1. 南三陸道路
三陸沿岸道路「南三陸道路」は、本志津川IC(吉郡南三陸町志津川字小森)から<仮称>歌津IC(本吉郡南三陸町歌津字白山)を結ぶ延長7.2kmの自動車専用道路です。
この区間のうち、平成29年3月20日に志津川IC~南三陸海岸ICまでが開通しており、その先は現在工事中です。
本日は、この工事の現場見学会(小学6年生)に空撮業務でお邪魔させていただきました。
三陸沿岸道路は、宮城、岩手、青森の各県の太平洋沿岸を結ぶ延長359kmの自動車専用道路で、東日本大震災からの早期復興に向けたリーディングプロジェクトに位置付けられた復興道路となっています。
この道路のストック効果(整備された社会資本が機能することで、整備直後から継続的かつ中長期にわたって得られる効果)は、病院へのアクセス向上・宅配貨物の配送時間の定時性向上・高速バスの定時性の向上といった身近なものから、産業・観光の活性化や復興工事の効率化等に大いに役立つものと考えられます。
また、リアス式の三陸海岸は他の地域に比べて移動時間が長く、災害時に迂回路がなく多数の孤立地区が発生しやすくなっています。この三陸沿岸道路の整備により、災害時にも寸断しない強靭な道路が確保され、災害時の緊急支援物資等の効率的かつ確実な輸送が実現するということです。
2. ドボクをもっと知ってほしい
これまで、公共事業が主体のドボクはフロー効果(公共投資による社会資本の整備過程で、生産、雇用、消費などの経済活動が活発になって生まれる短期的な経済効果)で語られることが多く、マスメディアには「ドボク=政治とカネ=談合」を中心に取り上げられるなど、悪いイメージばかりが伝えられてきました。
我々ドボク屋には、マーケティング(企業活動の中で、「顧客 が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその価値を効果的に得 られるようにする」ための概念)という言葉はほぼ存在せず、業者は役所だけを見て、役所は市民の苦情に対応するだけで、ドボク工事の効果を誰にもアピールしてきませんでした。当然、道路にモデルハウスみたいなものもありませんよね。
そんなこともあって、最近は工事見学会・開通前の道路開放イベント等が多く開かれるようになり、かなり浸透しつつあるようです。あとはどう「ストック効果」を上手に伝えていくのか?とドボクの視点で「防災」をどう伝えていくか?が課題となっています。その課題とは・・・そもそも「ストック効果」という言葉自体がおもしろくないし、近年あまりにも便利になりすぎて、新しいモノができてもありがたみが薄れてきてますよね。まして自分に関わりのないモノに対しては、素晴らしいモノや施設ができても、なんの感情も湧かないのではないでしょうか?我々はそのような課題に真剣に向き合っていかないと、業界自体が成り立たなくなってしまいそうです。
基本的にドボク技術者は地味で愚直で真面目です。一見怖そうに見える職人さんや運転手さんも、気さくで真面目な方ばかりです。何か問題があるとしたらそれは管理者の問題で、それはどの業界にも存在しています。
子供たちだけではなく、いろいろな方に現場や歴史あるドボク構造物を見ていただいて、ドボクファンになっていただき、誇り高き仕事として業界を支えていってほしいと思っています。
3. 三陸海岸大津波を読んで
吉村昭さんの本で最初に読んだのが「高熱隧道」でした。ドボクに関心を持つようになったのは「高熱隧道」を読んでからでした。その後の「熊嵐」(エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った事故)等を読んで、吉村さんの本はリアルで怖い!と思うようになり、その後は読まなくなりました。この「三陸海岸大津波」(1970年、1984年文庫化)もなんとなく知っていましたが、手にしたのは3.11の直後でした。
この本には、明治29年津波と昭和8年津波と昭和35年のチリ地震津波のことが詳細に書かれています。特徴的な記述としては、3つの津波と十勝沖地震津波を経験した早野氏の「津波は時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」という言葉です。
しかし・・・・・
4. 復興にむけて
帰路は三陸道から直接仙台方面に向かわず、海岸沿いを走って復興工事の状況を見ていくことにしました。特に何の情報も入れずにクルマを南へ走らせました。
海岸沿いをしばらく走ると、南三陸三三(さんさん)商店街(宮城県南三陸町志津川地区)の看板が見えてきました。
この「さんさん商店街」は、東日本大震災の翌月に地元の事業者の手により始まった「復興市」が前身との事です。その後2012年2月に仮設商店街として誕生し、今年の3月3日に常設商店街としてオープン(移転新築)したそうです。復興を目指す南三陸町の象徴的な存在となっているようですね。
同商店街の移転新築工事は、南三陸町における復興計画「南三陸まちなか再生計画」の一環として実施されたもので、新市街地のグランドデザインは、世界的な建築家で新国立競技場の設計を手掛ける隈研吾氏が担当しているそうです。
復興工事に隠れるように、女性職員が津波に飲まれ殉職した南三陸町防災対策庁舎が見えました。なんとも言えぬ感情がこみ上げてきます・・・
更に南に向かい北上川を渡ったとたん、異様な風景を目にしました。気になったのでUターンして近づいてみると・・・
大津波により、児童74名、教職員10名が死亡した大川小学校でした。当時のまま残された校舎を見ていると自然と涙が・・・先ほどまで見学会で小学生の相手をしていたこともあり、なんとも言えない気持ちになりました。
コンクリート構造物の破壊状況で、大津波の怖さを実感することができます。
避難に関しては、様々な意見があありますが、地形を見ると少し難しかったのかな・・・とも思ってしまいます。
片田先生の指導が、この地区にも浸透していれば・・・
さらに南へクルマを走らせると、復興工事の工事現場の中に突然オシャレな街が・・・
パンフレットには【町内外の人が気軽に訪れ、集い、語り合う場をつくることを目的に、海を見ながら集いにぎわえる町の“居場所”を形成し、駅前広場(レンガの広場)、レンガみちを介して、日常の生活と非日常(観光等)の交流が生まれる場づくりを心がけました。いざという時には、レンガみちは安全な高台へ向かう明確な避難路にもなります】と記されています。
ドボクは、このようなまちづくりにも貢献しているんだな~と、まちの断面イメージをみながら感心するのでした。
三陸海岸大津波の早野氏の「津波は時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」という言葉が、この断面図を見てよみがえってきます。このまちに居ると、津波とともに力強く生きていくという覚悟と強さを感じ取ることができます。
平日だったので人はまばらでしたが、休日はにぎわっているのでしょうね。
ハマテラスでお土産を買いました。タコのかまぼこはいいお土産になりました。
ハマテラスのパンフレットには 【海のまち女川の「地元市場」として、最高のおもてなしである海を望む景観を楽しみながら、「食べる」「触れる」を満喫することができる開放的で多目的な空間を持つ観光物産施設です。テナント型商業施設「シーパルピア女川」の観光施設でもあり、駅から延びるレンガみちと女川湾にも連続する新しい女川の風景をつくりだします】と記されています。
多くの方が訪れて、復興に勢いがついて、面白い人たちが集まって、ますます活気のある素敵なまちになりそうですね。また来ようっと。