ほたるいかの書きつけ -57ページ目

言葉の力

 病院の待合室でふと手にしたパンフレット、「絵本のある子育て」。この中の、川端強さんという方の文章にあった言葉を紹介する。
 言葉は、考え、思い、学び、表現するための手だてです。言葉が豊かになることは、考えや思いが豊かになることです。それは、人が人らしく生き、社会のなかで人々とかかわりをもって暮らしていくうえで、どんなにか大切なことでしょう。
 これほど大切な言葉の力は、親から子へのやさしい語りかけや、絵本を読んであげるという、温かく、人間的なふれ合いをとおして、より豊かに得られていくのです。
 そうなのだ。お水様にお伺いをたてている場合ではないのだ。人々とかかわりをもって人らしく生き、考えや思いが豊かになるための手だてとしての言葉なのだ。そこを抜きにして「良い言葉」「悪い言葉」を語って一体何の意味があろうか。

 「水からの伝言」や「水は答を知っている」を読んで、「ちょっといい話」と思ってしまった方。「ありがとう」がなぜ「良い」のか、もう一度考えてみて欲しい。水との関わりではなく、人との関わりがポイントなのだから。

「構成主義という用語の意味と理科教育」:物理学会誌より

 前回 のつづき。二本目の論文、大野栄三氏の「構成主義という用語の意味と理科教育」から。

 教育における構成主義にも色々な意味があるそうで。色々な意味、というより、人によって意味するものが違う、と言うほうが正確か。
 ここではその源流として代表的な二つの理論、あるいは二人の心理学者、ピアジェとヴィゴツキーについて論じている。

 ピアジェはまあ結構有名だろう。その筋ではスタンダードなのだと思う。私も教育心理学の講義で習った記憶がある(習ったなあ、という記憶があるだけで、その内容は憶えていないのだが^^;;)。ピアジェは子どもはシェマと呼ばれる「外界の事物をとらえる心的構造」を構成することによって物事を認識するとした。つまり、主体は客体を主体にシェマを構成することで能動的につかんでいく、というわけだ。これによって子どもは精神発達をとげていく。個人の精神発達に注目するので、個人的構成主義とも呼ばれるそうだ。
 これは、ある意味当たり前の話で、子ども(に限らないだろうが)物事を理解するというのは新たに認知した現象を既存の知識の中に位置づけるということなのだから、個々人の頭の中でその現象を構成しない限りは理解したことにはならない。ところが、これが「詰め込み教育」への反省として一面的に強調されるあまり、能動的に構成するということだけに注目し、教師が子どもに知識を与えるのは悪しき誘導であり子どもたち自身が掴み取らなければいけない、ということになり、妙な形の「ゆとり教育」になっていったのだろう。
 単なる詰め込みを排し、子どもが能動的に構成していくような教育をすすめるのは当然でもあるのだが、その中身が議論されずに―あるいは学習指導要領という形で現場に押し付けられ―いびつな形になっているのが現在なのだと思う。

 さて、ピアジェに対抗する大物が、ヴィゴツキーである。と言っても私もよく知らないのだが(少し前にヴィゴツキーについての新書を一冊読んだことがあるだけ)、ピアジェと同年に生まれたにもかかわらず、40前に亡くなってしまった人である。
 彼の「発達の最近接領域の理論」では、子どもが独力で取り組める課題だけではダメで、大人(なり年長者なり、要するに他者)がより高次の内容を指導することによって子どもは発達する、というものである。これも経験的には当然に思える。基礎知識をきっちり教えるという意味だけでなく、同年代や少し年の違う集団で遊び学ぶことによって、子どもは色々なものを吸収していく。
 このように、個人ではなく、集団によって知識が構成されていく(仮説実験授業もこの流れに位置づけることが可能であるようだ)ので、社会的構成主義とも呼ばれる。

 いずれも当然といえば当然の主張であり、相補的に取り入れていくことによって効果的な理科教育が可能になるように見える。しかし、構成主義を主張する人の中には、悪しき相対主義に染まり、これを小中学校教育に持ち込もうとするものがいる。これは避けなければならない。ただし、だからと言って構成主義そのものを全て捨ててしまうのもよろしくない、というのが著者の主張である。

 その上で、著者が述べるのは、問題は、学習指導要領の拘束力である、ということである。1947年作成の学習指導要領には「試案」の文字が付されていたという。ところが、1958年以降、拘束力を持つこととなる。実際には、指導要領の「解説」で詳細が述べられるのだが、ここに執筆者の個人的思想が持ち込まれ、教師を拘束するのだ。

