『天皇の軍隊』 | ほたるいかの書きつけ

『天皇の軍隊』

なんだか書評ブログのようになってきてしまったが、まあいいや。

ちょっと前に古本屋で見付けた『天皇の軍隊』 (本多勝一・長沼節夫、朝日文庫)を読んだ。日中戦争後期(と言っても第二次大戦と言えば太平洋戦争というイメージの方がまだまだ多いと思うので書いておくと、ここでは1942年頃から)の華北での日本軍兵士の体験を綴ったものである。

この本の優れた点のひとつは、ある師団(北支那方面軍第十二軍第59師団、通称「衣」師団)の編成から終戦までを追いかけることによって、中国戦線がどのように変化していったかをイメージを持って追いかけることができることである。この師団は華北、特に北京よりやや南方の山東省近辺の占領地域を維持するために新たに編成された師団である(広大な地域の警備的任務を帯びるため、規模の大きい連隊を持たず、師団の下に大隊が直接配属する。なお規模としては、通常は師団>旅団>連隊>大隊と思ってよい)。日本軍がゲリラ討伐、八路軍討伐を名目にやりたい放題に虐殺、強姦、略奪を続けながら支配していた時代から、急速に戦況が「悪化」し、中隊規模でも全滅の危険にあうようになっていき、最後に敗戦を迎える流れが個々の兵士の視点からよくわかるようになっている。
これを読むと、例えば南京事件は歴史上の大事件ではあるのだが、日本の侵略が与えた被害という意味では、ごく一部に過ぎないと言っても過言ではないということがわかる(無論、南京事件はその質的な意味を無視してはいけないのであるが、ここではそれは措いておく)。中国人の視点から見れば、当時の日本軍兵士はまさに「鬼」であったろう。
敗戦直前に一時帰国した兵士の体験談では、日本にいる家族の方がロクに食べ物もなく厳しい暮らしをしていたそうである。つまり、それぐらい中国で略奪をしてきた軍なのである。

もうひとつの優れた点は、体験を語ってくれた元兵士それぞれの生い立ちまで書かれていることである。たとえばこの年ごろに徴兵検査を受けて召集された兵隊たちは、少年時代を大恐慌の中で過ごし、家は貧しく、また次男以下で家をつぐこともできず、就職もロクにないためひと旗あげようと思えば軍隊に入るというのは当然の選択であったことがよくわかる。
日本にいるとき、彼らはごく普通の青年であった。そういう生い立ちを描くことで、なぜ、ごく普通の人が「鬼」と化すことができるのかが見えてくる。
これもよく知られた話だと思うが、中国では労工狩りと称して中国人の強制連行がひろく行われた。彼らは炭鉱などに送り込まれ、ひどい労働条件のもとで多くが死においやられた。しかし、労働によってのみ死においやられたのではない。その一部は、初年兵の教育として、刺殺訓練のために殺されたのである。あるいは毒ガス訓練で殺された場合もあった。
これら「教育」を通じて平気で殺人・強姦・略奪を実行できるようになっていくのである。その過程がよく見える。

しばしば「日本人は虐殺などできる民族ではない」的な無意味な演繹的「証明」が南京事件否定のために使われることがある(無意味な、というのは、事実がどうだったかのみで争われることに対して、演繹的な論法は無意味であり無力である、ということである)。しかし、これを読めば、日本人であろうと何人であろうと、このブログ主の私やこれを読んでいるあなたでさえも、こういう「教育」をされこういう状況に置かれれば、虐殺をしてしまうであろう、ということが理解できるであろう。いや、読んだだけではわからないかもしれない。ほんのちょっとの想像力ーつまり自分が実際にその立場に置かれたらどうするかをリアリティをもってイメージするーは必要かもしれない。

現代の貧困を背景に戦争を望むという意見が話題になったことがあった。みんな揃って悲惨な目にあいましょう、ということだ。これで格差をチャラにしよう、と。しかし、戦争はそんな甘いものではないこともわかる。
この師団に限らず多くの部隊の任務のひとつは日本企業の護衛であった。工場を守り、労働者を連行してくるのである。つまり、大企業はどんな状況でも軍隊にまもられてじゃんじゃん儲けるのである。
また上でも書いたように、貧しい人々が貧困を打開しようと軍隊に集まってくる。これはいまのアメリカでも同様だ。貧困層が軍隊に志願し、イラクに派遣されるわけだ。志願する理由は職がなかったり大学に進学するためだったりいろいろだが、背景に貧困があるのは明らかだ。つまり貧しい人が戦場に行く、という構図はどの国でもあるわけだ。
そしてこれは中国側の例になるが、連行された中国人の家族は当然なんとか釈放してほしくて嘆願にやってくる。そこでは賄賂の要求がほぼ必ずあったという。金のある家は賄賂を渡すことで助かり、金のない家はなすすべもなく家族が殺されるのを見ているしかない。つまりここでも経済格差が命に直結するわけだ。これは形を少し変えればどの国でも(日本でも)普遍的に言えることだろう。
つまり、戦争は格差をなくしはしない。むしろ、経済格差を命の格差にまで拡げるのだ。

この本、どうも現在では古本でしか入手できないようなのが残念だ。
これが凄いのは、初版(文庫版ではなく)が出版されたのが1974年であること。日中国交正常化後まもないころであり、まだまだ日本の加害者としての側面が表に出ていないころであった。その意味で、先駆的な仕事であったと言える。
ひとつ興味深いのは、従軍「慰安婦」のことが売春として描かれていることだ。もちろん、部隊に付属した施設もあった、という記述もあるのではあるが。これは、一般の兵士から見れば、「対価」として金銭を払うようなシステムになっていたので「慰安婦」の実態に気づきにくかったこと(騙されて連れて来られていた「慰安婦」がいたことを認識はしていても、それが組織だったものであるとはおそらくあまり理解されていなかったのであろう)が大きいようである。したがって、この本が出版された後の従軍「慰安婦」についての研究の進展が、現在の状況には大いに反映されているのだ、ということが、逆に見えてくる。

日本軍が中国で行ってきたことを、単なる数字ではなく、イメージを持って捉えるのに良い本である。