遠い夏に想いを -66ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 昔、昔、その昔、妻がパリ大学に短期留学をしていた頃、3か月強パリに滞在しました。


 オデオンの傍のホテルにいた頃、パリ大学新ソルボンヌ第三分校に通い始めました。その後パリで知り合ったシスターに紹介されてモンスーリ公園の前のマリア会の宿泊施設に引っ越しました。


 15年後にパリを訪れ、当時の思い出の場所などを散策。ほんの一部分しか回れなかったのですが、15年も経つとかなり忘れていました。


 下の水彩画は地下鉄の出入り口で、はてなと思い迷っている奥様。駅の名はJussiuw(ジュシュー駅)。


地下鉄

 どう勘違いしたのか、ここで降りてしまいました。右に行くと第六分校と他の施設があり、左に行くとアンリ・ルソーが密林の絵を描くのに通ったといわれる植物園があります。第三分校へは歩いても行けるのですが、そもそも降りる駅が違います。サンシエ・ドーバントンで降りなきゃ駄目なのに。


終了書  それでも、かなり広い植物園を通り過ぎた斜め向かいの角が校舎ですから歩いても行けるのです。私も忘れていたからとやかく言えないですが。帰国後に終了証書を見いてもソルボンヌ本校のサン・ジャック通りしか載っていません。


 植物園は授業が終わった奥様と待ち合わせのために息子と一緒に行きました。それでこの駅をよく使っていたので勘違いしたらしいのです。結局、第三分校は諦めました。「また来るから」って、結局行かずじまいでしたが。





 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページです


 久し振りに市の絵画教室に行った。体調が悪く2週くらい休んでいた。


 部屋に入るやいなや、油絵をやっている奥さんが近寄ってきて、「創作展に出品された絵が和泉多摩川郵便局に飾ってあるのをご存知?」といきなり訊かれて、慌てて「知りません」と答えた。第一、市の創作展に応募した絵を市庁舎のロビー以外で飾るなんて話は聞いていない。


 次の日、天気もよく暖かいので、買い物で和泉多摩川の町に出た。洗濯屋や薬屋、駅前のスーパーに寄って、帰りに近くの野良猫が住んでいるお寺を回った。


猫

茶猫

 ここには以前から住みついている茶の野良と、30メートルばかり離れた家で野良猫して住みついていたグレーのトラが一年ほど前にここに移り住んでいる。


猫グレー


猫以前  

 以前は門の前でじっと日光浴していた。家に小さな子供たちが増えて、居づらくなったらしい。野良の宿命というべきか。(上は一年前の写真)


 そのまま郵便局に行った。未使用の年賀状が15枚くらいあり、これを切手に交換してもらった。


郵便局外

 絵は確かにあった。郵便局の奥の壁に、多摩川の二ケ領を描いた2作品とその付近のボートレースを描いた絵の合計3作品。多摩川を描いた絵は沢山あったが、二ケ領の堰がこの郵便局に近いのでこれらの絵が選ばれたのだろう。


郵便局内

絵  
 左上が私の水彩画、下は同じ二ケ領を描いた他の応募者の油絵。


 書いたものが公衆の場所に張り出されるのは、小学1年の時に札幌市の習字展に入選して張り出されたのと、今回くらいで私の人生では殆どない。


 


 最後になりましたが、今日であの日からもう5年が経ちました。改めて震災で亡くなられた人達に心よりご冥福をお祈り致します。仮設住宅に住まざるを得ない人達や、生まれ故郷に帰れずにいる大勢の人達にも、明るい希望の光が照らしますようにお祈り申し上げます。



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 バロック・チェリストの鈴木秀美さんと彼の室内管弦楽団の演奏会が小田急線の多摩センターのパルテノン多摩で開催された。


パルテノン

 今回も義理の姉が朝日新聞に応募して当たったらしく、以前にも紀尾井ホールでのイスラエル四重奏団にも新聞の募集に当たって義理の姉と行ったことがある。


 今回は鈴木秀美さんの演奏会なので奥様が姉と一緒に行くのがいいのだが、今回は用事があって行かれない。奥様は鈴木秀美さんとは昔ちょっとした縁があり、去年たまたまお茶の水で行われた彼の演奏会の切符を彼女の従兄から譲り受けて聴きに行ったことがあった。演奏が終わって妻が彼と談笑する機会があり、楽しい再会だったのを思い出します。


リベラ
 写真はホームページより拝借しました。今日は更に少編成でした。


 さて、今回は彼が司会者と指揮者で舞台は進行しました。司会者としても話が上手でユーモアもあり楽しい。題名はハイドン。ハイドンの逸話について面白可笑しく解説。今日は30人ほどの小編成で管楽器以外の弦楽器はバロック式でないのですが、室内管弦楽団にしか出せないようなメリハリの効いた素晴らしい演奏でした。ハイドンやモーツアルトの演奏にはこれくらい小編成がいい。


チラシ

 曲はハイドンの60番の交響曲。ハイドンの時代を再現したそうだが、60番の交響曲を各楽章に分けてその合間に違う室内楽を入れるというやりかた。元々60番は原曲がオペラだったらしく、オペラブッファを交響曲にしたよな面白い作りになっている。


 楽章の合間にアリア、管楽デヴェルティメント、ピアノトリオなどハイドンの室内楽曲が入る。まさにハイドンの時代の真似事である。


 モーツアルトの時代、演奏会は金持ちのサロンで開かれることが多く、伝記や書簡集を読むと、演奏は今のBGMみたいなもので、お客の会話が会場に響き渡っていたらしい。劇場で演奏する場合でも、今の音楽会では想像できないが、聴衆はペチャクチャろ会話していたらしい。何かスタバでモーツアルトのカルテットが流されていて、客がお構いなしに駄弁ってるようなもの。演奏会も一つの交響曲を1楽章から演奏するのではなく、いろんな曲をこちゃまぜで演奏していていたらしい。


