アツキココロ -13ページ目

アツキココロ

広島県在住の経営コンサルタント・児玉学の熱血ブログ。

先日、某大学の名誉教授なる方の講義を聴きました。某国立大学経済学の名誉教授。


冒頭からご自身の経歴の話し。延々と。特に海外の有名大学に行っていた話しを、繰り返し繰り返し語ります。

次は学外での民間活動の話し。ご自身曰く「カントリー・ジェントルマン」なんだそうです。(よく意味が分からない・・・。)地域の人口予測をされたとか何とか。これも延々。地元の皆さんが現状について「愚痴」ばかりこぼしていたのを一喝したとか・・・。うん、それもいい。いいけど、今日の講義との関係は?


やっと入った本題もすぐに話があちらこちらに飛びまくり。更に、「何かご質問は?」と問われたので、よく分からないところがあった私が質問すると、焦点がずれてる答え。話しが一向にかみ合いません。


一番厄介だったのは、教科書にあるような一般概念を否定するくだり。力入ってましたね~。でもご自身の主張にあたかも新しい概念が入っているかのごとく言われましたが、残念ながらそんなことない。皆とうに知ってますって!一般概念も古いけど、くだんの名誉教授が今大きな声で言う概念ももう新しくない。当たり前になってます。でもご本人、悦に入っちゃってる。完全なる自己陶酔。


結局延々3時間、おひとりで好きなことしゃべって帰って行かれました。


「ひとりよがり」が如何に聴く人に不快感を与えるか、本当に勉強になりました。

人のふり見て我がふり直せ。ですね。いやホント勉強になりました。ありがとうございます、某名誉教授。あそこまで徹底していただくと、ものすごく分かり易かったです。

昨日、Webマーケティングのご相談ということで某企業に伺いました。


地方。零細。こういった企業はインターネット(Web)活用で活路を見出そうとします。

もちろん、間違いではありません。

Web活用なら「地域」「距離」の壁を越えられます。

零細であることが、かえって「身軽」「希少価値」といった付加価値を生み出すことも可能です。

実物店舗を構える必要も無いので、「建設費」「家賃」「光熱費」といった費用も要りません。


でも、それだけ良いものだからこそ、当然皆んな殺到します。

そう、Web内での競争は今や激化の一途。この中で勝ち抜くのは並大抵のことではありません。


昨日の企業さんにもそのお話しをしました。

何にせよホームページの作成は今や最低条件といって良いですから、これは創りましょうと。

でも、Webで儲ける為にはそれがむしろ「始まり」ですと。創って終わりじゃなくって、そこからが始まりですよって。


一番大事なのはやはり「マーケティング・スキル」。建設コストや家賃コストがかからない、距離の壁も越えられる分、今まで以上の「マーケティング・スキル」が要求されます。

頭で分かっていても、これが実行できている企業は本当に少ない、というのが実感です。

そもそも「マーケティング」自体の本質をご理解されていない企業も多い。


しかし、昨日の企業さんでひとつ「はっきり分かったこと」がありました。

スキル(技術)はさておいても、まずは「パッション(熱意)」があることが大前提、ということ。マーケティングの基本は「パッション」。IT使えば使うほど、この「アナログ」な要素がより大切になる。そう、改めて感じました。


本当に小さな小さな企業さん。社員はお祖父さん、お父さんとお母さん、そして息子さん夫婦。正に『家業』。地方で地道に食品を作ってこられた老舗。ITなんかよく分からない。でも特に「お母さん」のパッションがいい。最近多いイパターンですが、「女は強し」です。お父さんはどちらかというと職人気質な方で、息子さん曰く「慎重派」だとか。でも私には社長からもパッション感じました。皆さんのパッションに触れて、やらないわけには行かない。


パッションは人に伝染るんです。(早速私に伝染りました。)Webというバーチャルな空間でも必ず伝染るんです。良い意味でパッションを伝染していければ、やがて花開く。そんなものだと思います。

