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アツキココロ

広島県在住の経営コンサルタント・児玉学の熱血ブログ。

私はゴルフをしません。


これでも昔、2度ほどコースを回ったことはあります。打ちっ放しに練習しに行ったことも2度ほどあります。

でもここ10数年は子供と『パットパットゴルフ』をするくらいで、本格的には一切手を出していません。


昔コースを回ったのは、最初に勤務していた営業会社で管理職になり、「管理職研修」の名の下に無理やり連れて行かれたものです。

それまでゴルフに一切縁のなかった私は、クラブはおろか靴も手袋も持っていませんでした。ゴルフに誘われても、「道具持ってないっすから」と言う理由で断れていました。

ところが、管理職になったら「ゴルフは必須」とのこと。「仕事と関係ないやんけ~」(注;この頃は大阪在住。考え方も関西弁。)と内心かえって反発していました。噂ですが、私を管理職に昇進させるかどうかという人事査定のときに「児玉はゴルフをしないから、するという言質をとってから昇進させよう」とまで話し合われたとか。(あくまで噂です。)

結果的に昇進時にそこまでの話しはなかったんですが、管理職研修(の名の下に行われるゴルフコンペ)の日が近づくにつれ、管理職の諸先輩方が入れ替わり立ち代わり私に「皆の輪を乱さないためにゴルフをしろ」と迫ってきました。


(続く)

ベンチャーキャピタル(VC)による起業家支援の際、ハンズオン型(支援者自らも一緒に実務面をサポートするやり方)と、ハンズオフ型(カネだけ拠出し、実務は全て起業家にお任せするやり方)の二つの方法があります。


プリンシパル=エージェンシー理論的に見ますと、VCがプリンシパルで起業家がエージェントです。ハンズオン型は起業家をある意味監視できますのでプリンシパル側のリスクは減りますが、いわゆるエージェンシー・コスト(エージェントの行動を制御するために必要なコスト)が発生します。一方、ハンズオフ型は、起業家がプリンシパルの希望どおりの行動を取らない可能性(リスク)がありますが、コストは掛かりません。


両者はトレードオフ(相反)の関係にありますから、VC(プリンシパル)としてどちらが適切か、については、起業家(エージェンシー)の経営能力や、センス、信頼性、等を総合的に見て判断する必要があります。

またVC(プリンシパル)が手を掛ければ必ず事業成功にプラスとなる、とは言い切れない部分もあり、ハンズオン型とハンズオフ型の選択やバランスの取り方は、非常にデリケートな要素を内包しています。


それでも私は、権限と責任の表裏一体と言う観点から、あえてVCはエージェンシーコストを掛けてでも、適度なハンズオンを行うべきだ考えています。


プリンシパルには権限がある分、その裏返しの責任がついている。すなわち、「委託する」だけでなく「常時モニタリング」し、良い結果を生み出すよう「自らも出来る限り関与する」責任です。エージェントを「信頼する」のと「放任する」のは全然別です。信頼感をより強固なものにするには、適度な関与が必須です。


先の村上ファンドはおかしなことに、阪神電鉄株の件に関して言えば自らはプリンシパル(株主)であるのに、ときにエージェント(「村上ファンドへの投資家(プリンシパル)=村上ファンド(エージェント)」の領域)としての価値観を持ち出します。曰く「(負託を受けた村上ファンドの)投資家に最大限の利益を返すために、(阪神電鉄に)要求する。」云々・・・です。これはおかしい。都合によってプリンシパルとエージェントの立場を摩り替えては、いけません。阪神電鉄株の件では、村上ファンドはあくまで「プリンシパル」として責任を持った対応を行うべきです。

プリンシパルとしての「権限」だけ行使しようとしていますが、その裏の「責任」をどうとらえているのかについては明確に応えていません。


この場合のプリンシパルの責任とは「エージェント(阪神電鉄経営陣)」を成功へ導き出すくこと、です。


事業を成功させるためには、それに直接携わる人たちの力が絶対的に欠かすことができません。これは子供でも分かることです。さまざまなプリンシパルとエージェンシーの関係において成功の鍵を握るのは、「人」の力です。もっと言えば「人の心」です。


人の「心 」に触れない提案は、権限の乱用ととられても仕方ないですね。村上さんが真の投資家としてエージェントの信頼感を得るには、まず現場の「人の心」「人の力」を大事にすることじゃないでしょうか?ついでに言えば「阪神球団」の場合には、「ファン」という大きなステークホルダーの存在を無視は出来ませんね。何か「ファン投票する」だとか言ってますけど。どうやって全てのファンの声を聞くんでしょうね?


