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アツキココロ

広島県在住の経営コンサルタント・児玉学の熱血ブログ。

広島県中小企業団体中央会の創立50周年記念式典に行ってきました。


私はこの団体のメンバーではないのですが、どうしても聴きたい講演があったので無理にお願いしての一般参加です。

講演者は山口義行・立教大学教授 。私は、氏が昨年出版した「経済再生は『現場』から始まる」 という著書を読んで感激し、その後メールのやり取り等もさせていただいた結果「私と意を同じくする(すみません。著名人を勝手に同格に置いて。その意の内容は又後日にでも書きます。)、ホンモノの経営学者だ」と信じるに至った方です。その後氏の主宰する「政策工房J-WAY 」にもお誘いをいただいているんですが、なかなか日程が合わず今だ直接お会いできていないのが心残りだったんです。その方が広島に来られる!!私は即申し込み、勇んで参加したわけです。


いや~良かったですね。ホント。氏はNHKなどメディアにもちょくちょく出演していますが、実に話しがうまい。1時間半の講演だったんですが、あっという間でした。立教大学でも、彼の講義はいつも立ち見が出る盛況ぶりだそうです。彼の講義はまさしく「偉大な教師は心に火をつける。」 を地で行く。アツキココロになるんです。


当日のお話しの内容を少し。


(1)病院の再生に最も効果的な施策は何か?それは最先端の医療技術の導入でもキレイな施設の整備でもなく、「栄養学」への真正面からの取り組みである。NST(栄養サポートチーム)による病院全体の栄養管理への取り組みで、潰れかけた総合病院が劇的に変わった事例がある。この事例は単に「病院の今後のあり方」に示唆を与えるのみならず、「経済・経営再生全般」にも当てはまる。すなわち、一見遠回りに見えるが「地道な『適切な栄養摂取』に組織全体で取り組むこと=痛みと正面から向き合い、手間隙を惜しまない行動」こそが、再生の一番の近道である、ということである。


(2)警察用語に次のようなものがある。「日頃悲観論。いざとなったら楽観論。」一般的にはその逆の姿勢が多いが、経営者はかくあるべきである。


(3)「体脂肪」という言葉を創ったタニタという体重測定器メーカの社長の言葉。「体重計は『体重を測る機械』ではない、という事に気付いた。では何かというと『健康を測る機械』なんだと。その発想から医者等を巻き込み、結果従来の3倍もの付加価値が付いた『体脂肪計』ができた」。


(4)顧客の意識を変える。「ニーズのあるところに売る」のではなく「ニーズのないところに売る」という発想でないと、付加価値は生み出せない。顧客の「気付かない」価値に光を当てる。それは「共育(共に教えあい、共に学びあう;吉田松陰の考えと一緒だ~)こと」「共有(新しい価値観の一致を図る)」「共感(感動を共にする)」の3つが合ってできる。そして、これは正に中小企業に親和性の高いやり方なのだ。


・・・などなど。いいでしょ?それこそ私と氏は価値観が一致できてる。そう思います。

そして氏の何より素晴らしいのは「現場第一主義」。彼の研究の基本姿勢は「現場に解あり」。どんなに忙しい中でも、彼は常に現場を押えます。ドラッカーさんにも通じる。


日本にもホンモノの経営学者、いました、いました。


「独立するために、特に必要なものは何ですか?」
と聞かれることがあります。
資本・経験・知識・技術・人脈・顧客・・・・
様々な物の中から何を優先するのか・・・、
ということがお聞きになられたいのでしょうが。
残念ながらそのどれでもありません。

独立のために必要な唯一絶対欠かせないもの。
それは「勇気」。

独立を考えたときに、家庭を持っていたり
ローンを抱えていたりすると
どうしても躊躇します。
でも会社にしがみついていてもどうなるか分からない時代です。
しがみついた会社が倒産したら、自分のせいではない
とは言えるかもしれません。 でも結果は一緒ですね。

もちろん、私はサラリーマンを否定するものではありません。
私も事業家としては優秀な社員(サラリーマン)に勤めてもらいたい
方ですから、全員が全員独立してもらっては困ります。
又、ナンバー2ナンバー3が適役の人、縁の下の力持ちが適任の人
います。そんな色々なタイプの人が集まることで総合力が発揮される
組織の醍醐味もよく知っているつもりです。