 著者は、学ぶ力・考える力を子どもに要求するならば、まず大人が実践しなければいけない、そのためには現状の強い拘束を外さなければならないと主張する。私もそう思う。「解説」という形で特定の人物の思想が強力な拘束力を持ち現場を左右する状態は明らかにおかしいだろう。
 教師が自発的に考えられる状況をつくることが必要である。そのためには指導要領の拘束力を緩和し、また教師が集団として機能できるよう、各種の雑用を減らし、議論の場・時間を増やすことが必須であろう。東京都教育委員会が職員会議での挙手による採決を禁止するという馬鹿げた措置を出してしばらく立つが、そのような上からの押し付けにより現場が畏縮し、教師がものを考えられなくなりつつあるそうだ。それに危機感を抱いた校長が、教育委員会に方針の撤回をもとめたというのが最近も報道された。
 教師が自分で考える時間を保障せずにアレコレ上から押し付けても状況は悪化するばかりである。教師を増やし、自発性を尊重し、教師にこそゆとりを持たせることが重要だろう。
 多くの教師が採点や部活の指導で夜も土日もなく頑張っている。世の中がそういった教師たちの献身的な努力を当然視してしまえば、どんな対策をしても教育の荒廃は止められないだろう。

 やはり、教師の自発性を尊重するということが、すべての根源なのではないか、と私は思う。

バイオシーパルス

とりあえずはっておきます。

特定商取引法違反事業者に対する行政処分について
本件の概要

経済産業省は、連鎖販売取引業者である株式会社バイオシーパルス(福岡県福岡市)に対し、特定商取引法第39条第1項の規定に基づき、本年5月28日から11月27日までの6カ月間、連鎖販売に関する業務の一部を停止するよう命じました。


バイオシーパルスのウェブページはまだ生きているようです。
お早めに…(何が?商品案内が!)

「構成主義とは何だろうか―科学哲学の視点から―」:物理学会誌より

 先月号(5月号)の「日本物理学会誌」の特集「シリーズ『物理教育は今』小特集:日本の理科教育の現状と問題点」の(2)構成主義と理科教育が出た。出たと言ってももう2週間ぐらい前に届いて読んでたのだが、なんだか機会を逸してしまい、だいぶ遅くなってしまった。前回4月号についてはこちらのエントリ(「ポストモダン的構成主義教育論:今月の『物理学会誌』」) を参照されたい。
 今回も2本の論文が出ている。野家啓一「構成主義とは何だろうか―科学哲学の視点から―」と大野栄三「構成主義と言う用語の意味と理科教育」である。とりあえず今日は野家論文を取り上げる。
 取り上げると言っても、これは構成主義について簡潔にまとまったレビューでもあるので、私が重要と思った点のみ引用する形で紹介する。

 構成主義は様々な分野で様々な使われ方をしているが、まずポイントの一つは、概念の実在性に対する根本的対立である。数学においては、有限回の操作で確実に構成できるもののみを認めるのが構成主義的立場、それに対立するのが、数学的対象が構成手続きとは独立に実在する立場、ということだそうである。これを物理学に適用するならば、法則として記述される(た)もののみを認めるのか、法則はあくまで人間が自然界の観察を通じて構成して得たものであり、自然は自然として実在する、という立場に立つのか、という対立に相当すると思われる。
 ところが、特に科学論の分野では、急進的な(と言っていいのかわからないが)研究者により、科学的知識でさえも社会学的観点から説明されなければならない、とする「科学知識の社会学」が出てきた。
 しかし、普通の科学者であれば、これは意図的かどうかはともかく、人類が記述する法則と、法則が(近似的にせよ)反映する自然との混同であると思うだろう。これに関連することとして、野家氏は次のようにのべる。
 科学研究活動が社会的事象であることは、予算獲得競争や学会政治を見るまでもなく明らかである。それゆえ、この側面について科学社会学的分析が適用されることには何の問題もない。それどころか、必要でさえあろう。だが、精神医学や人類学など人間に関わる学問領域を除けば、科学理論の内容にまで社会的構成の概念が適用できるかどうかは疑問である。ハッキングが「プロセスとプロダクトの間の区別」に注意を促しているように、概念形成の過程に対しては科学社会学的分析が有効であるにしても、その所産である理論内容についてそうした分析が有効であるとは思われない。科学論における社会構成主義には、その区別に対する配慮が少々欠けているのである。
ハッキングの著書を持っていないので「プロセス」と「プロダクト」が意味するものが曖昧であるが、ともかく、科学者コミュニティの動向についての分析と、科学理論そのものについての分析は区別されなければならないのはその通りである。その区別が少々どころかまったくない人もいるので困るのであるが(少数派であることを望む)。なお、「科学理論」が指すものが自明ではないのでなんともいえないのだが、ここで野家氏は自然それ自体についてはなにも語っていないように見える。法則を「発見」するための概念形成について、と、「発見」された法則とを区別せよ、という段階に留まっているように私には見える。

