遠い夏に想いを -36ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。


 昨夜テレビを見ていて、チャンネルを回していたら、日本テレビで北海道特集をやっていた。「そだね」女子チームの影響なのかな。


 北海道の地名は大半アイヌ語の当て字だから読めない、仮名にした方がいいと前回にもいったが、広島や池田など出身者の故郷の地名のところもある。また既にニセコなどカタカナ表記の地名もある。今や漢字圏は中国と日本だけ。周辺のアジア国は漢字から脱出している。毛沢東の頃の中国では漢字を止めようって話があったらしい。漢字はテレビのクイズ番組で出題するのが最適で、日常的に使用するには問題が多い。日本語は表意文字ではなく表音文字だから。


   札幌駅展望台からの市街地(南側)遠望
札幌

 ところで、番組の中で、街の人々に「七夕は何の枝に願いを書いてつるしますか?」と訊いたら、「柳の枝」という答え。質問者は笑っているが、そもそも北海道には竹や笹は生えていない。一般的なタケノコもない。あるのは「根曲がり竹」という美味しいが小さな野生のもの。だから七夕なんぞに使えない。しだれ柳の方が飾りとしてはむいている。


 子供の頃、実家は菓子屋をやっていた。おかしな名前の食べ物を思い出す。「きびだんご」という駄菓子、「カステラ」という「どらやき」の変形した焼菓子など。


 今はそうゆう習慣があるかどうか判らないが、子供の頃、「ローソクくれなきゃ、かっちゃくぞ(ひっかくぞ)」って近所の家々を廻ったのを思いだす。七夕の頃だっか、お盆の頃だったは定かではない。これなどもハロウインの風習(Trick or treat)に似ている。但しこの起源は東北の祭でないかと言われている。


 どこの国でもそうだが、地方にはそれぞれ変わった風物や風習があるから面白いのだ。




 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れと言いテルでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ


 

 カーリングの試合は観ている方もドキドキだね。最後の一投で勝敗が決まる。実力と幸運と不運が入り乱れている感じ。


 カーリングの日本女子チームが話題になっている。彼女たちが発する北海道弁が可愛いと。


  表彰式を終えてインタビューを受ける日本女子カーリング・チーム(NHK/BS)

カーリング女子

 私も生まれは北海道。久々に女の子の道産子弁を聞いて懐かしかった。何十年も離れているので、すっかり忘れていた。「そうだ、そうだ、懐かしい!」と食いついた。私の姉も叔母も「そだね」、「~しょ?」族だった。独特のイントネーションが加わる。


 北海道には独特の言葉が幾つかあるが多くはない。「めんこい」「ひゃっこい」「しばれる」などはいいのだが、「投げる」は捨てるを意味するから、間違えるととんでもないことになる。


 結婚してから札幌に転勤になり、東京生まれの奥さんはこの独特のイントネーションに悩まされたらしい。


 北海道は国内植民地みたいなものだし、江戸時代も函館地方の松前藩しかないから、日本の歴史には関心が薄く、クラーク博士などの影響でアメリカの方を向いていた。多くの農産物はその典型で、アメリカから来たものだ。ただ、言葉的には植民してきた地方の言語が混じっている。全国からやって来たのだが、やはり東北地方の言葉が多い。


 北海道の地名も全てアイヌ語を漢字で表記したもので、道外の人には読めない地名だ。今は全部カタカナにした方がいいと思う。彼女たちの出身地、常呂町など当て字以外の何物でもない。自然も大陸的で、人もおおらかで優しい。


 「そだね~」を今年の流行語大賞の候補などというのは早すだと思うのが。



 

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女性


 透明水彩、グアッシュ(不透明水彩)、パステル、鉛筆、色鉛筆、ペンなどの画材を長年使ってきました。油彩は匂いや汚れが嫌いで使わない。


 しかし一度塗った色の上に他の色で上塗り出来るのは油絵具が一番だ。アクリル絵の具も可能なのだが、乾燥が速くて使いずらいと聞いていたので、以前買ったものをそのままにしておいた。