ところでカープファンである私は、広島カープは上場すべきだ、と思ってるんですけど、その話しは又。

最近世間を賑わす、「村上ファンド」。


ニッポン放送買収騒動の件でも、引鉄は確か村上ファンド。今度は阪神電鉄の筆頭株主に踊り出て、阪神球団の株式上場を目指すとか何とか・・・。


その動きには賛否両論ありますが、プリンシパル=エージェンシー理論的に見た場合、ある深刻な考えが浮かび上がります。


村上氏が操るおカネは村上氏「個人のもの」じゃなく、あくまで投資家から「預っているもの」です。確かに預っていようが借りていようが、表向きは村上氏の自由になる。で、そのおカネを持っている村上氏のミッション(果たすべき役割)は「預ったお金の極大化」です。この場合、プリンシパルは「投資家」でエージェントが「村上氏」です。


一方、阪神電鉄株を購入した村上ファンドは株主になったわけですから、企業経営上「プリンシパル」となり、阪神電鉄の経営陣はその負託を受けた「エージェント」になります。(ここが株主=経営者となる中小企業とは違うところ。)そして彼らは「企業価値の最大化」という目的において、本来利害が一致する関係にあるはずです。しかし、今のところ両者の意見は真っ向から対立しています。


ここで重要なのは「企業価値の向上とは何か」、という基本的な価値観の違いです。


一昨日の日経新聞社説にはこう書いてありました。「受益者の利益だけを考える投資ファンドと、株主以外の顧客・債権者・従業員の利害関係者にも責任を負う経営者とでは『時間軸』が異なる」。

すなわち、企業が数十年かけて稼ぐであろうキャッシュフローを現在価値に引き直し、株価を極大化して売り抜ければ終わる、という投資ファンドでは、企業価値を上げる時間軸は「短ければ短いほど良い」。

一方の経営者は、過去の蓄積・現在のステークホルダーとの関係・将来への布石、すべてのバランスをとりながら企業価値を上げる必要があるため、「今さえ良ければいい」という時間軸感覚は持ちません。それを見誤ると、日本のカネボウや米国のエンロンのような事件を起こす羽目になるのです。ですから、「未来を展望した中長期の時間軸」を持つ必要性がより高まっているのです。


プリンシパルとエージェントが価値観を共有しない状態。これでは理論上から見ても、うまくいくはずがありません。

真のプリンシパルたる投資ファンドも実はたくさんあります。これらの投資ファンドは、企業価値の向上を短期の時間軸では見ていません。いわゆる「ハンズオン型」で行くので、時間はかかります。しかし、これがプリンシパル=エージェント理論上は正解。エージェンシーコストはかかりますが、「価値観の共有」という最もベーシックな要素を押えるためには欠かせないコストだと思います。

村上さんも「短期収益」にこだわりすぎると、失敗しますね。王道を行かねば。覇道はやがて破滅を招きます。


そう言えば、ハンズオン・ハンズオフの件でもプリンシパル=エージェンシー理論が重要な示唆を与えてくれていますが、それは又明日にでも。

先日、私が一部講師を受け持ったあるセミナーの受講生さんたちや主催者の方々と、オフ会をしました。


そのとき、主催者(自治体)の担当者とセミナー受託者(その自治体が大株主の第3セクター)の担当者が奇しくも同じ金融機関からのご出向だと聞きました。

その金融機関からは他にも出向しておられる所が多いようですが、何だか少し面白いですよね。同じ会社の方が出向先で発注者と受注者に分かれるなんて。お互いやりにくいところもあったのでは?


