アツキココロ -12ページ目

アツキココロ

広島県在住の経営コンサルタント・児玉学の熱血ブログ。

マーケット(18歳人口)が縮小して、競合(新設校)が増えた。当然過当競争になる訳です。

そこで「新市場開拓」と「差別化」。これ無しでは生き残れません。IT活用に拠る「コストリーダーシップ」という戦略もあるかも知れませんが、「教育」という広い観点ではなく「実物大学・短大運営」という制約で見ると、少しはずして考えた方がよいでしょう。


「新市場開拓」。これは「社会人」や「外国人(留学生)」という新たな学生市場を切り開きつつあります。

一方の「差別化」。これが今まだよく見えない。相変わらず横並び。万人向け。


NHKが厳しい状況に陥っていますが、自社内の不祥事とそれに連なる視聴料不払いだけが原因ではないと思われます。万人受けしようとする「番組作りの民放物真似手法」がいけません。「万人に喜ばれようとすると、万人に飽きられる」のです。


NHKを大学に例えるなら有名国立大ですかね?市場規模が違うので何とも言えませんが、要するにNHKでも「差別化」が必要だと。いやNHKだからこそ、というべきでしょうか。


まずは生き残り間違いない、と言われている有名国立大が、「差別化」を図って動くとどうなるか?。それ以外の大学・短大は、並みの差別化では追いつかない。そう考えるのが普通です。


(つづく)

女子大や短大の話しをもう少しだけ続けます。


批判承知で私見を申し上げますと

「銀座の高級クラブでのホステス体験」とか「政治家の秘書体験」なんかをカリキュラムの中に入れた学校が出てもいい。そう思います。


ホステスさんは良い勉強になります。いや、いやらしい意味じゃなくて。人を楽しませる、会話を盛り上げる、訊く、話す、全て実ビジネスに役立ちます。中途半端じゃ駄目。で、銀座の高級クラブ、です。

ただ少子化だからとか女子専属は人気薄だとか言わず、「女性としての特性を伸ばす」という観点があれば、女子大でいいんだと思います。ようは「特徴づけ」が大事。差別化こそが生き残りのポイントですから。


座学中心の代わり映えのしない授業では、魅力がない。ホステス大学、ってくらいのはじけた方が必要です。ちなみに外国では真剣にそういう学校もあるそうです。


政治にも是非近づいて欲しい。女性が政治を変えるんです。

だから「政治家学校」でもいいんですが、なんか「松下政経塾」みたいな固~いイメージなんで。固いのは女性に嫌われます。女子大らしく「柔らかイメージ」で。で「秘書から眺める政治」ってことで。真剣に中に飛び込めば、女性らしい「新しい政治感」が身に付くと思いません?今ブームの刺客のような操り人形的じゃなくホンモノの。(刺客もいずれ自我を出してくるとは思いますが。)


(つづく)

日本は人口減少化時代到来です。政府は2006年をピークに日本の人口は減る、としていましたが、今年既に昨年より人口が減っていることが判明しました。


これは「いつから」という予測が若干ずれただけで、かなり以前からの「確たる事実」でありました。にもかかわらず、なぜか数年前から全国各地で大学が乱立されました。


広島にも多くの大学がありますが、既に破綻したところ があります。これからも「高卒新入学者」のみに頼っていれば確実に先細りです。そこで各大学は「社会人大学院」の設置等、学生の対象を広げてコレをカバーする戦術に出ました。


その少し前には「短大の4年制大学化」「女子大の共学化」現象が一気に起こりました。が、これはどうでしょう?本当に国公立大学や老舗の総合私立大学と同じ土俵で勝負して勝てるのでしょうか?


