードの針が落ちるところも取り込んでいます(一曲目の始まりが少し遅くなるけど)。この、「ブッ」(うまい擬音語が思いつかないけど)って音がいいんですよね。さあ聴くぞ、という雰囲気が出て。「音楽を楽しむ」って、音楽を楽しむこと自体を楽しむということまで含めてだと思うのですよね。「ブッ」という音が聴こえようが聴こえまいが、楽曲そのものには何ら変わりないし、健康に良かったり脳が活性化されたりもしないわけだけど、でも、音楽のその世界により深く入っていけるような気がするし、またこれを聴いていた頃を思い出したりなんかもして。ほんの一瞬の「ブッ」という音が、とても大きい付加価値を与えてくれる。
 もっとも、当時はレコードをカセットに落として聞いていたのだけど、その頃は、レコードの針が落ちた直後に録音ボタンを押すようにしていたのですよね。音楽を取り巻く環境が変われば音楽の楽しみ方も少し変わる、ということかな。



「夏の残像」

夏の残像―ナガサキの八月九日/西岡 由香
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 長崎原爆を題材にしたマンガ。原爆についてのマンガと言えば、最近はやはり「夕凪の街・桜の国」だけれども、広島だけではなく、長崎についてのマンガもついに出た。5つの短編から成る。テーマは幅広く、ドイツやアメリカ、韓国に関連する話もある。著者の力の入れようが伝わってくる。
 マンガ的な観点から言えば、「夕凪の街~」がその表現方法について画期的だったのに対し、こちらはかなりオーソドックスな少女マンガ的方法論に基づいていると言えるだろう。ただ、主人公が現代の東京の女子高生であり、被爆者の祖母を持つという点を除けばごく普通であるという点が、共感を呼びやすいかもしれない。

 巻末の解説から、おそらく作者が一番(かどうかわからないけど)言いたかったことを引用する。
郵便配達員だった男性にはモデルがいます。その方が被爆以降の話よりも、赤い自転車で配達に回った被爆前の美しい町並みや人々の暮らしをいきいきと語ってくれたとき、私は今さらのように気づいたのです。「その瞬間」まで、今と同じように人々がささやかな日常を生きていたのだと。
 1話が20~30ページ程度の短編であるためこの観点が活かされきっているわけではないが、現実に生きている(た)人々の個別性に着目しているという点では「夕凪の街~」に通ずるかもしれない。いずれにしても、広く読まれて欲しいと思う。

 なお、長崎の原爆資料館や平和公園に行くのであれば、ほんの少しだけ足を伸ばして白山墓地へ行くのがオススメ。それぞれの墓石の裏、誰が、いつ亡くなったかを見て欲しい。1945年8月9日に一つの家族から何人も亡くなっているが、9日だけではなく、10日、11日と続き、また2,3ヶ月後に亡くなっている人もいて、原爆というものが「その時」だけの被害ではない、ということがリアルに感じられる。核兵器というものの特殊性として、被爆者の苦しみは「後遺症」ではなく、現在も身体を蝕まれ続けているのだということが挙げられるが、その一旦を見て取れよう。

 白山墓地については「長崎さるく」 のコースマップから「アンゼラスの鐘の丘を訪ねて」(pdf) を見ると地図の右のほうに載っている。

 「夕凪の街~」が出たのでついでに。太田洋子の「屍の街」は読むべきでしょう。ちょっと手に入りにくいかもしれないが、学生時代に読んで衝撃を受けた。
夕凪の街桜の国/こうの 史代
¥840
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 network unreachable なところに出張してました。
 世の中の動きについていけてません。(^^;;

***

 先日発注したコレ↓が届いた。
Princeton USBオーディオキャプチャーユニット デジ造音楽版 匠
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ありゃ、また画像が出ない。
 ともかく、これで家に眠っているレコード・カセットがまた活かせます。(^^)

 まだちゃんと使ってないのですが、とりあえずテストということでレコードをしまっている箱を開けた。
 箱の手前の方にあるのを見てみる。1枚目。Nena の "Feuer Und Flamme"。うーん、ちょっと違うな、と思い、2枚目を見る。Dokken。うーん…3枚目は…あみん「メモリアル」だった。(*^^*) あ、コレ amazon にないぞ。
 気を取り直して(取り直さなくてもいいのだが)4枚目。…Armored Saint。(^^;; 5枚目は、おお、Accept の "Metal Heart"だ。これにしようかな、と思いつつ、次のを見たら、おおおお、Iron Maiden の "Powerslave" だ!!これだ、これにしよう、と思って、とりあえず1曲目の "Aces High" だけ取り込めるかどうかチェックしたのでした。ちなみにその次のは Paradox の "Heresy"だった。これもイイですよね。

 音量調整はもちろん音質の調整などこれから少しづつやっていかないといけないのでしょうが、とりあえずPCに落とせたということで満足。これからどんどんPCに入れていこうと思う。いつやるんだ、という話はありますが。