皆さんもインターネット見てて、ときどき引き込まれるサイトに出会うことありませんか?別に凝った作りじゃなくて、でも何かしら引き込まれるサイト。これは間違いなく「パッション」のある企業のサイトだと思います。


そんなことも含めて

http://www.hiwave.or.jp/seminar/it_jitusen.html

っていう研修をやったりしています。

私が最初に勤務した営業会社は、本当に「営業の天才」と言われる人がきら星のごとくいる組織でした。


営業の天才たち。

まず最初の天才は、私が就職を決めたきっかけとなったK常務。
禿げ頭が良く似合ういわゆる「いいおっさんタイプ」。
この人と出会わなければ別の会社に行くところでした。
断りに行ったとき、この常務のトークによって私の決心はもろくも崩れ去り、最後には「是非貴社で一緒に
仕事させてください。」と逆に頭を下げて頼みこんでいました。
そのときの私に対する営業(?)は実に感動的なもので、今思い出しても「クレームが来たときにはこうして対抗し最後は相手をこう納得させる」というお手本のようなものでした。
私は就職する前から天才の光線を浴びせられていたのです。

次に出会ったのは強烈な個性を放つO営業課長。
ストライプの入ったダブルのスーツに色つきのシャツ。
もみ上げも鮮やかなオールバックの髪型に度入りのサングラス。
見た目はやばい筋の人そのものでしたが、これが又営業力がすごい。
派手な見た目とは裏腹の静かな口調からスタートする営業トークは、やがて始まるOワールドの前奏曲。徐々に相手を引き込みいつしか相手はO課長の信者と化し、終わってみれば大型受注決定。
又この方の企画書作りは素晴らしいもので、本当に「何でこんなに次々とアイディアが生まれてくるのか」・・・不思議な能力の持ち主でした。

次はSチーフ。
小柄な体格に妙に人をひきつけるつぶらな瞳と笑顔を併せ持つ永遠の少年タイプ。休日は毎週ラリーに講じるというアクティブさ、その声の大きさとやわらかい近江弁のマッチング、類稀なる行動力と緻密なマーケティング力・・・、正に営業をやるために生まれてきたような方でした。
彼を嫌う人は恐らく皆無。にっこり微笑まれたらもうどんなクレームも解決。
その上目標達成意欲が人の10倍くらいある。くじけない。あきらめない。でも決して深刻な顔もしないでいつも元気。周囲の全ての人に愛されるタイプの方でした。

そして我が心の師匠たるH先輩。
師匠は前掲3名と全く異なるタイプで、謹厳実直。
黙々とやるべきことをこなし、自分に一切妥協しない。修行僧のような方でした。

当時私はその諸先輩方の域に達するべく、毎日営業力に磨きをかけていたものです。
でも諸先輩方はさらに飛躍する。私がひとつのステップを踏むうちに更にふたつみっつ飛躍する。差は縮まるどころか開く一方です。
私はとにかく数をこなす、というタイプの営業が苦手。決めうちで緻密な(といっても今考えるとたいしたことないですが)アプローチを行い受注を決める。だから波が大きい。良い期と悪い期の差が激しい。
量も質も同時に全うできる天才たちとの差は歴然でした。しかも天才たちは精神的にもタフ。来る日も来る日も同じことの繰り返しが苦痛にならない(と私には見えた)。私はずっと続けることの空しさがちょくちょく頭をよぎり、そんなときは「好きか嫌いか、と問われれば営業は好きだが、やはり天職ではないのかな~」とひとり思い悩んでいました。

でもやるからには負けたくない。負けん気だけで営業にまい進する毎日。
だが努力だけではどうしても埋めきれない天才たちとの差。いつしか私は凡人として続ける営業の域を超え肉体的にも精神的にもオーバーフローしてしまいました。そして円形脱毛症。これを見たとき、私は「営業では一生飯を食っていけない」と悟ったのでした。
そして静かに社をさろうとしたまさにそのとき、課長に昇進。