でも独立志向のある方には、「勇気」。これだけです。

バンジージャンプってご存知ですか?
あの高いところから紐一つくくりつけて飛ぶやつ。
私、某遊園地で経験しました。遊園地ですから安全策ばっちり。
でも飛ぶにはやはり勇気いるんですね。
飛ぶ前は相当怖い。上の飛び降りる台のところから下見たら、
下で見てたときの感覚が全く間違っていたことに気づきます。
大の男でも上に立ったらどうしても飛べないで、結局階段で降りてくる事
もよくあるそうです。

でもそこまで行ったら飛ばなきゃ、ってんで私は飛びました。
飛んだ瞬間「しまった。」と思いました。
あの地に足が着いていない何ともいえない頼りなさ、
内臓だけそこに残りそうなのに体は下に落ちていくあの
気持ち悪さ・・・。
「あ、やるんじゃなかった。どうしよう、でももう戻れない。」
そう一歩踏み出したらもう後には戻れないんです。
で、仕方がないので腹を決める。
(この間0コンマ何秒でしょうが、実に人間いざとなると
よく頭が回る・・・)すると紐が一番伸びきったところで急激にGがかかる。
その瞬間ですよ。達成感が湧いてくるのは。
「あ、死ななかった。(後で考えるとちょっとお笑いですが、その時はほんとにそう
思った。)」で「やった~。」です。
その後反動で数回上に行ったり下にいったりするんですが、もうサイコー。
今まで知らなかった別次元の世界がそこにあるんです。

何長々書いたのか。
独立ってバンジージャンプによく似ています。
最初の一歩を踏む出すのには本当に勇気が要ります。
でもその一歩を踏み出す勇気さえあれば、その先には
未知だけど実に楽しい世界が待っています。
もちろん、その後のほうが大変は大変なんでしょうが
独立の始めの一歩が踏み出せれば、それだけでも色々な
困難に立ち向かう力つきますよ。
好き嫌いあります。高いところが苦手な人、いいです。無理にする
必要ありません。独立も一緒。無理にする必要ありません。
でももし興味があってやってみたいと言う人、独立してみたいと言う人
是非最初の一歩を踏み出す勇気を持ってください。
勇気を振り絞ったら、その先には必ず得られるものがあるはずです。

今、Webマーケティングで重視すべきは「ロングテール」。


ロングテールとは「なが~い尻尾」のこと。「一部の主力商品の売り上げより、多数のニッチ商品群の合計売り上げの方が勝っている」ということを意味しています。


Yahooやグーグルの検索サイト広告は今、一部の大企業ではなく多くの「地方・中小」企業群のロングテールに支えられて前年比2~3倍の伸びを示しているそうです。

検索サイト広告(PPC広告;PPCとは「Pay Per Click 」の略で「クリック課金」のこと)には、「地方・中小」企業の再生チャンスが隠れています。

会社の近くにはいないかもしれない「顧客」が、実は全国を対象とすると・・・いるんですね~。これが。だからマーケティング上も発想の転換が必要です。


平均的な「ものづくり・サービス体制」では、全国市場の中で目を引くことは不可能です。「尖った商品づくり」「尖った組織づくり」「尖ったサービスづくり」が、中小企業活性化の最大のポイントになっています。

私は今コンサルの現場で「尖ったモノ」「尖ったモノ」と馬鹿の一つ覚えよろしく唱えています。

今日の日経新聞「交遊抄」に、19世紀の英国の哲学者ウィリアム・アーサー・ワード氏の大変素晴らしい言葉が載っていました。


「凡庸な教師はしゃべる。良い教師は説明する。優れた教師は示す。偉大な教師は心に火をつける。」


(以下は私の解釈)

しゃべるだけの教師の如何に多いことか?

しゃべれば仕事をしたと思っている。

しゃべるだけなら、幼稚園児でもできる。


説明は最低限の義務。

分かり易く説明しなければ説明したことにならない。

相手の立場に立った説明ができて、初めて説明したことになる。


例を示す。範を示す。

示されれば五感全てがそれを受け入れられる。

示す方も示される方も、共通の価値観で会話が出来る。

共通の土俵上で、意思の疎通が図れる。


ココロに火をつける。

これが人を動かす最大の源泉。

火がついたココロほど偉大な力はない。


自分自身、最後の「ココロに火を」の域にまで

少しでも到達できるよう精進したい。

そう思います。

今はどちらかというと、周囲の皆さんに「火をつけてもらっている」感じですから。


メンタリングにおける重要な示唆をいただきました。

4月に花見をしたとき、酔っ払って(!)携帯電話を無くしました

で 仕事にさしつかえるのですぐ買い換えました。


それからわずか半年。もう電池は駄目だわ、音声は小さくなるわ、よく切れるわ、・・・で早くも買い替えの様相です。

先端機器に必ず入っている「組み込みソフト」。これの不具合が原因の様な気がします。今あらゆる機器に入っています。で、この組み込みソフトは結構バグ多いらしい。ソフトの世界に「絶対」はないですからね~。便利な世の中に成ったようで、実際には虚ろな状態でぎりぎりのところを歩いているだけなのかも知れません。

