誕生日
2月20日が誕生日なのは、アントニオ猪木さん、長嶋茂雄さん。ともに各界の最高のスーパーヒーロー。
この日は何か特別なエネルギーを持つ日なのであろうか?
自分の誕生日は、5月8日。そう、FIGHTING AID 1の開催日である。
別に計ったわけではない。新宿FACEに土日で空いている一番早い日をあてがってもらったら、たまたま自分の誕生日になった。
そういう、日のめぐり合わせという、何か運命的なものを感じる。
全力を尽くして、最高の5月8日にしますので、応援よろしくお願いします!
変な仕事
現在は結構な就職難のようだ。
就職活動中のの皆さん、こういう時代ですが自分にとってやりがいのある職業を見つけられるよう、就活がんばってください。
自分が大学生の頃、福岡には学生アルバイト紹介所なるものが存在し、そこに行くといろんな単発のバイト募集が貼りだされていた。
あるとき、その貼紙を見ていると、自分に声を掛けてくる人がいた。
「いい身体をしてるねえ!君みたいな人を探していたんだよ!」
仕事の内容を聞くと、簡単なコンピューター処理、とのこと。
コンピューターといい身体とどう関係あるのか?と思ったが、断る理由も無く、承諾。
しかし、当日、依頼されたことは、その会社の搬入口に届いた大量の反物を階段で5階の倉庫まで運び、その反物に付いたバーコードをピッとするというものだった。(バーコードを反応させるので簡単なコンピューター処理とのこと。 ウソツキ(笑)!)
反物というのはかなり重い。幅2メートルくらいあったのでおそらく30~40キロくらいあったのではないか。それを100本くらい、階段で、5階まで。
簡単なコンピューター処理と似ても似つかない作業だ~と思いながら、反物をアルゼンチンバックブりーカーの体勢に持ち上げ、昔あったギャラクシーウォーズのように階段を下りてくる人にうまくぶつからないように5階へ。
全部クリアーするまで10時間くらい要した。
それから、簡単な掘削作業、という説明で、かなりの山奥に連れて行かれ、そこで実際言い渡されたのが、スコップひとつ渡されて、タテ2メートル、ヨコ2メートル、深さ2メートルの穴を掘ってくださいということもあった。
しかもそこは地盤がかなり硬く、タテ2メートル、ヨコ2メートルというのはまだいいが、深さ2メートルとなるとかなりキツイ。しかも、これは何のための穴ですか?と聞いても教えてくれない。
会社の人は自分を車から降ろすと立ち去ってしまい、その後、2時間に一度くらい人の気配を感じてふと見ると、仮面ライダーの死神博士バリのおじいさんが監視?に。そして、その人に、この穴は何のための穴ですか?と聞いても無言で立ち去ってしまう不気味さ。
結局その難題も、10時間くらいかけてクリアーし、両方の手の平の皮と引き換えに1万円を握り締めて帰ったことがあった。
あの穴は何の穴だったんだろうか。。。?
就職活動中の皆さん、業務内容は十分確認して就業しましょう(笑)。
うなぎ
一生のうちで好きなもの嫌いなものは変わるものだ。
自分はうなぎも一時期嫌いになったことがあった。
大学生の時の夏休み、突然の思いつきで一人で夕方から釣りに行ったことがあった。
博多湾に注ぐ御笠川の河口付近。釣り始める頃にはあたりが薄暗くなり始めていた。
釣り糸を垂らすとすぐにうなぎがかかってきた。たまたまかと思ったら二匹目もまたうなぎ。その後もうなぎの入れ食い状態で、一時間弱であっという間にバケツの中はうなぎが二十匹くらいに。
その時、ふと、背後に人の気配を感じ、降り返ってみると怪しい妖気を放つ一人の老婆が。
汚れた服、ボサボサの髪は腰まで長く、目は片目しか無かった。そしてその目はジッと自分を見つめていた。
老婆は自分に近づき、そのうなぎをさばいてあげるから今からうちに来なさいと言ってきた。
普通なら絶対そんな人について行かないが、危険察知能力ゼロの自分は、誘われるまま老婆の家へ。
明日のジョーのドヤ街のようなところの一角にあった老婆の家は、中に入るとそこは裸電球ひとつの薄暗く汚い土間が広がり、何故か夏なのに超ひんやりとした空気に包まれていた。
目の前にはまな板代わりに使用していると思われる大きな板、そしてその板におもむろに出刃包丁がタテに刺してあった。
しまった。。マズイ所に来ちゃったな。。。。
やっと催眠から覚めたような自分がふと後ろをふり返ると、さっきの老婆が今度は大きなかなづちと五寸釘を握り締め、自分の背後に立っていた。
心臓が止まりそうになるくらいの緊迫した空気の中、老婆は自分の釣り上げたうなぎをその板の上に置き、五寸釘でうなぎの頭を、ガンガンガンと打ち始めた。そして、出刃包丁でうなぎの身体をさばいていく老婆。
日本昔話で見た、夜中に宿泊者の肝を出刃包丁で取り出して食べる老婆が急にかぶり、自分は、「これ全部あげます」と言って逃げるように老婆の家を後にした。あげますと言った瞬間の老婆のかすかな微笑がまた強く脳裏に焼きつき、それ以後、数年、うなぎ食べられない症候群になったとことがあった。
今はもううなぎは大好きだが、一時期一種のトラウマ状態だった。
全国の釣り人の皆さん、怪しげな妖気を放つ人が声をかけてきてもその人に家についていくことはしないように気をつけましょう(笑)。
抹茶で作戦会議
三澤先生と日本茶専門の喫茶店にて、抹茶と和菓子で作戦会議。
現在ではまだ公表できないが、ビックリするような朗報も!