・・・私なら「差別化」のためにあえて別の道を選びます。

中小零細が、その特徴を捨てて大手と同じ土俵に乗っては勝負になりません。

短大なら短大なりの特徴(例えば「早期に社会に出て働ける技術を身に付ける専門学校化」など)、女子大なら女子大ならではの特徴(女性として男性より適格性が高いと思われる「保育」「看護」「介護・福祉」分野の専門課程に加え、結婚・出産後も働き易い「デザイナー」「プランナー」「クリエイター」「エディター」等の特殊技能習得過程など)で勝負すべきでしょう。

そのために、規模の縮小は避けて通れないかも知れません。しかし、「規模の維持」を前提に総合化する、というのは誤りです。一般民間企業なら、「市場の変化に合わせて、規模は柔軟に変える」というのはごく当たり前の話です。


(つづく)

昨日のITコーディネータ勉強会での議論。


ITコーディネータ協会 が「全国各地域のITC(ITコーディネータの略称)組織が行う『業務開発』や『IT経営応援隊 立ち上げ計画』について、支援要請があれば出して欲しい」というアナウンスをしてきました。そこで参加者から案を募ったところ、あるITCから「どうやったらこの資格で食えるようになるのか、食えるようになる案を出して欲しい。決して楽ではない勉強と決して安くはないお金を投下してきたのだから。」といった主旨の発言がありました。


その前段で、「中小企業のIT化支援に関する経済産業省の補助金が縮小になる」といった話もあり、先行きに不安を感じたのでしょう。


しかし、明らかに考え方が間違っています。ITC協会にそんなことを訊いたって答えなんか無い。ましてや経済産業省に言ったところで、始まらない。確かにITCは「e-Japan構想 」という国家戦略に基づいて制定された資格制度ですが、その制度で新たな既得権が生じるわけでも資格取得者の生活が保証されるわけでもありません。「中小企業」という顧客の「効果的な情報化(IT化)を促進する」というニーズ&ウォンツを満たすのが目的であり、その手段がITC制度なわけです。


ITCという資格を取っても「食えない」ということになったら、ITCの成り手が無くなりやがて制度が崩壊するのでは、と件のITCは言います。でもITC制度はあくまで「手段」ですから。手段のほうが立ち行かなくなったら、変えればいいだけです。目的が達せられればそれでいいんですから。「手段」を「目的化」してはいけません。(皮肉ですが、お役所がよくそういう間違いを起こします。だから今回の経済産業省の方向性は基本的に正しいんです。)


ITCをとられた方々の中には、確かにITC協会・その他の甘言に「騙された」的な感想を持つ人もいるでしょう。でも取得したのもそれを維持するのも止めるのも、全て個人の自由判断です。もっと言えば「せっかくとったITCという資格を制度ごと含めて大きくしてやろう」という考えで行動を起こすのも自由なわけです。(我々はそれ。)

制度に守られたい、公的な資金を活用したい、というのは資格の本旨を間違ってとらえています。資格(ライセンス)は、「目的」を達成するための「手段」に過ぎないのです。


そりゃあ、私だってITC協会に対しては不満もたくさんありますよ。何でもかんでも「お金」とりますから。しかも独占業務で。そういう「囲い込みの発想」は断じて気に入らない。でも、資格で守られたい、とは思いません。この資格を生かすも殺すも、我々ITC自身の今後の活躍次第、そう思っています。(そういう意図でITC広島 は活動しています。)


「資格を取ったから食える」なんて甘い!資格をとったら、完了じゃない。資格をとったら、そこからが始まりなんだ。

そう、件のITCに言ったら嫌あ~な顔してましたけど。(笑)

ITコーディネータの勉強会 がありました。


ITコーディネータは国家資格でもないくせに、やたらと更新条件が厳しい。毎年毎年クリアすべきポイントが決められており、これが満たされないとITコーディネータ補に格下げされます。さらに補でもポイントが足りないとやがて資格自体取り消されます。

理由は「IT技術は日進月歩で変化するので、その推進者であるITコーディネータも常に勉強と実務に勤しむべし」ということだそうです。
それで今日のように逐次勉強会を開催して、ポイントを取得しています。

正直言って毎年毎年フーフーいいながら維持してます。我々のような独立コンサルタントは実務ポイントは大丈夫ですが、知識ポイントの維持が大変!!1回2回の勉強会参加ではポイント全然足りませんし、更新が大変で維持をあきらめる人も多いとか。

一方医者や弁護士(司法試験)のような資格には更新のポイント制度はありません。取得の壁は非常に分厚いですが、一度とってしまえば半永久的に維持できます。
しかし考えてみれば医療技術も日進月歩ですし、法律の世界も常に改正や判例の追加があるわけでやはり日進月歩であるといえます。
考え方はITコーディネータと同様でありますから、これらの資格にもやがて「更新維持」の条件が付されることになろうかと思います。