課長として行う「マネジメント」が私に新たな活力を与え、やがてコンサルタントへの道を切り開くことになるのです。


天才たちとの差を埋めきれず営業で飯を食っていくと言う道を断念した私ですが、今でも「凡人がどうすれば売れるようになるか」は指導できます。

ありがたいことに世の中にはそうそう天才はいない。
もしいても天才が私の指導を必要とすることはない。
よって多くの場合、凡人(決して卑屈な言葉で使っていません。普通の人々、の意。)の指導という事になります。ならば、凡人代表の私にも教えられる。

ところでコンサルタントって職業の面白いところですが、
失敗も成功も体験全てが次のコンサルの資源(ネタ)になるんですね。
研修とか講演ではむしろ失敗ネタのほうが受けます。
だから営業の指導では、まずその対象者の「何が営業上の失敗を引き起こすか」を考える。
そして自分の失敗談に絡ませる。
そうすると、最初は「コンサルが何偉そうなこと言ってくるのか?」と身構えていた研修対象者も「なんだ俺たちと変わらないじゃないか」と少し馴染んでくれる。
そこから徐々に「本質を見抜き自分に合った営業スタイルに持ち込む」というノウハウ(というほどのもんじゃないんですが)の伝授に入っていきます。

営業会社でマネージャーやってたとき。
最初は部下たちに、自分の成功体験ばかり伝授しようとしていました。
でもごく一部の者しか聞いてくれないんですね。
そのうちの一人は、後に分かったことですがいわゆる営業の天才。
私が教えることなど本当は何もなかったんですが、こんな天才に限って貪欲に何でも自分のものにしてしまう。私のつたない成功体験も、ものの見事に自分に取り入れていく。
それ以外に聞いてくれたのは、とにかく素直な新人。この二人だけ。ちなみにこの新人も伸びました。

しかし大半の部下はそのやり方では駄目だった・・・。
あるときそのうちの一人に聞きました。「俺の指導分かりにくいか?」
返ってきた答えに唖然としました。
「あなたは営業の才があるから出来たことかも知れないが、我々凡人に同じ事を要求されても出来るわけがない」。
・・・・。
営業の才がある?おいおい、俺も凡人だよ。どこ見てんだよ。
思わず叫びたくなりましたが、そこから変わりましたね。指導法が。
180度変えた。
題して「凡人が非凡人になる営業法」。
天才になれなくっていい。でもやるからにはせめて「非凡人」になろう。

そのためにはまず「失敗」を認める。凡人なんだから失敗は当たり前。自分自身の失敗談もどんどんオープンにする。そしてその失敗から学ぶ。失敗を成功に結びつける鍵にする。
そうすると、今まで私の指導法についていけてなかった連中にもやっと何かが伝わり始めました。
部下たちに対し、アクティブに動いた結果の失敗は絶対に責めない。その代わり失敗のもとになった「原因さがし」だけは徹底的にやりました。すると同じ失敗を繰り返さない方法が見えてくる。更に一人の体験を課内全員が共有する。今で言うと「トライ&エラー」・「ナレッジマネジメント」だったのかも知れません。

こうして非凡人組の我々(ひとり天才がいましたが)は徐々に常勝軍団に変わっていったのです。そしてこの体験こそが「自分で営業して受注する」以上の興奮を私に与え、後の針路を決める決定打になったのでした。

私、コンサルを目指す前は営業職で頑張ってましたから、今でも営業大好き人間です。
そう言えば私の営業の(心の)師匠が、先般「ザ・21」というPHPの月刊誌に出ていました。
この師匠と一緒に仕事した期間は短かったんですが、一番自分が厳しかったときにいただいた言葉が
その後の営業マン人生を変えたと言っても過言ではなく、今でも師匠と呼ばさせていただいています。

さて、その人生を変えた一言とは?

