私、コンサルを目指す前は営業職で頑張ってましたから、今でも営業大好き人間です。
そう言えば私の営業の(心の)師匠が、先般「ザ・21」というPHPの月刊誌に出ていました。
この師匠と一緒に仕事した期間は短かったんですが、一番自分が厳しかったときにいただいた言葉が
その後の営業マン人生を変えたと言っても過言ではなく、今でも師匠と呼ばさせていただいています。
さて、その人生を変えた一言とは?
私は社会に出て半年間、まったく売れない営業マンでした。
そのとき勤務していた会社は乗りの良いバリバリの営業会社で、売れる人間にはとことん楽しく、売れない人間にはとことん居辛い社風。・・・私は完全に居場所を失い、とうとう7ヶ月目にもうじき閉鎖されると噂されていた営業所へ異動となりました。
別名「島流し」。「ああ、これであいつも終わりか・・・。」そう思われていた中声を掛けてくれたがその師匠です。
「お前、ひょっとして自分が営業に向いてないと思ってないか?」
確かに当時の私は「自分は営業に向いていない」と思い込んでいました。
だって、全然売れないんですから。同じエリアで同じ商品を売ってても同僚は売れて私は売れないんですから。
ところが師匠は言いました。
「営業に向き不向きなんかないで。あるとすれば自分が勝手に作った『壁』があるかないかだけや。」
・・・壁?何それ?ばかの壁?(もちろん当時はそんな本ない)
「壁は自分が勝手に作った『出来ないと思い込んでいる限界』のことや。」
なるほど。
「できないことなんかない。やり方が間違ってるだけや。お前が俺の真似をしても売れん。お前なりの得意技をつくれ。どういうやり方が自分に一番合うか早よ見つけてみい。ほんで何でもええから、ひとつだけでもナンバーワンになってみい。何でもええ。その代わりナンバーツーやスリーはあかん。どんなちっぽけなことでもええからナンバーワンになるんや。そしたらな、まず周りの見る目が変わる。周りが変わると壁は崩れ自分の世界観が劇的に変わるもんや。」
師匠も実はそのちょっと前に営業の成績が上がらず苦しんでいました。
でも見事に壁を打ち破って、そのとき既に社内のヒーロー的存在。
そんなヒーローが、課も違う新人のオチコボレにかけてくれたやさしい言葉。
私は島流しになってから、その師匠の言葉だけを励みに自分の得意技作りに没頭しました。
と言ってもやってることは一緒。ただ島流しにあったおかげで都心部でなく田舎回りになったんですね。これが良かった。
田舎はバッティングが少ない。私のような新人でも「わざわざこんな遠いところまで来てくれて・・・」とお客さんがとりあえずは会ってくださる。
そうすると意外な自分の得意技が見えてきました。
それまでの私は商品(求人広告)を売ろう売ろう、としていました。
とにかく客先の担当者に運良く会えた時には闇雲に「自社の商品の良さ」をPRし続けていました。
ここを逃したら又いつ担当者に会えるか分からない。競合先がいつ来るかわからない。
そんな危機感からいつも自分の言いたいことを一方的に訴え続けてきました。
ところで島流し先の担当エリア。ここは企業が少ない。
都心部時代に較べて訪問社数は大幅に減りました。
でもその分担当者は会ってくださるし、競合もめったに来ない。
折角遠くまで来たんだから私も少しゆっくり会話をしたい。
しないとわざわざ足を運んだのがもったいない。
逆に今度いつ来れるか分からないから、とにかくじっくりクライアントの話を聞くようになりました。
するとお客様の求人とか人事とかに対する考え方が見えてくる。
そこで私は帰社後その課題を1枚モノの企画書風にドキュメント化して担当者あてに御礼文と共に郵送する。(当時はe-mailはありません。)
そんな活動を続けているうちに、少しづつ受注が出来始めました。
私の得意技。お客の課題を1枚モノのドキュメントにまとめる。
それを御礼文と共に郵送する。
課題を見つけてコンパクトにまとめること、意外と得意なんだと気づきました。今までは客先の課題を聞き出すことすらできなかったんでやったこともなかったんですね。
都心部時代の「足で稼ぐ」営業スタイルから、「頭で稼ぐ」(というほどたいそうなモンではありませんが)営業スタイルへの変身です。
男は体育会系でないと、という周囲の雰囲気の中、多少異質ではありましたが私に合った営業スタイルが見えてきました。
さあ得意技できました。
次は何かでナンバーワンにならねば!!。
何が良いか?考えました。担当エリアが田舎ですから、金額ベースでは都心部担当にかなわない。受注件数でもかなわない。
田舎でも勝てる領域はないか?