大変なのはあくまで資格取得者にとって、であってユーザにとってはこのような更新が年々なされていると安心ですよね。
理念としては絶対的に正しい。
だから文句言いながらも毎年更新・維持しているわけでして・・・。

どうせやらなければならないことなら、「日に新たなり」の実践、と前向きにとらえていくべきですね。
とどまる水は腐る、です。現状維持イコール衰退、です。

ある人が経営者に「御社のビジネスモデルは何でしょうか?」という質問を投げかけました。

その経営者は「世に存在感を認められる企業であり続けること」という答えをしました。


この会話、何かかみ合っていないですよね?

ではどちらに問題があるのか。

ちゃんと「ビジネスモデル」について答えていない経営者でしょうか?


そもそもビジネスモデル、って一体何でしょう?学術的には「コアコンピタンスである」とか「他社の真似できない事業の仕組みである」とか言いますが、通常経営者は「これがビジネスモデルだ」と明確に意識して日々を過ごしている訳ではありません。もしくは複数のコンピタンス(良点・強み)が絡み合うことで、全体で見た場合の「ビジネスモデル」になっている場合は、ひと言で答えようがないですね。


問題はふたつあります。


ひとつは「質問の仕方」。

「ビジネスモデルは何ですか?」という問いかけは余りに包括的で、結局答えも包括的・抽象的にならざるを得ません。良い質問は良い答えを導き出す、といいます。会話の名手は必ず「良い質問」をしています。逆に「甘い質問」は「甘い答え」しか引き出せません。


もうひとつは「大事なことは表に出にくい」ということ。

ビジネスモデルを探る、というのはあくまでアナリストや学者の考え方。他者が評価する類のものです。経営する側は「コアコンピタンス(絶対的な強み)を確立させたい」とは考えますが、それは「顧客に認めていただく価値の最大化」であったり「競争優位性の確立」であったり「儲かるための仕組みづくり」であったりし、決して「ビジネスモデルの確立」という教科書的な概念から発想はしません。そしてそれは企業や経営者にとって非常に大事なことで、よほどのことが無い限り「他者には言わない」ことだと考えるべきでしょう。


本当に大事なことは表には出てこない。

これはひとつの「真理」です。

質問を受けた方が「意図的に隠す」場合もありますが、そういう場合だけでもありません。当事者自身が「無意識に隠す」場合もあります。もっと言うと、当事者自身が「気付いていない」場合もあります。本当に大事なことは実は「見えにくいもの」なのです。


なぜでしょう?


「本当に大事なこと」とは言い換えると「物事の本質」です。「本質」とは「『事実』の中にある『真実』」です。表に出てくるのは『現実』です。「現実」は、必ずしも「理想どおり」には行きません。「真実」は『願望』や『夢』『理想像』を含みます。未実現の未来を含むものですから、表に出難いのです。代わりに「現実」が出ます。

それを客観的に見たものが「事実」です。


・・・非常に分かりにくい表現ですね。

簡単に言うと「事実の中に『真実』は潜む」ということです。

「現実」(当事者の主観論)ではなく、「事実」(客観論)をよくよく見ること。そうするとそのすぐ『横』や『裏側』に「真実」があります。

我々コンサルタントの最も重要な資質は、この「真実を見抜くチカラ」です。表に出難い「真実=問題の本質」を見抜くことができれば課題解決ができ、これが出来ないと課題はいつもでも解決できません。


最初の問答、いかがでしょうか?

経営者が言った言葉は「事実」ではありません。彼にとっての「現実」なのです。事実をしっかりつかんだ上で、最も適切な質問を投げかけなければ「真実」は見えてこないのです。

再開発コンサル会社勤務時代に手がけた某県の再開発事業で、保留床(再開発によって生み出される新たな不動産資産。この売却益が再開発の原資となる。)を取得したある企業のオーナー会長の言葉です。

保留床取得で行ったのは新規事業でしたが、本業は農機具のメーカー。会長が一代で築き上げた隠れた優良会社です。この会長さん、とにかく物事の詰めが深い。ご自身がそもそも発明家で農機具に関する多くの特許を持っていましたが、その発明の数々や事業に関するあらゆる判断が全て「とことんまで」突き詰めて深堀をする。もちろん、保守的なわけではない。ですから新規事業や未知の技術にも積極的で、スピード感もある。でも、とにかく浅い・やっつけ仕事が大嫌い。