私は社会に出て半年間、まったく売れない営業マンでした。
そのとき勤務していた会社は乗りの良いバリバリの営業会社で、売れる人間にはとことん楽しく、売れない人間にはとことん居辛い社風。・・・私は完全に居場所を失い、とうとう7ヶ月目にもうじき閉鎖されると噂されていた営業所へ異動となりました。
別名「島流し」。「ああ、これであいつも終わりか・・・。」そう思われていた中声を掛けてくれたがその師匠です。
「お前、ひょっとして自分が営業に向いてないと思ってないか?」

確かに当時の私は「自分は営業に向いていない」と思い込んでいました。
だって、全然売れないんですから。同じエリアで同じ商品を売ってても同僚は売れて私は売れないんですから。
ところが師匠は言いました。
「営業に向き不向きなんかないで。あるとすれば自分が勝手に作った『壁』があるかないかだけや。」
・・・壁?何それ?ばかの壁?(もちろん当時はそんな本ない)

「壁は自分が勝手に作った『出来ないと思い込んでいる限界』のことや。」
なるほど。
「できないことなんかない。やり方が間違ってるだけや。お前が俺の真似をしても売れん。お前なりの得意技をつくれ。どういうやり方が自分に一番合うか早よ見つけてみい。ほんで何でもええから、ひとつだけでもナンバーワンになってみい。何でもええ。その代わりナンバーツーやスリーはあかん。どんなちっぽけなことでもええからナンバーワンになるんや。そしたらな、まず周りの見る目が変わる。周りが変わると壁は崩れ自分の世界観が劇的に変わるもんや。」
師匠も実はそのちょっと前に営業の成績が上がらず苦しんでいました。
でも見事に壁を打ち破って、そのとき既に社内のヒーロー的存在。
そんなヒーローが、課も違う新人のオチコボレにかけてくれたやさしい言葉。

私は島流しになってから、その師匠の言葉だけを励みに自分の得意技作りに没頭しました。
と言ってもやってることは一緒。ただ島流しにあったおかげで都心部でなく田舎回りになったんですね。これが良かった。
田舎はバッティングが少ない。私のような新人でも「わざわざこんな遠いところまで来てくれて・・・」とお客さんがとりあえずは会ってくださる。
そうすると意外な自分の得意技が見えてきました。


それまでの私は商品(求人広告)を売ろう売ろう、としていました。
とにかく客先の担当者に運良く会えた時には闇雲に「自社の商品の良さ」をPRし続けていました。
ここを逃したら又いつ担当者に会えるか分からない。競合先がいつ来るかわからない。
そんな危機感からいつも自分の言いたいことを一方的に訴え続けてきました。

ところで島流し先の担当エリア。ここは企業が少ない。
都心部時代に較べて訪問社数は大幅に減りました。
でもその分担当者は会ってくださるし、競合もめったに来ない。
折角遠くまで来たんだから私も少しゆっくり会話をしたい。
しないとわざわざ足を運んだのがもったいない。
逆に今度いつ来れるか分からないから、とにかくじっくりクライアントの話を聞くようになりました。

するとお客様の求人とか人事とかに対する考え方が見えてくる。
そこで私は帰社後その課題を1枚モノの企画書風にドキュメント化して担当者あてに御礼文と共に郵送する。(当時はe-mailはありません。)
そんな活動を続けているうちに、少しづつ受注が出来始めました。
私の得意技。お客の課題を1枚モノのドキュメントにまとめる。
それを御礼文と共に郵送する。
課題を見つけてコンパクトにまとめること、意外と得意なんだと気づきました。今までは客先の課題を聞き出すことすらできなかったんでやったこともなかったんですね。
都心部時代の「足で稼ぐ」営業スタイルから、「頭で稼ぐ」(というほどたいそうなモンではありませんが)営業スタイルへの変身です。
男は体育会系でないと、という周囲の雰囲気の中、多少異質ではありましたが私に合った営業スタイルが見えてきました。

さあ得意技できました。
次は何かでナンバーワンにならねば!!。
何が良いか?考えました。担当エリアが田舎ですから、金額ベースでは都心部担当にかなわない。受注件数でもかなわない。
田舎でも勝てる領域はないか?