私の携帯、そんなに高級品じゃないんですが、やはり組み込みソフトはありとあらゆるところに入っています。やはり便利になった分、何かを失っているのかも知れません。


でも携帯。もう仕事には欠かせない存在になってしまいました。

悔しいけど、携帯の便利さの勝ちです。素直に携帯屋さんに行ってきます・・・。

早く番号ポータビリティになって、価格下げ競争して欲しいですね。

ピーター・F・ドラッカーさんが亡くなりました。

御年95歳。大往生。


マネジメントの世界的権威でありながら、「さん」付けで呼ばれるほど日本人に親しまれた人は他にいません。(「ポーターさん」とか「コトラーさん」って言わないですもんね。)ご本人が大の日本贔屓だったことも多少影響しているかもしれませんが、やはり「経営学の本当のあり方」を実践された彼の存在を、日本の多くの実務経営者が「身近」に感じたことの表れだろと思います。


しかし彼の最大の特徴であるこの「実学主義」は、いわゆる「アカデミック派」からは異端視されていたようです。変な話ですよね。実学を重視しない「経営学」って。一体何なんでしょう?踊る大捜査線の名台詞、「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」と同様「経営は現場で行っているんだ。研究室で行ってるんじゃない!」ってことです。学問は例えそれが「基礎研究」であろうと「未知の探索」であろうと、それぞれの「現場」「実物」を常に見ないと。もちろん、ブレイクスルー(現状打破)思考は、現実・現場にこだわりすぎては成しえませんが、それでも現場感覚をつかんでこその次のステップ。現場を軽視するのは間違っています。


考古学で有名な早稲田大学の吉村作治教授が長きに渡り「助教授」のままだったのも「現場第一主義」だったからだ、と言われています。エジプトで発掘ばかりして、その資金稼ぎのためにTV出演しアカデミックな活動を軽視しているから、と。でも、結果的に吉村先生ほどエジプト考古学で実績を挙げた者はいないわけでして。・・・アカデミックな世界の感覚は、我々実務家にはよく分かりません。


ちなみにドラッカーさん自身は、自らを「エコノミスト(経営学者)」と横並びに評されることを嫌悪したとされます。彼曰く「私をエコノミストというのは誤解もはなはだしい。エコノミストは数字ばかり見るが、私は数字より先に人を見る」と言ったそうです。(日経新聞11月13日付)


かつて私は「実務に直結しない論文作成を、社会人大学院で行う意義」について、大学院教授数名と論争したことがあります。今では「実務に直結しない論文の意義」も多少理解しているつもりですが、それでもやはり「実務直結型学問」の絶対的優位性を信じて止みません。だから、私はドラッカーさんのようなタイプこそが「真の経営学者」だと思っています。


話しが「某公立大学の今後」に戻りますが、他の大学が「アカデミック経営学」にこだわっている「今」なら現場主義に立てば差別化が行えるんですがね~。ドラッカーさんが存命なら、その一点でゲストスピーカーに招致することも不可能ではなかったかも知れない。(日本に2年に1度は来ていたそうです。)そんな想いもありますが、いやいやこれからその志を継いでいけばいいんです。


なにはともあれ、真の「経営学者」(本人はこの表現を嫌がるでしょうが)の素晴らしき人生に合掌。

大学差別化の話しの追記。


私の提唱する「先生と生徒とのコラボレーション」型学校には、実はモデルがあります。

それは吉田松陰が幕末に萩で行っていた「松下村塾」。


松蔭はその前にペリーの黒舟でアメリカに密航しようとして逮捕・投獄されていましたが、その獄中で他の囚人や獄吏たちと互いに勉強し合ったといいます。松蔭ほどの学識や体験を持たない人たちからも「多く学ぶものがある」と言っています。

そこで釈放後、戻った萩で彼は同じような「教えあう」組織を創りました。これが松下村塾です。

実質的な塾の稼動はわずか2年。その間に輩出された塾生は高杉晋作や久坂玄随・木戸孝允・伊藤博文・山形有朋など蒼々たる顔ぶれです。実は先生であった吉田松陰も当時まだ20代で、塾生とあまり違いの無い年齢。あくまで塾生は松蔭を『師』とあがめましたが、松蔭自身は塾生皆を共に高めあう「仲間」として扱い、決して上からモノを言わない。どんな境遇のどんな年齢の人とも同じ目線で教えあったそうです。

