【全国編 瀬戸内海②】 地図にない島へ
1. 地図から消された島 写真左側の鉄塔が立つ島、大久野島は秘密裏に大日本帝国陸軍によって1929年(昭和4年)から終戦まで毒ガスが製造されていた島です。当時、この島の毒ガス工場の存在は秘密にされており、一般向け地図(陸地測量部発行)においても大久野島一帯は空白地域として扱われたということです。(連合国軍側がこの島の製造所の存在を知っていたかは不明) 土木遺産とか産業遺産にはなっていませんが、日本の暗い歴史を知るうえで貴重な遺産と言えるでしょう。11年ぶりに対岸の忠海を訪れて、日没ギリギリでドローンを飛ばして空撮を行いました。(最初SDカードを忘れたまま飛ばしてしまったので夕日が撮れず残念) 写真でもわかるように、瀬戸内海には無数の島があり、その中のひとつの島にに毒ガス工場があったとしても、それが何の工場なのかわからないのではないでしょうか? 作られていた毒ガスの種類は血液剤・催涙剤・糜爛剤・嘔吐剤の4種であったとそうです。太平洋戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていたとか・・・ 毒ガスの製造および戦後処理に従事したものは、現在でもその障害に悩まされているということです。大久野島の対岸にある忠海には呉共済病院 忠海分院があります。昭和27年、一人の肺癌患者が広島大学病院を訪れたのが大久野島毒ガス後遺症の研究の発端となり、旧従業員の登録と健康調査が始まり、平成17年8月まで6,000人の健康調査が続けられているそうです。2. 「毒ガス」の島から「ウサギ」の島へ(2006年) あの大久野島がたいへんなことになってる?って 私が家族とともに2006年春にこの島を訪れた時は、ほんとうに静かな島でした。こども達は「毒ガス」よりウサギと遊ぶのに夢中で、長女は「これまでの人生の中で一番幸せやわ~」などと、ほざいておりました・・・ 下の写真は「毒ガス資料館」です。 最初は広島勤務時に私一人で訪ねたのですが、あまりに気持ちのいい島だったので春の晴天日に家族を連れてきました。 春だったので、ミモザも咲き乱れ子供たちも大喜びで本当に気持ちのいい一日でした。そんな大久野島が2010年以降、爆発的に人気が出て一大観光地になってしまったとか・・・ そんな大久野島の戦後はどうだったのか? 昭和36年、国民休暇村になるにあたって、毒ガスの調査をしたところ防空壕内から2.5トントラック5~6台分の毒ガスが発見されたり、工事中に土中に埋められていた毒ガスに被災する事故も起こっています。以降国民休暇村拡張工事の際に被災者が出てしまうなど、その後も、毒ガスの発見・被災は続いたそうです。 秘密の毒ガス工場の島が現在、国民休暇村になっているというのは驚きです。 島内には、毒ガス貯蔵庫や砲台跡・発電所跡などが残っており、子供たちはウサギと遊びながらそれらの施設をまわりました。おそらくこの日の事はウサギしか覚えていないでしょう・・・ 大久野島になぜ多くのウサギがいるのか? 当時聞いた話では、毒ガスの動物実験用として導入されたようですが、戦後はすべて殺処分されたとか・・・その後国民休暇村になった時にマスコットとして再び導入されたということです。なんだか複雑ですが、日本の暗い歴史を子供たちに学んでもらうためのひとつのきっかけとしては有効なのではないかと思いました。 そのウサギですが、2007年での調査では約300羽であったが2013年には約700羽となり、現在も年々増加しているそうです。長女はこの年の読書感想文に「地図にない島へ」(武田英子著)を選びました。