・・・見つけました。田舎ならではの勝てる領域。
新規取引先開拓件数です。
田舎だから自社の商品を全然知らない企業もいる。
一回もお取引いただいたことがない企業も多い。

件数なら100万円でも1件だし、5万円でも1件。1件は1件。
私は広告スペース(イコール受注金額)にこだわらず、どんな少額スペースでもいいから「一度やってみませんか」と新規先を次々受注し始めました。
大きな金額の見込みの薄い受注案件より、少額でもすぐに受注できる案件に力を傾注しました。
グロスの金額は上がらない。でも「新規開拓件数」だけはぐんぐん伸びていく。
遂に1年目を終える最後の四半期で、新規獲得件数全社トップの座につくことができました。

売り上げ目標数字は単価の小ささが災いし、そのときも未達。
なのに周囲の目が変わりました。
「あいつは駄目営業マンかと思っていたが、新規受注能力だけは優れてる」と。
追い風も吹きました。2年目に入ったしょっぱな、新規顧客
開拓が全社挙げて取り組む戦略目標になりました。
そこで私は何と「新規開拓チーム」のリーダーに抜擢されたのです。
2年目に入ったばかりの出来損ないが、です。
そうです。師匠が言った通り、世界が変わったのです。

教訓。
「仕事に『向き、不向き』はない。
あるのは『出来ないと勝手に思い込んでる自分で作った壁』。」
「壁を打ち破る方法は『自分なりの得意形を作ること』と
『何でも良いから(トップになって)目立つこと』。」

壁は壁ですから、打ち破る方法のほうは口で言うほど簡単なことではないかも知れません。
でも「できない」と決め付けていたことが「できないことはない」という考えに変わるだけで人生観が180度違ってきます。

私はおかげさまで変わりました。
それからは営業でも何でも『自分の型』に持ち込みさえすれば楽しいモノになることが分かりました。
楽しくなれば成果も出る。成果が出ればより楽しくなる。まさに好循環が生まれてくるのです。

ところで後日談。
結局私の営業2年目でつかんだ抜擢のチャンスも一度は潰え、
社運をかけた新規プロジェクトに携わられた師匠もよく分からない理由で会社を追われ、残念ながらすんなりとハッピーな流れにはなりませんでした。

しかし、私が一度つかんだ「仕事に対する独自の成功感覚」はその後の苦難も乗り越える力を与え続けてくれ、4年目でリーダー(係長職)、6年目でマネージャー(課長職)と順調に昇進を重ね、師匠に少しは恩返しができた、そんな気がしています。

マネージャーになってからは、自分が以前駄目営業マンだったことも良い方に作用しました。売れない人間の苦しみが我がことのように理解できたから。駄目な部下にも適切なマネジメントが出来たように感じます。
全ては師匠の一言から、でした。

師匠とはその後も不思議な縁に恵まれその営業会社を辞めるとき、次のコンサル会社を辞めるとき,そして独立するとき、すべて「転職の時期」になると何故かいつも「声をかけていただく」ことに・・・。

本当に普段は全くと言っていいほど接触がないのに、です。
不思議です。でも本当にいつもありがたいです。
自分を必要としてくれる人がいる、という事の幸せ。
それも尊敬する人から頼られるありがたさ。
これに勝る仕事上の勲章を私は知りません。