これが社会人大学院の理想の姿。そう思っています。

ですから、「ビジネスキャリア」の有無も特別問いませんけど、「人に教えられる何かを持って入学する」というのが前提になります。

自由主義社会において、ビジネス活動は常に「市場」&「競合」との闘いです。


市場との闘いとは、「顧客」のニーズ・ウォンツを的確につかむ競争。顧客の思考変化への闘いでもありますが、時間との闘いでもあります。常に「一歩先」を予測して動くこと。(小さなところは「半歩先」を読んで動くこと。)


競合との闘いとは、「ライバル企業」との争い。しかし、ライバルは必ずしも目の前にいるとは限りません。潜在的なライバル、商品上のライバル、サービス上のライバル、内なるライバル・・・などなど実に多い。その様々なライバルから優位に立たねばなりません。


ですから「差別化」です。差別化できなければアウトです。日本のような成熟市場では「その他大勢」が生き残れるほど甘くは無い、そんな時代になりました。


さて某公立大学。どうやって次の社会人大学院生を集めるか。今、私相談を受けています。

ただ来年度の入学希望者を頭数集めるだけなら、簡単です。

公立ですから私立より学費が安い。社会人大学院で全国初の夜間1年コースもある。このふたつが「差別化」の原点。このふたつで徹底的に押せば、来年・再来年くらいまではまあ何とかなるでしょう。


でも間違っちゃあいけません。「市場」も「競合」も動くのです。

「学費が安い」?安くても質が悪けりゃすぐアウト。何のために社会人が大学院に行くのか?お金が惜しい人なら最初から行かない。自分自身の素養を高めたいから。自分自身の市場価値を高めたいから。だから行くんです。安かろう、悪かろうでは意味無いんです。もっと言うと、公立が安いのは「税金遣ってるから」です。質の悪い学校に貴重な税金費やすほどプリンシパル(委託者;ここでは地域住民)は甘くないですよ。これからは特に。かえってそのことが寿命を縮める可能性だってあります。

「社会人大学院夜間1年コース」?本当に有効ないいものなら、ライバル大学が参入してきますね。間違いなく。そして差別化できなくなります。


時間との闘いですから、本当の差別化で独自の地位確立するなら『今』しかない。

まだ税金で学費安くしててもプリンシパルから文句が出ていない、『今』。

ライバル大学が夜間1年コースの結果を様子見して、まだ本格的に参入してきていない、『今』。


だから『今』、本当の差別化のための戦略を構築すべきなんです。

競争が激化してから改めて戦略を考え始めていたのでは遅い!!差別化はスピード感!!

今が良ければそれでいい、というのは間違いなく「負け組」への道まっしぐら、です。


「もこみち」的にスマートで、でもライバルにはちょっと真似できないようなインパクトのある差別化。小さいところだからこそ出来る差別化。地域だからこそ出来る差別化。

カギは「先生と生徒とのコラボレーション」にある、私はそう思っています。大概の大学はこれからも「高名な学者先生の招致」で差別化を図ろうとするでしょう。

でも私の考えは従来とはまったく逆。偉い学者先生?いらない。あるときは生徒になるくらい、謙虚な先生だけでいい。「生涯一学徒」主義。その代わり、生徒もときには先生になれるこらいの見識や力量を持った人だけ。「学ぶだけ」じゃ駄目駄目。与えられる人だけが得られる。これビジネスの基本。「生涯一教師」主義。

で、学術と実学のコラボレーション。学術は教員に。実学は学生に。小さいからできるんです。地方だからできるんです。皆で創り出すんです。形だけの「産学連携」は聞き飽きた。本当に産学が交互に教えあい・学びあうんです。公立だからできるんです。


・・・というアツキココロが生かされるときが、果たして来るのか?

ほかにも差別化のアイディアはたくさんあると思います。コレを読まれて何か閃いた方、是非教えてください。某大学が聴いてくれるかどうか分かりませんが、私が責任を持って伝えることは必ず伝えます。

で、大学です。


今どんな存在なのか?

私大か、国公立大か?