・・・見つけました。田舎ならではの勝てる領域。
新規取引先開拓件数です。
田舎だから自社の商品を全然知らない企業もいる。
一回もお取引いただいたことがない企業も多い。
件数なら100万円でも1件だし、5万円でも1件。1件は1件。
私は広告スペース(イコール受注金額)にこだわらず、どんな少額スペースでもいいから「一度やってみませんか」と新規先を次々受注し始めました。
大きな金額の見込みの薄い受注案件より、少額でもすぐに受注できる案件に力を傾注しました。
グロスの金額は上がらない。でも「新規開拓件数」だけはぐんぐん伸びていく。
遂に1年目を終える最後の四半期で、新規獲得件数全社トップの座につくことができました。
売り上げ目標数字は単価の小ささが災いし、そのときも未達。
なのに周囲の目が変わりました。
「あいつは駄目営業マンかと思っていたが、新規受注能力だけは優れてる」と。
追い風も吹きました。2年目に入ったしょっぱな、新規顧客
開拓が全社挙げて取り組む戦略目標になりました。
そこで私は何と「新規開拓チーム」のリーダーに抜擢されたのです。
2年目に入ったばかりの出来損ないが、です。
そうです。師匠が言った通り、世界が変わったのです。
教訓。
「仕事に『向き、不向き』はない。
あるのは『出来ないと勝手に思い込んでる自分で作った壁』。」
「壁を打ち破る方法は『自分なりの得意形を作ること』と
『何でも良いから(トップになって)目立つこと』。」
壁は壁ですから、打ち破る方法のほうは口で言うほど簡単なことではないかも知れません。
でも「できない」と決め付けていたことが「できないことはない」という考えに変わるだけで人生観が180度違ってきます。
私はおかげさまで変わりました。
それからは営業でも何でも『自分の型』に持ち込みさえすれば楽しいモノになることが分かりました。
楽しくなれば成果も出る。成果が出ればより楽しくなる。まさに好循環が生まれてくるのです。
ところで後日談。
結局私の営業2年目でつかんだ抜擢のチャンスも一度は潰え、
社運をかけた新規プロジェクトに携わられた師匠もよく分からない理由で会社を追われ、残念ながらすんなりとハッピーな流れにはなりませんでした。
しかし、私が一度つかんだ「仕事に対する独自の成功感覚」はその後の苦難も乗り越える力を与え続けてくれ、4年目でリーダー(係長職)、6年目でマネージャー(課長職)と順調に昇進を重ね、師匠に少しは恩返しができた、そんな気がしています。
マネージャーになってからは、自分が以前駄目営業マンだったことも良い方に作用しました。売れない人間の苦しみが我がことのように理解できたから。駄目な部下にも適切なマネジメントが出来たように感じます。
全ては師匠の一言から、でした。
師匠とはその後も不思議な縁に恵まれその営業会社を辞めるとき、次のコンサル会社を辞めるとき,そして独立するとき、すべて「転職の時期」になると何故かいつも「声をかけていただく」ことに・・・。
本当に普段は全くと言っていいほど接触がないのに、です。
不思議です。でも本当にいつもありがたいです。
自分を必要としてくれる人がいる、という事の幸せ。
それも尊敬する人から頼られるありがたさ。
これに勝る仕事上の勲章を私は知りません。