私の人生で最も優先される価値観は「かっこよく生きること」です。

「かっこよく」とは非常に感覚的な表現ですが、何か判断する際にはそれが自分の価値基準に当てはめて「かっこいいかどうか」で決めることにしています。

私が思うかっこいい生き方の例、その1。

営業会社時代の後輩I君。
見かけはきゃしゃで小柄。黒ぶちメガネともじゃもじゃ髪の一見頼りなさげな感じですが、どっこいこれが典型的な薩摩男児。非常にアツイ男で、壷にはまったときに発するパワーがすごい。
この男、実は趣味が数学。数学が三度の飯より好きで、浴びるほど飲んで帰った夜中にも数学の専門書を読むほど。何でも数学だけなら昔から東大クラスの頭脳の持ち主だったそうで、この営業会社を辞めてから数学塾を開校。「数学の本当の素晴らしさを子供たちに伝えていきたい。」とのことで近所の子供数人から始めたところ、効果絶大。みるみるうちに受講生は増え続け、今では複数のFCも抱えるほどのグループ企業を作り上げました。
でも会うと今でも昔のまんま。数学の何たるかを語るアツさはいささかも衰えない。純粋そのもの。彼の才能と将来性を100%信用するやさしい奥さんと可愛いお子さん、さらに彼の才能を事業として開花させ支え続ける優秀なパートナーに囲まれ、日夜進歩続ける侍です。

自分の価値観・信念を貫く。でも周囲に対する心配りができ、多くのひとから信頼されている。社会的意義のある、好きなことで成功を収める。常に前向き。かっこいい。


かっこいい生き方の例、その2

経営コンサルタント会社時代の同期。

元・大手証券マン。
プライベートでは名うての軟派マン。浮名を流した女性は数知れず。でも不思議と誰からもうらまれない。天性の愛されキャラ。
もちろん仕事も遊び以上によくやる。証券マン時代は誰にも負けない営業成績を上げ、経営コンサル会社でも数々の実績を残しました。

その後私と一緒の時期に辞め、私は再開発コンサルの会社へ、彼は突然「公認会計士になる!!」と宣言して故郷の大阪へ帰っていきました。(ちなみ公認会計士試験は司法試験や不動産鑑定士試験と並ぶ超難関試験)
それから苦節8年半。昨秋朗報が!遂に合格!!!!
さらに多くの会計士補(会計士は2次試験合格後「会計士補」となりその後確か3年間の監査実務を経てやっと「会計士」になれる)にとって監査逆風市場で監査法人への就職が狭き門となる中、早々に地元監査法人への就職もゲット。

夢を夢のまま終わらせず遂に実現する意思の力。途中で親御さんを亡くされるなど苦しい時期も少なからずあったことと思いますが、いつ会っても常に明るく前向きな性格のままでいる姿勢が素晴らしかったですね~。
励ますために会うと、独立したての私を逆にいつも励ましてくれました。
今勤務先の監査法人でも大活躍の様子。いずれもっともっと大きな仕事をしていくことでしょう。

とにかく彼は私より年下ですが、意思の強さといい継続するパワーといい強固なまでのポジティブシンキングといい、実に見習う点が多い。
夢を必ず自分のものにする生き方は、傍で見ていて本当にかっこいいモンです。


かっこいい生き方の例 その3

再開発コンサル会社の大先生。

昭和20年生まれながら8月15日より後の誕生だったので、同級生でそれ以前生まれの人に向かって「同級生だからと言って一緒にすんなよ。そっちは戦前生まれ、俺は戦後生まれだからな」と言うのが口癖のお茶目な人でした。

医者の息子に生まれ自身も医者を目指すも医学部受験に失敗し、なぜか建築の道へ。準大手ゼネコン入社後一級建築士を取得。順風満帆かと思いきや、組織上のルールに従わない性格が災いし建築部から営業部へ左遷。しかしこれを機に持ち前の対人折衝能力に磨きをかけながら独自の道を模索、たまたま携わることとなった「再開発事業」を見事に成功に結びつけ、社内随一のスペシャリストとなる。
その後、再開発領域における特別な存在として社内外から重宝されつつも組織の論理に翻弄される人事に嫌気が差し、コンサルタントとして独立。
独立後も元・職場・取引先・顧客全てから引き続いての付き合いを要望され、次々と再開発案件を成功させる。(恐らく中四国地域で、個人が成功させた再開発件数はダントツのナンバーワンでしょう。)