さて、そのときふと思ったのですが、その金融機関さんは地元でも大手の企業ですから、当然多くの法人地方税を払っています。

納税者として、地方自治におけるプリンシパル(依頼人・委託者)なわけです。

一方の地方自治体は、そのプリンシパルの依頼を受けたエージェント(代理人・受託者)です。

どちらが上かといえば、当然「プリンシパル」です。(普通の仕事なら、プリンシパルは「発注者=お客様」です。)


でも聞けば、お互いに職場で上司にこき使われているとか。上司はプロパーの方(いわゆる公務員や公務員上がり)です。本来なら、エージェントとしてプリンシパルに敬意を払わねばならないのに。コレも何やらおかしい。

まあ、納税者が全てプリンシパルであると言えば公務員の方々も当然そうですし、皆が「プリンシパルだ~」と威張っていては仕事になりません。だけど、公務員の方々はもう少し「エージェントである」といった立場をわきまえて接して欲しい、と思うこと・・・まだまだ多いですね。

長野県の知事などは、公務員は「パブリックサーバント」(公的な召使い)だという表現をよくつかいます。

別に「召使い」にまでなる必要はないんですが、せめて「威張る」のはやめて欲しい。公務員が偉いんじゃない。納税者が単に税金の使い道を付託している、それだけに過ぎないんだ!!税金は公務員のものじゃない。でも、例えば今回のように税金を使ったセミナーを催すとなると「発注者」のような顔になる。違う違う、あなた方はただ「委託」を受けただけなんだから。元々は我々が払った税金。あなたの自腹じゃないんだ、っつーの。


「プリンシパル=エージェント理論」では、双方が信頼感を持って助け合い、協力する「一体感」が大切である、と説明しています。そのためには、私は公務員の方々には絶対的な「責任感」が不可欠だと思います。どうも癒着を避けるためか、公務員は異動が多いんですが、これが無責任に輪をかける。いや、多くの公務員は皆責任感強いんだと思いますが、結果の責任をとらない。「責任」を負わない「権限」はあり得ない。権限と責任は表裏一体なんです。責任をとらないなら、権限も与えてはいけません。


で、結論。

プロパーの公務員は全て廃止し、冒頭のような民間企業からの出向者で公務を司る、というのはどうでしょう?民間からの出向者は、公務中も出向元の勤務査定に入るから、必ず責任を持って対応してくれると思いますよ。今回もそうだったし。プロパーの公務員より気持ちよく仕事できましたもの。専門的な一部の仕事を除けば、民間出向者にできないことはない。


プリンシパルとエージェントの究極の一体感、間違いなく醸成できると思いますけど。

「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず。」
勝海舟が、福沢諭吉から「江戸幕府と明治政府2君に仕えた理由を述べよ」と論説で批判的に迫られたとき、言い訳も説明もせずただ一言漏らしたとされる言葉です。
簡単に言うと表題の意味になります。

何かを成し遂げるためには「行動」を起こすこと。これが最も大事。その行動は自分の全責任において行い、誰のせいにもしない。自分で決め、自分で動く。その行動に対しての評価は所詮他者がするもの。その評価をいちいち気にして行動を起こすわけではない。自分の行動には自分自身の信念が最も重要で、他人の評価が気になるようでは大事は成し遂げられない。信念を持ってことに当たれば、分かる者は分かる。分からないものに何を言われようとも気にする必要はない。
そう勝海舟は言いたかったんだろうと思います。
勝の弟子だった坂本竜馬も同じような言葉を残しています。
「世の人は我を何とも言わば言え 我がなすことは我のみぞ知る」

さきがけた行動には批判がつきものです。
良かれと思って行った行為が周囲に理解されないことも多い。

そんなとき、私はいつもこの言葉を思い出します。
自分を信じ、他人の評価に惑わされない。
まあ私の場合、勝海舟や坂本竜馬のような大物じゃないんで、「誰も分かってくれなくても」とは言えません。分かってくれる仲間が何人かいないと駄目ですね。でも少数でも仲間がいれば勇気が出る。多勢に無勢の場合、上手く行かない場合、誤解された場合、など自分を鼓舞するために標記の言葉を念仏のように唱えます。そうするとくじけない気持ちが湧いてきます。