長年会長に仕えてきたその会社の専務さんがこう言いました。「まず一通り仕事をしますね。我々も成功するよう精一杯頑張る。で、どうにか格好がついたな、というところまできたら会長に報告に行くわけです。我々の中ではその段階で8割がた仕事は終わってる。ところが会長は『うん、よっしゃここからが本当の仕事や』って指示し始めるンですね。我々のやってきたことほとんど一からやり直しですわ。でも最初から会長に相談に行ったら『自分でまずは考え~』です。ほんま最初は嫌がらせかとうらみました。」
更に「それでも上手く行く仕事ならまだいい。上手く行かない仕事もたくさんありますよね。一生懸命進めた仕事が難儀なことになったら、会長がにや~と笑って言うんですわ。『おお、ここからが仕事や。ホンマの仕事が始まるわ。』って・・・。」
とにかく仕事が大詰めを迎えたとき。あるいは困難に直面したとき。必ず発する言葉が「ここからが本当の仕事や!」そして、その超人的な発想や時間概念を超越した指示に、周りは思いっきり鍛えられたそうです。

それから再開発事業の進行中何か困難が生じてくると、誰言うことも無く「ここからが仕事や!」のかけ声が聞こえてきたものです。
確か私がお会いしたとき既に御年80歳を越えておられましたが、歳を感じさせないパワーがみなぎっていましたね。あの方がおられたから再開発のような困難な事業も成功したのではないでしょうか?

昨晩遅くまで打ち合わせた私のクライアント先。今、結構厳しい話が次から次に降りかかっています。でも苦難が来ればくるほど「ここからが仕事や!」と前向きに取り組もう!そう話してきました。

今は亡きその会長のにや、っとした顔を思い出しつつ私も自身にハッパをかけています。

某クライアントの新入社員(正確には来春入社予定の学生アルバイト)研修を、ちょっと行いました。


といっても基本マナー研修なので、その道のプロに依頼。私の後輩。いい娘。


そのクライアントのお仕事は、まずお客様からの電話で始まる。そのときの対応次第で、次に進めるかどうかが決まる。大事なポイント。お客様にとって、その電話をとっている人が「新人」か「ベテラン」かなんて関係ない。ファーストコンタクトのイメージが、そのままその会社のイメージになる。だから絶対にプロとしての対応が求められます。


ところがこの新入社員(候補)。まともな電話かけたことが無い。敬語の使い方もあやふや。

・・・いくら中小企業でも、これは電話に出しちゃ駄目。トライ&エラーは認めますが、会社に与える損失が大きすぎる。クライアント先の社長は、来春正式入社後に集合研修で教えようと考えていたようですが、それでは遅すぎる。で、急遽研修した訳です。


まあわずか2時間少々でしたからどこまでいけたか分かりませんが、少なくとも「基本は何か」「何が正しいのか」が理解されないと、次がありません。

4年制大学卒らしいですが、「基本マナー」覚える機会が今まで全く無かったそうです。接客応対のあるアルバイトでもやっていたら良かったんですが。私もそれで覚えましたから。


社会人としての基本を、社会に出て給料もらいながら覚えるんじゃ何か経営資源のムダ使いのような気がしてなりません。


そう言えばその講師をしてくれた後輩が言ってました。彼女の妹さんが今春社会人1年生になったらしいんですが、就職先は大手企業。この企業では丸1年間、新卒研修なんだそうです。


「中小企業が日本の活力の源」だと主張する経済産業省・中小企業庁さん。何か少し施策考えて欲しいな~。就職難が緩和されたら、又中小はヒトで苦労しますね。間違いなく。

就職前の学生には、基本マナーが学べるところでアルバイトすることを義務付けてはいかがでしょうか?。経営資源に限りのある中小企業のために。

浜田省吾のコンサート に行ってきました。


まともなコンサートに行くのは恐らく10数年ぶり。

独身時代は矢沢やサザンなどちょこちょこ行ってたんですが、結婚してからはすっかりご無沙汰でした。だから、妻と行くのも恐らく(?)初めて。彼女も子育てがやっと落ち着いてきた段階なので、そろそろと言うことで。彼女も私も好きな歌手と言うことで。奥さん孝行兼ねて。