しかし、こんな本格的な抹茶を飲むのは何年ぶりだろう?30年ぶりか?
自分は抹茶は嫌いで、普段、焼き肉屋などの食後のデザートで抹茶アイスやバニラアイスなどのオプションがあるとき、抹茶でなければ何でもいい、という思考があった。
でも、今日、何故か、あれ?抹茶好きかも?と思ってしまった(笑)。
洒落た和菓子が付いており、甘い和菓子のおいしさも久しぶりに感じた。
自分は甘いものは好きだが、バレンタインと聞いて、チョコレートではなくジョニーバレンタインを想像するところはまさに“昭和“か(笑)?
ちなみに故ジョニーバレンタイン選手。
(写真と5月8日とは関係ありません。念のため。)
5月8日、FIGHTING AID 1、ご期待ください。
ケンカ入門
先日三澤先生と飲んだときに、ストリートファイトの話になった。
三澤先生くらいになると、まず誰もケンカを売ってくる者はいないのであろう、ストリートファイト体験は無いとのこと。
自分の場合は、中学高校、さらには大学生になってまでもそういうものが付きまとった。
特に中学生の頃はそういう時代であったこともあり日常茶飯事。また、みんなそういう強さにすごく憧れをもっていた。
「ケンカ入門」なる本が中学で大流行し、みんなで競い合うように読んだ。
自分も本の表紙がボロボロになるくらいまで読んだ。
今はもう手元に残っていないが、その内容は今も頭に刻まれている。
ケンカ10か条
(1)ケンカは最後の手段である、むやみに刀を抜くようなことをしてはいけない。
(2)ケンカの後は、相手にいたわりの心を持つべし。以後、今まで以上の友情の念を持って接するべし。
(3)ケンカは対話である。対話のつもりで相手と戦い、最後は必ずお互いわかりあうべし。
(4)自分より弱いものとは絶対戦ってはいけない。
(5)敵に背を見せてはいけない。
(6)武器を持つケンカはしてはいけない。
(7)相手が武器を持っている時は、相手の手首の外側を狙うべし。
(8)ひとりを相手に複数でかかっていってはいけない。
(9)もし相手が複数ならまずはリーダー格を最初に叩き潰すべし。
(10)夜、戦うときは、月や街灯を背にして戦うべし。
だいたいこのような感じで、技術?的なものもかなり詳しく図解されていた。
急所攻撃については、露骨にこことここが人間の急所だなどと記載されていた。
これも古き良き時代のひとつだと自分は思う。
ドラクエの魔法か?
昨日、不覚にも風邪をこじらせてしまい、今日は寝ていようかと気弱になっていたところ、北海道の格闘総司令官よりメールが来た。そのメールを見てパブロフの犬バリにトレーニング服に着替える自分。
できる範囲でやればいいやと、軽めにトレーニングし、最後は河川敷まで走り、土手を利用した坂ダッシュで息上げトレをした。
体調悪いなら悪いなりに出来るレベルでの最速スピードで、かつ限界まで。
自分は中学高校は陸上部で、その時は体重50キロに満たなかったが生涯最高の100メートル走のタイムが11.0秒。今は体重90キロに近いが、このトレーニングをやりだしてから走るための速筋がなにげに復活してきているのがわかり、うれしい。
何本もこなし、もうダメだ、もう限界だから家に帰って寝よう、と思った瞬間、ひとりのおじいちゃんが現れた。
「いや~、走るの速いねえ、ビックリしたよ。私はよくこの土手を散歩してて、走ってる人たくさん見るけど、あなたみたいに速く走る人は初めて見たよ。。。」
自分はいきなりの誉め殺しに大変恐縮してしまった。しかも自分はそのおじいちゃん史上最速の人間ということなのだろうか(笑)!