 アクリル絵の具、乾きが速いので紙のパレットを使う
絵の具

 最近、通っている絵画教室で、アクリルを使う人が増えてきた。私も使ってみようと思い、出来るだけ複雑で細かな中間色の描写をさける題材を選んだ。


 散歩する女性のデッサンだけは以前に描いてあった。これの背景にパリのリール通りにある三ツ星ホテルを選んだ。小さなプチホテルだ。17室ほどしかない洒落たホテル。背景としては単純だ。


 45年くらい前だろうか、初めて泊ったのは。アメリカから大西洋を渡ってパリに着いた我々を空港まで出迎えてくれたのが妻の大学時代の同級生のTさん。彼が予約してくれたホテルだ。「アメリカから来て疲れているのに、場末の安ホテルじゃ」と取ってくれた三ツ星ホテルだ。妻がパリ大学の夏期講座を受けるために3カ月ほど滞在する予定だし、何せ貧乏旅行だから三泊してサンジェルマンの無星ホテルに越さざるを得なかった。


 オルセー美術館
オルセー

 このリール通りを東へ3~4分歩くとオルセー美術館がある。当時既にオルセーは廃止された鉄道駅で、駅全体に垂れ幕が掛かっており外からは中をうかがい知ることもできない。


 1970年代の内装をはがされたオルセー駅(ホームページより借用)

orsay70-


 当時フランス政府もどう活用すべきか迷っていららしい。何せパリ万博の頃の由緒ある建物だから取り壊す訳にもゆかない。体育館になるかと思っていたら、美術館になった。美術館としては少々無理があると思うが。


 今日のアクリル画は初めてで、出来の悪い塗り絵か子供の絵みたいになってしまった。


 それに今日は少し話が長くなりました。パリに行かれるときはこのホテルをお勧めします。但し8月は2週間ほどヴァカンスで休館するかも。本当のホテル名は「ホテル・ベルソリーズ・サンジェルマン」です。



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 妻が右手首を痛めた。痛くててチェロの弓も持てず、所属するアマオケの演習も休んでいる。腰痛で通っている整形外科医の診断だと一種の腱鞘炎らしい。本人は睡眠中に手の置きどころが悪くて痛くなったと言うのだが。


 そんなこんなで、夕飯の支度を私がすることになった。私の出来ることと言っても、パスタしかない。そこでお昼過ぎに必要な物の買い出しに行ってきた。今日は魚介のパスタにする。魚介のパスタは難しい。魚介だけではソ―スに味が出ない。以前にも何度か失敗している。肉を使ったソースの方が割と味がいい。


 今日の材料はエビとカジキ、玉ねぎ、ぶなしめじ、ベーコン、にんにく、唐辛子、バジル、ホールトマト、パルミッジャーをおろしたパルメザンにバターが少々。

 

 材料の一部
材料
 パスタのソース
ソース

 カジキマグロはソテーして置いて、切り分け後からパスタに乗せた。


パスタ



 今日の出来は最高だった。久し振りに美味しい魚介のパスタでピンチヒッターが務まりました。





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 家から6分くらい歩くと多摩川に出る。いつもの散歩道が多摩川に近づくと、ある一軒家の庭の前を通る。15坪程の小さなお庭である。いや小さな庭園と言うべきかもしれない。



garden


 それは宝石箱みたいに凝っている。イングリッシュ・ガーデンのように植物がぎっしり植わっていている。イングリシュ・スタイル・ガーデンと称する庭が数多く日本にあるが、土がむき出しのものが殆どである。特にバラ園などがひどい。


 ここはまるで不思議の国のアリス的な美しさがある。とても手に負えそうにないので、水彩をのせる前にペン画で描いた。現実離れした絵になったが、これが精一杯です。




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