本人曰く「受験と言い、就職と言い、社内人事と言い、思い通りに行ったためしがない。でもいつも結果は結果として肯定的に受け止め、それをプラスにするように気持ちを切り替えてきた。徹底したプラス思考でいけば、後は何とかなるもんだ」。
本人は余り言いませんでしたが、都度相当の葛藤があったことでしょう。又それを乗り越えて一流になるには更にすごい努力を要したであろうことは、容易に推測できます。でもそんな努力話は一切しない。いつも飄々としていました。一流の人は周囲にあまり「努力、努力」と言わない。見せない。結果で勝負。そこがとにかくかっこよかったですね。
コンサルとしてのみならず、人間としてかっこよく生きることの全てを学ばせて頂きました。

残念ながらご自身の大病後、それまでの「地位や現状にこだわらない性格」が少し変わってしまい、私との関係にも終止符が打たれ今日に至っています。
でもお付き合いのあった4年間は、それ以外のどの4年間よりも自分自身の血となり肉となっています。
いつの日か大先生と再会することがあれば、「お前も一人前になったな」と言われるようなそんな生き方をしていたい、といつも考えて行動しています。

昨日、営業会社時代に私が課長をしていたときの課のメンバー達と一緒に飲みました。


中の一人がこのたび「独立」。色々話を聞きましたが、なかなか面白い感じです。「インデペンデント・コントラクター 」と言うんだそうです。彼も優秀な営業マンでした。営業力があるから、あとは「他の人に無いオリジナリティ」が醸成できれば成功すると思います。


一方、飲食業で独立していた別の一人がこのたび店を閉めて勤務調理師になったそうです。まあ「GOOD TRY」(昨日のブログ参照)ですね。彼は誰からも愛されるキャラクターですから、困ったときにもちゃんと声がかかったようです。これはこれでいいんです。随処に主となれば、それでいい。


最後に残っていた一人がこのたび別の会社に転籍したので、元の営業会社とは皆縁が切れました。でも、個々の人間関係はこれからも大事にしたい。彼らがいたから今の「経営コンサルタント」としての自分がいるんです。いつまでも刺激し合いたい。元・上司&部下として、じゃなく「ビジネスパーソンとして切磋琢磨する仲間」として。

ゴルフをしないくせに、ゴルフ話しを延々続けていますが、これで最後に。


私がゴルフを(今のところ)好きになれない理由を考えました。

「相手がいない」というのがその一つかも知れません。

もちろん、同じパーティの人たちとの争いがあるのでしょうが、プレイ自体は結局己一人で大地と戦っているようなもの。野球やハンドボール、サッカー、テニスでは必ず相手がいます。対戦相手と球のやりとりをしながら勝負してます。これが合ってるんですね~、私には。ゲーム理論 が好きなのもそのせいかも知れません。相手との心理面まで含めたやりとりがいい。結局人間対人間、っていうのが好きなんです。

ゴルフ好きな方は、あの「大地と戦う」みたいなのが逆にいいんでしょうね。まだ私には「大地と戦う」的な壮大なロマンがよく分かっていないのでしょう。


そう言えば、ゴルフで面白い話を聞いたことがあります。

日本ではパットをはずしたとき、周囲の人が「惜しい」とよく言います。でもアメリカでは同様のとき「GOOD TRY!」と言うそうです。「いい試みだ」という意味ですね。もっと言うと「よくやった」「頑張ったじゃん」的ニュアンスです。チャレンジ精神旺盛なアメリカ人ぽくって、なかなかいい言葉だな~と。「惜しい」とか言われるより、何かいいでしょ?