管理会計の普及のため、私の会社ではふたつの支援を行います。


ひとつは「経理アウトソーシング」。経理業務の外注化です。

但し、税理士事務所のような「記帳代行」ではありません。実際に当社の人間をクライアント企業の中に入れ、私の指示に基づいて実務を行ってもらう。管理会計が体質化するまでこれを継続します。


もうひとつは「CFOとしてのコンサルティング」。私自身をクライアント企業の最高財務責任者(CFO=chief financial officer)にしていただく。財務、というと中小企業の場合はちょっとオーバーですが、要するに経理の責任者に就任する。非常勤ながら内部の立場になる。責任も負う。

そんな感じです。

ちなみに本来「CFO」とは、単なる経理責任者ではありません。

どちらかというと「CSO=chief strategic officer」(最高戦略責任者)に近いイメージです。

だからオーバーでも私はCFOという表現をさせていただきます。

私のコンサルティングの専門領域は「アカウティング」と「マーケティング」と「メンタリング」。


他に「都市再開発・不動産再生 」や「企業再生 」「IT」等がありますが、これらは「領域」というより「舞台」や「ツール」です。もっと言えば、中小・零細企業のコンサルティングはあらゆることに対応できなければ役に立たないので、基本的には「何でも屋」であります。


でも専門性は必要。「特にコレならコダマ」という差別化領域がないと、生き残れない。そう思っています。


「マーケティング」は元々自分自身が営業上がりで、好きだから。永遠に追いかけて行きたいテーマです。コンサル業界の中でも最も競争の激しい領域ですが、常に実践主義で「トライ&エラー」しながら独自のノウハウを蓄積していきたいですね。


「メンタリング」は独自の技法として、ブラッシュアップしていきたい。ハンズオン型のコンサルティングには欠かせない領域だと考えています。


そして「アカウティング」。

特に私が力を注ぎたいのは「管理会計の普及」です。

以前記述したとおり、企業経営の基礎になるのは「管理会計」なんです。

でも実際には「財務会計」だけで経営を行っている中小・零細企業がいかに多いことか?


もちろん「財務会計」は制度会計であるがゆえに必須なんですが、これは過去会計。「結果」の会計なんです。だから、経営の羅針盤にするには向いてない。

現代のようなスピード社会では、結果を見てから次の行動を考えていたのでは遅い。走りながら、常に「現在」を知り「未来」を予測することが求められます。「管理会計」はそのためにどうしても必要なんですね。


しかし、多くの中小・零細企業では会計の専任者が少ない。もしくは居ない。「財務会計処理だけでも大変なのに、屋上屋を重ねるような会計業務はとてもできない」、そうおっしゃる経営者も多い。


でも私に言わせれば「後ろについた足跡(過去会計)は見えても、今歩いている足元(現在会計)も行き先(未来会計)も見えない状態でどうやって前に進んでいくのか?」っていうことになります。管理会計とは極めて重要な「経営管理ツール」なんです。


実際に、危なくなった企業の支援に入った私がまず最初に行うのは「経営数字の実態化」です。財務会計情報は、実態の一部しか表していません。事実は隠れている場合が多いのです。そして、経営者がそのことに気付いていない。「わざと隠している」訳じゃなんです。財務会計で全て、と思い込んでいる中小・零細企業経営者は予想以上に多い。

で、実態化させた数字を見せると、能力のある経営者はそれだけでピンと来る。「見える」ようになっただけで半分課題は解決できたりするんです。


「見える会計」。これが管理会計。

財務会計は「見せる会計」。


この違いに気付いていただきたいですね。

昨日の相談の1件は、某金融機関内診断士講座の元・教え子(だからその金融機関の社員です)からでした。


内容は「ある取引先の業況が悪化しており、追加融資したくても出来ない」とのこと。このままでは最悪の事態も免れない。相談者としては、何とかしてあげたい。(うん、いい金融マンだ!)でもどうすればいいか分からない状態。


相談者なりに「リストラ案を提示」したそうです。

世間相場より高い家賃の営業所移転。

扱い商品の変更。

販売力強化。


・・・でもどれも先立つ物は「カネ」。

取引先曰く「だから先に融資してくれ」。でも金融機関支店長は「このままでは追加融資はできない」。

どちらの言い分も「もっとも」です。


こういう場合、何が大切か?