 さて、構成主義の位置づけについては、次の文章が示唆的である。
 これまで見てきたように、構成主義の主張は総じてメタ・レベルの認識に関わる議論であり、直接に対象認識のレベルに関わるものではない。つまり、構成主義はメタ数学(数学基礎論)、メタ認識(認識論)、メタ科学(科学論)などの反省的次元で論じられている事柄なのである。カントの言葉を借りれば、それは「対象に関する認識」ではなく、むしろ「対象を認識する仕方」に関する考察なのであり、それゆえ広い意味での哲学的考察に属している。
つまり、物理法則(に象徴される我々の認識)が外界をストレートにそのまま反映したものであるという素朴な考えに対する批判、反省としての意味が重要なのである。だから、野家氏の主張も、小中学校の理科教育では「素朴実在論」でいっこうに構わない、と述べている。構成主義的考え方は、高等教育で(の分離融合型の科目を通じて)一定の科学的知識をすでに習得した学生に対して教えられるべきである、となっている。

 無論、我々が自然をどう認識するかについては、社会的状況を含めた外的要因に左右される部分はある。したがって、現在我々が手にしている物理法則も、その意味では我々が構成してきたもの、という言い方は可能である。しかし、それはあくまでも数多の実験を通じて得たものであり、「素人」―プロの研究者であっても、専門分野外については「素人」である、という意味の「素人」を当然含む―がちょっと考えたくらいで思いつく(構成した!)「理論」「法則」と対等ではない。その重みの違いを無視すると、悪しき相対主義への道をまっしぐら、ということになってしまう。
 さて、理科教育に忍び込む相対主義は、おそらくは人間の自然法則の発見プロセスを辿ろうという、ある意味「善意」の部分があるのではないか、という気がしている。ところが、上で書いたように、その道のプロが構成した法則と、素人が構成した法則には雲泥の違いがある。それを無視した教育には大きな問題があるだろう。それについては、次回、もう一本の大野論文の紹介の中で触れることとしたい。

 なお、今回ここで書いたようなことは、「RikaTan」5月号での田崎晴明さんの文章を読むと非常にわかりやすいと思う。実に明解に相対主義の批判をしている。興味のある方は参照されたい(ウェブ上に置いていただくととても参考になると思うのだけれど、商業誌掲載の文章だから難しいですかね?)。

『天皇の軍隊』

なんだか書評ブログのようになってきてしまったが、まあいいや。

ちょっと前に古本屋で見付けた『天皇の軍隊』 (本多勝一・長沼節夫、朝日文庫)を読んだ。日中戦争後期(と言っても第二次大戦と言えば太平洋戦争というイメージの方がまだまだ多いと思うので書いておくと、ここでは1942年頃から)の華北での日本軍兵士の体験を綴ったものである。

この本の優れた点のひとつは、ある師団(北支那方面軍第十二軍第59師団、通称「衣」師団)の編成から終戦までを追いかけることによって、中国戦線がどのように変化していったかをイメージを持って追いかけることができることである。この師団は華北、特に北京よりやや南方の山東省近辺の占領地域を維持するために新たに編成された師団である(広大な地域の警備的任務を帯びるため、規模の大きい連隊を持たず、師団の下に大隊が直接配属する。なお規模としては、通常は師団>旅団>連隊>大隊と思ってよい)。日本軍がゲリラ討伐、八路軍討伐を名目にやりたい放題に虐殺、強姦、略奪を続けながら支配していた時代から、急速に戦況が「悪化」し、中隊規模でも全滅の危険にあうようになっていき、最後に敗戦を迎える流れが個々の兵士の視点からよくわかるようになっている。
これを読むと、例えば南京事件は歴史上の大事件ではあるのだが、日本の侵略が与えた被害という意味では、ごく一部に過ぎないと言っても過言ではないということがわかる(無論、南京事件はその質的な意味を無視してはいけないのであるが、ここではそれは措いておく)。中国人の視点から見れば、当時の日本軍兵士はまさに「鬼」であったろう。
敗戦直前に一時帰国した兵士の体験談では、日本にいる家族の方がロクに食べ物もなく厳しい暮らしをしていたそうである。つまり、それぐらい中国で略奪をしてきた軍なのである。