 ハイドンの雇い主のエステルハージー候は大変に要求の多い人で、古楽器による室内楽を無数に作らされたと本で読んだことがある。火災で殆ど残ってないらしいが。



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 奥様は「しもたかフィル」というローカルなアマチュアオケに入っていますが、今年の秋に演奏する曲目の楽譜が配布されたそうです。大抵のアマオーケストラは一年間を通して毎週一回練習を重ねて本番となります。年に最低40回以上を練習に費やします。こんなに練習しなくてもと思うのですが、毎回欠席者が結構出て同じことを繰り返すからです。



 さて、曲目はベートーベンの交響曲8番とドヴォルザークの交響曲8番です。ベートーベンの8番は以前早稲田オケOB同好会で練習したのですが、奥様は圧迫骨折で動けなかったので弾いていません。ドボルザークの交響曲9番「新世界」は2度ばかり他のアマオケで彼女は弾いたことがありますが、8番「イギリス」は初めてです。



8番

 楽譜を見ると4番となってます。
「あれ、4番じゃないか」
「だって8番をやるって言っていたもの」
「曲は8番みたいだけど」

 冒頭から交響曲8番の第一主題のモティーフがチェロのパート譜に書かれています。何故4番なのか判らない。



 親友のYさんもこのオケで1stヴァイオリンを弾いています。彼女は数週間休んでいて、まだ休むというのでヴァイオリンのパート譜を奥さんが貰ってきました。彼女と狛江の喫茶店で会い「何故8番でなくて4番なのか判らないんだけど」って楽譜を渡しました。私は彼女に会うのは久し振りなので楽しく談笑し、「3月中にはまたトリオの音合わせをしよう」と別れました。



 帰宅してフランスの「Le LIVRE de Poche」(ポケット単行本の音楽辞典)のページをめくって奥様がドヴォルザークを調べ始めました。

「あっ、判ったよ」

曲の番号は出版の順序に関係があるらしい。
(お恥ずかしいながら、私も知りませんでした)


 ドヴォルザーク交響8番{イギリス}~3楽章/ウィーンフィル~カラヤン


 動画は8分の3拍子の舞曲ですが、ブラームスが親交のあったドヴォルザークのメロディメーカーとしての才能を羨んだというだけあって流れるような美しさです。またプラハ近郊の村で作曲されたので、大変ボヘミア的な曲ですが、出版されたのがイギリスということもあり「イギリス」と副題が付けられています。


 生前に出版されたものから番号が付けられている。生前に現行の5番から9番が出版され、1番から4番まで作曲していたが出版されなかった。全部で9曲の交響曲を書いているから、通し番号では8番になるが、出版された順では4番になる。18世紀より出版された順に番号が付されるのが一般というが、現在では紛らわしいですね。



 ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツアルト、シューベルトなどは整理番号として付けられた作品番号を基に交響曲などの番号が付されているので区分しやすい。ショパンなども番号が紛らわしいらしい。



ソナチネ

 ドヴォルザークは自分の作品番号は勿論意識していたと思う。作品100はヴァイオリンのソナティネですが、100番目という記念すべき番号を息子と娘のためにソナティネを書いた。アメリカの民族メロディに溢れた可愛らしい素敵な曲です。





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 この所、寒暖と気圧の変化が激しく、体調も落ち込み気味だった。


 市の絵画教室のKさんから、町のイベントの話を聞いていた。彼が入っている「ダボハゼ友の会」という男子の料理教室グループも参加するという。天気もよく寒さも和らいだし、町の反対側で散歩に丁度いいので出かけてみた

チラシ

 裏通りの細い道を歩いた。この方が近道だ。小さな梅園が現れ、野良猫が目の前を横切る。更に歩くと市のテニス場とゴルフ練習場に出る。ここは市のものと言うより防衛庁のものらしい。以前練習にきていたが防衛庁とかいっていた。


梅

猫

テニス

 更に歩くと西河原公園という小さな公園に行きつく。公園の土手を登ると多摩川が流れている。


西河原


 公園の手前で階段を登ると桜並木の大通りにでる。もう一か月もすると満開の桜が乱れ飛ぶ素晴らしい並木道になる。ここが西河原公民館。奥様がこまえフィルに入っていた時は、練習場になっていたので車で送り迎えに来ていた。


西館


 西河原公民館で色々な文化活動の発表会が開催されている。こまえフィルなどは参加していない。我々の絵画グールプも中央公民館でやっているので参加していない。歌、踊り、書道、花道、茶道・・・・マンドリン、フラダンス、パソコン、陶磁器・・・・などなどの和と洋の文化活動だが、その数挙げれば切りがないくらい。私は絵画グループに、奥様はフランス語朗読会に参加している。


 廊下では公募した写真展が開かれている
廊下
 ダボハゼの会、自分たちで焼いたクッキーとコーヒーがふるまわれる
ダボハゼ
 デザイン和紙の展示
和紙

 実に沢山の活動グループがある。各グループは自主運営で、自分たちの費用は自分たちで賄っているから税金は殆ど使ってない。とても全部は見切れないので、途中で帰ってきたが、面白い活動である。


 今日はここに来るだけで往復6千歩くらい歩いた。一日8千ぽくらいが健康維持には丁度いいですね。



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