「経営戦略」を立てることです。きれいごと?いえいえ、戦略とは端的に言うと「優先順位付け」ですから、まずここからです。

このケースは、どう見てもまず取引先側が「これなら追加融資受けても返済できる」という案を金融機関側に示すのが先。

要するに、相談者(元・教え子)のリストラ案が、単なるリストラにとどまっているのがまずい。次が見えない。


その際に大切なのは、「この企業やこの経営者にとって最も大きな『強み』は何か?」を見つけ出すこと、です。

そう言うと、元・教え子曰く「強みが・・・何も無いんです・・・。」


・・・・私の経営コンサル12年の経験から導き出された信念。それは、

「どんな人にもどんな企業にも必ずひとつはいいところがある!!」

絶対にあるんです。でなければ経営者に仲間は一人もいませんし、企業が存続していることはない。今は厳しいかもしれないけれど、曲がりなりにも「今、ここにある」という事実は、何かしらの良さに支えられて存在している。


でも、これを見抜くことは意外と難しい。

独特の「ノウハウ」。「コンサルティング・スキル」です。もっと言うと「センス」です。

我々はこれで飯を食ってるといっても過言ではない。


どうすればこのセンスが身に付くか?

まず既成概念を取っ払う。既成概念はブレークスルー思考の障害になります。全てゼロベースに。

そして、考えて考えて考えて考えて考える。答えは全て「現場」と「事実」の中にあります。今までの経営履歴に必ずヒントがある。もっと言うと、その経営者の人生そのものにヒントがある。

「弱み」からのアプローチでもいい。弱みの裏返しが「強み」なんです。

あとは「仮説立案」。その仮定を当人にぶつけてみる。反応を見る。本当の強みなら、受けた当人の顔色が変わる。急に生気を帯びてくる。これが潜在化していた「強み」なんです。

この「強み」を見抜くと、戦略が構築できる。


そしてもうひとつ大切なのは「実行力」。いい戦略も、実行が伴わなければただの「絵に描いた餅」。実行力は、経営者の「腹のくくり方」によります。


とにかく「腹をくくること」です。相談者(金融機関)も取引先(経営者)も。最悪の事態?会社が潰れることですね?いいじゃないですか。事業のいいところは、人の命と違って復活の道があること。会社が潰れたって、命までとられるわけじゃない。経営者側はそう腹をくくる。相談者も「この戦略が実行できなければ潰れるだけだ。」と魂を込めて説得する。相手が死ぬわけじゃない。金融機関は貸し倒れになるかも知れない。でも大丈夫。1件2件潰れたって。ちゃんと引き当てがある。そう腹をくくる。


お互いが寄りかかっていては、いつまでも解決しないですね。というか、もっともっと事態は悪くなる。


そう言って、相談者を叱咤激励しました。


ノウハウ伝授したつもりですが、でも最後はプロの出番だろうな~。だって我々これで飯食ってますから。聞くのとやるのとで、これほど違うスキルはないかも知れない・・・。


出し惜しみするつもりは一切無いんですが、結局コンサルティングスキルは「私自身の強み」なんですよね。上には上がたくさんいますが。

今日は某金融機関主催のビジネスフェアに、私が所属するNPO法人の一員として参加しました。


NPO法人はITC広島 といいまして、広島近辺のITコーディネータの集まりです。


ITコーディネータは2000年のe-Japan戦略という国家プロジェクトに基づき創設された資格制度ですが、「経営とITの橋渡しを行う、企業の情報化支援の専門家」です。

