4-5. 清水峠を廃道にした?三国峠と日本初のクロソイド曲線
1. 清水峠と三国峠 上越国境を超える道、清水峠と三国峠について復習したいと思います。2つの国境越えの峠道は、上野国と越後国を最短で結ぶため、両者とも古来より利用されてきましたが、急峻な地形に加え、夏の集中豪雨、冬の豪雪、雪崩など災害が多発する難所で、江戸時代には、三国峠(三国街道)が整備され、清水峠は長年にわたって使われなくなりました。「峠」(司馬遼太郎)に出てくる河井継之助が越えた峠は雪の三国峠だったと記憶しています。※ 三国峠越えは司馬遼太郎による創作で真実は碓氷峠とか・・・ 明治時代に入り清水峠ルートの距離の短さが注目され、1885年(明治18年)には馬車が通行可能な緩勾配の新道が整備されました。しかし、この新道は国道の指定を受けたものの、豪や豪雪により馬車の通行が不能となり、そのまま使われなくなってしまいました。昨年歩いた群馬県側は歩行可能ですが、新潟県側は完全に廃道になっています。 その後は、三国街道がそのまま上越国境越えの道として機能していたようです。極端な話、三国街道が使えたために清水峠が廃道になってしまったということも言えるのでしょう。 昭和時代に入ると、1931年(昭和6年)には清水峠付近に国鉄の清水トンネル(9,702m、単線)が開通し、1957年(昭和32年)には三国峠の直下に国道17号三国トンネル(1,218m)が開通し、初めてクルマで上越国境を越えられるようになりました。 1982年(昭和57年)には上越新幹線の大清水トンネル(22,221m、竣工当時世界一、複線)が開通し、1985年(昭和60年)には関越自動車道の関越トンネル(上り線11,055m、道路用としては日本一)が開通しました。 現在では三国トンネルの横で、新三国トンネルの工事が進んでいます。その横に旧三国街道の入口があります。今回はその道を歩いて、三国峠で空撮を行いました。2. 旧三国街道 旧三国街道は上信越自然歩道の一部になっていて、清水峠と比較するときれいに整備されていて歩きやすい道となっています。 さすがに旧街道、荷物等が運びやすくするために、緩勾配で幅員の広い道となっています。登山者もほとんど居ないのでMTBでも楽しめそうです。 新潟側は、ヘアピンカーブにすることで勾配を緩くしています。豪雪時はスキー・スノーボードで楽しめそうです。山に来ると、昔は自然観察がメインだったのですが、新潟に赴任してからは地形観察(山スキー・山ボードが安全に楽しめるか?)がメインになってしまいました。 ドローンで、旧街道のヘアピンカーブ(ヘアピンではないかな・・・)を撮ってみました。クルマを対象にしたヘアピンカーブとの違いがよくわかります。(下の写真は金精峠) 車道のカーブには、ある工夫がしてあります。それは後ほど・・・3. 三国峠から空撮 三国峠から、新潟側と群馬側にドローンを飛ばしました。 峠上にある三国権現(三坂神社)は、弥彦、赤城、諏訪の三明神を合祀したものだそうです。 新潟側の国道17号は直線に近い線形で、クルマは80km/時以上で走っています。旧三国街道も緩い勾配で直線的につくられていたようです。清水峠と比較すると山の急峻度があきらかに違います。 群馬県側を見てみます。山の斜面をトラバースするような形で沼田方面に向かっています。旧三国街道は国道の少し上側に設けられています。 三国峠の群馬県側も、清水峠の群馬県側に比べると山の斜面は緩い感じがします。 下の写真は清水峠の群馬県側です。山の大きさがあきらかに違います。旧街道が真ん中より少し下付近をトラバースしているのがわかるでしょうか? 写真は再び三国峠の国道17号です。 この角度なら雪崩や土砂災害のリスクは少し低そうに思えます。清水峠と比較して。 上の鞍部が旧三国街道の三国峠、下が国道17号三国トンネルです。 少し三国峠に近づいて、峠越しに新潟(苗場スキー場)方面を見てみます。 三国峠を越えると、苗場スキー場のゲレンデが見えます。 4. 群馬側を歩く 新潟県側の紅葉はほとんど終わっており、標高は同じなのに群馬側は絶好調。やっぱり日本の自然はおもしろいなあ~。 山をトラバースしていくので、沢越えは多いです。清水峠より少ないですが・・・ 旧街道を30分ほど歩くと、長岡藩士の雪崩遭難の墓が現れました。元文5年 (1740) 2月5日、江戸から罪人を護送中の長岡藩士7名が峠近くで雪崩にあい遭難しました。藩士7人は全員死亡、罪人は助かったとか・・・ トイレ完備。さすが伝統ある旧街道、一般の人でも安心して歩くことができます。誰も歩いていませんが・・・八十里越同様、今日もずっと一人ぼっちです。5. 日本初のクロソイド曲線 三国トンネル群馬側坑口付近に、クロソイド曲線碑なるものがあるのです。我々道路関係の土木技術者なら誰でも知っている緩和曲線のことです。昭和28年に初めて採用されたのが、ここ三国峠だったのです。 クロソイド曲線は、曲率が曲線長に比例して一様に増大する螺旋状の曲線のことです。コルニュの螺線やオイラー螺旋とも呼ばれています。簡単に言うと、車の速度を一定としハンドルを一定の角速度で回したときに車が描く軌跡として考えていただくとわかりやすいと思います。直線からいきなり単曲線になると、急ハンドルを切ることになります。それをスムーズにするための曲線と理解してください。もし、このクロソイド曲線がなかったら世の中事故だらけ?いやいや自動車業界が対応してた?まあいろいろ妄想するのも楽しいですね・・・ 群馬側でも工事が進んでいます。 三国トンネルから再び三国峠に向かいます。 三国トンネルは幅が狭いので大型のすれ違いがギリギリなのです。ほとんどの大型車は関越トンネルを走るのですが・・・トンネル側面のキズが痛々しいです。 群馬側坑口の様子です。 トンネル坑口の際に、自然歩道の入口があります。 再び、三国峠に上って帰路につきました。 本当に歩きやすい道です。人も少なく気持ちのいいトレッキングになりました。 三国街道をすべて歩くのもいいかもしれませんが、公共交通がないので計画が立てにくいです。次は雪の三国峠かな? 6. おわりに 三国峠の存在が清水峠を廃道に追い込んだという表現が正しいのかどうかわかりませんが、メンテナンスにコストがかかりすぎる施設が捨てられるのは仕方のないことだと思います。ただ、このような旧街道を訪ねることで、便利になりすぎた現在の社会が抱える課題や問題点を、新たに見つけることができるのかも?などなど、いろんな妄想をしながら歩いています。