ビジネスでも上手く行かなかったときの言葉は「GOOD TRY」でいい。「失敗」じゃなく、「次への糧」っていう意味で言えば、「GOOD TRY」なんですから。

次の年も又、管理職研修(に名を借りたゴルフコンペ)の時期がやってきました。


1年間一切ゴルフをしないままだった私が、突然上手くなる訳がありません。さすがに1回目と2回目の差がある程度のスコアの向上をもたらしましたが、やはり大叩き。大叩きして「悔しい」と思うかどうかは、本人の思い入れに拠ると思います。私は本来『負けず嫌い』なんですが、ことゴルフに関してはそれがない。要するに悔しくならない。・・・珍しいことです。


悔しい、というキモチは成長を促す「源泉」になります。他にも成長力源泉はありますが、結構この「悔しい」は人間の本質を突いている。私はこのとき「やはりゴルフは自分の中で価値観が低い」とはっきり悟りました。


結局私はその会社で3年間管理職を務めましたが、3年目は研修自体をずる休みしました。以降1度もゴルフのクラブセットを開けたことがありません。


つい先日、小泉内閣の外部補佐役も務めるある大学教授の講演を聴きました。

その方も「ゴルフ嫌い」で通し、60歳までゴルフをしたことがなかったそうです。でも2年前(現在62歳)に初めてゴルフに手を染め、今はゴルフ三昧だそうです。


私は学生時代にハンドボール。営業会社勤務時代は「サッカー」「野球」に燃え、今は「テニス」。要するに「動く球」を操るスポーツが好きなんですね。でもそのうちゴルフに目覚めるかも知れません。目覚めたときが怖い気もしています。


先日もあるクライアントから「ゴルフ」の誘いを受けました。そのクライアントともう少しキモチを通わせたい、と思っていたところだったので「どうしよ~かな~」と考えたんですが、10年前のあの「クロスカントリー的ゴルフ」を思い出すと「とてもプレイ中にキモチを通わすような会話をしている暇は無いわな」と思い直し、止めておきました。


ところであのとき役員からいただいたゴルフセットは、一体どこに行ったんだろう?ついぞ見てないな~?

私は「自分がゴルフをするのが好きじゃない」だけで、ゴルフ自体を否定してはいません。

私の父は昔から大のゴルフ好きでした(ただし「下手の横好き)し、私自身プロゴルフの試合をTVで見るのは好きです。ただ「他のスポーツの方がもっと好き」で、「体が動く間はそれがいかせるスポーツを」と考え、更には「日本のゴルフプレイ費が高すぎること」などが理由で、疎遠だったわけです。


だからこのときも、「自分抜きで他の管理職がゴルフをする、というのも別に構わなかった」んですが、ある日某役員が「道具が無い、というのなら俺のクラブセットを一式やるから、どうしてもゴルフに参加しろ」と迫ってきました。そこまでされて断る理由もなくなり、とうとうコースデビューする羽目となってしまいました。蛇足ながら、「他の社員が仕事をしている平日に、研修と称してゴルフ」という行動に、管理職一同何となく罪悪感もあったんでしょうね。だからまあ私も共犯者にして、口封じを図ったようなモンだったような気もします。でも、私は別に平日にゴルフしても構わない、と思ってたんですが。こそこそするほうが良くない。


それはさておき、やるからには少しくらいは練習しておかないと、と考え出発前に一度は打ちっ放しに行きました。

でもこれが・・・一向に面白くないんですね~。空振りやチョロでは当然ですが、たまにナイスショットしても別に快感にならない。あ~こんなもんか。そんな感じ。どうも自分の価値観に合わない。早々に切り上げてしまいました。


そして当日。前の晩の研修(これは本当にやった)の後しこたま飲んだ私は、超二日酔い。ただでさえわずかな練習をしただけの「ど素人」が、そんな体調でうまく行くはずが無い。結局大叩き。更には、同じパーティの先輩方に迷惑をかけないようにとにかく「走った、走った」・・・・。私の場合、優雅なはずの娯楽ゴルフもクロスカントリー並みのハードさでした。

こういう経験のあと、ヒトは二手に分かれるんだと思います。悔しくてゴルフにのめり込む人とそうでない人と。


私の場合、これがきっかけで又一段とゴルフとは縁遠くなりました。


(つづく)