理想は素晴らしいのですが、これがとにかく世間的な認知度が極端に低い。

お役所の人間でも、担当部署の人しか知らない。

ましてや民間では言わずもがな。


理想や役割が素晴らしいだけに、どうしてもこの認知度を高めて活用度も高めたい。そんな思いで仲間と共に立ち上げたのがこのNPOです。


ただ法人化したからといって、すぐに認知度が上がるわけではない。そこで、当初から私が意識したのが「地域金融機関とのコラボレーション」です。

ちょうど金融危機の後、金融監督庁が出したのが「リレーションシップバンキング」構想です。これは「地域金融機関はただカネを貸し付けるだけでなく、地域経済の活性化のため顧客の経営課題を解決するイコールパートナーになれ」というモノです。


ここにうまく乗っていこう。そう考えました。


今日のフェアを開催した某金融機関では、社内中小企業診断士研修の講師を私が務めた関係もあり、我々のNPO設立(昨年5月)の記念講演講師にその金融機関のトップをお招きし、次に私がその金融機関の若手経営者の会の発足記念セミナーを行うなど、早くから相互の交流を深めてきました。


今回がその飛躍の機会!昨晩からブースの設営、今日は朝から夕方までと張り切って得た結果は・・・・・・「3件」の相談のみ。

しかも純粋なIT化支援の相談は1件!!あとは、もともと私の知り合いからのIT化以外の経営相談。・・・・


でも実はこれが失敗とは言えないんですね。なぜでしょう?これがマーケティングの面白いところです。


NPO法人のマーケティング。これがなかなか難しいんですね。組織の形態上、直接営業してモノを売る類のものではない。何となく認知していただき、いざというときに思い出してもらう。こういうマーケティングが必要なんです。


このフェアに参加したことによる支出金は「ゼロ」。あえて言うなら私ともう一人のITコーディネータ仲間の時間を費やしたことくらい。それだけで、少なくともこのフェアのパンフレットを手に取った方々の目には触れた(はず)。ブースの前を通り過ぎただけの人にもいくばくかの印象を残した(はず)。そして最も重要なのは・・・主催者の金融機関に義理を売れた。(実は参加を向こうからお願いしてこられた。)その上で、3件も相談を受けられた。正に万々歳!なんですね。


しかも他の金融機関の方々が偵察に来ていた。彼らはライバル意識高めてましたね~。又NPOの出番あり、です(多分)。ありがたい、ありがたい。


我々は元々すぐにエンドユーザを開拓できない。ITコーディネータもNPOも、すぐに理解しにくい存在なんですから。そう腹をくくれば道は見えてくる。まずは金融機関や各種団体、マスコミに売り込む。そうすればその先にいるエンドユーザには彼らがつないでくれる。


これを「2段階マーケティング」もしくは「間接マーケティング」といいます。


でもちょっとだけ疲れた~。できれば持って行った大量のITC宣伝チラシ、又持って帰りたくはなかったな~。

(負け惜しみがばれたかな?)

「コーチング」という指導法(?)がはやっています。
現代は「過去の経験が活かせない」、「『答え』がある場所がよく変わる」時代です。そんな時代には、管理者やリーダーが答えを提示するのではなく、メンバーに「自発的な行動を促す」ことを基本にして、実現したい目標を聴き出し、達成のための具体策を問いかけ、解決策を引き出す、というやり方が有効だということです。

プロ野球の落合やイチローなどがこの方法で伸びた、と言われています。

対象が落合やイチローなど「もともとすごい天才」の場合には、確かに有効な方法だろうと思います。
私も「コーチング」という言葉がはやり始めた2001年くらいから多少なりとも勉強しました。それなりに試しても見ました。
で、今は、少し「コーチング」ブームとは距離を置いています。
それよりも今私は「メンタリング」を核に考えています。

コーチングもメンタリングも絶対的な概念の決まりがあるわけではありませんので、とらえ方は個々人様々だろうと思います。
でも私は昨今の「何でもコーチング」という風潮には賛成できません。

メンタリングの「メンター(Mentor)」とは何か?