「今日、わたしは土手に来て良かったよ。かなり元気をいただいたよ、ありがとう。」
そう言われてしまうと、帰るわけにもいかなくなり、おじいちゃんにそばで見ていてもらい、あと2本、全速力の坂ダッシュをご披露し、おじいちゃんの燃え上がってきた闘魂をさらに焚き付けてあげた(笑)。
家に帰るとやはり無理がたたり、しばらく横になってしまった。ドラクエで誰かを助けてあげる代わりに自分が倒れてしまうような魔法とか、たしかあったよな?とか考えながら。
でも、おじいちゃんの笑顔を見られたし、元気を配信できたのなら、これくらいアリだよね。。。
セプテンバーズのライブに乱入!
5月8日のFIGHTING AID 1で使用する自分の入場曲を作ってくれたバンド、セプテンバーズが埼玉県の鶴ヶ島でライブをおこなうとのことで、お礼と激励のために、ライブハウスにアポなしで乱入してきた。
ライブハウスはすごい盛り上がりだった。
曲間に、セプテンバーズのボーカル大輪さんが5月8日の説明をしだしたところに、お礼の花束を持って自分が突然乱入!場内騒然!!
大変熱いバンドで、セプテンバーズにお願いさせていただいて良かったですと、作製いただいたお礼。
自分からも、今回の主旨であるワクチンの寄付のことにも触れさせていただいた。
大輪さんはプロレスが大好きとのこと。
その魂がこもった曲「パーニングソルジャー」を自分の入場曲にいただいた。
ありがとうございます!
どんな曲か、当日をお楽しみに!
岡崎朋美選手
岡崎朋美選手、38歳。
1994年、リレハンメル五輪に初出場を果たし、2年後にはW杯で初優勝。そして1998年、長野五輪500mにおいて、日本女子短距離陣では初となる銅メダルを獲得し、その笑顔で一躍日本中の人気者に。
15年くらい前だが、自分も当時そのご活躍に酔いしれた。
順風満帆のアスリートに見えた。
しかし、2000年、悪化した椎間板ヘルニアの治療のため腰にメスを入れ、五輪イヤーにはシーズン開幕直前に虫垂炎で代表落ち。
今までにない試練を、前向きな笑顔と、強い精神力と、類まれな集中力と、底知れぬ潜在能力とで乗り越えて、
2002年ソルトレークシティー五輪では日本記録をマークし日本人最高位に。
2005年にもW杯優勝を日本新で飾り、日本中にその健在ぶりをアピール。
2006年トリノ五輪500mでは、メダルまであと一歩の4位。
多くのファンに大きな感動を与えてくれ、強豪揃いの短距離界にあって今なお第一人者の座を譲らないどころか、世界の頂点見据えてまだまだ進化は止まらない岡崎選手。
同じアラフォー世代として、がんばっている姿を見ると、すごく励みになる。
今回も、そして今後もまだまだ、がんばって行ってほしい。
川原尚行先輩
先週、「行列のできる法律相談所」にも出演されておられた川原尚行先輩。
自分が大学3年の時のラグビー部のキャプテンである。
川原先輩は外科医で九大病院から外務省にいかれた。
そこで、アフリカのスーダンが長年続いた内戦などにより国は疲弊し、国民の多くは貧困に苦しんでおり、難民問題をはじめ様々な問題が山積みで特に医療問題は深刻であるという状況を知り、外務省を退職し、スーダンに渡り、NPO法人ロシナンテスを設立されたグレートな先輩である。
現地での先輩の活動は、診療所を設立し診察するだけにとどまらず、日本の中古医療器具や中古救急車の活用、小児科医療の充実、日本の養護学級との交流、スーダン医師・看護士の日本への医療研修招聘、日本医学生のスーダンでの現地研修への受け入れ、スーダン北部メロエでのデェイツ(ナツメヤシ)の植樹活動、砂漠化する土地での産業を模索する為の生命力に優れているケナフ農場(紙原料となる植物)への挑戦、そして病気予防に最も大切な水質浄化への取り組み。
医療・環境・農業・文化・教育という幅広い形で大活躍されておられる。
これだけのことを成し遂げるエネルギー、様々な問題や壁を乗り越えて夢を実現させる行動力、この先輩を目標とせずして誰を目標としようか。
FIGHTING AID I 、目的は違うが弱者の命を救済するという魂は同じ。
自分には川原先輩の持つようなケタ違いのエネルギーや行動力は無いが、強力なタッグパートナーである三澤威師匠がいる。
プロレスでは1+1が5にも10にもなるというが、自分も三澤師匠との最強タッグでパワー全開でがんばって行きたい。
FIGHTING AID は、100万人の命を救うまでがんばります!
応援よろしくお願いいたします!