 ところで Nena を久々に見たのでなんとなく頭で鳴り出したのが、4枚目 "Eisbrecher" (これもamazonで出てこない!)のトップ、"Engel der Nacht"。Nena と言えば "99 Luftballons"、ですが(これもとても良い曲)、"Engel der Nacht"も好きなんですよね。中途半端に切なく妙に尻切れトンボで終わるギターソロがまた泣かせるのだなあ。
 このレコードも確か持ってたはず。とりあえず楽しみだけが拡がってます。(^^)
Feuer Und Flamme/Nena
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Back for the Attack/Dokken
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Raising Fear/Armored Saint
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メタル・ハート/アクセプト
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Heresy/Paradox
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Nena/Nena
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産経某記者ブログがかなりアレな件

 幾つかのブログがすでに取り上げていますが。
 『産経』の古森義久記者のブログ がまた凄い(こちらのエントリ でこの前触れたのは、別の阿比留瑠比氏のブログ。それとはまた別)。
 件のエントリのコメント欄で、ここでもni0615さんが奮闘してくださっているので、いまさら付け加えるものでもないのですが、あまりにもスゴイので、引用してみる。
要するに朝日新聞はNHKが海外向けの放送で、日本としての主張をしてはいけない、というのです。
日本の国益を守る主張もしてはダメだというのです。
日本を非難する側、日本を敵視する側の主張をまずきちんと伝えろ、というのです。
あるいは国連の主張が日本の主張よりも優先されるべきだ、というのです。
さて、ホントにこんなこと『朝日』が言っているのだろうか?『朝日』の社説3/26付 を見ると、
 このことは海外向けの放送でも同じだろう。日本の政府の主張だけを色濃く反映していたとしたら、だれがその報道を信じるだろうか。日本とは利害が反する国の主張も公正に伝えてこそ、その放送は権威あるものと認められる。
などと書いてある。古森氏の引用の仕方はフェアではない(というか間違っている)。日本(政府)の主張「だけ」ではなく、対立する国の主張も伝えるのが大事だ、と言っているだけだ。左右を問わず、実に当たり前の主張であろう。BBCなんかそうだし、アルジャジーラの成功もそれを物語っている。
 そもそもメディアが主張するのはそのメディアの主張であって、日本(古森氏の言う「日本」は日本政府のことだと思うが)の主張を代弁するものではないだろう。メディアが政府の主張を代弁するのであれば、世の中に必要なのは大本営発表だけだ、ということになってしまう。

 さらに続ける。
まさに朝日新聞は「日本」という概念が嫌いのようです。
日本という国家も、その政府も、日本国民の代表機関であるという民主主義の基本、さらには主権在民の原則、あるいは国民国家の主権を認めていないようです。
朝日新聞は日本に関しては、国家や政府は国民とは別の場に立ち、国民の意思を表さず、国民をむしろ抑圧する存在であるかのようにとらえているのです。

しかし現実の民主主義システムでは、国家とは国民の集合体であり、政府とは少なくとも国民多数派の公的代表なのです。「国家は人民を抑圧する機関」だというのは、マルクス主義者の主張でしたが、いまの朝日の主張もそれに似ています。

(中略)

国民にとっての利益が国益です。国民の代表である国家や政府はその代弁をしているわけです(何度も繰り返しますが)。日本人拉致被害者の安全確保や帰国を求めることはまちがなく「国益」でしょう。「幅広い論議と慎重な吟味」が必要でしょうか。尖閣諸島が日本領土だと主張することも、「政府と異なる考えが国益にかなう」のでしょうか。
政府が主張する国益は日本のように民主主義国家では国民多数の求める、最大公約数としての国益です。どんな課題でもどこかには異論はあるでしょう。その異論の存在のために国民多数派の意見は対外的に表明してはならない、というのが朝日新聞の社説でもあるのです。
要するに、「政府は国民の代表である、だから政府の主張は国民の主張(の代弁)である」というわけ。いまどきこんな能天気なことが言える人が記者をやってるということに驚く。中学生か。いや、中学生に失礼だな、それは。
 そして、政府の主張はNHKによって一方的に海外に流されるべきである、なぜならそれが国民の主張であり、国民の利益だから、というわけだ。なんという単純さ。

 この記者の主張はいくつもの間違いを含んでいる。
  1. NHKという報道機関に特定の国の政府の主張をさせること(報道ではなく、主張せよと迫る。エントリ後段では、解説という形とか云々などと言っているが、本質的にはそういうこと)
  2. 国際的に対立する意見が存在する場合、自国政府の主張のみを一方的に流せ、ということ(アンフェアな報道をすべし、と)
  3. 国家と国民を同一視していること
 これに従うと、古森氏は、先日の「集団自決」訴訟の判決について、不当判決だとかは言わないわけですよね?選挙で選ばれた議員によって組織された政府が選んだ最高裁裁判官(国民審査も入ってる!)によって任命された裁判官による判決ですよ、「国益」なんですよね?その判決。

 しかしまあこのエントリについてもコメント欄はこわいなあ。疑問を持たないんだろうか?『朝日』の言うことにはとりあえず反対しとけ、で反対したら日ごろの鬱憤が晴らせた気になってオシマイ、なのかな。
 議論の中身が反日か否か、のようになっていて、事実はどうか、とか、論理的整合性はあるか、とか、過去からの積み上げはどうなっているか、とかが全くない。実に非科学的な議論が展開されている。これが日本を(それなりに)代表するメディアの記者だってんだから、日本のジャーナリズムはどうなってるんだ、という気分(ちなみに私は『朝日』についてはその体たらくぶりに普段から腹を立てている一人です。それについてはいずれまた)。