会場に行ったら、同じようなカップル多かったですね。それ以外にも親子連れとか、「えっ?こんな年の人も・・・(失礼)」的なナイスミドルも。うん、でもいい感じ。素直にそう思いました。


で、本番。

いや~熱かったですね~!浜省。

唄う、踊る、シャウトする、走り回る・・・。今年52歳だそうです。

休憩挟んでみっちり3時間以上。全編全力疾走。やるわ。ホント。ちなみに浜省、広島出身です。歌詞のあちこちに広島入れて。よりチカラ入れてくれてたかも知れません。(ただ前日入った広島のスキ焼屋さんで出会った10代のファンが「広島出身とは知らなかった」という事実に結構ショックを受けてましたが。)


新しい歌に交じって懐かしい唄も。「ラストショー」 。私の高校時代に思いっきりプレイバックする曲。ほぼ歌詞通りの甘くほろ苦い経験したな~。盗み出したのは「君の親父のクルマ」じゃなく「マブダチの親父のクルマ」だったけど。

アンコールで演奏ってくれた「星の指輪」 。妻を思いやる唄。思えばかなりドラマを地で行くようなストーリーで一緒になったわが妻ですが、今本当に幸せにしてやってるかな~?なんて、ちょっとしみじみ思ったりもして。


私と高校時代一緒にバンド組んでた友人で今実際に芸能界で頑張ってる奴(トランペッター)もいまして、今更「俺はオーディエンス」ってのもどうかな、なんて思いも若干ありました。が。いや~やっぱりいいものはいい。本物はいい。プロは違う。私はいちファンになりきって、大いに楽しみました。


ステージは違えど、私もこんなプロに、こんな50代になれるよう精進しなけりゃって改めて思わせてくれた、充実の3時間。アツキココロ、もらいました。

私の叔父が叙勲したと連絡がありました。


叙勲自体は私の価値観的にはまあどうでもいいんです(官が民を評価するというのがどうも気に入りませんし、何等何等と位分けがあるのもいやらしい。ノーベル賞のように民間ベースで、受賞かそうで無いかのはっきりしたものならいいと思います。)が、この叔父は元・某大学の教授で、寺の坊さんを兼務しながら長年教育の場に立ってきました。その功績が叙勲につながったようです。


実際に大学の講義は聴いたことがないのですが、数年前にあった遠縁の法事で話した講話が実に分かり易く面白いものでしたので、大学でも同様に学生に分かり易く教えているんだろうなと感じました。寺の坊さんも兼ねていますから、講話をする機会も多い。それも近所では評判だったようで、硬軟織り交ぜながら様々な話を分かり易く興味深く話すそうです。(知り合いからの情報。)


昨日のブログに書いた某名誉教授は話が本当に分かりにくかったですが、この違いは何か考えてみました。


まずは「『ひとりよがり』かそうでないか」。ひとりよがりは頂けません。自分の話したいことばかり自分のペースで話されたら、そりゃあ聴いてる方は苦痛ですよ。相手を思いやる気持ちは、会話にも講話にも絶対必要です。

次に、話を聞く相手の状況やレベルに合わせた話し方をする。大人に子供相手のような話しをしても白けますし、子供に大人相手のような話しをしても理解できません。レベル、というのは先ほどの叙勲のように「ランク付けをする」ということではなく、そのバックボーンを含めた人となりの位置づけ、です。これを見抜く力は大切です。

最後にやさしい表現。小難しい話しを好む人もごく稀にいますが、内容の難易度と話し方の難しさは必ずしも一致しません。むしろ、内容が高度であればあるほど「やさしい」「分かり易い」言葉や表現が必要とされます。相手に理解してもらってこその「話し」なんですから。


私が最近「素晴らしいな」と感じた話しの名手に、マーケティング専攻の某大学の先生がいます。この方のポリシーは「要するに」と「例えば」を多用しよう、です。「要するに」は簡略化したり、概念化したりするときに最適。「例えば」は具体的にイメージし易い例を挙げるときに最適。このふたつが入った話しは、非常に分かり易い。シンプルですが、実に的を得ています。心がけたいもんです。