もうひとつの優れた点は、体験を語ってくれた元兵士それぞれの生い立ちまで書かれていることである。たとえばこの年ごろに徴兵検査を受けて召集された兵隊たちは、少年時代を大恐慌の中で過ごし、家は貧しく、また次男以下で家をつぐこともできず、就職もロクにないためひと旗あげようと思えば軍隊に入るというのは当然の選択であったことがよくわかる。
日本にいるとき、彼らはごく普通の青年であった。そういう生い立ちを描くことで、なぜ、ごく普通の人が「鬼」と化すことができるのかが見えてくる。
これもよく知られた話だと思うが、中国では労工狩りと称して中国人の強制連行がひろく行われた。彼らは炭鉱などに送り込まれ、ひどい労働条件のもとで多くが死においやられた。しかし、労働によってのみ死においやられたのではない。その一部は、初年兵の教育として、刺殺訓練のために殺されたのである。あるいは毒ガス訓練で殺された場合もあった。
これら「教育」を通じて平気で殺人・強姦・略奪を実行できるようになっていくのである。その過程がよく見える。

しばしば「日本人は虐殺などできる民族ではない」的な無意味な演繹的「証明」が南京事件否定のために使われることがある(無意味な、というのは、事実がどうだったかのみで争われることに対して、演繹的な論法は無意味であり無力である、ということである)。しかし、これを読めば、日本人であろうと何人であろうと、このブログ主の私やこれを読んでいるあなたでさえも、こういう「教育」をされこういう状況に置かれれば、虐殺をしてしまうであろう、ということが理解できるであろう。いや、読んだだけではわからないかもしれない。ほんのちょっとの想像力ーつまり自分が実際にその立場に置かれたらどうするかをリアリティをもってイメージするーは必要かもしれない。

現代の貧困を背景に戦争を望むという意見が話題になったことがあった。みんな揃って悲惨な目にあいましょう、ということだ。これで格差をチャラにしよう、と。しかし、戦争はそんな甘いものではないこともわかる。
この師団に限らず多くの部隊の任務のひとつは日本企業の護衛であった。工場を守り、労働者を連行してくるのである。つまり、大企業はどんな状況でも軍隊にまもられてじゃんじゃん儲けるのである。
また上でも書いたように、貧しい人々が貧困を打開しようと軍隊に集まってくる。これはいまのアメリカでも同様だ。貧困層が軍隊に志願し、イラクに派遣されるわけだ。志願する理由は職がなかったり大学に進学するためだったりいろいろだが、背景に貧困があるのは明らかだ。つまり貧しい人が戦場に行く、という構図はどの国でもあるわけだ。
そしてこれは中国側の例になるが、連行された中国人の家族は当然なんとか釈放してほしくて嘆願にやってくる。そこでは賄賂の要求がほぼ必ずあったという。金のある家は賄賂を渡すことで助かり、金のない家はなすすべもなく家族が殺されるのを見ているしかない。つまりここでも経済格差が命に直結するわけだ。これは形を少し変えればどの国でも(日本でも)普遍的に言えることだろう。
つまり、戦争は格差をなくしはしない。むしろ、経済格差を命の格差にまで拡げるのだ。

この本、どうも現在では古本でしか入手できないようなのが残念だ。
これが凄いのは、初版(文庫版ではなく)が出版されたのが1974年であること。日中国交正常化後まもないころであり、まだまだ日本の加害者としての側面が表に出ていないころであった。その意味で、先駆的な仕事であったと言える。
ひとつ興味深いのは、従軍「慰安婦」のことが売春として描かれていることだ。もちろん、部隊に付属した施設もあった、という記述もあるのではあるが。これは、一般の兵士から見れば、「対価」として金銭を払うようなシステムになっていたので「慰安婦」の実態に気づきにくかったこと(騙されて連れて来られていた「慰安婦」がいたことを認識はしていても、それが組織だったものであるとはおそらくあまり理解されていなかったのであろう)が大きいようである。したがって、この本が出版された後の従軍「慰安婦」についての研究の進展が、現在の状況には大いに反映されているのだ、ということが、逆に見えてくる。

日本軍が中国で行ってきたことを、単なる数字ではなく、イメージを持って捉えるのに良い本である。