もともとはホメロスの叙述詩「The Odyssey」の登場人物である「メントール(Mentor)]という賢者の名前に由来し、古くはギリシャで後継者の指導者・理解者・支援者として使われ、現代ではシリコンバレーで多くのベンチャー企業を育てたスタンフォード大学関係者及びその周辺のベンチャーキャピタリストやエンジェルを総称して使われたことから急速に広まった支援活動者の意です。

コーチングとメンタリングの違いは、「コーチ」が相手の潜在的可能性を見出しいかにそれを伸ばすかが重視されるのに対し、「メンター」は自分の専門性を明確にし、成功実績を自らも積み上げて手本を示し、自ら持つ人脈や信頼の輪を積極活用したハンズオン型の支援を行うことが要求されることに尽きます。すなわち、コーチングはあくまで「相手次第」、一方メンタリングは「相手と自分の相乗効果まで追求し最大の可能性を見出す」手法なんです。

コーチングも悪くはありません。相手がずば抜けた才能の持ち主の場合、答えはすでに相手にあります。コーチが余計なことを言うのはむしろマイナスで、もともと相手が持つ答えを引き出すお手伝いをすればそれで十分です。

しかし、そんな天才が一体周囲にどれだけいるのでしょう?いやそこまでの天才でなくとも、「何とか自分で答えを見出せる力のある人たち」って一体どれだけ存在するのでしょう?少なくとも私が日夜携わる経営コンサルティングの場では、その前段階で悩んだり壁にぶつかっている人たちで一杯です。

コーチングの前に「ティーチング」や「カウンセリング」を必要としている人たちが、実はまだまだたくさんいるのです。コーチングというのは、私に言わせれば「プロの世界の指導法」。セミプロやアマチュアが多い(ごめんなさい、でもホントです)中小企業やベンチャー企業、起業希望者の世界では、コーチングはなかなか功を奏しません。ティーチングやカウンセリングの方が実は効果的なんです。

私はセミプロ・アマチュア相手に格好のいいコーチングを行って、ムダに時間やコストを費やす例をいくつも見てきました。(私もちょっとだけやってしまいました・・・。)
で、「何かおかしいな」と気付きました。

世のコーチング普及者(コーチ)は成功事例をよく言いますが、失敗事例も実際には多いはずです。その失敗事例が表に出ないのはなぜでしょう?答えは明白です。コーチは責任をとらない。だって、良くも悪くもコーチングでは答えは「相手」にあるもので、「コーチ」にはない。だから責任も何も無い。失敗にならない。成果が出なければ、相手が悪い。答えを見出せない相手に問題がある。そういう論理になります。でも成果が出たときには「コーチングのおかげ」という。全く都合のいい指導法です。

一方メンタリングは、支援者自身にも大きな責任が生じます。一般的に、米国のベンチャーキャピタリストやエンジェルは、資金を提供するのみならず優秀な人材の紹介や取引先の紹介なども積極的に行います。「カネも出すけどクチも出す」方式です。メンターも当事者なんです。

もちろん、一流のコーチはちゃんと責任をとっていることも知っています。でも責任のあいまいな「亜流のコーチング」全盛の風潮は、やはりどこか変ですよね。


今のコーチングブームで最も気になるのが、「(コーチ側に)専門性がなくても相手の専門性を引き出せば良いので、(コーチングは)誰にでも出来る」的なうたい文句。コーチを育てるコーチング会社が自社の会員や受講生集めに使う「決め台詞」です。

・・・?専門性がなくて指導?私がコーチングのことを「本当に『指導法』と言えるのかどうか」疑問視する理由は正にそこにあります。
例えばよくコーチングの事例に挙げられるマラソンの小出監督。有森裕子や高橋尚子を育てた名伯楽ですが、「高橋尚子と小出監督が一緒に走ってどちらが早いか、と言えば高橋に決まっている。が、コーチングでは自分自身にその才能がなくても、相手にある潜在能力を引き出すことが目的だから、その面に優れた小出監督は名コーチ」ということですが・・・。
はっきり言って、小出監督は専門家です。プロ中のプロです。彼に専門性がなければあれだけの成果が上げられる訳が無い。「走るのが実際に早いかどうか」と「専門性があるかないか」をごちゃ混ぜにしてはいけません。

