【全国編 九州①】空撮 南河内橋
今後は、新潟県以外の土木遺産も紹介していきます。1. 南河内橋 土木学会の全国大会(九州大学)の帰りに、大好きな南河内橋に立ち寄って空撮して来ました。この南河内橋は,八幡製鐵所の工業用水確保のために設けられた河内貯水池にかかる橋で、我が国の鉄鋼産業発展の中心を担った旧八幡製鉄所が直営で設計施工した数少ない鋼橋のひとつとして貴重であり、国指定の重要文化財となっています。今回で2回目の訪問です。 この橋は、通称レンズ型トラスと呼ばれ、その形状から通称「魚形橋」または「めがね橋」と呼ばれています。レンズ形に鋼材を組み合わせた橋長132.97m、径間66m、幅員3.6mのレンティキュラー・トラスで、この形式の橋は日本では3箇所で建設されましたが、唯一残存(1926年竣工)している貴重な橋です。日本では近代唯一の遺構であり,橋梁技術史上高い価値があるといわれています。 このレンティキュラー・トラス橋は,19世紀半ばにイギリスやドイツで鉄道橋として,その後アメリカに渡ってからは主に道路橋として多用された形式で,日本では,群馬県で1921年と1922年にそれぞれ1橋,架けられた記録が残っているそうです。2. 橋の構造 主構造は、円弧状の上弦材・下弦材で魚の形をした、完全に対称な二つの橋が繋がっていて、S字状の優雅な曲線を湖面に描き出しています。 私は「橋やさん」ではないので構造の凄さはよくわかっていませんが、このような美しいトラス構造はみたことがありません。土木学会のホームページには、以下のような文章で紹介されています。 レンティキュラー・トラスの構造および形態の特徴は,吊り橋のケーブル(チェーン)の引張力にアーチの圧縮力で対抗する,自碇式吊り橋とタイドアーチの中間的形式,あるいは,2つのポオリートラス(Pauli Truss:上弦材の各部材最大応力が等値を有するよう型を定めたもの)の一方を上下反転させ,双方の水平弦材を一致させてその応力を相殺させる形式ととらえられようか。トラスは,部材にアイバー(Eye Bar)を用いたピン接合により組まれており,軸力によって外力に対抗するというトラス構造本来の力学的要点がそのまま形に表現されている。部材格点の接合はすでにピン接合からリベット接合に移行していた年代に架けられたという点でも,この橋はその構造形式と同様,技術史的に珍しい貴重な存在である。【土木学会選奨土木遺産のホームページより抜粋】 道路橋として建設されましたが、現在は北九州市が管理し、歩行者・自転車専用となっています。 設計は,製鉄所技師の沼田尚徳と足立元二郎の指導監督のもと,製鉄所技手の西島三郎により行われたそうです。真上からも撮影してみました。3. 河内貯水池の歴史 天下の八幡製鉄所とはいえ、一製鉄所がダムを建設して貯水池を造るなんて考えもしなかったのこともあり、少しその歴史(土木学会選奨土木遺産HPを参照)に触れてみたいと思います。 1901年2月の官営八幡製鐵所の操業開始により、日本の4大工業地帯のひとつとして発展した北九州地区。この河内貯水池は、第一次世界大戦後の鉄鋼需要の急激な増大に対処するため、八幡製鐵所(1917年着手)の第三期拡張工事によって誕生したものです。八幡製鉄所は、将来にわたる用水の安定供給を確保するため、1919年5月帆柱山系の山間を縫う板櫃川を水源とする河内貯水池の施工に着手、1927年に完成しました。建設には8年の歳月を要しましたが、驚くことにその間1人の死者も出さず,また外国の技術者にも頼らず、製鐵所の土木技術者たちが独力でこの巨大な事業を成し遂げたということです。この当時、製鉄所に独自でダムと橋を造る土木技術者がいたのか?と驚かされました。また、製鉄所の技術者だったからこそ、このような美しいトラス橋が誕生したとも言えるのでしょう。 以下、土木学会選奨土木遺産のホームページから抜粋してみました。九州旅行の際は、是非訪れてみてください。 河内貯水池の設計・施工を総指揮したのは,1900年卒の京都帝國大学土木工学科第一期生で、操業当初から八幡製鐵所と歩みを共にしてきた当時の工務部土木課長,沼田尚徳である。アメリカ土木学会員であった沼田は、無類の新しいもの好きで、新しい技術の活用に大変熱心な技術者であると同時に、「召水」と号した優れた詩人であり、漢詩と書を愛する教養人・文化人であった。文学的素養に裏打ちされた風景感覚と新たな時代を生きる技術者の挑戦的意欲が随所に発揮されて、ここに貯水池の新たな風景が創出されたのである。谷筋を流れる小川に沿って民家が点在し、そのまわりには棚田の広がる山間の農村風景は、貯水池の建設によって水面下に沈み、製鐵所、都市の血液ともいえる水の安定供給を得て更なる発展を保証された八幡の町は、風光明媚な一農漁村から急激な変貌を遂げた。しかし,帆柱山系を繞うこの地に新たに創り出された貯水池は、その広い水面に新たな風景を映し出したのだ。貯水池を取り巻く山々の地形の襞は水面を型取って、大小さまざまの入り江や変化に富んだ汀線の形を生み、広い水面が山との適度な間を作って、程良い山容を湖面に映す。三島由紀夫は小説『沈める瀧』の中で「山の姿は,そのどの高さを水面で切っても、おのづから形を成して、前からここが湖だったかのやうに自然であった。岸の形が、昔を知らない人の目には、少しも異様に思はれなかった」と、ダム湖の風景を上手く言い止めている。貯水池堰堤は、施工時の型枠を兼ねた切石積で、この黒味を帯びた地元・北河内産の石で覆われた堤体はどっしりと重いが、それと同時に、切石積の肌理細かな表情と堤体の曲線形が柔らかさを添えている。堰堤下流側は、当時植えられた桜をはじめとする木々がその枝ぶりを競って斜面を覆っていて気づきにくいが、堤体端部の放水路とこれを跨ぐアーチ部、そして堤体下へ降りる管理用階段が、一体に上手く処理されている。また、天端の高欄には細かな割石を積み上げた丹念な意匠が施され、この高欄と一体に照明器具が取り付けられるなど、奇を衒ってはいないが、手を抜かない丹念な仕事ぶりである。堰堤下流には亜字池が作られ、貯水池から導かれた水を曝気する役割を兼ねた大噴水が訪れた人々の目を驚かせ、岸辺に植えられた数千本もの桜の木は湖面にやわらかな影を落としている。そして,周囲には「河内五橋」とよばれる道路橋や付帯建造物が、地場の石材と伝統的な石工の組積技術、あるいは新しい材料と技術を用いて、また時には鉱滓煉瓦、切石の余剰材(割石)など廃材を有効利用して造られ、それぞれに異なる趣を添えつつ、周辺の環境に違和感無く収められている。その中でひときわ鮮やかな姿を見せるのが、赤色の二連トラスの上・下弦材が描くS字曲線が印象的な南河内橋である。【土木学会選奨土木遺産のホームページより抜粋】