知名度は?人気は?レベルは?(これは嫌らしい話しですが避けて通れません。)

これらの現状分析をした上で、確たる戦略を立てないと生き残れません。


ある公立大学があります。

今のままではやっていけないと考え、3つのバラバラな存在の公立大を統合して今年ひとつになりました。

ここまでは正解です。


でも、まず第一に「名前」。前の3大学のうちのひとつとほとんど変わらないんです。(「○立」と「○大学」をひっくり返しただけ)。かえって混乱する。入学した学生も実はよく分かっていない・・・。(事実)

統合繰り返して訳分かんなくなったメガバンクに近い。今新行名聞いて「昔の何銀行と何銀行が一緒になった」と言える人が何人いるでしょうか?

「三井住友銀行」くらいですか?よく分かるのは。

だったら同じように、いっそ3つの大学の名前ずらずら並べた方が「ああ、3つの大学が統合されたんだな」ってよく分かります。「もこみち」程インパクト無いかもしれませんが、意味が通じる。長~い名前の方がかえってインパクトがあって差別化できる。いっそ「日本一名前の長い大学」なら、それだけでも意味が出てきます。

あるいは「新」をつける。昔「新王子製紙」っていう会社が統合で出来て、いつの間にか「王子製紙」に戻ったという露骨な(?)例もあります。同じく「もこみち」程インパクト無いですが、「あれ、新しくなったの?」くらいは伝わります。で、浸透した頃こっそり「新」をはずす。あたかも昔から「一つの大学だった」 としてしまえば、無駄な大学(?)たくさんつくった過去の失政も何となくあやふやに出来ます。(皮肉です。)


第二に、統合の象徴として開設した「大学院」。これが、学部卒者向けと社会人向けがごっちゃまぜ。「何を目的として、どんな学生に来て欲しいのか」が、曖昧になってしまった。

とりあえず1期生は集まりました。でも早速、次(2期生)が続かない。「戦略不在」だからです。

大学院、という構想自体は間違っていないんですが、明確な区分けが必要です。「どんな人に来て欲しいか」を具体的に絞り込む。具体的な人物像にまで絞る。そうしないと「差別化」は出来ません。同じ学生に、有名国立大学からもアプローチがあったら?差別化できていなければ、確実に負けますね。


第三に、「キャンパスの場所」。3つの同じ公立の学校をタダ名前だけ一緒にしたから、それぞれがものすごく離れている。そのまま。行ったり来たりの先生は大変です。

小さいところはまとまらないと。パワー出ません。いいじゃないですか。一番便利な所に集約すれば。遠いキャンパスにいる人たちは「そこがいい」から行っていたのか?これをちゃんと調べていないんですね。想像ですが、遠方のキャンパスに通っていた学生の大半が「場所で選んでない」はず。便利な場所の方が、本来もっと良かった。だったら何も延ばすこと無い。過ちを正すのはばかること無かれ、です。これが競争力です。差別化につながるのです。


第四に、「先生の質」。少子化の時代、ユーザたる学生が「先生」を選ぶ時代です。もちろん「媚びる」必要はありません。でも良質な学生が「ああ、この先生の出会えてよかった」という先生もいないと。選ばれません。市場競争において「ユーザから価値を認めていただけない」企業は、市場から退出しないといけないんです。


(つづく・・・もういい?次回でこの項完結。)


例えば「速水もこみち 」。


売り出し中のごっつう男前の男優さんです。でも悪く言えば「今の芸能界ではよくある顔」。演技も悪くはないけど、まあ「こいつあすごい」とまでは言えない。そんな存在です。

名前が「もこみち」じゃなかったら、どうだったでしょう?「太郎」(全国の太郎さん、ゴメンナサイ)とか「一郎」(全国の一郎さん、ゴメンナサイ)だったら?ここまで注目されていましたかね~。


いや、本当にインパクトある。顔を忘れても「もこ・・・なんとか」で通じる。

上記リンク先の記事にもありますが、実は彼「本名」なんですね。「もこみち」は。(ちなみに苗字は「表」だそうです。いっそ全部本名の方が更に良かったのに。)


名前ひとつで差別化は図れる。もちろん、これが「お笑い」や「個性派俳優」だったらちょっと意味合いが変わります。お笑いで「もこみち」じゃ、完全に「芸名」だと思われてインパクト弱い。個性派俳優でも「ふ~ん、変わった名前ね」で終わってしまうかもしれません。

これが「今一番旬な『男前』」だからいいんです。

「いい意味での『ギャップ』」と「時代のニーズ&ウォンツをつかむ『タイミング』」。


これが「差別化」の成功の基本です。


(またまた『続く』・・・・ちょっとしつこい?)