1. 筑後川昇開橋
これほど美しい鉄道橋(現在は歩道)を見たことがあるでしょうか?
この橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものと言われています。土木学会全国大会(九州大学)参加前の9/10(日)早朝に、ドローンでの空撮を試みました。
昭和10年国鉄佐賀線が開通、その時建設されたのが筑後川橋梁(筑後川昇開橋)です。その後昭和62年に廃止され、現在は遊歩道となっています。昭和55年前後に、柳川に行ったのですがこの橋を渡ったかどうか記憶にありません。当時、鉄っちゃんだったのですがこの橋の存在を知りませんでした。
このような可動橋は清水港線(静岡)の巴川鉄橋にもあったそうですが、現在では廃止されています。
2. 橋の構造と潮汐
全長506m、我が国最大級の鉄道用可動橋であると紹介されています。この昇開橋は橋脚と橋脚の間が約26メートルで、そこに架けられた約24メートルの可動橋が約23メートルの高さまで上るようになっています。昇開橋の主な構造は、鉄塔の高さ約30メートル、可動橋の自重約48トン、約20トンのウェイトが両側の鉄塔に下がっているそうです。さらに、平衡ワイヤにより左右のバランスをとり、強風にも耐える構造となっているそうです。開通当時は東洋一の昇開橋だったようで、その建設には大変な苦労があったと言われています。橋脚の深さは約15~18メートルと記録されていますが、有明海は干満の差が大きく(最大6m)、水面が一定でないため掘削作業は困難を極めたことは容易に想像できます。しかし、逆に干満差を利用して、橋桁を架けるときは船で運び、潮と浮力を利用したとも記録されており、その後の土木技術の発展に大いに貢献したものと思われます。
この日は、SUP(スタンドアップパドルボード)で、上げ潮の筑後川を下り上りしたのですが、流れの激しいことを体で実感しました。有明海の干満差は湾口の早崎瀬戸で平均3-4m、湾奥の大浦港(佐賀県太良町)で平均5mで最大では約6mにもなるようです。
なぜ、有明海はこれほど干満差が大きいのか?これは、海底が広く浅いことは変化の大きな要因のひとつですが、それ以上に有明海の場合は潮汐による海水の動き(潮汐振動)と湾の形状に左右される海水の動き(固有振動)が似通っていて、共振が発生しているためと考えられています。
新潟の日本海はどうか?ほとんど干満差がありません。それはなぜか?日本海の奥が広いのに対して、入り口が狭い。太平洋に出入りする海水の量が限られているため、日本海の海水総量の変化が少ないことが原因といわれています。有明海と逆ですね。
当時、筑後川の水面も有明海の干満の影響を受けて一定ではなく干潮の時は可動橋が降りていても、小船は通ることができるようになっていますが、中型船以上は列車通過まで一時ストップしなければなければいけませんでした。このようなことから、佐賀線設置の時に船舶会社と協議され、列車通過以外は船舶が優先されることが約束され、それがもとで昇降式可動橋が作られたといわれています。ローカル線だから可能だったということでしょう。しかし、そのような路線だったから廃止になってしまったんでしょうね・・・
3. 現在の使用状況
毎週月曜日は休業日で、月曜日が祝祭日の時は、次の日が休業日となっているようです。
自転車・バイクなどでの通行は禁止、ペット連れの通行も不可となっていました。
橋の降下時間は以下となっているようです。参考まで
9時 |
9時5分~9時35分 |
9時35分 |
10時 |
10時5分~10時35分 |
10時35分 |
11時 |
11時5分~11時35分 |
11時35分 |
12時 |
12時5分~12時35分 |
12時35分 |
13時 |
13時5分~13時35分 |
13時35分 |
14時 |
14時5分~14時35分 |
14時35分 |
15時 |
15時5分~15時35分 |
15時35分 |
16時 |
16時5分~16時35分 |
16時35分 |
佐賀線廃止時、同橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省から撤去勧告がなされ、解体も検討されたそうです。しかし地元では橋存続の要望が強く、平成8年に遊歩道として復活し、現在では大川市と諸富町のシンボル的存在となっているようです。橋の両端には公園が整備されていてクルマも止めやすく、お気軽に立ち寄れる観光スポットにもなっているようです。平成15年に、国の重要文化財に指定され、近代土木遺産Aランクであるとともに、平成19年に日本機械学会より機会遺産に認定されたそうです。
最高高度149mまで上昇させて撮影してみました。美しいです。