もうひとつ、自分で実際にコーチングをやってみて気付いた欠陥が、対象者によっては「本人の自主性を重視する→本人の甘えを生む」ということ。人間誰しも自分には甘いモンです。自分に本当に厳しい人に、コーチングは最適です。でもそんな人はよほどの高見を目指すか何らかの理由で壁にぶつからない限り、人の助けを必要としない。そうでない人たちが支援を必要としているのです。で、支援を必要とする人たちは基本的に「弱い」。まだ自分が確立できていないのです。そんな人たちに「自主性を自主性を」というとどうなるか?はっきり申し上げて、出来ない理由が言える甘い立場に自分を置きます。

そんなことない?性善説に従えば誰しも自分を高めたいと願っている?それを開花させないのはコーチング技術が劣るせい?・・・確かに私のコーチング技術が低レベルだったのかも知れません。でも「自主性」が大前提のオーナー経営者ですらどうすればよいか分からないこの時代に、従業員さんに「自主性を」といって一体どれだけの人が「では、今まで甘かったからこれからは自らに厳しく」として能力を発揮できるようになるでしょうか?

人間は環境の動物です。置かれた環境に基本的に適合する習性があります。「自主性尊重」と言われて、厳しい環境に自らを置こうとする人は本当に少ない。誰だって「楽」したいんです。本音は。

私はそんなコーチングの限界とデメリットを理解し、その打破に何が最適か考えるようになったのです。


カウンセリングという手法は、かなり以前からありましたよね?
ティーチングというのも、言葉こそあまりなじみがありませんが手法としては以前からありましたよね?
これらと「コーチング」はどう違うのか?色々調べてみました。
コーチングの本はたくさん出ていたのですが、どれも微妙に違う。まだ明確に確立されていない感じ。でもはっきりしていたのは「コーチングを受ける対象に気付きを与える」ということ。ならば、気付きの「基」がまだ対象に無い場合は?やはりそこを創る作業がまず必要になる。それが「ティーチング」や「カウンセリング」ではないか?そう感じました。

対象のレベルや置かれた環境に応じて、やり方は変わる。コーチング手法はややレベルの高い層に効果的だが、その域に達する前段階が必要。それは時に0を1に変える「ティーチング」であったり、Aを1に置き換える「カウンセリング」であったりする。これらを通じて徐々に10の能力を備える。そこまできたら「コーチング」の出番です。身に付けた能力を足したり引いたりアレンジしたりするための色々な気付きを与える。そうすると、備えた10の能力が潜在的なものを含め100の能力になるかも知れない。

これをトータルに進める有効な手段はないか?そんな目で見て見つけたのが「メンタリング」です。
以前属した企業の管理職時代、個人のライフビジョンに基づいた「ビジョン・マネジメント」を行いましたが、これは結構有効な支援スキルでした。このブラッシュアップを図りたい、というのが私の目標でもありました。これにぴったりマッチしたのが「メンタリング」。コーチングもカウンセリングもティーチングも包括する「メンタリング」。

コーチング万能?ノーです。コーチングだけでは解決できないこともある。いや私のコンサルフィールドではそのほうが多い。
コーチングは数多くある手法の中のひとつでしかない!!相手とともに自分も責任を負う「メンタリング」こそ私が探していた概念。
これでやっともやもやしていたものが晴れました。

結論として、私が目指すのはメンター。コーチングは手法のひとつ、という位置づけです。専門性の無いコーチングはやっぱり嘘くさい。謙虚に相手に学び、その上で責任も享受する姿勢が欠かせない、そう思います。

学習能力と責任感、これがあって初めてコーチングって活かされる。更には対象相手のスキルの見極め力。それに応じてティーチングやカウンセリングという手法も積極活用。コーチングではご法度と言われる「怒ること」や「叱ること」もあっていい。場合によってはまず形から入る式の体で覚えてもらう教育もあっていい。その見極めさえ出来れば、コーチングの限界を突破できるんじゃないでしょうか?だからやっぱり対象相手と本気で付き合っていくという「パワー」が欠かせません。きれいごとのような今はやりの「亜流コーチング」とは一線を画す。これが私の目指すメンタリングです。

ところで今、対象者の業務領域とコーチングスキル双方に精通した、本物のコーチって日本にどれくらいいるのでしょう?